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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
125/401

第6章:少年は斯く綴れり(19)

 アウロスの表情に変化はない。

 しかし、それはあくまでも虚勢であって、余裕など微塵もない――――具体的な根拠はないものの、ルインはそう確信していた。

 アウロス=エルガーデンと名乗る少年は、何時でも強がっている。

 寂寞、激痛、辛苦、劣勢……それらの逆風を跳ね除ける強い力はなくとも、涼しい顔をしながらそれに耐え、他人事のように見送って行く。

 何度かその姿を見て来たルインは、アウロスを包む空気の極僅かな変化を、何となく感じられるようになっていた。

「厳しいですね」

 それとは対照的に、状況のみでそう判断したリジルの小さな声が、ルインの隣から聞こえる。

 実際、顔色を変えていないと言う部分を無視すれば、妥当な評価だ。

「ルインさん。ミスト教授が何故アウロスさんを切ったか、わかりますか?」

 ルインは口も首も動かさなかった。

 その反応を逐一確認しつつ、リジルが続ける。

「理由となる候補は幾つかありますけど、最も有力なのは、コレです。『アウロスさんを恐れた』」

「恐れた……?」

「ええ。彼は十以上も年下の少年を恐れたんですよ。だから切り捨てたんです。単純な理由ですよね」

 視線の先にいる、自信の塊のような男の姿に、ルインはその発言を重ねる事が出来なかった。

 知り合ってから経過した年月の割に、接する機会は然程多くなかったが――――少なくとも、あの男が何かを恐れると言った様子は、ただの一度たりとも見た事がない。

 そう言う感情が備わっているかどうかすら、疑わしかった。

「論文の全ての執筆をさせて、発表会の権利まで得た所で解雇し、その論文を自分の物にする……まあ、良くあるとまでは言いませんが、割と見られる行為です。しかし、彼はそれをやる性質の人間ではない。それは僕が保証します」

「だったら、何でこんな事になってんだ?」

 二人の傍で腕組みしながら様子を見守っていたラインハルトの、そんな尤もな質問に対し、リジルは無表情で答える。

 そこから感情を読み取る事は困難だ。

「オートルーリングと言う技術が、彼の当初の予想以上に大きな反響を生むと踏んだ……と言うのも、まあ、なくはないでしょう。もしかしたら、この論文は【賢聖】になる為の足懸かりにすら出来るかもしれない。自分の物にしたいと言う気持ちも、多少はあったのかもしれません。でも、一番の理由はそれではないと思います。最もミスト教授が望んでいたのは……」

 消えていたリジルの表情に、感情が戻る。

 そこには喜怒哀楽、全てが詰まっていた。

「アウロスさんが、この論文を発表するのを阻止する事です。それこそが、彼の今回の行動における優先順位の頂点です」

 つまり――――自らの出世よりも、アウロスの妨害を先んじて行った、と言う事だ。

 ミストの行動理念は知らずとも、その姿勢は常に間近で見て来たルインにとって、それは俄かに信じ難い話。

 一方、ミストの事を良く知らないラインハルトは、別の意味で眉をひそめる。

「それって、解雇しないと出来ねーコトか?」

「問題になるのは、オーサーシップです。定義は研究室毎に異なるものの、発案、実験、執筆の全てを行った人間は、ファーストとして記載されるのが通例です。仮に、ミスト教授がそのセオリーを無視し、自分をファーストにすれば、それは確実に背信行為と見做されます」

 オーサーシップ――――論文著者の定義――――は、研究者にとって、その後の人生を左右するくらいの重要な問題。

 それ故に、自身や身内、上司に対して有利となるような序列に対しては、かなり厳しい目で見られる。

 しばしば攻撃材料として用いられる事もあり、後々の事を考えた場合、幾ら権力者であっても、そう簡単に改竄する事は出来ない。

「けど、論文の所有権は、作ったアウロスのモンなんだろ? 切られたんなら、それを持って余所に持ち込めば……」

「大学の研究室に属していたアウロスさんの論文は、研究室の論文として見なされます。作成の際に消費した費用に関しても、研究室に分配された研究費を使っていますから。それに、別の大学で一から作り直す事は可能ですが、既に発表された研究を再び一からやる意味はありません。既に全てのデータはミスト教授が握っていますので」

