第12章 「正義の刃だ!トレンチナイフ取り扱い訓練」
いつものように堺県第2支局に仲良く登庁した私達は、これまたいつものように、戦闘訓練に勤しんでいたの。
今日の戦闘訓練メニューは、いつもと同じ個人兵装別の訓練に加えて、トレンチナイフの取り扱い訓練の2本立て。
トレンチナイフは自動拳銃と同様に、特命遊撃士養成コース時代に護身用も兼ねて支給された装備品なの。
正式な特命遊撃士に任官されてからも、補助兵装としてトレンチナイフを携行している子も多いけど、使用頻度としてはどうしても、個人兵装の方が上になっちゃうんだよね。
そのため、ちょうど今日の私達みたいに、取り扱いのおさらいとして受講している子も多いんだよね。
トレンチナイフの取り扱い訓練が開講されているのは、地下4階の講堂。
この地下講堂は、式典や講演会がない時は、近接格闘術や打撃・斬撃系個人兵装用の戦闘訓練のために開放されているんだ。
レーザーブレード使いの京花ちゃんや、レーザーランスを運用する英里奈ちゃんの場合は、個人兵装別の戦闘訓練の時も、この地下講堂で使用しているの。
今日みたいに、トレンチナイフの取り扱い訓練を控えている時は、移動しなくていいから楽でいいよね。
これが、私やマリナちゃんみたいに銃器を個人兵装に選んだ遊撃士の場合だと、地下6階の屋内射撃場からエレベーターとかで上がらないといけないから、少し手間が掛かるんだよね。
「ああっ…!」
渾身の突き技が惜しくも宙を切った事を知った私は、思わず絶望に満ちた叫び声を上げてしまう。
それでも突進の勢いは止まらず、ヨロヨロと蹈鞴を踏んでしまった。
「終わりだよ、ちさ!」
黒い前髪に隠された赤い瞳が鋭い光を帯び、右手の凶器を一閃させる。
「ぐっ…ああっ!」
幼児体型の傾向がある私の左脇腹に、トレンチナイフのナックルガードが深々とめり込み、16歳の少女らしからぬ濁った悲鳴が、地下講堂に響き渡る。
「うう…」
弛緩し切った私の右手から、何かが抜け落ちていく。
床に落ちた時の固い金属音から、それが先程まで握りしめていたトレンチナイフであると、辛うじて知覚した。
塹壕内での白兵戦を想定して設計されたトレンチナイフには、頑丈なナックルガードが付き物なの。
狭くて滑りやすい塹壕内でも落とさない為の配慮なんだけど、この頑丈なナックルガードは、メリケンサック代わりに敵を殴れるのでなかなか機能的なんだ。
そんなに機能的なトレンチナイフだけど、こうやって取り落としちゃったらどうしようもないよね。
「おいおい…大丈夫か、ちさ?」
脇腹を押さえて蹲る私を見下ろして心配そうに呼び掛けるのは、今しがたナックルガードを私の脇腹に叩き込んだ張本人である所の、和歌浦マリナ少佐だ。
マリナちゃんの場合、大型拳銃を個人兵装に選択したタイミングで自動拳銃は返納しちゃったけれども、トレンチナイフは今でも補助兵装に使っているの。
だから、私達と一緒にトレンチナイフの訓練に参加しているんだよ。
「へ…平気だよ、このくらい…!」
口では強がる私だけれど、先程ナックルガードで強打されたばかりの脇腹は、未だ鈍い痛みを訴えている。
生体強化ナノマシンで戦闘用に改造されている私達の身体は、常人とは比べ物にならない防御力と再生能力、そして痛覚への耐性を備えている。
だけど、そんな特命遊撃士同士で本気の戦闘訓練をやると、それなりに痛いんだよね、やっぱり。
さっきのナックルガードによる一撃だって、生身の人間が食らっていたら、内臓破裂と複雑骨折で即死だからね。
「だって…今日の模擬戦の成績は、現時点で2勝3敗なんだよ…」
私はトレンチナイフを拾い上げると、痛みを振り払うようにして、すっくと立ち上がった。
「ここで終わったら、私の負け越しになっちゃうからね!」
この一言はマリナちゃんに向けて叫んだつもりだったけど、もしかしたら自分に向けて言い聞かせていたのかもしれないね。
脇腹の痛みが、急速に消えていく。
生体強化ナノマシンの自己修復能力が、正常に機能している証拠だ。
「いける…いけるよ!まだまだ私は!」
己を鼓舞するかのような叫びと共に、脇腹に添えていた左手を引き剥がした私は、刃を付けていない訓練用トレンチナイフを握る右手に、再び力を込める。
「吹田千里准佐、その不屈の闘志たるや見事!まさしく貴官こそ、防人の乙女の誉れである!」
口調を上官としての厳格な物に改めたマリナちゃんが、訓練用トレンチナイフをサッと構え直した。
刃の付いていない刀身が、天井の照明を鈍く反射して光る。
「はっ!お褒めに与り光栄であります、和歌浦マリナ少佐!それでは今一度、お立ち会いを!」
闘志は全開、気合いも充分。
私の防人乙女魂、ここからが本番だよ!
