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エピローグ第3章 「剣客乙女と精進落とし」

 堺市立斎場・和式待合室。

 何一つ滞りなく法要を執り行い、出棺まで見届けた私達は、忠岡巡査長の御遺体が焼き上がる時間を利用して御昼御飯を頂く事になったの。

 仏式の御葬式だけあって、御昼御飯も仕出しの懐石料理だったね。

 御遺族の皆さんが奮発して追加料金を払ったのか、素材も良ければ仕上げも丁寧。中堅の料亭にヒケを取らないクオリティーだったんだ。

 こういうシチュエーションでさえなければ、私もグルメ漫画ばりに料理の寸評をしちゃうんだけどなあ…

「この天ぷら美味しいね、英里奈ちゃん。よっぽと良い油で揚げてるのか、優しい味がするよ。」

「は、はい…おっしゃる通りですね、千里さん…」

 重苦しくて湿っぽい雰囲気に耐えかねた私に対する英里奈ちゃんの受け答えも、普段以上に及び腰だったの。

 まあ、この状況では口数が少なくなってしまうのも、無理もないよね。

「すみません…瓶ビールをもう1本、お代わりお願いします。」

 刺身とゴマ豆腐を肴にしていたマリナちゃんが、空瓶を手にして斎場職員を呼んでいる。

「マリナちゃん…ちょっとペースが速くない?次で3本目だよ…」

 青い長髪を左側頭部で束ねた少女は、クールな黒髪の少女が掲げたビール瓶を、手にした木匙でコツンと軽く弾きながら(たしな)めた。

 京花ちゃんとしても、次々に瓶ビールを空けていくマリナちゃんを、さすがに見るに見かねてたんだね。

 食べようと手にしていた茶碗蒸しを一旦御膳に戻す手間をかけてまでも、親友であるマリナちゃんに一言意見したかった。

 その気持ちは分かるよ。

 ところが、マリナちゃんは京花ちゃんの進言をまるで意に介さなかったの。

「そう言うお京だって、私の事は言えないだろ?そのハイボール、今ので何杯目なんだよ?」

 それどころか、右側を長い前髪に覆われた赤い瞳は、京花ちゃんの左手に握られたグラスの中で泡立つ透明の液体を、静かに見据えている。

「いや、その…6杯目…」

 面目無さ気にサイドテールを弄りながら、京花ちゃんは言い辛そうに答えたの。

 それはまさしく、「人の振り見て我が振り直せ」だよ、京花ちゃん。

「ほら、見た事かよ。」

 冷ややかに吐き捨てたマリナちゃんは、斎場職員の御酌してくれた泡立つ液体を一気に飲み干した。

 このペースだと、3本目のビール瓶も長持ちしないだろうね。

 まあ、B組のサイドテールコンビがお酒に走るのも仕方ないよ。

 私達には、故人である忠岡巡査長との直接の面識がないから、遺族との思い出話には混ざる事が出来ないの。

 だからと言って、私達だけで好き勝手にお喋りして、会話を弾ませる訳にもいかないでしょ。

 口を挟めない外様の手持ち無沙汰感と、葬式特有の重苦しい雰囲気。

 そうなると、手慰みと気付け薬代わりとして、アルコールに手が伸びるのも止むを得ないと思うんだ。

 私だって、斎場職員の人達がカクテルを給仕してくれるなら、スクリュードライバーやカシスオレンジを次々に注文して、異なるカクテルの味わいで気を紛らわせていただろうね。

