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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
26/401

第2章:研究者の憂鬱(12)

 実践訓練翌日――――

「……筋肉痛?」

 運動不足著しいアウロスは、早朝から訓練の後遺症に苛まれ、妙に疲労感を漂わせている情報屋と共に、客室テーブルに突っ伏していた。

 料理店【ボン・キュ・ボン】の店内は、開店時間をとうに過ぎているにも拘らず、客の気配がまるでない。

 基本毎日が終戦ムードだが、今日は特に酷い空気だ。

「あれだけ過酷な肉体労働は本当に久し振りだった。この痛みは必ず俺の筋肉を一つ強みへと誘ってくれる筈だ」

 それが例え3km走破と言う、僅かな移動のみであっても。

「あっそ。んで、例の件なんだけど……調査結果出たよん」

 しれっと流された事に少なからず不快感を抱いたものの、それを打ち消す朗報に、アウロスの顔が上がる。

「ウォルト=ベンゲルの事か?」

「そ。くふっ、取り敢えずこれを見て貰おうかしらね」

 ラディはテーブルに突っ伏したままビヨ~ンと右腕を伸ばし、足元の皮袋を掴み、それをテーブル上に引き上げた。

 そしてやはり顔を上げないまま、中身を手探りで取り出す。

「大学内部の声と、この大学に詳しいベテラン情報屋の話を総合して、彼の研究室及びその周辺の人間関係を図示してみたの」

「ほう」

 皮袋の中にあった羊皮紙には、そのウォルトを中心とした相関図が描かれていた。

 しかし、余り線は多くない。中心に集約する線より、その周囲の線の方が多いくらいだ。

「どうもこの人、人付き合いが苦手なタイプらしいのよ」

「ほほう」

 ちなみに、アウロスも頭は上げていない。

 その為、相関図は一切見えていないのだが、会話には然程影響なかった。

「なんて言うか……職人肌? 一つの事に集中したがる性格で、研究への拘りが強い一方で他人には無頓着って感じみたい。こう言うタイプって一度懐くとやたら甘えたがるよね」

