第1章 「防人4人娘、校舎屋上にたむろして。」
時折吹く風は季節外れに肌寒いけれど、空は晴れて、空気は澄んでいる昼休み。
私こと、人類防衛機構極東支部近畿ブロック堺県第2支局所属の吹田千里准佐は、同じ特命遊撃士の友達と一緒に、在籍している堺県立御子柴高等学校の通常教室棟屋上に集まって、ランチタイムと洒落込んでいたの。
ここまでは、いつも通りの屋上スケッチだね。
普段のお昼ご飯だと、家から持ってきたお弁当や、購買の菓子パンや弁当を食べている私達だけど、今日に関しては事情がちょっと違っていたんだよ。
木枯らしを思わせる季節外れの寒風の影響に、直接さらされる校舎の屋上。
そこで車座になった遊撃服姿の4人の少女達は、暖でも取るかのように輪の中心を見つめていた。
もっとも、生体強化ナノマシンで改造された身体を特殊繊維製の遊撃服で包んだ特命遊撃士にとっては、自然現象としての暑さと寒さなんて、誤差の範囲にもならないんだけどね。
防人の乙女である私達の身体は、例え灼熱のサハラ砂漠や極寒の南極であろうと、平常時と変わらない能力を涼しい顔で発揮出来るんだ。
「そろそろ温まってきたんじゃないかな、マリナちゃん?」
そんな防人の乙女の1人のうち、明るく元気で爽やかな少女が、待ちきれなさそうに身を乗り出して、輪の中心を覗き込んだ。
少女がグッと身を乗り出した時に、左側頭部でサイドテールに結い上げた青い髪が、季節外れの寒風にフワリと揺れる。
この、いかにも主人公気質と言うべき明朗快活な少女は、枚方京花ちゃん。
私と同じ堺県第2支局配属の特命遊撃士で、階級は少佐。
御子柴高等学校1年B組の誇るレーザーブレードの使い手で、「御子柴1B三剣聖」の一角に数えられているの。
そして、私の大切な親友の1人でもあるんだ。
京花ちゃんが覗き込んだ先では、ポータブルIHクッキングヒーターによって加熱されているステンレス製の鍋が、クツクツと煮える音を立てながら白い湯気を上げていた。
「気をつけな、お京。髪の毛が入ったら洒落にならないぞ。」
柄の部分がオレンジ色の樹脂で覆われている玉杓子で、時折思い出したように鍋をかき回している黒髪の右サイドテール少女が、切れ長の赤い釣り目で京花ちゃんをチラリと一瞥する。
この、前髪で隠された右目に右サイドテールという、右半身に矢鱈と特徴が偏っている少女は、和歌浦マリナちゃん。
クラスメイトである京花ちゃんと同様に、人類防衛機構に所属する特命遊撃士で、階級は少佐。
そのクールな美貌と凛々しい立ち振る舞いから、管轄地域に住む民間人の女の子達からの人気は高いらしいんだ。
こないだの第25回つつじ祭の公開射撃演習では、その人気っぷりを随分と見せつけてくれちゃったよね。
「あっ、いっけない!」
マリナちゃんの窘めるような視線に気付いた枚方京花ちゃんが、大慌てで左側頭部で揺れる青いサイドテールを手で押さえつけた。
「英里、ちさ。2人も風向きには気をつけなよ。」
ポータブルIHクッキングヒーターの上で鎮座している鍋に玉杓子を突っ込み、軽くかき混ぜながら、マリナちゃんは私達の方に視線を向けた。
「あっ、はい…」
癖のない茶髪のロングヘアーの美しい少女が、その幼くも上品な美貌に、何とも所在無さげな表情を浮かべて頷いた。
この、少し内気で気弱な御嬢様風の女の子は、生駒英里奈ちゃん。
私と同じ堺県第2支局配属の特命遊撃士で、階級は少佐。
御子柴高等学校1年A組だから、私のクラスメイト。
そして、小学校時代からの私の大切な親友でもあるんだ。