 もっとも、精進落としの会食で給仕されるアルコールメニューに、そこまで多くを期待するのは、さすがに贅沢かな。

 カクテルがないなら、注文出来るアルコールメニューで満足するしかないね。

「良かったら私のビールをあげるよ、マリナちゃん。飲みかけだけど…」

 私が差し出したビール瓶には、中身がまだ3割程度残っている。

 そろそろ、別のお酒を飲みたくなってきちゃったよ。

「おっ!悪いね、ちさ!それじゃ、遠慮なく…」

 嬉々としてビール瓶を受け取ったマリナちゃんを尻目に、グラスの中身を一気にあおった私は、斎場職員にハイボールを所望した。

 私達が部分的成人擬制の適用される特命遊撃士で、本当に良かったよ。

 これで私達が単なる民間人だったら、お酒という逃げ道も使えないからね。

 私の隣でワイングラスを優雅に傾けている英里奈ちゃんも、きっと内心では同じように考えていると思うよ。

 普段の飲み会や御自宅では、スパークリングワインやサングリアを愛好し、産地や年数にもこだわっている英里奈ちゃんだけど、こういう状況だったら、大量生産の赤ワインでも大歓迎だろうね。

 そして、私の右隣に向き合って座っている、かおるちゃんと江坂准尉の2人を見てみると、こっちは大したもんだったよ。

 時々御酌し合いながら、粛々と懐石料理を食べていたんだから。

 まあ、かおるちゃんは上品で物静かな子だし、江坂准尉は成人式も大学の卒業式も無事にこなした大人の女性だから、落ち着いているのも無理はないかな。

「あっ…あの!淡路かおる少佐でいらっしゃいますか?」

 かおるちゃんの席に、おずおずとした様子で静かに(にじ)り寄ってきた、喪服姿の初老の男女。

 泣き晴らした赤い顔と憔悴した様子から、この夫婦が忠岡巡査長の御両親だという事は、一目瞭然だね。

「忠岡春樹巡査長の御両親ですね…息子さんにつきましては、本当に申し訳ない事になってしまいました…」

 静かに立ち上がったかおるちゃんは、実に美しい動きで初老夫婦に一礼した。

「そんな…頭をお上げ下さい!貴女が春樹を止めて下さらなければ、被害は更に拡大していたでしょう。そんな事は警察官として、あってはならない事です…御礼を申し上げるのは私共の方です…」

 深々と頭を下げた淡路少佐を、忠岡巡査長の御両親は大慌てで制したんだ。

 忠岡巡査長を解剖する事でようやくワクチンが製造出来たので、あの時点では治療出来なかった。

 また、ウイルスで怪人化した忠岡春樹巡査長は理性を失って凶暴化しており、そのまま放置していたら更なる犠牲者が出ていた。

 そして、かおるちゃんは特命遊撃士としての職務に忠実だった。

 こうして客観的事実を箇条書きに並べてみたら、かおるちゃんに一切の落ち度がないって事は、誰の目にも明白だよね。

 だけど、遺族の視点から見れば、かおるちゃんは「息子を斬り殺した張本人」になってしまうし、間違いではないんだよね。

 やり場のない怒りと憎しみを、感情に任せてぶつけたくなったとしても、私達としても責められないよ。

 もっとも、私達だって人間だから、「理不尽な八つ当たりだな…」程度には思わせて頂くけどね。

 それなのに、恨み言の一つも言わないのには感心したよ。

 それでこそ、治安維持に携わる「公安職」の家族。

 それでこそ、警察官の息子を育てた両親だけの事はあるよね。

 とはいえ、息子を失った悲しみの感情に関しては、完全には蓋をしきれなかったみたいだね。

 数珠を持つ初老夫婦の手が、微かに震えているよ。

「忠岡さん…」

 かおるちゃんの呟きを最後に、何とも言えない重苦しい沈黙が、和式待合室の空気を支配する。

 こういう空気って、本当に苦手だな…

「あの…淡路かおる少佐に1つ、お伺いしたい事がございます。」

 沈黙が支配する重苦しい空気を破ったのは、忠岡巡査長のお母さんだった。

「はい…私にお答え出来る事でしたら。」

「その…息子は苦しまずに逝けたでしょうか?」

 手にした白い数珠を弄りながら、かおるちゃんを真っ直ぐに見つめている。

 我が子に先立たれた母親だったら当然の質問だと、私も思うよ。

 でも、監視カメラの映像を見た私としては、斬殺された時の忠岡巡査長は、ウイルスで牛面に変化していたので、末期の表情を読み取る事なんて、とても出来そうにないと思うんだよね。