 不気味な笑い声がテーブルを反響させ、気味の悪い音が食堂に響く。

 客がいたら逃げ出しかねない所だが、その心配は必要なかった。

「知らん。で、現状に対する不満はありそうか?」

「陰湿な話なんだけど、ちょいちょい嫌がらせを受けてるみたい。それでも愚痴一つ零さないんだって。健気ねー。私なら犯人見つけてシメるけど」

「……それをやったら、更に激化するからな」

 アウロスは実感を伴った発言をしながら溜息を吐いたが、口がテーブルと密着していた為、口腔が広がってカエルの鳴き声のような音が響き渡る結果となった。

 幸い客はいないので、営業妨害にはならない。

「ただ、教授には気に入られてるみたいね……それがまた余計に周りを苛立たせてるんだろうけど。才能はあるみたい」

「だろな。あれは仕事できる顔だ」

 今度はウンウンと頷こうとするが、上下動出来る余白もなく、首を動かす筋力的余裕もないので、微動だにせず。

「顔は知らないからコメントはできないけど。んで、ここからが重要なのよ。ってゆーか、いい加減顔上げない?」

「首に力入れると致命的な何かが起きそうな気がする。脊椎辺りに」

「……ま、いーけど。それで本題なんだけど、どうも教会の人間と繋がりがあるらしいのよ」

 アウロスは教会と言う言葉に反応し、直ぐに首を上げた。

 大学と教会の関係は主従に等しい。よって、大学の関係者と教会が接触する事自体は、然程珍しくない。

 だが、それはあくまでも、ある程度の地位にいる人間の話。

 一介の研究員に過ぎない人間が教会と接触したとなると、そこには高確率で不穏な香りが漂う。

「とある教会関係者をマークしてた情報屋が、偶々そいつと彼の逢い引きを目撃したんだって。それも深夜に」

 教会と大学の話し合いは通常、担当者同士によって行われる。

 また、接触する上では例え個人的な用件であっても、大学を通さなければならない。

 わざわざ深夜に接触したと言う事は、規則通りに手続きを行った可能性は非常に低い。

「……場所は?」

「大学。教会関係者の方が出向いたみたい」

「……」

 アウロスは沈黙に思考を乗せて、可能性の模索を始めた。

 状況、背景、ウォルト=ベンゲルの人間像、そして利害――――

「流石に話してた内容まではわからなかったらしいけど……これでも十分弱みにはなるし、脅迫材料としては申し分ないでしょ?」

 思考を遮られたアウロスは、一瞬半眼でラディを睨む。

 しかし、それが理不尽な怒りと自覚し、ゆっくり目を閉じた。

「脅迫に使うつもりはない」

「え? 違うの? 『おうおう、そこの優等生よお。クソ真面目な顔して裏ではこーんなキナ臭い事してんだってなあ? あ? ダメだなあこんな事しちゃ。これじゃまるで脅してくれって言ってるようなもんじゃないの。知ったのが偶々僕みたいな超善人だったから良かったけど、そんな脇が甘くちゃ出世できないよ? いやいや、僕は脅しなんかしないよ。そんな悪人と一緒にされちゃ困るなあ頼むぜオイ。ただね、ちょーーっと言う事聞いてくれるだけで良いんだよ。脅しじゃないよ? お・ね・が・い。聞いてくれたらきっと素敵な明日が待ってるさ。あ? 聞かなかったら? 何寝言ヌカしてんだサバくぞこのヒョウロク……いやいや、今のは軽い冗談だよ。僕優しい、君嬉しい。で、どうよ? ホラ、家族とか恋人とかにね、迷惑とか嫌じゃん? 明日何気なく会ったら鼻のない彼女とか、笑えないっしょ。いやいや、可能性可能性。そういう事も、もしかしたらあるかなーって。んで次の日は目と耳と鼻のないカップル同士樹海でデートとか、そんなん? はっはっは。で、どうよ? ねえ、恩師とか。両手両足のない恩師とか見ても、ねえ? なんか変じゃん? で、どうよ?』みたいな感じでジワジワ追い詰めて、トドメに満面の笑顔をプレゼントしたりとか、そんなんしないの?」

 アウロスは『クソ』の辺りで聞くのを止め、再び思考に潜っていた。

 数ある判断材料を調合し、幾つもの可能性を導き出す。そして、その中で最も納得の行くものを更に吟味して、それが行動原理の為の仮定として適切か否かを判断する。

 アウロスは基本的に、憶測で行動を起こす生き方を選んでいる。

 その為、こう言った脳内作業は日常で何度も何度も行っている。

 一歩間違えば自滅の道を辿るこの生き方は、決して賢い人間の選択するものではない。

 それでも、この生き方で生命と目的を未来へ繋げるのなら、迷いは許されない。

(迷ってる時間はない――――戦場から離れても、この戒めから解放される事はない、か)

 心中で嘆息しつつ、出した答えからすべき行動を算出する。

「まずは、本人との対話が最優先事項なんだが、あの手のタイプは口だけの交渉じゃ中々首を縦に振らないからな……よし、情報屋。もう一仕事頼まれろ」

「人の話聞かんと自己主張だけは立派に……いや仕事は大歓迎だけどさ」

「聞く価値のある部分はしっかり聞いてただろ。で、仕事内容だが……」

 アウロスは簡潔にそれを述べた。

「……それ、情報屋の管轄から離れてない?」

 しかし、ラディは余り乗り気ではない様子。本分から離れている事が不満のようだ。

「情報屋って何でも屋じゃないのか?」

「違うっ!」

 予想外に強く反論され、アウロスは怯みはしないまでも、意外そうな顔を浮かべた。

「良い? 情報屋を万屋みたいなのと一緒にして貰っちゃ困るの! 私達はね、最高の品質と信頼を常に提供すべく、毎日駆けずり回って情報を集めてる人達から有益な情報を売って貰ったり、怪しまれないよう一般人を雇ってそいつらに主要人物の身辺調査をやらせたりして、集まった情報を個人向けにカスタマイズして、そのマージンを頂く! と言う由緒あるお仕事なのよ!」

