第26章 「冷気の靄の中で…」
こんな具合に冷気が立ち込める中で、呻き声を上げながら立ち上がる人影が幾つか見受けられたんだ。
「な…何だよ、これ…?寒い…」
「ここ、何処だろう?」
こんな事を口々に呟きながらね。
「あっ!こいつら、まだ性懲りもなく…!」
動ける牛怪人が残っていたのかと思った私は、反射的に自動拳銃を構えちゃったんだけど、その人影は、至って普通の人間だった。
着ている衣服こそ、著しく損傷していたけどね。
「銃?!まっ…待ってくれ、遊撃士さん!撃たないでくれ!」
「俺達、牛の化け物に襲われて…気づいたら、こんな所にいたんだ!」
損傷した衣服を着た若者達は、私達の持つアサルトライフルや拳銃を見て、大慌てでホールドアップしちゃったんだ。
この人達はどうやら、さっきまで牛頭鬼ミノタウロスの手下として暴れていた、量産型牛怪人達だね。
「速いね、あのワクチンの効き目って…」
こうして、人類防衛機構が誇る科学班の技術力に、改めて感心しきっていた私は、拳銃を下ろすのも忘れてしまっていたんだ。
「あの…千里さん?そろそろ、銃を下ろして差し上げてはいかがでしょうか?そちらの方々が、寒さとは違う意味で震えていらっしゃいます…」
こうやって、英里奈ちゃんに申し訳なさそうに指摘されるまでね。
拳銃を突き付けられて怖い思いをしたのは少し気の毒だけど、無事に人間に戻れたんだから、それでいいじゃない。
「怪人化した民間人も、ワクチンで元に戻りつつあるか…これで作戦は完了だね、お京?」
随分と余裕綽々な表情を浮かべたマリナちゃんが、傍らに控えている京花ちゃんに水を向けた。
「そうだね、マリナちゃん。元感染者の民間人を病院に搬送するのは、機動隊と救急隊員の人達に任せておけば大丈夫だし、牛頭鬼ミノタウロスもやっつけちゃったしね。後は支局で報告書を書き上げれば、それで万事問題なし!」
「え…?」
B組のサイドテールコンビの会話に、私は引っ掛かる物を感じたんだ。
確か、江坂芳乃准尉は作戦中に、あんな事を言っていたよね…
「待って、2人とも!量産型牛怪人があちこちに現れて、私達の救援に回せる部隊がいないって、江坂准尉が言ってなかった?」
私の切羽詰まった様子に虚を突かれたのか、マリナちゃん達は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていたの。
「それに、牛頭鬼ミノタウロスに動員されなかった量産型怪人や、まだ発症していない感染者が、潜伏しているかも知れないんだよ!」
「プッ…アッハハハハ!」
「ヤだなあ…千里ちゃんったら!」
ところが、私が言い終えた次の瞬間には、京花ちゃんとマリナちゃんは、腹を抱えて大声で笑い出したんだ。
「ああ…マリナさん、京花さん…そんなにお笑いにならなくても…」
唯一笑っていなかった英里奈ちゃんが、B組のサイドテールコンビを窘めようとしているけど、その効果は今一つみたいだ。
「ちょっと…!何がそんなにおかしいの!?」
面白そうに笑う2人への不満を隠さず、食って掛かろうとする私だけど…
「は~い!ここは一旦、ストップ!一回落ち着こうかな、うん?」
みっともない事だけど、京花ちゃんに片手で軽く押さえられちゃったんだよね。
それも、事もあろうに額をだよ。
「あっ…!ちょっと、京花ちゃん…!」
こういうコミカルな方法で制止させられると、自分が物凄く間抜けな存在に思えてきちゃうな。
それで、「私って一体、何やってんだろう…」という具合に内省的になって、激昂していた感情が段々冷めてきちゃうの。