「うん!分かったよ、マリナちゃん!」
風向きを気にして少し後ずさる英里奈ちゃんに応じて、私も風に弄ばれないようにツインテールの先端を左手で押さえたの。
髪が長いのも、色々と苦労が多いよね。
「だが、そろそろ頃合いという事は確かだな。味見してみるかい、ちさ?」
玉杓子を手にしたマリナちゃんは、黒い樹脂製の碗に鍋の中身を注ぎ入れると、突き付けるようにして、鍋を挟んで向かい合った私へ差し出した。
「よく温まっているね、マリナちゃん。ふんだんに酒粕を投入してくれただけあって、匂いだけでも酔いそうだよ。」
黒い碗を受け取った私は、中を満たすドロリと白濁した液体を覗き込むと、深呼吸でもするかのように、揮発する芳香を胸一杯に吸い込んだ。
「これが生駒家の粕汁なんだね…匂いだけでも商売になりそうだよ!」
油揚げや豚肉から溶け出した脂の濃厚な匂いと、それ以上に自己主張している酒粕と日本酒の香りに、私は思わず感嘆の声を上げちゃったんだ。
「まだ飲んでもいないじゃないの。千里ちゃんったら、匂いだけでそんな風になっちゃって…」
京花ちゃんの呆れ声から察するに、よっぽど陶然とした表情を浮かべちゃっていたみたいだね、私って。
「良いではありませんですか、京花さん。匂いだけでここまで喜んで下さるんですもの。吉野さんとしても料理人冥利に尽きるという物ですよ。」
腰まで伸ばされた癖のない茶髪が印象的な少女が、気品のある幼い美貌に笑みを浮かべながら、京花ちゃんに応じる。
「そうだよね、英里奈ちゃん。こないだの浅蜊の酒蒸しやブランデーケーキ、あれも最高に美味しかったからね。」
お碗の粕汁をこぼさないように注意しながら、私は無二の親友である茶髪の御嬢様に向かって相槌を打つの。
ここで私が少し言及した吉野さんというのは、皇国ホテルから引き抜かれてきた、英里奈ちゃんの御実家のお抱えシェフなんだよ。
「運転手さんの代わりに、粕汁をマイカーで運んで来てくれた登美江さんにも、感謝しないとね。」
一足先にノンアルコール焼酎を開栓して、炭酸水で割り始めた京花ちゃんが、私に同調する。
こないだブランデーケーキや酒蒸しの入った重箱を運んでくれたお抱え運転手さんは、今日はグループ企業の視察に行く英里奈ちゃんのお父さんと一緒だから、お願い出来なかったんだ。
まあ、本来は英里奈ちゃんのお父さんの運転手だから、仕方ないね。
それで、代わりに粕汁を運んでくれたのが、英里奈ちゃんの姉代わりも務めているメイドの白庭登美江さんだったの。
英里奈ちゃんの御実家は土居川小学校の校区内にあるから、浅香山駅が最寄り駅の御子柴高校とも、距離的には近いけれど、手間である事に変わりはないからね。
登美江さんには、本当に頭が下がるよ。
「それに、英里にもだね。ありがとう、英里…」
「えっ…?わっ、私ですか!?」
粕汁のお碗を受け取るタイミングで、アルトボイスのマリナちゃんに耳元でそっと囁かれた英里奈ちゃんは、必要以上に狼狽えていたね。
「そりゃそうだよ、英里奈ちゃん!だって、英里奈ちゃんが御屋敷の人に根回ししてくれていなかったら、こうして校舎の屋上で粕汁なんか食べられていなかったと思うよ、私達!」
受け取ったお碗の中身を、さも待ちきれなさそうに覗き込みながら、京花ちゃんがマリナちゃんの後を受ける。
「ともあれ、これで粕汁は全員に行き渡ったね。3人とも、飲み物の用意は出来ているね?」
グルリと座中を見回すマリナちゃんの問い掛けに、私達はノンアルコール飲料のアルミ缶やボトルを手にして頷いたの。




