第5章:乖離(27)
魔術国家デ・ラ・ペーニャ、第二聖地【ウェンブリー】の空は、漆黒の雲に覆われている。
自然現象に意思などある筈もないが、敢えてそれに理由を見出すとしたら――――月明かりで照らす事を天が拒んだのかもしれない。
そんな醜い争いが、大学と言う闘争とは程遠い場所で行われていた。
大学内部、一階――――
刹那に閃く魔術の群像が、時に無音で、時に破裂音と共に霧散する。
炎は雄々しく、氷は鋭く、雷は迅しく、風は疾く。
捕食者のような貪欲さで飛び交う様は、どこか祭りの賑わいに似ていた。
そんな中、アウロスはルインの背中を追うように半身で廊下を疾走しつつ、全神経を敵の綴るルーンに集中させ、警戒を強める。
敵の仕掛けてくる魔術の性質を瞬時に悟り、それに適応した結界を綴る事は、決して容易ではない。
その作業に僅かでも誤差が生じれば、そこから一気に崩され、致命傷を負うからだ。
教会から現れた者達は、それくらいの危機感を有しなければならない相手だった。
実際、総大司教の護衛すら一掃したラインハルトの魔崩剣を相手に、三人掛かりとは言え突破に成功し、ルインの攻撃を事もなげに処理したその力は、手を合わせた瞬間に本物だとわかる。
そして――――強敵と判断出来る理由はもう一つ。
(この殺気……あの時の、だろうな)
一瞬、アウロスの視線が前方のルインと合う。
ルインはヘの字口で浅く頷いて見せた。
間違いない、と言う事らしい。
あの【テュルフィング】のような、人の心を突き刺すような殺気ではない。
正面から巨大な棒を突き出して、圧迫感を与えて来るような殺気。
それは以前、教会で一瞬だけ感じたものと同じだった。
そして、その殺気が表現するのは――――圧倒的なまでの戦闘経験。
技術や知識のみならず、死の淵で幾度となく喉元を守り抜いた経験を重ねた者だけが身に付ける、鎧の様な強さを携えている。
(……厳しいな)
仮に正面から一対一で戦り合えば、まず勝てない相手。
それが二人。
加えて、ウェンデルは戦闘補助を得意としているらしく、その二人の行動が円滑になるよう、障害となる食堂の椅子や壁を絶妙のタイミングで破壊し、時折合いの手のように攻撃や結界を挟んでくる。
地の利などまるで役に立たない。
一方、攻撃に専念しているルインも、決して見劣りはしない戦闘能力を如何なく発揮している。
火力にものを言わせるのではなく、抑揚を効かせ、無駄打ちのないよう狙い澄ました攻撃を続け、好機を窺っている。
緑魔術を得意としているルインの生み出す風の刃は、時にウェンデルの顔色を変える程に鋭く、並の相手ならば瞬きする間に戦闘が終わっていてもおかしくはない。
しかし、その攻撃をもってしても、傷一つ負わせる事すらままならなかった。
「さあ! いい加減諦めたらどうです? どれだけ努力したところで、いたずらに学び舎を傷付けるだけですよ!」
ウェンデルの嬉々とした咆哮が、光なき館を往行する。
たかだか数分の戦闘で、まるで人の数倍はある大きさの獣が大立ち回りを演じたかのような惨状が生まれていた。
石造りの壁は所々削られ、床には幾つもの焼痕やくぼみが出来、広めの空間である食堂に至っては半壊状態となっている。
炭に近い状態の椅子の足を踏み砕きつつ、ウェンデルは今一度吼えた。
「さあ、早くドラゴンゾンビの居場所を教えるのです! さあ!」
それと同時に、黒ローブの一人が追尾速度を一気に上げた。
緩急も相成り、驚異的な速さに映る。
一瞬で間合いを詰められたアウロスは、至近距離で炎の塊をぶつけて来たその敵に結界ごと押され、突き当たりの会議室に扉ごと押し込まれた。
「くっ!」
完治した筈の右肩に強い痛みを覚え、思わず呻き声が出てしまう。