 大学の研究室で行われる研究のデータは、個人の所有権を認められてはいるものの、実質的には大学の、研究室の物として扱われる。

 更に、アウロスのような外部から入って来た人間は、中々思うようにはさせて貰えない。

 事実、リジルの推論は正しかった。

「アウロスさんは、解雇された時点でもう、自分の名前が残されているとは考えていなかったでしょう。だから、その矛盾を主張し、そして自分がその論文を作ったと証明すれば、逆転もあり得る……そう考えていた」

 リジルの目が閉じられる。

 それは、もう面白い事は見れないと言う意思の表れだった。

「総大司教を引き入れる所までは完璧でした。でも、ミスト教授の周到さが勝りましたね。残念ながら、やれる事はもうありません。終局です」

 如何に総大司教と言えど、白を黒に変える為には、それなりの根回しが必要となる。

 十日と言う短期間でアウロスがそれを依頼し、総大司教が実行した可能性は――――ない。 

「歯痒いですか? 自分に何も出来ない事が」

 ルインの表情から影を察し、どこか皮肉げにリジルは問う。

「僕はずっと、そうやって暮らして来ました。滅ぼしたい程憎いのに、何一つ出来る事がない。大きな力を創っても、結局は自分がそれに潰される。歯痒くて、不甲斐なくて、壊れそうでしたよ。『貴方がた』は、そう言う経験は余りないかもしれませんね。生まれながらに沢山の物を与えられていたでしょうから」

「お前……俺の事知ってるのか」

「情報屋ですから」

 リジルはラインハルトへの適当な返事もそこそこに、ルインの顔をじっと見つめる。

 かつて魔女と呼ばれていた同僚が、人並みに不安や懸念を表情に出しているその様子を感慨深げに眺め――――その視線を戦場に移した。

「さて、どうなりますかね……」

 リジルは呟きつつ、思う。

 結果の見えた争いに意味はあるのか。

 それとも――――



 完全に裏をかかれた格好のアウロスは、悠然と見下ろして来るミストの目を、ただじっと眺めるしかなかった。

(参ったな。解雇しておきながら、名前を残しているとは)

 しかもアウロスの謀反を読んで、その理由に必要な順列に配置していた。

 完全にミストの掌の上で踊らされた格好だ。

 今回の仕掛けは、それ自体は読まれて然るべきものだった。

 アウロスの反撃の機会は、この場しかない。

 この発表会が最後の抵抗の舞台である事は余りに必然だったし、寧ろそれを読んで貰い、この席を設けて貰ってこそ、成り立つ構図だった。

 しかし、結果的に手の内まで読まれていた。

(マスター……あんたが三十代に拘った理由、少しわかったような気がする)

 三十代は肉体こそ衰え始めるものの、精神面においては『野心』と『勢い』と『落ち着き』と『柔軟さ』が最も優れたバランスで成り立っている、最高の状態と言っても過言ではない時期だ。

 それを目の当たりにしたアウロスは、表情を変えずにいるのが精一杯だった。

「あの……どうしましょう、か?」

 沈黙が続く中、司会役が所在なさげに呟く。

 応えるのは――――当然、ミストだった。

「本来は、私が事前に処理する問題でしたが……手間を掛けさせて申し訳ありませんが、退場を促して頂けませんか?」

 本人にその意思を確認させる事すらせず、静かに、丁寧に牙を剥く。

 何か策は――――動揺や狼狽を必死で抑えながら、アウロスがこの場に留まる術を模索していた、その時。

「ではその役目、私が承りましょう」

 聴衆席にいた老人が突如、挙手した。

 アウロスは、その人物とは一切面識がないが、その豪華な出で立ちから、教会の上位者である事は容易に判断できた。

「アウロス=エルガーデン。上司に対する不満、私怨をこのような崇高な場に持ち込むなど、誇り高き魔術士の風上にも置けぬ振る舞い。速やかに退場なされよ。さもなくば……」