「はあ」

 どの辺に由緒があるのかはアウロスには良くわからかったが、今度は最後まで聞いていた。

 しかしその生返事が気に食わなかったのか、ラディは表情を鋭くして雇い主の目を見据える。

 お互いの目に、お互いの映った事のない顔が浮かんでいた。

「もしかして、馬鹿にしてる?」

「ま、お前は馬鹿だと強く、強く俺は思ってるが……」

「何だとこのヤロウやんのかおーやんのか!?」

 緊迫感は3秒で消えた。

 しかし、僅かな間流れたその鋭い空気がまるで真夏の冷風であったかのように、アウロスは表情を柔らかくしていた。

「仕事はしっかり果たしてるし、自分の仕事に責任と誇りを持ってる事は今ので良くわかった。馬鹿だとは思うが馬鹿にはしてない」

「……それどう言う意味?」

「取り敢えず、お前に向けた今までの言葉の中では一番の褒め言葉だ」

「微妙ー」

 不満げな物言いの中に、微かな充実が見え隠れする。

 実に単純な女だった。

「それじゃ頼むな。情報屋さん」

「はいはい、お給料の為ですからねー」

 ゴキゲンな表情で朝食のサラダを頬張るラディに背を向け、出勤。

 湿度の少ない爽やかな風が、通勤風景の一部である民家の洗濯物を優しく撫でる。

 アウロスは、基本的に朝はそれなりに早く、夜は遅くまで学校にいる為、ご近所付き合いと言うものに縁がない。

 店の客に対しては挨拶の一つもするが、すれ違う街の住民にはノーリアクションを通している。

 そんなアウロスに対し、街の住人も気さくに声を掛ける事はない。

 何故なら、彼が魔術士、それも大学に勤める程の優秀な魔術士であると認識されているからだ。

 魔術士は怖い、恐ろしい、近寄りたくない――――大抵の一般人はそう認識している。

 特に魔術大学のある地域では、街づくりも大学が中心になり、周辺には魔術士御用達の道具屋、食堂、酒場、遊技場などが建設される。

 その為、ずっとこの土地にいた住民の中に、立ち退きを宣告され、生まれた家を失う者も出てくる。

 元々一般人から一歩引かれている魔術士は、こう言う理由でも彼らから忌避されている。

 よって、アウロスも漏れなく一般人から煙たがられる存在となってしまっていた。

 尤も、煩わしい人間関係が人生最大の敵と公言する研究家は多く、アウロスもその一人なので、寧ろ歓迎すべき環境とも言える。

「あの」

 しかし、この日は何故か声を掛けられた。

 悲鳴を上げる大腿四頭筋と下腿三頭筋にムチを打って立ち止まり、声のした後ろ側に顔を向ける。

「【ウェンブリー魔術学院大学】の関係者、ですよね?」

 刹那――――

「……!」

 アウロスの身体が弾ける。

 外力ではなく、自身の瞬発力によってのムーブ。

 それは一瞬で6mの間合いを生んだ。

 それに平行して、アウロスの指輪は背中の方にある朝陽とは別の光源となり、光を放った。

「……何もそんなに構えなくても」

「なら、その神経を針で突付くような殺気を即刻消せ」

 臨戦態勢を解かないまま、前方の『敵』を睨む。

 その『敵』の顔は、白色の仮面で覆われていた。

 目や口の部分には穴が開いており、それは人の笑い顔を模している。

 まるで人の嫌らしい部分を極限まで突き詰めたかのように、その形状は見る人間を不快にさせる。

 ただ、アウロスに『敵』と判断させたのは、その外見ではない。

 異様なまでに禍々しさを撒き散らす、その殺気だ。

 殺気には匂いや味と同じように、感覚によって差異を検知出来る。

 慣れた者ならば、察知した殺気の質から、相手の性格や強さをある程度推測する事も可能だ。

 一方、器用な人間はそれを逆手にとって偽の殺気を放つ事もあり、過信は禁物とされている。

「あ、申し訳ない。今消すよ」

 しかし、アウロスは眼前の年齢も性別もはっきりと特定できない人間を、即座に危険人物と判断した。

 殺気を浴びるだけで気分が悪くなる程の禍々しさは、どれだけ器用であっても、そうそう演じる事は出来ない。

 その殺気が消えた後も、アウロスは仮面から覗く『敵』の瞳孔を注意深く睨み付けていた。

「職業病かな。つい無意識の内に……ね。悪い癖なんだ」

「あ、そう。じゃ」

 無意識の内に禍々しい殺気を出すような危険人物と関わり合いになる気はないので、アウロスは去った。

「え? おいおい、冗談……ちょっ、本当に?」

 去った。


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