それでもどうにか倒れずにふんばり、自身の背中で破壊した扉を踏み付けつつ、正面の敵を睨む。
追撃は――――ない。
敵は動かなかった。
深めにフードを被ったその服装の所為で顔は見えず、当然ながら表情もわからない。
しかし、その殺気は常にものを語っている。
『抵抗は止めておけ。容赦出来なくなる』
そんな言葉が、アウロスの脳裏に浮かんだ。
体勢を立て直す猶予を与えた敵は、何を思うのか――――睨み合いながら、探り合う。
下手な撃ち合いよりも消耗の大きな作業だ。
少しでも気を緩めれば崩れる均衡。
一息吐けば待ち受ける、死の腐臭。
それはとても懐かしい臭いで、かつては毎日味わっていたものだった。
疲労する身体と引き換えにするように、体内の更に奥――――自分でも目にする事のない場所が力を宿す。
そうしなければ、命を護れない。
魂がそう判断したかのように、全神経が鋭敏になる。
頭も冴え渡っていく。
「随分と派手に壊してくれたな」
アウロスは、敢えて言葉を放った。
戦闘中の会話は、敵に情報を与えるリスクが大きい上に、集中が削がれてしまう。
その一方で、それは相手にも言える事で、間を取ると言う意味でもメリットはある。
通常は戦闘中に私語はしないアウロスだが、今回は例外的にそれを取り下げていた。
「これ、そっちの弁償で頼むな。俺の経済力ではちょっと無理だ」
「……」
軽口に反応を示さない。
かと言って、戦闘人形のように敵を殺傷するだけと言う気配もない。
その佇まいは不気味でもあり、不可解でもあった。
(ルインは……二階か外に向かったのか)
眼前の敵の背後から、音が消えている。
ルインが機転を利かせ、敵を引き付けたと言う事だ。
二手に別れるのは、この戦力差においては圧倒的に不利なのだが、現状では彼女の判断は正しいと言える。
あの場面で一気に攻められたら、あっという間に始末されていた可能性が高い。
「相変わらずだな、少年」
「!」
突如――――本当に突如、敵が初めて口を開いた。
アウロスは驚愕の表情を浮かべ、目の前の敵を見る。
その声は、一般的な常識からしたら、絶対にあり得ない声だった。
「……ローブってのは便利だな。体型が全くわからなかった。その足も飾り物か?」
「いや。自前だ」
今度は軽口に乗って来た。
爪先でトントン、と床を叩き、自分が『幽霊』ではないと主張する。
そして――――目深に被ったフードを小指で持ち上げてみせる。
「死んだって聞いたんだけどな」
その顔は、魔術士ギルド【グリムオーレ】グレス隊元隊長、グレス=ロイドのものと同じだった。
「死んだよ。お前が知っているグレス=ロイドはな」
「……」
アウロスは沈思する傍ら、指を揺らして炎を浮かす。
グレス『だった』と言うその男の目には、以前と変わらない面積の虹彩と、それに囲まれた以前と同じ色の瞳が見える。
しかし――――何かが違う。
それは光源の色の所為ではない。
外見とは別の何かが、明らかに違っていた。
「今のオレは亡霊だ。既にこの世にはいない。ただ与えられた仕事をこなすだけの存在だ」
その魔術士は、言葉を終えると同時に再びフードを被った。
それを眺めながら、アウロスは思っている事をそのまま口にする。
「正直、戸惑ってる。あんたが死んだ事を少なからず実感して来たからな」
それに平行して、ゆっくりと後退る。
中央にある、大きなテーブルの周りに等間隔で並べられた幾つかの椅子を左手で触れながら、入り口付近に立つグレスと徐々に距離を取って行った。
「何故死んだ事になっているのか。何故総大司教の御子息の護衛だった筈のお前が、司祭の片腕になっているのか。それに興味がないとは言えない」
五メートル離れた所で立ち止まる。