 その老人の右に座っていた標準体型の若者が、少し大きめの虫を見つけた子供と同じ目で近付いて来る。

 アウロスはその方に顔を向けつつ、視線はミストに向けた。

 その表情からは窺い知れないが、彼の性質を二年近く見て来たアウロスには、この状況までを計算しての一連の流れであると言う主張が見えた。

「力ずくで――――」

 課せられた自分の『役目』。

 それを咀嚼しつつ、アウロスは指輪を光らせた。

 ここで、この部屋を追い出されたならば、もう扉は二度と開かない。

 抵抗は必然。

 なら、どのように――――?

(大した提示力だな、全く……)

 切羽詰まったアウロスが、この場でオートルーリングを使用し、抵抗する。

 そして、その効果を聴衆全員が感嘆と驚愕を交えて見守る。

 この上ない宣伝活動だ。

「出て行って……え?」

 アウロスは、ミストに視線を残したままで編綴した。

 その指には、研究の結晶は嵌められて――――いない。

 何処にでもある、普通の指輪型の魔具から放たれた光が指を包み、十一の文字が宙に並ぶ。

 生まれたのは、蛇に似た形の影だった。

「うおっ!?」

 机と人が高密度で並ぶ場所において、編綴の速度より早く数メートルの距離を縮められる人間は、まずいない。

 蛇の影は床を這い、アウロスを追い出そうと近付いて来た男の足を正確に捉えた。

「ぐっ……これは……」

 魔術に束縛され動けなくなった男から、アウロスは視線を切る。

 そして、それをそのままの面積でミストに向けた。

「……」

 表情は何処までも変わらない。

 まるで変える事を恐れているかのように、自然な反応すら見せない。

 アウロスの知る上で、ミストがこのような状態になるのは――――自分の思い通りに事が進んでいない時だった。

「な、何だ今のは!?」

「見た事ないぞ、あんな魔術!」

 突然の魔術による攻撃が、この日一番の喧騒を生む。

 一方、アウロスは努めて冷静に口を開いた。

 この一連の出来事において、僅かに滲み出た『勝機』に歓喜する自分を、半ば強引に抑えながら。

「静かに」

 その効果は十分。

 たかだか十代の研究員、それもこの場では狼藉者に等しい人物であるにも拘らず、アウロスの一声は強制力を発揮した。

 静まり返る会場で、その中心に位置するアウロスは、動けない魔術士を指し、高らかに吼えた。

「今この方が、私に言った言葉。『魔術士の風上にも置けぬ』。これは誤りです」

 そして、奥の手として保存して来た事実を躊躇なく述べる。

「私は魔術士ではありません。既にその資格は剥奪されています。この大学で。調べて貰えれば直ぐにわかります」

 この宣言は諸刃の剣だった。

 これによって、アウロスには本当に後がなくなった。

 魔術士の資格がないと言う事実が公になった以上、何処であっても魔術の研究は出来ない。

 退路は完全に断たれた。

「おかしな話だと思いませんか? 私は魔術士でもないし、技術者でもありません。それなのに何故、ミスト教授の論文に著者の一人として名前が載っているのでしょうか?」

 となれば、進むしかない。

 アウロスにとって、賭けと言っても良い攻撃が、ミストへと突き付けられた。

「あの、時間が……」

「良いではないですか。興味深い論争になって来ましたし」

 司会役の男を制したのは――――この場における最高権力者の総大司教だった。

 何か考えがあっての事なのか、単純な興味本位なのかは定かではないが、アウロスにとっては確実に追い風。

「折角ですもの、お続けになっても良いのでは?」

「はっ」

 会場は、完全に発表会の色を消した。

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