第8章 「受け継がれし防人の遺伝子!吹田万里予備准尉!」
友達と話し込んでしまって帰りが遅くなった母は、手料理を作れなかったの。
そのため、今日の夕食は、南海高野線堺東駅と直結しているデパート「高鳥屋」の食品売場で、母が色々と見繕って来た惣菜類と相成った。
この所、飲み会や当直などで外食が続いて、「たまには自宅で家庭料理でも…」って思っていたから、少し当てが外れたかな。
まあ、これはこれで悪くはないんだけど。
それに、家庭料理だったら英里奈ちゃん家の粕汁をお昼に頂いてきたしね。
「それで、どうだったの?曹士時代からの友達との集まりは?帰りが遅くなるまで話し込んだって事は、相当に面白い話題が出たって事だよね?」
カシスオレンジのアルミ缶片手にエビチリをつつく私の問いかけに、今年で39歳になる私の母こと、特命機動隊予備役の吹田万里は笑顔を返さず、静かに頭を振ったんだ。
「面白いと言うよりは、気掛かりな話題だったわね…でも、陽太郎さんと千里の耳には入れておいた方がいい話題だと思うの。」
母が言葉を切るとすぐに、祖父母夫婦が静かに立ち上がった。
「そうか、万里…それなら俺達は、しばらく席を外した方がいいようだな。」
「ええ…それでは、この助六寿司でも向こうで頂きましょうかね、博さん…」
折り詰めの助六寿司を手にして食卓を後にする両親を、母は静かに頭を垂れて見送るのだった。
「ありがとう…父さん、母さん…」
吹田博と吹田栄喜穂の夫妻は、かつては防人の乙女として過ごした娘の両親であると同時に、今まさに防人の乙女として生きる娘の祖父母だからね。
守秘義務の関係上、民間人の自分達には聞かせられない事情を娘や孫娘が抱えているって事は、百も承知だよ。
そこでミーハーな好奇心を出さずに、そっとその場を離れる大人の対応は、市井の民間人諸君にも見習って欲しい所だよね。
それにしても、現役の特命遊撃士である私と、堺市役所に務める父の耳に入れておきたい案件って、一体何だろう。
「それで、話ってのは?僕だけではなく、千里にも聞かせる必要がある話というのは、随分と訳ありのようだけど…」
どうやら、父も同じ疑問を抱いていたようだ。
さすがは親子、血は争えないと言うべきかな。
「実は、民生委員をしている滝見さんから、変な話を聞いちゃったの…」
滝見さんというのは、特命機動隊時代の母の同期生で、現在は実家の司法書士事務所を手伝いながら民生委員をしている、滝見路子さんの事だよ。
司法書士の資格を取るために早目に退役されたそうだから、最終的な階級は曹長だったかな。
「民生委員という立場上、非行の傾向が見られる子供を持つ親御さんから、よく相談を受ける機会が多いんだけど、ここ最近は非行少年が不自然な勢いで激減しているのよ。」
「とってもいい事じゃない!どうしてそれが問題なの?」
帰宅直後に祖母から聞いた、夜回り先生の不幸な話を思い出しながら、私は母に異を唱えたの。
逆恨みした非行少年に襲われるという不本意な目に遭っちゃったけど、沢山の非行少年達が更正出来ているのなら、夜回り先生の努力も身を結んだのではないか。
この時の私は、無邪気にもそう考えていた。
「普通に更正して非行を止めたのならね、千里。でも、残念ながら更正したのはほんの一部。大半の非行少年は、行方不明になっているのよ。」
随分と物騒な物言いだよね、「行方不明」とは。
剣呑、剣呑。
「しかしなあ、万里…非行少年が親にも行き先を告げずに無断外泊をしたり、行方をくらますのは、よくある話じゃないか?」
気弱で平凡な中年の男性小役人にありがちな、現実的で事なかれ主義な父の考え方だった。
だが、今回の場合に関して言えば、私も父に同感だったね。
「そうだよ。滝見さんもそうだけど、お母さんは考え過ぎだって。非行少年みたいな連中なんて、その内、『遊ぶ金が欲しいんだけど…』って言いながら、家にひょっこり出てくるから、その時に民生委員や保護者で説得するなり、児童相談所や警察の少年課に引き渡しちゃえば…」
しかし母としては、楽観的な慎重論を唱える娘や、事なかれ主義一点張りの夫に付き合うつもりなど、毛頭なかったようだ。
「両親や家族、そして学校には行き先を告げなくても、非行少年同士のコミュニティーには、何らかのメッセージを残す物らしいの。非行少年達が、自ら行方をくらます場合はね。でも、誰にも告げずに行方をくらませて、非行少年グループからも心配されている事例が、相次いでいるらしいのよ。」
話が段々とキナ臭くなってくるのに合わせて、母の表情もまた、徐々に真剣味を増していった。
「オマケに更正した少年達も、口々に妙な事を言っているの。『夜の町には化け物が現れる。あんな怖い所にいられない。』とか、『みんな、牛の化け物に襲われてさらわれた!』とか。それで、怖くて不良行為をやめたんだって。」
「えっ!牛の化け物?」
すっかり忘却の彼方に追いやられていた、昼休みの奇妙な噂話。
校舎の屋上で西都彩ちゃんが語った都市伝説を、まさか母の口からも聞かされるとは思わなかったね。
より正確に言えば、母の旧知の民生委員に相談した、元非行少年の証言か。
彩ちゃんの時よりは身近だけど、信憑性については、そんなに大差はないね。
「その口振りだと何か知っているようね、千里?」
今は退役したとはいえ、私の母は特命機動隊の予備役である。
先日の「怨霊武者掃討作戦」では、予備曹士として戦列に復帰し、昔取った杵柄のアサルトライフルで勇ましく戦ったらしい。
言うなれば、母は今もなお、人類防衛機構の関係者という事になる。
「実はね…似たような話を、クラスメイトから打ち明けられたんだよね…」
人類防衛機構関係者である母にだったら、昼間の話を打ち明けたとしても、守秘義務違反に問われる心配はないよね。
昼休みの屋上で彩ちゃんから聞いた都市伝説を、一字一句変えずに受け売りする私を、母は一言も口を挟まずに見つめている。
時折軽く頷いてくれるので、「話を聞いて貰えている。」って安心感は得られるし、下手な相槌で脱線する心配はないので、本当に話しやすいよ。
こういう聞き上手な防人の乙女に、私もならないといけないよね。




