第9章 「母から娘へ、託されし防人の教え」
准佐の階級を持つ娘の話を聞き終えた母は、「ふうっ…」と軽く息を漏らすと、私の目を見据え、おもむろに口を開いたんだ。
「それで、千里。その話を聞いた貴女は、それをどう考えて、どんな行動を取ったのかしら?」
「勿論、彩ちゃんに言われた通りの内容を、支局のデータベースにメールで報告したよ。お母さんの話を聞いた今は、それも踏まえてメールを送り直そうと思う。今の段階だと噂の域を出ないし、情報も少ないから、上層部や警務隊のお偉いさん達からの指令を待つ事にするよ。」
私の回答に、母は満足そうな微笑を口元に浮かべて頷いた。
「そう…現状ではベターな判断ね、千里。それでは、千里?この一件に関する、貴女自身の現時点での見解を、率直に聞かせて貰えるかしら?」
口調は今までと変わらないはずなのに、眼前の席にかけている母が醸し出している雰囲気には、妙な威圧感があった。
「正直に言えば、単なる都市伝説じゃないかと思うんだよね…」
臆する事なく答えたつもりだったんだけど、私の声はいささか震えていて、語尾はフェードアウトしかかっていたよ。
何だか、普段の英里奈ちゃんが伝染しちゃったみたい。
「そう、都市伝説ね…」
ここで私は、下校中に英里奈ちゃんに向けて披露した仮説を、両親に向けて改めて語ったんだ。
要するに、牛のマスクを被った人間を、暗闇で見間違えたって話をね。
良く言えば現実的、悪く言えば事なかれ主義の父は、しきりに肯定的な相槌を打っていた。
しかし母は、観察するかのような注意深い視線で、私を見つめていたんだ。
「行方不明に関しては、お父さんが言うように、非行少年達が自発的に雲隠れしただけのようにも思えるし、『牛の怪物にさらわれた』って証言も、非行少年の友達が、さっきの都市伝説をネタにして、口裏合わせをしているだけって可能性も考えられるの。正直、こんなあやふやな話で捜査を始めて、単なる都市伝説で終わったら、無駄足で馬鹿みたいだし…」
軽く目を伏せた母が、静かに首を横に振る。
私、マズイ事を言ってしまったのかな…
「千里、その考えは感心しないわね。」
「えっ…?」
チラリと上座の方を覗き見してみると、私の父は虚を突かれたような表情を浮かべて、何も口を挟めずに座っていた。
どうやら、さっきまで私が述べていたのと同じような考え方をしていたのだろうね、お父さんったら。
娘の意見に付和雷同とは、大人としてどうなんだろう。
「クラスメイトの子は、特命遊撃士である千里を信頼して、牛の怪物の話を打ち明けてくれたのよ。それを千里が、『常識』って固定観念で適当にあしらってしまったら、その子の信頼に背く事になるのよ。」
「そ、それは…」
そう言えば彩ちゃんは、担任の松之浜先生にも仄めかすだけに留まっていた都市伝説を、私達には包み隠さず話してくれたっけ。
それは彩ちゃんが、現役の特命遊撃士である私達を信頼してくれているからに他ならない。
それなのに、それを「眉唾物」と片付けるだなんて、私ったら…
「それにね、千里。仮に捜査の結果が単なる都市伝説だったとしても、それはそれで別にいいじゃない?」
「えっ、いいの?無駄足じゃないの!」
あまりにもあっけらかんとした母の口調に、私は思わず、素っ頓狂な声で聞き返してしまったんだ。
「単なる都市伝説だという事がわかったなら、それは重大な事件が起きてないって事よ。それは決して無駄足じゃない。いけないのは、本当に重大な事件が起きていた時。まだ被害の小さい段階に対処出来たのを、『確証がない』とか『誤認かも知れない』って見過ごして、深刻なレベルまで事態が進行したら、取り返しがつかないのよ。」
ほんの少し考えてみれば、母の言う事はもっともだった。
事件が起きていないなら、それで御の字。
仮に事件が発生したとしても、小規模な段階で解決出来るのならば、それに越した事はないよね。
それに、特命遊撃士の資格である特殊能力「サイフォース」に覚醒するのは、10代少女の5人に1人。
そして覚醒すれば、そのほぼ全員が人類防衛機構に在籍する事になるのだ。
それに加えて、「サイフォース」が基準値に満たなくても、生体強化ナノマシンの投与量を増やす事で特命遊撃士の任官資格を得た志願者や、ナノマシンによる生体強化改造措置だけを受けて特命機動隊に入隊した者も少なくない。
