・初めての社交界
5月初め、人質王子アルヴェイグは社交界デビューを果たした。ベルナディオ皇太子の生誕を祝う非公式の夜会に招かれ、憂鬱な気持ちを胸に会場の前で馬車を降りた。
「中はいけ好かねぇ連中の巣窟かもしれねぇですが、蒼白宮のコックの腕は確かですぜ」
俺はシンデレラの気持ちがわからない。王子様の待つ社交界とは、それほどに憧れるほど素晴らしいものなのだろうか。
「はぁぁぁ…………っっ」
「おやでっけぇため息だっ、はっはっはっ!」
「このままゴルドーさんと帰りたいです……。どっか美味しい店寄って帰りましょうよー……」
「そりゃ惹かれるお誘いですが、俺が上司に叱られちまう。ま、でーじょうぶですよ」
今夜の会場、蒼白宮を見渡した。
正門前には甲冑姿の門衛がおり、門の先には広大な庭園が広がっている。その庭園に対して蒼白宮はやけに小さく、一見は皇族の住まいにはとても見えない慎ましさだった。
「皇太子殿下はアルヴェイク殿下がいたくお気に召したようだ。素直にご寵愛を賜ればいい」
「そこだよ……」
「へい、どこでございやすか?」
「なんで、俺なんですか……? 寵愛を傾ける相手、間違っていません……?」
アザゼリア帝国は13の属国を持っている。その中でも祖国アリラテ国は一二を争うほどに貧しくパッとしない。
いくら学校の先輩の息子だからって、皇太子殿下は属国の王子に肩入れし過ぎではないだろうか。
「そりゃぁ…………。恋してるとか?」
「は?」
「いや聞いてくるんでさ。『アレはどうしている?』とか『アレは何を欲しがっている?』とか、いちいち呼び出されてウゼェーんでさ、ははははっ!」
ゴルドーさんは愚痴を笑い話にしようとしたけれど、俺は少し感動した。なんの後ろ盾もないこの帝都で、俺を気にかけてくれる人がいた。
「雰囲気は少し怖いですけど、皇太子殿下はやさしい方なんですね……」
「いや、やさしいのは王子殿下にだけ――おおっと、後がつっかえてんで、これにて俺は失礼! お役目、がんばって下せぇ!」
後続の馬車が門の前にやってくると、ゴルドーさんは12歳の少年を魔巣窟に置き去りにした。
もうこうなったら腹をくくるしかない。
「アリラテ王国が王太子、アルヴェイグ・イポスです」
「は、名簿にお名前がございます。さあどうぞ中へ、パーティはとうに始まっておりますぞ」
「ありがとう」
祖国の家族のために胸と虚勢を張って、選ばれし者だけが招かれるという、特別な祝賀会に参加した。
・
それからなんやかんやあって、俺は途方に暮れた。頼りの皇太子殿下はご多忙で、自称アリラテの王子が取り次ぎを求めても、蒼白宮の使用人たちに一蹴されてしまった。
仕方がないので会場である庭園で皇太子殿下が待つことにして、俺は会場の隅っこで生け垣を背にただたたずんだ。
俺の居場所はどこにもなかった。招待客の俺を見る目は奇異ばかりで、遠巻きな陰口が少年を襲った。
「見まして……? あれが、噂の……」
「おお、あの子が……? 一見は怪物の子には見えぬな」
「けしからん、今宵は皇太子殿下生誕の祝いの席。いったいどこの馬鹿者が、あんな不吉な子供を招いたのだ?」
選ばれし客人たちは属国の王子を冷ややかな目で疑った。この特別な席に、貧しいアリラテ国の王子がいることに納得がいかない様子だった。
ゴルドーさん曰く、この夜会は権力者たちの憧れの舞台だそうだ。この夜会に出席するために豪商たちは金貨を山のように積み、貴族たちはコネをフル動員して、一枚の招待状を手に入れようとするという。
全てはこの祝賀会の主催者であるプアン皇后に取り入るために。アザゼリアの皇帝に最も強い影響力を持つ女、その名がプアン皇后だった。
話の締めにゴルドーさんはこう言った。
『未来の皇帝ベルナディオ! そして大公爵の娘にして皇后プアン! その私的な催しに招かれたとひけらかすだけで、名誉と仕事の両方が舞い込んでくるんでさ!』
ここは権力者たちの戦場なのだと。
そんな凄まじい催しを俺の社交界デビューの舞台にするなんて、皇太子殿下も人が悪い。
俺は湖畔を持つ蒼白宮の庭園で、現実逃避に夜の湖を見渡して時間をつぶした。
風に揺れる湖に青白い月が映り込んで揺れていた。蒼白宮はとても美しかった。
「君、帰ってはどうかね? 君が呼ばれたのは恐らく、明日行われる公式の祝賀会だ、ここではない」
「あ……」
遠巻きに見られていた俺は、大粒の指輪を付けた成金趣味の男に声をかけられた。
「おっとっ、それ以上は近付かないでもらおう! 君のお父上は人の首を噛みちぎるような男だ……!」
「そちらから近付いてきておいて、何を言っているのかわかりかねます」
「怪物の子に相応しい席ではないと言っているのだ! さあ、とっとと帰りたまえ!」
俺の社交界デビューは失敗で終わりそうだ。下がるに下がれなくなったのか、紳士は俺の前から離れてくれない。
「そうもいきません。俺は皇太子殿下に招かれたのです」
「ハハハハッ、これはなんの前座だ!? 皇太子殿下も人が悪い!」
成金紳士が笑いたてると、招待客の半数が遠巻きに12歳の少年を笑った。中には気の毒そうな顔をしてくれる人もいたけれど、トラウマになりそうな社交界デビューとなった。
パーティ会場を見回しても皇太子殿下の姿はどこにもない。自分一人でどうにかするしかなかった。
「俺は正式な招待客であり、アリラテ王国の王子です。無礼な行いはひかえていただけませんか?」
「はっ、奴隷の国の王子が偉そうに。貴様らは我が帝国に永遠に搾取される、哀れな豚の群れなのだよ!」
「そうですか。では貴方のその言葉を、公式な発言として受け止めてもよろしいのですね?」
俺は国の代表だ。国の名誉のためにも辱めには対抗しなければならない。でなければ、祖国の民と家族が傷つく。
毅然と睨み返すと、成金紳士は言葉を失って後ずさった。




