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・真夜中、政変の序曲

 その日、俺はベルナディオ皇太子殿下に呼び出された。普段は話があれば馬車の中で済ませたがる皇太子殿下が、皇族だけが入ることのできる宮廷の特別区画、赤竜宮に属国の王子をなぜか招いた。


「王子殿下、何か無理を言われても大目に見てやってくだせぇ。皇太子殿下も大変なんでさ」


「それはどういう意味?」


「社交界にうっすらと立ちこめる、重苦しい雰囲気に殿下はお気付きで?」


「それならなんとなく。偉い人たちの雰囲気が最近おかしいような……」


「新しい風が吹いてやす。王子殿下も腹くくっておいて下せぇ」


 ゴルドーさんはそれ以上説明してくれなかった。宮廷からきた近衛兵たちに囲まれながら、いつもの馬車で夜の宮廷に上がった。


 時刻は夜9時過ぎほど。

 夜会が開かれているわけでもないのに、沢山の有力者たちが宮廷に集まっていた。


「ご様態は……?」「どちらにつくべきだろうか……?」「皇太子か、第三皇子か……」「皇太子は国賊だ、国の利益を考えていない」「どちらにしろ……」


 動揺する貴人たちの言葉の渦があたりそこら中からうねっていた。


「アリラテ王国が王子アルヴェイグ殿下だ。皇太子ベルナディオが命により出頭した。通してくれ。……さ、どうぞ、王子殿下」


 ゴルドーさんと赤竜宮を訪れた。ここを守護する近衛兵たちに私語はなく、威圧感を感じるほどの緊張感が辺りに立ち込めていた。


 警備の物々しい連絡路を抜け、奥にある皇族たちの住まい【赤竜宮】を訪ねた。庭園は広く、建物はあの離宮のようにこぢんまりとしていた。


「あ、ソーミャ皇女!」


「お待ちしておりました、アルヴェイグ様。お兄様たちが中でお待ちです」


「それはどういう……?」


「お兄様は今宵、召集できる腹心全てを集められるようです。今宵ばかりは、わたくしもおとなしくいたします」


 ソーミャ皇女に手を引かれて応接間を訪れた。その応接間は既に人でいっぱいだった。


「おお、こっちだこっち。くると思って飴を持ってきたんだ、どうぞ」


「ピラー商会長、貴方まで……?」


 飴をもらってすぐにソーミャ皇女と舐めた。甘酸っぱいイチゴ味だった。


「話は聞いたかね?」


「いえ、何も……。これ、何がどうなっているんですか? あそこにいる方々、俺と同じ――」


「従属国の王子や母親のようだ。皇太子殿下はいよいよあの話を皆にするようだ」


「どの話です?」


「……アップル味の飴はいるかな?」


「あ、いただきます!」


 続々と新しい人たちが応接間に集まってきた。半数は俺と同じく当惑。もう半数は何か覚悟の決まった顔をしていた。

 ソーミャ皇女もソーミャ皇女で変だ。飴をもらっても一言もしゃべらなかった。


「その、アル様……。不謹慎ではございますが、夜中に会えて、嬉しく思います……」


「俺もです、会いたかった。ですが不謹慎、とは……?」


「すぐにわかります」


 ソーミャ皇女と壁際に並ぶと、応接間に皇太子殿下の声が響いた。皇太子殿下は部屋の中央に立ち、俺たち皇太子派がそれを囲む形となった。


 真夜中の緊急召集による、特別なスピーチが始まろうとしていた。


「我が友人たちよ、我が帝国を支える諸侯、諸王に連なる友たちよ、夜分お呼び立てして申し訳ない。だが、どうか私の話を聞いてくれ!」


 それはいつものやさしい皇太子殿下ではなかった。鋭くて厳しい、宮廷貴族たちが恐れる次期皇帝の顔をしていた。


「我が父、皇帝サザンギュオスは、現在――危篤状態にある」


 皇帝の危篤。その一言は人々の激しい動揺をもたらした。ピラーおじさんは悲しそうに顔を覆い、ソーミャ皇女は寂しそうに微笑んだ。


「医師は毒と断定している。食道が焼けただれ、命が助かっても政務の継続はもはや困難。何者かによる陰謀と見るべきだろう」


 新たな情報に諸侯たちがさらに動揺した。不正な方法で皇帝が退位を迫られ、正式ではない手順で次の戴冠式が行われることになる。

 最悪は内乱に発展してもおかしくなかった。


「……どちらにしろ、このまま父が回復しなければ、私は次の皇帝としての務めを果たさなければならぬ。諸君、これからも私を支持してくれないか?」


 そう皇太子殿下が願うと、真っ先に麗しい長髪の王子が前に出た。


「タリア王国が王子、クリムトは新たな皇帝として、ベルナディオ皇太子殿下を承認いたします」


 クリムト王子は俺と同じ、祖国から差し出された人質だ。彼に続いて次々と、諸侯、諸王の血族の者、有力者たちが『次期皇帝はベルナディオである』と承認した。