今の私みたいにヒートアップしている相手を、手っ取り早く落ち着かせる方法としては、意外と効果的なのかも知れないな。
その効果を見越した上での行動だとしたら、なかなかどうして侮れないよね、京花ちゃんって。
「いやいや…悪い事じゃないんだよ、千里ちゃん!どんな些細な出来事も見逃さずに配慮する…それでこそ、正義の味方にして防人の乙女、誉れ高き特命遊撃士だよ!でもね…」
笑いながら私を宥める京花ちゃんの後を引き取ったのは、早くも普段の落ち着きを取り戻したマリナちゃんだった。
「ちさの気掛かりだった案件は、既に解決済みなんだよ。生憎とね。まず、他の地域に現れた牛怪人の群れだけど、とっくに鎮圧出来たってさ。特命遊撃士と特命機動隊が持っている、ハイスペックな戦闘力と高い連度は、ちさ自身がよく知っているだろう?」
こういう自尊心をくすぐられる言い方をされると、肯定するしかないよね。
「そりゃ、まあね…でも、潜伏しているかも知れない量産型怪人は?取りこぼしでも万一あったら、民間の人達が危険にさらされちゃうんだよ?」
「その点に関しても御安心下さい、吹田千里准佐。」
こっちの質問に答えてくれたのは、牛頭鬼ミノタウロスの死体の搬出作業を無事に見届けた、天王寺ハルカ上級曹長だった。
「第2支局より先程、薬品散布用ユニットを装備したドローン群が、改良型ワクチンを搭載して管轄地域各地に向けて飛び立ったとの連絡が入りました。改良されたワクチンは、ミスト状に噴霧する事で呼吸器から体内に侵入し、凶牛ウイルスを撃滅出来るそうですよ。」
「そっか…あのドローン達がね…」
冷静沈着な説明を行う部下に、私は軽く頷きながら応じたんだ。
人類防衛機構の各支局にはドローンが配備されていて、私達の作戦活動をサポートしてくれるんだ。
このドローン達は、作戦に応じてユニットを換装してあげる事で、色々な用途に対応出来るんだよ。
例えば、光学迷彩と暗視カメラを装備した偵察用ユニットに、弾薬や食料などを運搬出来る輸送用ユニット。
光学兵器にエネルギーを補給するマイクロウェーブ送信ユニットには、ちょくちょく私もお世話になっているね。
何しろ、私の個人兵装はレーザーライフルだからさ。
そして勿論、レーザー砲や機関砲を装備した戦闘用ユニットだってあるよ。
今回の作戦で使用されている薬品散布用ユニットは、普段は催涙ガスを搭載して暴徒鎮圧に用いられているんだ。
「付け加えると、地域住民にもワクチンの予防接種を義務付けるから、感染者が残っていたとしても、量産型怪人がこれ以上増える事はないよ。しばらくは普段の巡回パトロールにも、麻酔弾の携行義務が下されるだろうね。まあ、詳細は支局のオペレータールームが送信した緊急連絡メールに書いてあるから、自分の目で確かめるんだね。」
「えっ…!マリナちゃん…それ、ホント?」
急いでスマホのメールアプリを立ち上げると、宛先欄にオペレータールームのアドレスが入っている緊急連絡メールには、その通りの内容が記されていたね。
「ああ、ホントだ…」
「そうなんだよ、千里ちゃん。てっきり私達は、千里ちゃんも読んでいるとばかり思っていたから、『分かりきった事を、随分と焦り顔で聞いてくるなあ…』っておかしくって!」
すっかり力の抜けた私に向かって笑い掛けてきたのは、京花ちゃんだった。
「ひどいなあ、京花ちゃんは…『牛怪人の量産型が、まだ残っているんじゃないか?』と思って、自動拳銃を抜いていたから、スマホの受信をチェック出来なかっただけなのに…」
不満気に頬を膨らましたせいで、まるで冬に備えてドングリを頬張るリスか、天敵を威嚇するフグのような顔になっちゃったよ。