しかしながら、そんな私の出鼻は、訓練終了の時を告げるチャイムの音で無惨にも挫かれちゃったんだよね。
「そうしてやりたいのは山々だけど、残念ながら時間切れだよ、ちさ…」
軽く肩をすくめて苦笑するマリナちゃんの口調は、すっかり平時の物に戻っている。闘志もゼロって訳だね。
「あーあ、銃剣術だったら勝ち越し出来たのになあ…」
訓練用トレンチナイフを返却する私の口調は、自分自身でも嫌気が差す程に、負け惜しみの音色を帯びていたんだ。
「そんなにボヤく物じゃないよ、ちさ。勝負は時の運。この次は分からないよ。まあ…今日の『プレミアホップ』に関しては、ちさの奢りだけどね?」
軽い溜め息をついた私は、講堂の通用口の右横に設置された自販機へ硬貨を投入すると、マリナちゃんが指定した缶ビールのボタンに力を込めるのだった。
トレンチナイフの取り扱い訓練において、私とマリナちゃんはちょっとした賭けをしていたの。
賭けと言っても、模擬戦で負け越した方が勝ち越した方に、自販機のお酒を1本奢るっていう、至ってシンプルな内容なんだ。
「どうぞお召し上がり下さいませ、和歌浦マリナ少佐…」
こうして惜しくも賭けに負けた私は、マリナちゃんに缶ビールを差し出すと、自分の分のスクリュードライバーを購うのだった。
「うん!可愛い部下の奢りだと、より一層にビールの味わいが深まるね!」
「ああ、はいはい…」
意気揚々と缶ビールをあおるマリナちゃんを尻目に、私は静かに缶入りカクテルのプルタブを引いたんだ。
ちょっとしたヤケ酒かな、これは…
「あっ、そっちはマリナちゃんの勝ちなんだ!じゃあ、もう1つの賭けは引き分けみたいだね、英里奈ちゃん。」
地下講堂の通用口に、1人の少女の明るく屈託のない声が朗々と響いた。
「おっ、お京!」
マリナちゃんの反応に違わず、明るい声の主は枚方京花ちゃんだった。
そして、その後ろに控えているのは、レーザーランス入りのショルダーケースを肩掛けした英里奈ちゃんだ。
「んっ、えっ…?へえ…じゃあ、英里奈ちゃんの勝ち越し?」
スクリュードライバーの缶から慌てて唇を離した私の問い掛けに、茶髪の御嬢様は上品に一礼したんだ。
「はい、私も意外でした…てっきり、京花さんが圧勝されるのだとばかり…ところが初戦と2戦目で、運良く私が2回続けて白星を取らせて頂きまして…」
自分の勝利を驕るどころか、実に申し訳なさそうに語る英里奈ちゃんに、京花ちゃんがスパークリングワインのペットボトルを差し出した。
そうそう、さっき京花ちゃんが言っていた「もう1つの賭け」っていうのは、A組側かB組側のどちらかが完勝したら、完敗した方が完勝した方にもう1本ずつ奢るって賭けなんだ。
要するに、私と英里奈ちゃんのA組チームと、京花ちゃんとマリナちゃんのB組チームによる団体戦だね。
だから、もし京花ちゃんが買っていたら、私と英里奈ちゃんは、京花ちゃんとマリナちゃんに、もう1本ずつ奢る羽目になっていたんだよね。
「ちょっぴり言い訳がましいけど、直前までレーザーブレードの訓練をしていたからね。なまじっか用途と形状が似ているから、トレンチナイフを扱っているのにレーザーブレードの癖が出ちゃってね…」
「やっぱり、違いが出る物なんだね。実弾式アサルトライフルとレーザーライフルの違いだったら、私でも分かるけど。」
私の問い掛けに京花ちゃんは、「我が意を得たり」とばかりに頷いたの。
「何しろ、こないだの強化改造でウィップモードも搭載されたからね。レーザーをリボン状に出せるようになったのは便利だけどさ…」
京花ちゃんはこないだ、個人兵装のレーザーブレードをオーバーホールに出すついでに、新機能も搭載して貰ったんだって。
レーザーをリボン状に出せるって、新体操の選手みたいで美しいだろうね。




