ややこしい公爵家
この家は、ややこしい。
ややこしい故に家系図を燃やしてしまった経緯がある。原本は教会に保管されているため燃やしたのは複製本だが、書き直す羽目になった神官からは特別なお気持ちを要求された。
「それで、今日は何のご用ですの? 当主夫人の誕生日会はまだ先ですわよ」
「用というのは、僕が公爵家に婿入りして継いだ後のことなんだ」
「継いだ後・・・」
「今、離れにいる君の両親のことだ。いくら僕が当主だとしても前当主が同じ敷地にいるのでは僕が頼りなく見えてしまう。だから前当主夫妻には領地に行ってもらおうと思うんだ」
「前当主・・・」
「それと、空いた離れは、リジーナに住んでもらおうと思うんだ。リジーナは男爵家に引き取られたけど継母と折り合いが悪いみたいでね。それなら当家で行儀見習いをして、ゆくゆくは侍女になれば良いと声をかけておいたんだ」
「行儀見習い・・・」
婚約者のアーフルは、婚約者候補の中で可もなく不可もなしという成績で、さらに野心というものを持っていないように見えたから選んだ。そうでなければ、公爵家の正当な血を持つ私が蔑ろにされてしまう。領地経営についても後継についても口を挟むことのない人畜無害な者を選んだつもりだったが、害はあったようだ。
「アーフル様が決めたのなら、離れにいる方々にお伝えすることもお願いしますね」
「もちろんだよ。ああ、婿入りが楽しみだ」
「それは良かったですわ。婿入りとなると肩身の狭い思いをされる方が多いと聞きますが、それは嫁入りも同じこと」
「同じではないだろ? むしろ全く違うよ。嫁入りは家を継ぐという重責はないけど、婿入りは家を守る必要がある。僕は公爵家の当主になるんだよ」
「まあ! では、婿入りした方が愛人を持てないことは知ってますでしょ」
「えっ?」
「これは、暗黙の了解ではなく法で定められてますの。もし、婚姻によって他家に入った者が愛人を持ったら爵位継承権を未来永劫失う、ご存知でございましょう?」
アーフルは分かりやすく目を泳がせている。知らなかった、もしくは有名無実化した法案だと思っていたか。いずれにしろ公爵当主になり、愛人として男爵子女のリジーナを離れに囲う気だったのが丸分かりだ。だけど、離れに居座っている方々を追い出してくれるのならリジーナを囲うくらいは許しても良い。
「君の両親には今まで通り離れに居てもらおう。いろいろ当主の仕事を教えてもらわないといけないからね」
「ですが、行儀見習いとして受け入れると声をかけたのでしょう? いくら口約束でも公爵家の立場で発言をしたのなら履行しなければ沽券に関わりますわ。それこそ頼りないと思われてしまいますよ」
「分かった。話してくるよ」
婿入りして当主になってからと言っていたのに頼りないと思われたくない一心で離れに向かってしまった。あの方々がアーフルの言葉に耳を貸すとは思えないし、外に出すには面倒なことになりすぎる。完全に公爵家の恥なのだが領地に送って、領地の民が苦労するのは忍びない。だから、死ぬまで公爵家の離れに押し込むことにしたのだが、それはそれで公爵家の資産を減らすことになる。悩ましい問題だった。
「どういうことだ!」
「あら、何がでしょうか?」
「離れから出て領地に行くようにと言ったら、ただの婿入りの癖にと言われた。しかも君の両親は当主じゃないというではないか!」
「わたくしの両親は公爵家の当主と夫人で間違いありませんわ。一体どなたとお間違いになっていらっしゃるの?」
アーフルが勘違いしたように、これがややこしい原因だ。私の産みの母は鬼籍に入っている。父は公爵家への婿入りで血は繋がっているものの愛人を持ったことで爵位継承権を失い、当主代理にすらなれなかった。そして、愛人共々離れに追いやられたのだが、私たちのひとつ下に子どもが産まれた。それが男爵家に引き取られたリジーナだ。
「間違っていない! 離れにいるのが君の両親で、本邸にいるのが前当主夫妻の君の祖父母だろ!」
「違いましてよ。離れにいるのが、元父とその愛人、最近までは異母妹が住んでいたようですけど、伯父の家に引き取られることになったようですわ」
「ぎけい? つれご?」
「本邸にいるのは、祖父と祖母で、当主夫妻ですわ」
私が三歳の時に公爵家の一人娘の母が病で亡くなった。普通なら婿入りした父が当主代理となり正当な血を持つ私が成人するまでの繋ぎなのだが、愛人を妻にできると喜び勇んだ父が手続きも済んでいないのに愛人と二歳の娘を離れに住まわせた。そして呆気なく何の爵位も権限も持たないお荷物と成り果てた。
「連れ子を追い出したのか!」
「追い出したなんて人聞きの悪い。学園に通うために男爵家の当主の養子となったんですよ」
「こ、公爵家から通わせてやれば良いだろ」