そんな彼女達も加えれば、人類防衛機構関係者の割合は、10代女子人口の20%をはるかに上回る事になる。
事と次第によっては、御子柴高1年B組担任の松之浜先生や母のような予備役を招集する手もあるし、OGが多数在籍している警察や自衛隊に協力を要請する事だって出来る。
非常事態宣言中や戒厳令発令下なら話は別だけど、平時の捜査で人手が足りないなんて事は、まずあり得ないんだ。
「ゴメンね…ちょっと手厳しい言い方になっちゃったかしら、千里…」
「ううん、そんな事はないよ。お母さんが私に、『立派な特命遊撃士になって欲しい。』って思っている事は、私自身が一番よく分かっているから。」
特殊能力「サイフォース」には覚醒出来なかったものの、特命機動隊に志願入隊をした母にとって、特命遊撃士は永遠の憧れだ。
小5の3学期に行われた健康診断で適性を見出だされ、こうして特命遊撃士になる事が出来た私は母にとって、自分が果たせなかった夢を代わりに達成してくれた分身のような意味合いがあるのかも知れないね。
だからこそ母は、私が特命遊撃士としての任務に赴く時には、良き理解者として笑って送り出すし、時には今日のように手厳しい事だって言うのだ。
それもこれも、全ては私を立派な特命遊撃士にするためだし、誉れ高き「防人の乙女」の異名に恥じない、立派な特命遊撃士になる事は、他ならぬ私自身の理想でもあるんだ。
「いずれにせよ、牛の怪物の目撃情報や行方不明者の捜索依頼が、これから支局や役所などに入ってくるかも知れない。2人には、それらの不審な事件に目を光らせて貰いたいの。お願い出来るかしら?」
「あっ、ああ…」
何とももどかしくなっちゃうよね、歯切れが悪くて煮え切らない父の返事は…
よし!
ここは私が、防人の乙女らしく、ビシッと毅然とした態度を見せないとね。
「うん、任せて!この吹田千里、伊達に准佐の階級は頂いてないよ!」
もしも私が少佐以上の階級だったら、「この右肩に頂いた、金色の飾緒に懸けても…」みたいな、気の利いた言い回しが出来たんだろうね。
しかしながら…
この不肖、吹田千里。
遺憾ながら、未だ准佐の身の上。飾緒なんて頂いてないんだよね、今の所は。
ここは1日も早く少佐への昇格を果たして、この白い遊撃服の右肩に、目映い金色に輝く飾緒を頂きたい所だよ…
「ええ、私に出来なかった事も、特命遊撃士である貴女なら出来るのよ。頼んだわ、千里…いいえ、吹田千里准佐!自分の進言にお耳を御貸し下さりまして、この吹田万里予備准尉、恐悦至極であります!」
私の返事に気を良くした母の表情が、次の瞬間キリリと引き締まった。
食卓の椅子からサッと立ち上がるや、踵を鳴らして背筋を伸ばし、拳に握った右手を胸元にかざす。
このような表情を浮かべて人類防衛機構式の敬礼の姿勢を取る時の私の母は、正確には私の母ではない。
吹田千里という少女の母としてのではなく、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局に在籍する、「吹田万里予備准尉」としてのメンタリティーが選択されたのだ。
そうなればこの私も、「吹田万里の娘」としてのメンタリティーではなく、「吹田千里准佐」という1人の特命遊撃士としてのメンタリティーで接してあげるのが筋っていう物だね。
「吹田万里予備准尉!この吹田千里准佐、貴官の御報告を胸に留めて、管轄地域の防衛により一層勤しむ所存である事を、ここに誓います!」
妻と娘が揃いで決める、人類防衛機構式の敬礼。
その整然とした美しさと気高い凛々しさに、威圧され、気後れしまったのか、平凡な小役人に過ぎない父は、居心地悪そうに小さく縮こまっていた。
「何度見ても凄いな、それ…」
やっとの事で紡いだ言葉も、何とも頼りない。
婿養子である事を勘定に入れてもね。
全く…我が親ながら、見ていて本当に歯がゆいなあ。
お父さんったら、それでも「防人の乙女」を妻と娘に持つ男なの?
いい加減に慣れて欲しい所だよ。
まあ、特命遊撃士や特命機動隊曹士を娘に持つ父親なんて、何処の家庭でも大体こんな感じなんだろうけど…




