第4章:偉大なる詐術者(11)
特定のカテゴリーに属する人物の個人情報を書き連ねた名簿を入手し、それを希望者やブローカーに売る――――そう言う商売が、闇の中には存在している。
例えば、魔力測定所の魔力量測定データを一括にまとめた名簿があれば、優秀な人材の確保に躍起になっている大学や教会の関係者には確実に高値で引き取って貰えるし、指輪タイプの魔具を購入した顧客の名簿を手に入れれば、類似品の売込みがし易い……と言った具合に、何かを探している人間や団体にとって、情報の集合体である名簿は極めて魅力的な商品と言える。
しかし、個人情報の漏洩は各国の法律に関係なく社会的・人道的に御法度の行為であり、尚且つ入手・作成に広範囲・高精度の情報網が必要な事もあり、それを扱える情報屋は決して多くはない。
その少数の人間は、畏敬の念に皮肉を交えて、こう呼ばれている――――
「闇結い」
礼拝日も平日も余り関係なく物静かな助教授室。
ミストの声は、その部屋を低く這うように響き渡った。
「名前くらいは聞いた事があるだろう。君らにとっては爪弾き者、かもしれんがな」
「それが何か?」
あからさまに不機嫌な声がミストを急襲する。
しかし、その空気の震度がミストの感情を揺らす事はない。
「以前ここに売り込みに来た人間が、もしかしたらそれだったかもしれんと思ってな。大学の役員名簿や裏帳簿の入手を目的とする人間は割と多い」
小さい笑みを携えたまま、ミストは思い出すような仕草に興じた。
「テュルフィング――――と名乗ったが、当然ながら偽名だろう。君に心当たりがあれば、聞かせ願いたい」
「いえ、聞いた事ないです。はい」
「そうか。では本題に入ろう」
特に期待はしていなかった、と直接訴えるかのような速さで話題を変える。
そんな態度に小さい怒りを覚えたらしき眼前の表情を眺めながら、ミストは報告を待った。
「……アウロス=エルガーデンは現在【死神を狩る者】、【ライコネン=ヒーピャ】及び【ガルシド=ヒーピャ】に対しての情報調査を依頼しています。クレール=レドワンスの論文盗作疑惑に対する手掛かりの詮索が主だった行動です」
「気になる行動は?」
「特に……あ、一つありました」
「ほう」
ミストは目を微かに細め、関心を示す。
「お土産をくれませんでした」
「……ほう」
「他の人には買ってきたと言うのに、です」
しかし、それは一瞬だった。
「それは『土産を与えるに値しない』と言う意思表示ではないのか?」
「……」
ミストの指摘は沈黙を生んだ。
それが眼前の人物にとって、決して心地良いものではないと知りつつ。
「少々悪趣味な冗談だったか……では、別の質問をしよう。彼が生物兵器について調べた事はなかったか?」
「生物兵器……」
話題を変えた筈なのに、一層表情が曇る。
ミストはその変化に、これから口にする答え以上の価値を見出した。
「いえ。ないです」
空虚な言葉が宙を舞う。
「わかった。では次回また定時に」
「……はい。失礼します」
一瞬弾けそうになる感情は辛うじて暴走する事なく、通常と同じ速度で扉は閉まった。
そして直ぐにその扉が開く。
「悪い人。あんな年端も行かない子に酷い事言って」
その様子をほのぼのと眺めていたミストに、入れ違いで入って来た女性――――セーラ=フォルンティは嘆息を吹きかけた。
「悪い人間なのは重々承知している。利用出来るものを全て利用すれば、自ずと業は生まれるのだからな」
もう直ぐ自分のものではなくなると確信し、少々荒っぽく扱う機会が増えた机。
ミストはそこに両肘を突き、口元を隠した。
「が、そうしなければ辿り着けない場所がある。仕方がないとは言わんさ。悪人大いに結構。好きなだけ罵ると良い」
「そう言う所は少し子供っぽいのね」
「自分より下の者を踏み台にする気分は、君も良く知っているだろう」
ミストの目が、セーラの瞳孔を貫く。
「……そうね」
大学の、それもエリートと呼ばれる人間は、多かれ少なかれそう言う状況が生まれてしまうものだ。
それを経験した上で、彼らはそこにいる。
「我々は、聖人君子ではいられない。弱者を救うのにも利があればこそ、と常に念頭に置いてなくてはならない。不満か?」
「私は出来れば、綺麗に生きたいんだけどね」
「……で、自分を押し殺してでも付いて行くだけの価値が私にはあるのかな?」
「どうでしょうね。少なくとも、貴方にとってはそこまでの価値は私にはないんでしょうけど」
本心からの発言だが、どこか否定される事を望んでもいた。
そんな自虐に対し、ミストは沈黙しか返さない。
しかしセーラはそうなる事を知っていたので、言葉を続ける。
「でも、子供達が純粋に、一途なまでに夢とか目標とかを追い続ける姿は、見ていて羨ましい。貴方の愛弟子然り」
「愛弟子?」
「アウロス君よ。貴方に良く似てるじゃない」
セーラの言葉は、ミストに表情を変えさせた。
それは稀有な事例。
発言した本人が驚くほど。
「生憎、彼の性格は私に影響されたものではない。似ているとも思わない」
アウロスと言う単語に、ミストは常に何らかの反応を示す。
セーラはその事実に、顔をしかめた。