「アリラテが王子、アルヴェイクもベルナディオ様を次の皇帝と承認します!! 父、オラフも同じ意見でしょう!!」


 若き王子が精一杯に声を張り上げると、皇太子殿下とクリムト王子が微笑んだ。

 満場一致。誰一人として反論を持つ者は現れなかった。


「諸君、私が皇帝となった暁には、今の搾取的な属国経営を改善しよう」


「ほ、本当ですか……っ!?」


「うむ、本当だとも。オラフ王や諸王が望むならば、アザゼリア帝国に併合し、民を帝国民とし、現在の搾取構造に終止符を打ちたい」


 俺のように貧しい国の王子は皇太子殿下の言葉に驚きと興奮の声を上げた。


「奴隷に依存した経済も終わらせる。非課税の荘園を持つ、大貴族だけが私服を肥やす時代を終わらせよう」


 続いて商人たちと小貴族たちも声を上げた。たとえるならば非課税の荘園というのは、税金を一銭も払わない巨大企業だ。


「アザゼリア帝国は今、民、諸侯、諸王による大反乱という、破滅的な爆弾を抱えている。大貴族どもは、現在の深刻な状況をまるでわかっていない」


 皇太子殿下の支持者は中堅以下の貴族、実業家、学者が多い。従属する諸王としても、融和派の彼に反対する理由はない。

 俺もそうだ。故郷の父上、母上、姉さん、みんなの生活が少しでも豊かになるなら、皇太子側に付く。


「弟フリントゥスを傀儡とする、貴族派は戴冠式までに私を排除しようとするだろう。最悪は宮廷で血が流れることになる。君たちの命も安全とは言い難い」


 宮廷の秩序が崩れ去り、血で血を洗う政争が始まると皇太子殿下は予言した。この嵐が収まるまで家族を疎開させることを勧めた。宮廷同様、貴族街もまた危険であると。


「各自最大限、自身の暗殺を警戒してくれ。君たちが一人でも欠けたら私は悲しい。我らで一丸となり、この嵐を乗り切ろう」


 皇太子殿下の演説は以上だった。そこで解散となり、大半の有力者たちが赤竜宮を出て行った。


「おっと、王子殿下はこっちじゃねぇですよ、ついてきて下せぇ」


「え……?」


「これはこれはゴルドー様、いつも兄がご迷惑をおかけしております」


「ご迷惑なんてとんでもねぇ。俺みてぇな世渡り下手を抜擢下さったのか、皇太子殿下だったって話でして」


 俺は赤竜宮を出るどころか、ソーミャに手を引かれて奥に招かれた。行き先はなんと皇帝陛下の書斎だった。


「きたか、話は聞いたな?」


 皇帝のイスに皇太子殿下が腰掛けていた。その威風堂々とした姿は誰よりもその席が似合った。


「いえ何も……」


「私が戴冠式を済ませて皇帝となるまで、君にはソーミャを護衛してもらいたい」


「俺がソーミャ皇女を……?」


「出世のチャンスだ。君の常人並外れた武勇を発揮する時がやってきた」


「ソーミャ皇女が危険なんですか?」


「皇族は皆危険だ。大貴族どもは私の首を狙っている。ソーミャが人質に取られる可能性もある。共にこの非常事態を乗り切りたい」


 ここを乗り切れば彼は皇帝となる。

 帝王の冠が似合う男は皇太子殿下をおいて他にいない。この男の戴冠式が楽しみになった。


「わかりました、俺にお任せ下さい」


「では戴冠式を終えるまで、君にはここで暮らしてもらう。ひとときもソーミャの隣を離れるな。入浴、トイレ、就寝。どんな時であろうと、常に隣に控えろ。いいな?」


 責任重大だ。しくじれば大切なガールフレンドが無惨な死を迎える。


「はい……っ! そこまで徹底しろとおっしゃるならば喜んでっ! ……あっ!? い、いえっ、変な意味で言ったわけではないですよっ!?」


「まあっ、わたくしの花摘みと入浴にご興味が……? それはそれは……ふふふ……」


「言葉を間違えただけですっっ!!」


「フ……若いな」


 皇太子殿下が笑った。その笑顔は幻のようにすぐに消え、命がけの政争に挑む男の顔に戻った。


「俺は皇太子殿下の護衛に回りやす。皇女様にうつつを抜かして、しくじらねぇようにしてくだせぇよ?」


「ゴルドーさんまでひどいですっ!! エマさんもゴルドーさんもソーミャ皇女もっ、どうして俺のことをからかうんですかーっ!!」


「愛されている証拠だ。こうして笑い合える生活を取り戻すためにも、私はこれから戦いにおもむく。ソーミャを任せたぞ、オラフの息子よ」


 話がまとまると皇太子殿下は席を立ち、安全な赤竜宮やら陰謀渦巻く死の世界へと旅立っていった。

 戴冠式までに多くの者を味方に付け、世が荒れることなく平穏に継承を終わらせたい。それが皇太子殿下の望みだった。


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