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17.神が降りるべき地

「……私のお腹にいるのは、ただの赤ちゃんですよ。神でも悪魔でもない……」


 大きく重たいお腹を抱えて、私は言い張った。あるいは、自分に言い聞かせようとした。

 私の子宮に居座っているのが神だろうと悪魔だろうと、それは私が知らないはずのことだ。それなら、知らないままでいさせて欲しい。知らないということにさせておいて欲しい。ホルツバウアー・ジュニアは結構お喋りだけど、あの子の声は他の人には聞こえていないみたいだから。じゃあ、私が白を切り通せば良い。あと何か月かの我慢で、私は莫大な報酬と、第七天(アラボト)でも通じる信用を手にすることができる。下層生まれの小娘にはこれ以上望むべくもない輝かしいキャリアなのよ。


 心から願っているのに──でも、ドクター・ニシャールは追及を緩めてはくれなかった。


「そうなのか? 顔色が悪いようだが。君にも聞こえているんじゃないのか? 悪魔の囁きか──あるいは、神託が。マリア、君の救世主(キリスト)は何て言ってる?」

「救世主だなんて……!」


 私は、荒唐無稽なおとぎ話(フィクション)を聞かされた人みたいに笑い飛ばそうとした。普通なら、その反応が正しいはずだ。ほんと、おかしいはずよ。高等教育を受けているであろうドクターが、悪魔だの神託だの救世主だのって。頭良い人も変な思想に染まっちゃうことがあるのねって、笑えば良いはずなのに。上手く行ったのかどうか、全く自信はなかった。


「処女で妊娠したからって、マリア様を気取るつもりはないですよ。私の名前が『マリア』なのもたまたまで──雇い主(ボス)は、気に入ってくれたみたいですけど」

「ホルツバウアー博士か……」


 ドクターが博士(ドクター)っていうのは、なんだか不思議な感じだった。お腹の胎児の遺伝上の両親、精子と卵子の提供者である以上は、もちろんドクター・ニシャールだってホルツバウアー夫妻に会っている。私だって同席していた。なのに、どうして今は、その名前をひどく苦いもののように口にするんだろう。


「彼らの専門が何だか知っているか、マリア?」

「いいえ。仕事に関係ないですから」


 余計なことは知りたくない。ドクターは、多分、私の目と耳をこじ開けようとしている。知らないフリは通らない、って。こんなにはっきり否定して、大きく首を振ってるのに、構わず続けるんだもの。


「遺伝子工学だ。夫婦揃って、気鋭の呼び声高い俊才だ。野心的な研究も、するだろう」

「……多分、論文とかで調べるのは簡単なんでしょうね。でも、こういう形で教えられるのは感じ悪いです」

「君は大変常識的だな」


 褒めていただいたけど、喜ぶことなんてできなさそう。常識的なコメントなんて、相手に常識がなければ意味がないんだもの。ドクターは一瞬だけ眉を顰めたけど、すぐに息を吸って言葉を()いだ。


「マナー違反も職務倫理違反も百も承知だ。人の死にかこつけて話をしようとしているのが卑劣極まりないのも。その上で、頼みたいことがある。きみと──君の子宮にいる、『神の子』に」

「何を言ってるんですか……!?」

「君のお腹に宿っているのは、あるいは、送り込まれたのは、ホルツバウアー夫妻の研究の結晶だ。人類を導くために、神のような能力を与えられた新人類。人によっては悪魔にも見えるのだろうが」


 ドクターの目も舌鋒も鋭い。でも、より怖いのは、彼が狂信的な熱に駆られて捲し立てているんじゃないってことだ。ドクターの黒い目はあくまでも冷静に、私の反応を窺っている。胎児の秘密を言い当てられた動揺は──隠せるはず、ないじゃない。ドクターの目がぎらりと輝いた気がして、私は素早くお腹を庇いながら立ち上がった。


「バカバカしい妄想……! カウンセリングが必要なのは先生の方みたいですね。失礼させてもらって良いですか!?」


 顔色が変わったのに気づかれた以上は、妄想を聞かされて怒った、って体にするしかない。頼みごとなんて聞きたくない。だって、ドクターはこの前言っていた。


『今の世界は間違っていると思う』


 私に対するお説教だと思ってたけど、もし、本当に世界――社会への疑問を抱いてるとしたら? 最下層(ゲヘナ)出身のこの人が第七天の繁栄を目にして何を思うのか――世間を騒がせるテロリストみたいに、何かしら復讐しようとするだなんてこともあり得るかしら? 


「……落ち着いて。私の話を聞いてくれ」

「妄想に付き合ってられません。カウンセリング待ちの子たちが沢山いるんでしょ? 頭良い人は時間を有意義なことに使ってください」

「人を救いたいと、ずっと思ってきた。今では、目の前の何人かなら助けることもできているが──だが、こうしている間にも失われる命がある……!」


 ドクターはゆっくりと立ち上がった。両手を上げて、何も持ってない、敵意のないことをアピールしながら。でも、同時に私が診察室から飛び出すルートを塞いでいるんだもの! 信じきるなんてできなくて、私は慎重に身構える。私は多少怪我しても良いから、とにかく赤ちゃんは守らないと。心臓がドキドキして、苦しい。


「第七天は神の御座所。だが、この楽園にはもはや神が為すべき仕事は残っていないんじゃないか? もし本当に神のような力を持った超人が生まれるというのなら、それは地獄に降り立つべきだ」

「……テロリストの救世主って訳ですか?」

「違う! そんなつもりではない」


 私はもはや、ドクターの言葉を否定してはいなかった。彼の言葉が正しいことを前提として受け応えてしまっている。ああ、ムカつく! もっと上手くやろうと思ってるのに、もっと賢くスマートに振舞いたいのに、どうして邪魔ばかり入るのよ!


「知識やちょっとした技術、物資がないだけで死んでいく人間、未来のない人間があそこにはどれだけいることか。上にいるものは理論を弄ぶだけであってはならない。まして神を作るなどと称して悦に入ってもいけない。あらゆる人類が、救済の機会を与えられるべきだ」


 綺麗事を聞いてるとますますムカつくんだけど! 地球がこんなになった原因のひとつ、あるいは大元は、増えすぎた人間じゃなかったっけ? 増えた分だけ土地や食料を奪い合って、垂れ流す汚染物質は倍倍に増えて。一方で些細なことですぐ殺し合って。そんな愚かな人類だから、地獄に落として蓋をしたんでしょうに。そんな連中を生かしてどうしようっていうの?


 大体――


「あなただって神になれると思いますよ、ドクター・ニシャール。助けを求める怪我人や病人がいるでしょう。こんな綺麗なとこにいないで、故郷に帰ってあげれば良い。お金だって稼いでるんじゃないですか?」


 最下層から這い上がったこの人が言えることじゃないはずだ。結局この人もこの楽園で暮らしてる。汚いもの、どうしようもないものから目を背けたってことじゃないの?

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