そして体勢をやや低くし、斜に構えて踵を上げる。
顎を引き、視線は何処に定めるでもなく、全体に張り巡らせる意識で。
それが――――アウロスの本来の戦闘態勢だった。
「だが、俺にはそれ以上にやらなきゃならない事がある。死ぬ訳には行かないし、ここに留まる事も出来ない」
「あの女性か。【死神を狩る者】の通り名に相応しい強さだったが、まさかお前の知り合いとはな」
「ああ。あいつを護らなきゃならない」
決然とした科白に、グレスのローブが一瞬揺れる。
「これ以上、言葉は要るまい」
アウロスは、手に浮かべていた炎を消した。
「いざ、参る」
二つの影が、床を擦る。
一瞬の差で、先手はアウロスが取った。
【氷の弾雨】が闇を埋め尽くし、標的の身体を射抜く。
威力に乏しいとは言え、眼球や動脈を傷付ける事で致命傷を与える事も可能なその魔術の危険度は、決して低くない。
しかし、グレスは亡霊と言う自己申告そのままに、その強靭な肉体を流体の如くしなやかに動かし、致命傷を容易に避けた。
そして、そのまま編綴していた攻撃魔術をアウロスへ向け放出する。
淀みなき一連の動作に、アウロスは感心すら覚えた。
「殺気もそうだが、技術一つとってもフランブル戦とは別人だな。あれは手抜きだったのか?」
渦巻く炎を円形の結界で払うように防ぎつつ、問う。
「手を抜いていた訳ではない。だが、オレ本来のスタイルはこっちだ」
荒々しさと精巧さが同居していた以前の戦い方と違い、今のグレスは全ての動作が洗練されている。
鮮やかで隙がない。
にも拘らず、迫力は寧ろ増している。
魔術士としての完成度の高さは遥かに上だ。
「あの魔具、似合ってたと思うけどな」
「ギルドの隊長として、個性を出すように指示された際の産物だ。気に入っていなかったと言えば嘘になるがな」
今度は同時に編綴。
アウロスは会議室の最も奥まで下がり、【氷塊】を。
グレスは再び【炎の旋律】を、それぞれ出力した。
「っと!」
テーブルを巻き込んで接近してくる炎の渦を、アウロスは横に飛んで躱す。
同時に放った【氷塊】は、その渦にあっさりと溶かされ、威力を失った。
相撃ちにもならないこの衝突だけでも、両者の攻撃力の差は歴然だ。
しかし、アウロスは特に顔色を変える事なく、次の攻撃を綴る。
一方、全く攻撃の意思を見せていなかったグレスは、前方から迫ってきた氷の塊を足の瞬発力だけで避けた。
身体能力の高さも、比較にならない。
(ここだと分が悪い、か)
そう判断したアウロスは、扉の壊れた入り口に向けて疾走した。
会議室は元々、館内でも指折りの広さを誇る部屋。
それに加え、今は魔術によって中央の障害物が軒並み破壊されている。
その結果、小細工の出来ない、見通しの良い空間になっていた。
臨戦魔術士としての地力に劣るアウロスにとっては、余り良い環境ではない。
「!」
視界の隅で、光が弾ける。
それが光波だと判断する前に、アウロスは重心を無理矢理後ろに預け、上体を逸らした。
光波は胸の僅か前を通過し、その先の壁を喰らうが如く破壊する。
「……っ」
その衝撃で、右肩がチクリと痛んだ。
回避したにも拘らず、何処かしら痛むと言うのは、かなり厄介な事。
次の動作が一瞬遅れてしまう。
初動の遅れは、主導権を奪われる事に繋がり、仕掛けるタイミングすら失ってしまう。
そうなれば、実力で劣る人間に勝機は見出せない。
まずは、自分の得意な戦いに巻き込まなくてはならないのだが――――
「相変わらず判断が早いな。そして的確」
アウロスの狙いを察知したグレスは、廊下に向けて紅蓮の閃光を放射した。
凄まじい速度でテーブルを掠めつつ、廊下上空を突き抜けて行くその光に、アウロスの身体が硬直する。
