第4章:偉大なる詐術者(14)
――――少年は耐え忍んでいた。
身体が脳に訴えるのは、損傷の具合を知らせる信号ばかり。
血管が破れただの、筋肉が削られただの、毎日のように悲鳴を上げていた。
しかし、それでも少年は耐え忍んでいた。
その意味も、その価値も、壁一枚を隔てた向こうにあった。
「がんばろうな!」
頑張る。
どこまでも忍耐して努力する。
これは、人間が生きる上で度々必要に迫られる行為である。
だからこそ、大人はその行為自体を美徳とし、子供にその必要性を認知させるのだ。
頑張ればご褒美が貰える。
努力すれば神様は見てくれる。
必ず報われる。
正しいか否かはともかく、その教えは人として生きる上で素晴らしい躾と言えるだろう。
「ねえ、君、おとーさんとおかーさんっている?」
「ううん」
少年に親はいなかった。
育ての親も、商品価値を損なわないように一般教育や知識は刷り込ませたものの、人として生きる事を前提とした教えは説いてくれなかった。
だから少年は『頑張る』と言う言葉は概念の上で知っているに過ぎず、その重要性には理解が届いていなかった。
「じゃ、僕たちいっしょだね。いっしょにがんばんなきゃ。友情パワーで」
「友情パワー?」
「そう。友情パワーでがんばろうな!」
「……そうだね。がんばろ」
"がんばる"
何度も繰り返されるその言葉を、少年はいたく気に入った。
生きると言う事は、ただ生命を持続させる――――それだけの事ではない。
種の存続やら快楽原則と言った、生物に付属する法則的なものもあれば、育った環境により身に付いた自我だの超自我だのによる個の生成もあり、色々と忙しない。
生きる事は、疲れる事でもある。
だからこそ頑張ると言う行為は必要なのだ。
「前も言ったよね。ぼく、魔術士になりたいんだ。でも、その為にはいっぱい勉強しなきゃダメなんだって。君は? 君は何かある? そう言うの」
「ぼくは……うん、あるよ」
少年は目的を持った。
それが例え漠然としたものであっても、それを認めてくれる存在がある以上、動機は強く、逞しくなる。
少年は、ようやく知ったのだ。
頑張る事、努力する事の大切さを。
知らせてくれたのは、生まれて初めての――――友達。
「ねえ、聞いてよ! ぼく、すごいこと思いついたんだ!」
「へえ。何? 何?」
「あのね、魔術って出すまで時間がかかるんだ。それをさ……」
「うんうん」
友達がいると言う事に、どれ程の意味があるのか――――それは、物心が付いた後で初めてそれを得た人間だけが知り得るのかもしれない。
唯の対話が、人格を形成する肥料となる事。
目的をかざす事で、人生が装飾される事。
価値観をぶつける事で、思考を熟成させるようになる事。
笑い合う事で、満たされる事。
殆どの人間が当たり前だと認識し、自覚なきまま自分を創る。
自分と言う存在が出来て行く様を内部から見続ける時間は、少年にとっては恐ろしい程の幸福だった。
だが、内部がどれだけ劇的な変化を生み出しても、外部の痛みは治まらない。
魔術が皮を喰らい、血を吸うその毎日が、少年の『頑張る』を徐々に削って行く。
一日たかが数十分。
しかし、痛みは継続する。
実際、闇に敷き詰められた中、激痛から開放されるのは熟睡している時間だけ――――と言う状態とは、人間が持ち得る精神の耐久力を遥かに超える。
幼くして死の病と闘っているに等しいのだ。
では、どうやってそれを補うのか?
それは――――絆。
人と人の繋がりは何処までも曖昧で、それ故に無茶な補正も余裕でまかり通る。
「がんばろうな!」
少年は、それだけで繋ぎ止めた。
そして、耐えた。
生き残る事は、夢。
その残骸は、周辺の闇の中に幾らでも転がっている。
しかし、その可能性など考慮せず、頭の中は命を奪う魔術から、いかに身体を防ぐか――――それだけで満たした。
そして。
少年は耐え抜いた。
それを記録者は『耐性の変異的増加』と勘違いし、歓喜に沸いていた。
研究の成果を見に来ていた領主も笑っていた。
少年は、見事なまでに出し抜いていた。
強くなったのだ。
生きる事に対して。
そんな中。
少年は、一人の少女と出会った。
地下室にある牢獄での、鉄格子を挟んだ出会い。
とは言え、僅か十秒程度の接点。
相互理解の機会などある筈もなく、絆など生まれるべくもない。
「……私、この家の娘です」
「?」
「こんな事になってしまって御免なさい」
「えっ?」
「御免なさい」
交わした言葉は、それだけ。
記憶の片隅にも残らない、ありふれた言葉。
唯の記号。
直ぐに少女は去る。
そして二人は離れる。
何の事はない、ただの出会いと別れ。
絆など、生まれるべくもなく――――