「親戚でもない方をどうして公爵家から通わせるのです? 愛人の方は元は男爵家の長女で、嫡男が家を継いだことで平民になってますのに。平民の方を公爵家からとなると、一人だけ贔屓にするわけには参りませんわ」
とても優秀な人なら学費の援助くらいはあるが、それでも卒業してから決まった年数は公爵家で働かないといけない。そして、領地を出ることは許されない。
「君の異母妹じゃないのか? リジーナは仲良くしたいのに離れに閉じ込められていたと言っていた」
「離れに、あの方たちが住むようになったのは私が三歳の時ですわ。離れから出ることを禁じたのは、当時も今も当主が決めたこと。三歳のわたくしが何をできるというのですか?」
「三歳?」
「そうですわ。わたくしは本邸で住んでいましたし、離れに近づくこともありませんでした。学園に通う年になって初めて、知ったのです。年の離れた元父が婿入りでありながら愛人を持っていたことに。本当に公爵家を何だと思っているのか。しかも、生活費を全て公爵家が賄っているというではありませんか」
正義感で言っているのだろうが、公爵家のことに口を出す権利はアーフルにはない。さらに、アーフルは公爵家の傘下にある家の出身だ。余計なことを言うなら婚約者から簡単に下ろされる。他に候補はいくらでもいるのだから。
「それより、アーフル様が継ぐと言いましたけど、公爵家の正当な血を持つわたくしが当主ですよ」
「僕が当主じゃないのか?」
「ええ。違いますわね。わたくしが当主となり、後継は王家の方がなることが決まっていますわ。アーフル様はわたくしの夫であることだけが求められているのです」
公爵家が王家の血を引いているのは間違いない。ただ王家の中で王にならなかった王族の方を受け入れるための器であって、世襲で受け継ぐ物ではない。いつの日が王族の方が来られるまで管理するのが求められた役目だ。
「あくまでも爵位というのは領地を管理する者を示すだけの肩書き。アーフル様の方が公爵領をより良くできると言うなら当主となるよう打診されるでしょう」
「当主になれないのに、婿入りなんて意味がないじゃないか」
「それなら婚約を解消しましょう。アーフル様でなくても公爵家は困りませんし」
「ちょっと待て、僕を指名して婚約を結んだのに、そんな簡単に解消なんて、傲慢にも程がある!」
「傲慢? 婚約者の候補を募り、その時は婚約者に求める要件も伝えていますわ。それが果たされないときは速やかに解消する、慰謝料も発生しない。アーフル様に求められたのは、公爵家に不利益を与えない。この一点のみです」
当主となる私を助け、己が当主なるなどという野心は持たず、成り代わりたいと考えている親戚たちを蹴散らし、来るべき日まで無為に過ごすことが求められたことだ。現当主は、前国王の従弟であるから私自身も王族に連なる者として公爵家を守るように教育されている。
「いつ僕が不利益を与えた。公爵家の当主となるべく考えて・・・」
「考えて? 面白いことですわね。正式な後継であるわたくしを押し退けて当主となり、現当主が退任すれば領地に送る。前国王の従弟であるというのに」
「それは・・・」
「アーフル様に求められていることは公爵家に不利益を与えないこと。すでに二つの事項で不利益を与えたと判断されています。王家からは別の婚約者にするようにと通達が来ています」
「き、貴族の婚約に王家が口を出すなんて」
「わたくしの話を聞いてましたか? 公爵家は王家の器なのですよ。貴族ではないのです。公爵家の在り方を王家は好きに指示できて当然ですわ」
王家にお返しできる日まで公爵家を守ることこそが命題だ。元父が公爵家に関わらないのは当然のことであり、本当なら実家に返しても良いのだが、愛人付きに子ども付きでは問題にしかならない。王家に迷惑をかけないために離れに閉じ込めたと聞いていたが、娘のことは気になっていたようだ。わざわざ愛人の生家に連絡して引き取らせている。
「今さら返されてもご実家も困るでしょうから離れに行くなら生活は保障しますよ。そうそうアーフル様のご提案の行儀見習いも雇いましょう」
「どうして僕が離れに行かないといけないんだ!」
「説明しましたでしょ。公爵家に不利益を与えたからですよ。このまま捨てても良いところを衣食住を保障するのに何が不満なのですか?」
「不満しかないだろ」
「それは、永遠に分かり合えないですね。婚約者だった方を離れにご案内して差し上げて」
虫除けどころか虫そのものに成り下がったアーフルに興味はない。早急に新しい婚約者を用意しなければならない。この家はややこしい。単純な世襲性ではないからだ。王家の方が代替わりすると血筋そのものが入れ替わる。三代から五代くらいで入れ替わるため遡ると、ややこしい。