ここから廊下へと移動するには、グレスの行動を微少な時間でも縛り付ける必要がある。
走りながら攻撃を結界で受け続ければ、必ず綻びが生まれ、潰されるだろう。
それくらいグレスの魔術は一撃一撃が重く、速く、そして正確だった。
「大人気ないぞ、大学の研究員相手に」
「今更何を言うか。散々その先入観を壊した張本人が」
その答えに、アウロスは内心安堵を覚えた。
それは、グレスの内面が変化していなかった事にあるが、それ自体に対する情感ではない。
生き延びる為の材料が一つ増えた事に対してだった。
それは――――とても非情で人間味のない思考。
だが、アウロスは気にも留めない。
眼前にいる人間に、何の思い入れもない訳ではない。
しかし、優先すべき目標を確実に果たす為に、それ以外のものに拘る事は許されない。
アウロスは、強い決断を胸に口を開いた。
「上等! 行くぞ豚!」
「馬だと言ってるだろうが! 馬鹿者!」
人間、どれだけ緊迫していても、羞恥心だけは制御し難い。
グレスはあっさりと隙を見せた。
「むううっ!」
号叫と共に編綴していたアウロスの【氷の弾雨】をかわす余裕を失い、グレスは仕方なく結界を張る。
その間攻撃は不可能となり、アウロスに逃走する時間が与えられた。
「大人気ないぞ、豚と馬の違いくらいで」
「くっ……」
軽口を残して疾走するアウロスの背中を、グレスは追う。
その顔はアウロスには見えなかったが、怒りで満たされてはいなかった。
正面からの綴り合いを経て、次は徒競走。
アウロス最大の苦手分野だが、背後に敵がいる以上、そんな事は言っていられない。
「ルイン! 何処だ!」
その叫びに返事はない。
数秒後、階段のあるエントランス前に差し掛かった時点で、アウロスは二択を迫られる事になる。
上か、外か――――果たして、ルインはどっちへ向かったのか。
グレスと戦り合うには、二階の方が都合が良い。
小細工に使えそうな部屋が沢山ある。
だが、アウロスとは真逆の戦闘スタイルのルインは、逆に外の方が都合が良い。
しかも、アウロスから敵を引き離す事を目的とした場合、同じ建物内よりは外の方が距離は取れる。
判断は――――
(これで間違ってたら失笑ものだな)
そんな事を思いつつ、迷う事なくアウロスは玄関口へとその向きを変えた。
その際、グレスの位置を確認する。
まだある程度は離れているものの、攻撃は十分に可能な距離。
だが――――追撃はなかった。
「ルイン!」
再び呼び掛けながら、見慣れた景色に目を向ける。
閉鎖中故に、通常は灯りの付いている外部照明に光はなく、走りながらと言う事もあって視界は悪い。
何処に何があるのか、視力による情報収集より記憶や予測による判断の方が早いくらいだった。
「うわっ!?」
突如訪れる喫驚の男声――――門と玄関を結ぶ通路に差し掛かった所で、アウロスの正面にいきなり人影が飛び込んで来た。
それが何者なのかを察知する前に、アウロスは立ち止まると同時に素早くルーリングを始める。
「待て待て待て! 味方味方! ってかお前、最悪俺でも別に良いかとか思ってたろ今!」
「目付きの悪いあの中年は倒せたのか?」
ラインハルトの必死な指摘は悠々と無視され、アウロスの視線は玄関側に向けられる。
そこに見えるのは、周りの闇と同化したグレスのローブが風でたなびく様と、先を急ぐように雲が流れる夜の空。
その表情を窺い知る事は出来ないが、佇まいはギルドの隊長だった時の彼とは全く違っていた。
「悪い。まんまと逃げられた」
「……味方になった途端弱体化しやがって」
「うるせえな!」
大声でがなるラインハルトに一切目もくれず、アウロスはかつてグレスだった男を眺めていた。




