第6章 「帰投せり、吹田千里准佐!」
こうして、英里奈ちゃんと登美江さんに見送られてから数分後。
堺神高速と大道筋の間に位置して、戸建住宅が建ち並んでいる地区を、私は1人歩いていた。
やがて、私こと吹田千里准佐の赤い双眼は、至ってプレーンな赤い瓦葺きの2階建住宅を、その視界の片隅に捉えるのだった。
堺県堺市堺区柳綾町3丁目20番4号。
この、向こう三軒両隣と大して変わり映えのしない戸建住宅こそが、生まれてから今日までの16年間、この吹田千里准佐が寝起きしている実家なんだよ。
まあ、防人の乙女の一員になってからは支局の当直室に泊まる事も増えたし、「黙示協議会アポカリプス鎮圧作戦」で負った重傷が治るまでは入院生活を余儀なくされたから、16年間という数字は正確ではないのかも知れないね。
「お帰り、千里。今日は早かったのね。」
御年64歳になる私の祖母こと吹田栄喜穂が、リビングのテレビが放送している演芸番組をBGMに取り組んでいたクロスワードパズルの手を休めて、缶ビールの冷えている冷蔵庫目指して台所へと消えていった私に呼び掛ける。
「ただいま、おばあちゃん!今日は学校だけで、支局でのシフトは入っていないし、飲み会には一昨日行ったばかりだからね。おばあちゃんの方こそ、今日は県立大に行くんじゃなかったの?」
私は缶ビールのプルタブを軽快に開けながら、リビングの卓袱台を挟んで祖母と向かい合うように腰掛けた。
祖母が今お茶漬けにしているチーズあられは、ビールとも相性が良さそうだね。
少し分けて貰っちゃおうかな。
「それがね、千里…生駒さんの御嬢さんが千里を迎えに来てすぐに、県立大の事務局から電話があって、緊急で休講になったのよ。何でも、今回の講師の方が急に倒れたそうで…」
そう言いながら祖母がクリアファイルから取り出したのは、堺県立大学が市民向けに開講している公開講座である、「地域文化学」の講義予定表だった。
中学校の音楽教師だった私の祖母は、4年前に定年退職してからは毎年欠かさずに、この公開講座を受講しているの。
この「地域文化学」は、堺県を始めとする南近畿地方で活躍する様々な著名人をゲスト講師として招致する方針を取っているんだ。
この公開講座の持つ、もう1つの面白い特徴というのは、市民受講者と県立大学生とが、大教室で一緒に受講する事なの。
ゲスト講師の発表する南近畿地方の歴史や文化、現在抱えている課題やそれへの取り組みを、現役大学生と市民受講者が共に学ぶ事で、新たなる地方創成の一助とする。それが、開講の狙いだそうだ。
「それはお気の毒にね…あっ、どれどれ…」
祖母から失敬したチーズあられを缶ビールで流し込んだ私は、卓袱台に広げられた講義予定表を覗き込んだ。
講義予定表を見てみると、堺県内に本社を構えている企業の代表者に、県知事などの政治家、堺県出身の小説家など、様々な分野から専門家が集められている事がよく分かる。
「あっ!ユリカ先輩…」
来月下旬の予定表には、私達が配属されている堺県第2支局の現支局長を務めていらっしゃる、明王院ユリカ大佐の名前も書いてあるね。
ユリカ先輩も、今じゃすっかり第2支局の顔だよね。
特別講義の当日ともなれば、私達も何らかの形で手伝う事になりそうだから、その心構えだけは、今からしておこうかな。
おっと、いけない…
おばあちゃんが示しているのは、本日分の講義を担当するはずだったゲスト講師だったね…
「この人、夜回り先生として有名な人だよね?夜更かししている非行少年を説得しているのを、ニュースで見た事があるよ。」
ゲスト講師欄を指差す私に、祖母は「我が意を得たり」とばかりに頷いた。
「そうなのよ、千里。『夜、自宅に居場所のない子供達』という講義をされる予定だったんだけど、事もあろうに、夜回り中に誰かに襲われて、未だに意識が戻らないみたいなのよ…」
「えっ?何それ、ひどいなあ…!」
この夜回り先生も、自宅に居心地の悪さを感じて夜の町に逃げ道を求めた不幸な少年達を何とかしてあげようと、正義感を持って活動していたんだろうね。
その正義感と思いやりを、「小うるさくて妬ましい。大きなお世話だ。」と思った不良少年の誰かが、逆恨みしてやっちゃったんだろうな。
自分達の恩人になってくれるかも知れなかった人に向かって、こんなひどい真似をするなんて、性根が腐っているよ。
人間、誰かに顧みられているうちが花なのにね。
それにしても、ある意味では可哀想な生き物だよね、男の子って。
もしも女の子にさえ生まれていれば、自分の居場所がないなんて悲しい事は、まず有り得ないのにね。
だって、特殊能力「サイフォース」に目覚めたら、特命遊撃士の任官を受ける事が出来るし、私達とは戦友になれるからね。
仮に「サイフォース」に覚醒出来なかったとしても、生体強化ナノマシンによる強化改造手術を受ければ、特命機動隊の曹士にはなれるよ。
そうしたら、人類防衛機構という素敵な居場所が出来て、「防人の乙女」の一員として、栄光ある人生が送れるのに…