率直に気分が良い事ではなかったからだ。
「でも、今の貴方が一番気に掛けているのは、あの子の事なんでしょう? わざわざ監視まで付けて」
「……あの男は、利用するのが難しい。その補助に一人、人件費を割いているだけだ」
「効率を何より気にする貴方がそこまでする時点で、私にはそう映るんだけどね」
若干感情的になったセーラの言葉に、ミストが沈黙する。
生徒のいない校内は微風の窓を撫でる音すら細やかに通し、その音が二人の隙間に波紋のように広がった。
「今日は愚痴りに来たのか?」
「いえ。先程も話に出てたけど、例の生物兵器の件で少しお話をしに、ね」
不機嫌な響きは、声の途中くらいから自然と消えていた。
何気に凄い事だ。
「それなら問題はない。奴は自由に泳がせていれば良い。今はな」
「ところが、そうも言っていられなくなったみたいよ?」
「……何?」
ミストの眉が撥ねる。
その様子にやや満足気な心持ちになりつつ、セーラは理由を述べた。
「ほう……それはそれは」
緩やかにミストが笑う。
セーラは呆れつつもどこか頼もしげに、或いは嬉しげに息を吐いた。
「そんな余裕の笑みを浮かべてて良いの? 貴方の切り札なんでしょう? アレは」
「ま、何とかなるだろう。彼もいる事だしな」
「……そう。それじゃ私は仕事があるから」
「ああ。わざわざ済まなかったな」
見慣れた背中に礼を言い、視界を回す。
二つの報告会が終わり、視界に広がる窓枠の彼方に意識を向け、そこに広がる彼の世界に微笑みかけた。
切り札――――それが言葉として出てくるものだと言う認識があるのなら、それは大いなる過ちである。
そして、だからこそ利用価値がある。
ミストは全てに満足しつつ、虚空と握手するような心持ちで窓を開けた。
――――同時刻。
「ここ、か?」
気配を追って来た先にあった、三階の隅の小部屋。
その扉の前で、アウロスは囁くように呟き、隣の魔女に見た。
「ええ。早速乗り込むから扉を開けなさい」
「乗り込む……やっぱ強奪なのか」
「交渉よ。しかしながら、交渉に決裂は付きもの。貴方には万が一戦闘になった際の盾を務めて貰いますので、そのつもりで」
予断だが、盾には『嘆き』とか『破滅』などと言う言葉が良く似合うらしい。
「盾と言う事は、相手が攻撃して来た際にお前の身を守る為に動けと?」
「当然のように」
頷いて見せる。
「……腹は立つが、その役割分担は理に適ってる。俺は知っての通り魔力量が少ないから、支援が主だった行動になる。お前は攻撃性強そうだしな」
魔術士は基本的に、魔術を見ればその魔術士がどのような術が得意なのか、どんな分野を専攻しているのかが大体わかる。
その魔術がどれ程洗練されていると言うのは結構外見に出るもので、完成度の低い攻撃魔術は魔力の圧縮が弱く、無駄に派手だったり意味のない放電や火の粉が多い。
それ以上にわかり易いのがルーリングの動作で、戦闘に慣れているかどうかは大抵一目でわかる。
不慣れな者の所作には、剣の重さに振り回されるようなぎこちなさがあるのだ。
アウロスはルインのルーリング動作を見た事はないが、先日の漁夫の利の際に魔術は目撃していた。
その一方で、ルインがアウロスの支援系魔術を見る機会はこれまでになく、アウロスは訝しげな目で見られるのを覚悟していたのだが――――戦力に対する疑問の声は上がらなかった。
「で、中の気配はどんな感じなんだ?」
「殺気はゼロ。中には例の二人だけ。お互い感情の波はなく、静かに会話が交わされている……そんなところ」
「そこまでわかるのか……?」
アウロスの疑問に、ルインは何故か邪悪っぽい笑みを浮かべた。
「信用できないと?」
「信用に足る要素が余りないからな」
「それでは、私の問いに『はい』『いいえ』だけで答えなさい。それ以外の返答は死を意味します」
肩の力がカクン、と抜ける。
「……何故そうなる。そもそも今まで死を意味した事はないと思うんだが」
その言葉は完全無視し、ルインは食い入るようにアウロスの目を見つめた。
絡み合う視線にアウロスは狼狽を隠せない。
そして――――
「盾役の男が元気よく扉を開け、実は待ち構えていた護衛による魔術の一斉放射を受けて絶命し、敵が油断したところを後ろから反撃した剣役が首尾よく名簿を手に入れる。盾役の男が元気よく扉を開け、朗らかに会話する二人へ飛び込んで行ったところを剣役が後ろからまとめて串刺しにし、絶命する者どもを尻目に首尾よく名簿を手に入れる」
げんなりと解れる。
「選びなさい」
「交渉は何処へ行ったとか『はい』『いいえ』とかそれ以前に、俺の屍を乗り越える以外の選択肢がないのか」
「……」
無言の冷笑。
その返しに心中で汚い言葉を連呼したアウロスは、憤りを全力で抑えつつ扉に手を掛けた。
明らかに死の可能性が高い役目だが、盾が背を向ける訳にもいかない。
「最後に言っておきたい事があるのなら、一応聞いておくけれど」
「遺言を言わせようとするな!」
アウロスは我慢を吐き出すようにがなりつつ、そして自身最硬の結界を綴りつつ、その逆の手で扉を開く。
そして――――光に包まれた。




