表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/34

エピローグ第2章 「斎場のモールス信号」

 納棺された忠岡春樹巡査長の御遺体は、祭壇に飾られた遺影と同様、目鼻立ちが整った爽やかな青年の姿を取っていた。

 黙示協議会アポカリプス残党によって投与された凶牛ウイルスは、保菌者の死と前後して生命活動を停止する特性があったらしい。

 斬殺されて24時間を経過した辺りで牛怪人の亡骸は徐々に変化し、最終的には成人男性のバラバラ死体になった所で落ち着いた。

 ウイルスを解析してワクチンも開発出来て、御遺族に御遺体をお返しする事も出来たのが、不幸中の幸いだね。

 丹念に縫い合わせた御遺体には、葬儀会社の人達の真心が込められた死化粧が丁寧に施されている。

 故人とほとんど面識のなかった私が、こうして遠巻きから見る分には、生前と全く変わらぬ佇まいを保っているように思えるね。

 今にもムックリ起き上がって、眠い目を擦りながら伸びでもしそうな位だよ。

 でも、その機会は永久に訪れないんだよね…

 巧みに施された死化粧の下には、縦横に縫合痕の走った青白い皮膚があり、青白い皮膚に包まれた肉体は冷えきっている。

 管轄地域の治安を守るために戦う事も、愛する家族や友人達と語らう事も、今の忠岡巡査長には、2度と果たせぬ夢なのだ。

-私も、こうなっていたかも知れないんだ…

 アポカリプスとの戦いで負った重傷が原因で、私は今年の春まで3年近くも昏睡状態だった。

 今でこそ、奇跡的な回復で後遺症もなく元気に過ごしている私だけど、意識を取り戻せずに一生昏睡状態のままで過ごすか、或いは力尽きて息を引き取る可能性も、少なからずあったらしい。

 私が病院のベッドで目覚めた時の、泣き腫らした友人達の顔は、今でも強く印象に残っている。

 英里奈ちゃんを始めとする私の友人達は、「私がこのまま死んでしまうんじゃないか?」っていう、恐ろしくも不吉な思考を必死で打ち消しながら、御見舞いに来てくれていたそうだ。

 あの泣き腫らした顔は、私が回復出来た嬉し泣きであると共に、「私に先立たれる恐怖」って緊張の糸が切れた証でもあるんだね。

 3人の立場になって考えてみると、その辛さは痛い程に分かったの。

 もしも京花ちゃんやマリナちゃんが、或いは英里奈ちゃんが、作戦中で命を落としたら…

 想像するだに恐ろしく、そして胸が引き裂かれる程に悲しい気分になるよ。

 そうならないためにも、私達は日々のたゆまぬ訓練や個人兵装の整備等という形で、来るべき有事に備えているんだ。

 私達みたいな防人の乙女だけじゃないよ。

 消防士に自衛官、そして警察官といった、私達と同様に「公安職」と呼称される公務員達なら、その全員がね。

 人命救助と治安維持の使命を帯びた平和の防人達は、愛する人々を守れるように、努力と研鑽を日夜怠らないんだ。

 いざと言う時には我が身を挺して盾になるとしても、死んでしまっては次の脅威を防げないから、自分や同僚の身の安全を守る事も、努力と研鑽の中には当然含まれているけどね。

 そこまで努力と研鑽を日頃から心掛けていても、戦死者や殉職者が出ないとは断言出来ないんだ。

 自分や周りの人が犠牲者になるかも知れない。

 その覚悟はしているつもりだけど、こうして悲しみと寂しさを必死で抑えている御遺族や同僚達の姿を見ると、胸が締め付けられちゃうな。

 どうしても、我が身に引き寄せて考えちゃうから…

『んっ…!』

 右足に加えられる小刻みな刺激に気付いた私は、ピクッと身体を震わせて我に返ったんだ。

 どうやら私は、他の参列者と並んで座布団に正座し、真言宗のお坊さんが上げる読経を聞いているうちに、物思いに耽っていたみたいだね。

 集中力が切れてしまうと、何故かこうなっちゃうんだよね。

 これも私の悪い癖かな。

 注意深く意識を集中させると、大体の状況が飲み込めてきたよ。

 黒いニーソックスに包まれた私の右の足裏を、他の参列者には分からないように、英里奈ちゃんが軽く突っついている。

 長短を組み合わせた独特のリズムから、私はそれがモールス信号を用いた暗号である事に気付いたんだ。

-千里さん…!千里さん…!

 信号を解読すると、こんな感じだね。

 いかなる状況下においても情報交換を行えるように、私達はありとあらゆる通信手段をマスターしているんだ。

 カエサル式やワンタイムパッド等の各種暗号は勿論、ハンドシグナルに手話、点字に読唇術だって、手に取るように解読出来るよ。

 モールス信号なんて、養成コースに通っていた小学6年生の時にマスターしちゃったんだけど、これがなかなか便利なんだよ。

 モールス信号は一定間隔の長短で意志の疎通を行うんだけど、必ずしも光や音を使わなければならない物でもなくて、さっき英里奈ちゃんがやったように、相手を突っつくだけでもいいんだ。

 映画館みたいに、発声器官や携帯電話を使えない環境で内緒話をする時には、最適の通信手段だね。

 そして今日もまた、私はモールス信号の恩恵に与る事が出来たみたい。

 私が英里奈ちゃんの方を「何かな?」というニュアンスを込めて一瞥すると、私の足裏を突っつくリズムが変化したんだ。

-御焼香、千里さんの番ですよ。

 解読を終えた私は、ガバッと顔を上げて周囲の状況に目配りしたの。

 焼香台を見ると、私の左隣に座っていたはずのマリナちゃんが、今は数珠を持って合掌していたんだ。

 それに、一足先に御焼香を終えたらしい京花ちゃんとかおるちゃんの2人は、至って神妙な顔つきをして、座布団の上で正座を組んでいる。

 私は数珠の巻かれた右手を片手拝みにして、英里奈ちゃんに小さく黙礼すると、正座の姿勢から静かに立ち上がったの。

 生体強化ナノマシンによる改造措置と軍事訓練を受けている私達にとって、正座を崩した時の足の痺れは、遠い日の思い出となって久しい。

 その気になれば、剣山を敷き詰めた床に素足で5時間正座して、その場で間髪入れずに社交ダンスを踊る事だって出来るよ。

 まあ、こんな馬鹿げた曲芸を実行する可能性と必然性は、今の所はさっぱり思い当たらないんだけどね。

 焼香台の正面で一礼すると、摘まんだ御香を額に押し頂き、炭の上へ。

 これを3回繰り返したら、合掌して一礼。

 慣れた手つきで御焼香を済ませた私は、自他共に認める童顔に精一杯の神妙な表情を形作ると、自分に割り当てられた座布団に歩みを進めて、そっと静かに腰を下ろしたんだ。

 民間人諸君には、「高校1年生という若い身空で、随分と手慣れた御焼香だな…」って思えるのかも知れないね。

 特命遊撃士という商売柄、担当した事件で生じた犠牲者の御葬式は勿論、合同慰霊祭等にも参加する機会が少なくないんだ。

 お陰様で、各宗派毎に異なる御葬式のマナーが、自然と身に付いちゃったの。

 御葬式のマナーは大切だけど、素直には喜べないなあ…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 個人的に、葬式シーンは苦手です。 なので、書ける方は尊敬します。 だからと言ってその方を参考にして私もそれなりに書けるようになるとは限らないけど(ォィ とにかく……合掌(-人-)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