「はい、勿論です。怪人と化した忠岡巡査長は、私が一太刀で介錯致しました。苦しまずに逝けた物と、私は確信しています。人類防衛機構の掲げる正義と、我が愛刀の千鳥神籬に誓っても。」

 遊撃服の腰に差された太刀を手に取ると、かおるちゃんは力強く頷いた。

 黒光りする漆塗りの鞘に納められた業物の、ガチャリという小さな鍔鳴り音が、待合室に響いた。

 棟の形は庵棟(いおりむね)、造り込みは(しのぎ)造り。

 このオーソドックスな日本刀の特徴を備えた一振りの太刀こそが、かおるちゃんの個人兵装にして愛刀である所の銘刀「千鳥神籬(ちどりひもろぎ)」だ。

 それにしても…

 かおるちゃんも、なかなかどうして大胆な真似をするよね。

 初老の夫妻にしてみれば、人に仇なす異形に成り果てたとは言えども、忠岡巡査長は愛しい息子。

 それを斬った淡路かおる少佐は、我が子を殺した張本人で、今その手中にあるのは、息子に引導を渡した首斬り刀。

 もしも公安職の身内として望まれる忠岡夫妻の覚悟が、口先ばかりの生半可な程度でしか出来ていなかったならば、どうなるか。

 かおるちゃんの事を、「我が子の仇」という具合に、分別をなくして罵っていたかも知れないな。

 だけど、その心配は杞憂だったようだね。

「ありがとうございます、淡路少佐…私達夫婦は、貴女の御言葉を信じさせて頂きます…!」

 喪服姿の初老夫婦は、一回りも小さくなったかと錯覚する程に、かおるちゃんに向かって深々と頭を下げ、感謝の意を口にした。

 警察官の両親が、民間人の被害を最小限に抑えるために、止むを得ず剣を振るった自分を非難するなど、まずあり得ない。

 ましてや、息子と同様に、職務に忠実な公安職である特命遊撃士の自分を責めるなど、もっての他。

 こちらが誠意を示して応対すれば、必ず分かり合う事が出来る。

 こういう確信があったからこそ、かおるちゃんは敢えて大胆な言い回しを用いたんだね。

 そして、かおるちゃんの確信は正しかった。

 忠岡巡査長の御両親は、公安職の家族として相応しい覚悟の持ち主だったよ。

「私の口から申し上げる資格など、とてもございませんが、御子息の御冥福を御祈り致します。」

 あたかも敬虔な尼僧であるかのように、かおるちゃんは軽く目を伏せると、数珠を持つ手を合掌の形に組んで、静かに頭を下げた。

 会釈の動作に少し遅れて、黒い2つお下げが小さく揺れた。

「もったいない御言葉です、淡路かおる少佐…どうぞ今後の武運長久を…」

 このように言葉を紡ぐ忠岡夫妻の両目からは、息子に先立たれた悲しみに泣き腫らして枯れ果てたはずの涙が、あたかも滝のように流れ落ちている。

 まあ、姿勢を正したかおるちゃんの佇まいを見れば、それも無理はないかな。

 背筋の伸びた美しい姿勢ですっくと立った淡路かおる少佐の双眼は、1片の曇りもなく澄み切っており、忠岡夫妻を真っ直ぐ見据えている。

 右手に携えられた業物の黒鞘もまた、何物にも染まらない厳格な正義感を、無言のうちに示しているようだった。

 業物を握る右手と両目を中心にして、「防人の乙女」としての誠意が全身から迸る、かおるちゃんの静かな佇まい。

 それは、何人たりとも水を差す事の出来ない、ある種の荘厳ささえ感じられる光景だったね。

 忠岡巡査長の御遺族や同僚の警察関係者は勿論、同じ防人の乙女である私達までもが、かおるちゃんの凛とした立ち振舞いに、思わず見入ってしまったんだよ。

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[一言] ありがとう。 かおるちゃん……。
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