91 水色の髪の聖女1
「やっぱりよく似合っているわ」
白地に金色の縁取りがなされた、首元から踝まで隙間なく覆うローブを纏ったセニアを見て、ルフィナが満足げにうなずく。ルフィナ自身も同様の服装をしており、凛として美しい。治療院の制服だとのことで、ルフィナ自身は魔塔でも同じ格好をしていた。
「あ、あの、ルフィナ様?」
自分としては不似合いな格好を見下ろしてセニアは戸惑う。
準備が万端すぎる気もする。治療院での研修期間は2週間と聞いていた。しかし決まったのは昨日、急遽のはずだ。
「一応、渡された教練書には目を通していたから。回復光という神聖術があることは知っていたの。いずれ来ると思っていたわ」
柔らかな笑みとともにルフィナが言う。
ルフィナが2冊目を、かつてはゴドヴァンがシェルダンを通じて1冊目を渡してくれた。レナートから死の間際に託されていたのだという。
3冊目以降の所在は2人も知らないのだそうだ。
「早く強くなりたくて、焦っているのでしょう?そんな顔をしているわ」
微笑んでルフィナが言う。自分の内面まですっかり見透かされているのだ。
「ルフィナっ!」
ゴドヴァンが駆け込んできた。
「もうっ、あなたはなんでいつもそうなの?女性が着替える部屋にノックもなしだなんて。婚約解消よっ!」
またいつもどおり、ゴドヴァンにはツンケンとしてルフィナが言う。
「え、そんな、いや、そうか、すまない。こんな俺だもんな、仕方、ないよな。ちょっとでも夢を見せてくれてありがとう」
かつてなく肩を落として悄気げてしまうゴドヴァン。婚約解消を受け入れざるを得ない、という顔だ。
こうなると慌ててしまうのはルフィナのほうである。
「え、ちょっと待って。ゴドヴァンさん。言い過ぎたわ。ノックだけ、ね。してちょうだい。今度から。婚約は、その、まだ、継続で、ごめんなさい。でも、こんなすぐ辛く当たっちゃう私でもいいのかしら」
ルフィナもルフィナで泣きそうになってしまった。
この二人はとっととくっつけばよいのに、とセニアですら思う。ほうっておくと2人で抱き合ってオイオイと泣き出してしまいそうだ。
「あの、なぜ、ゴドヴァン様まで」
セニアは話題を変えるべくゴドヴァンに尋ねた。いつもの青い軍服に大剣を肩に背負っている。治療院には何だか不似合いに思えた。
「あぁ、セニア嬢がルフィナに弟子入りしたっていうから、見物にな」
あっけらかんと言い放つゴドヴァン。
ルフィナがまた呆れ顔だ。
「あなた、軍務はどうしたの?出陣の準備とかあるでしょう?」
アスロック王国への侵攻準備のことだろう。
セニアは暗澹たる気持ちを抱く。
「まだ少し先だ。第1軍団もルベントにいる第3軍団も国境にすら張り付いてないんだからな。アンスのやつに任せておけば間違いない」
つまり他人に押し付けてきたからまだ暇だ、と言いたいらしい。
ゴドヴァンが楽しそうに笑う。
「まぁ、本当はルフィナに会いたくてな」
ゴドヴァンが満面の笑顔を見せた。少年のような曇りのない表情である。
「もうっ、仕方のない人ね。じゃあ、衛兵の代わりでもしてて、ちょうだい」
会いたいと言われ、嬉しそうなルフィナを見て、早く結婚してしまえばいいのに、とセニアは思った。
3人で治療院の中を歩く。
「セニアさんには外来棟の1室で飛び入りの負傷者だけを治療してもらいたいの」
歩きながらルフィナが説明を始める。
「今日は特別に私も一緒だから安心してね」
いざとなればルフィナが治癒してくれるのであれば、セニアも心強い。
セニアやルフィナと似たようなローブを身に纏った女性たちとすれ違う。まだ20代前半くらいの3人組だ。丁重に頭を下げてくれる。
セニアも立ち止まって礼を返した。
「あの方、水色の髪だったわ。聖騎士のセニア様だわ」
一人が話し始めたのが聞こえた。
隠しようのない髪の色により、すぐに身元が分かってしまう。
「すごく綺麗だったわね。回復術の心得もあるのかしら、なんで治療院にいるのかしら?」
さらにもう1人も会話に応じている。気になるのも無理はない、とセニア自身も思った。聖騎士としてしか知られていないのだから。
「本当は廊下って私語厳禁なのよ?あとで注意してあげなくちゃね」
ルフィナがいたずらっぽく笑って言う。
小ぢんまりとした、日当たりの良い部屋へと案内された。
セニアとルフィナが並んで座る椅子に、覚書などを作る机だけが置いてある簡素な部屋だ。ゴドヴァンは部屋の外で待機である。
(平和ね、なんだか戦争になるかも、なんてこと忘れちゃいそうになるわ)
思っていられたのは治療院が開く時間になるまでのことだった。
ドタドタと行き来する足音。時折、切迫した声で『運んでっ!』や『早くっ!グズグズしないでっ!』などと叫びが聞こえる。
セニアなどは慣れなくて落ち着かないのだが、隣に座るルフィナは涼しい顔をしている。日常茶飯事なのだろう。
「ルフィナ様っ!」
悠然としているルフィナを呼びながら、誰かがノックもなしにドアを開けた。ゴドヴァンなら怒られているところだ。
白い無地のローブを纏った細身の女性が駆け込んできた。
「屋根の修繕をしていて、梯子から落ちた、という高齢の男性が運び込まれてて」
意識などははっきりしている、という。細かい報告に、ルフィナがウンウンと頷いている。
「分かったわ、お連れして。外傷についてはセニアさんが治すから」
事もなげにルフィナが言う。
セニアは緊張した。傷であれば、イリスや自分の体で何度か試してはいる。
教練書の内容を頭の中で反芻している間に、血が滲んで赤くなった布を頭部に当てた老人が運び込まれてきた。運んできたのはゴドヴァンである。
負傷者の名前はエドガーというのだそうだ。苦しげに荒い息をして、目を瞑っている。裂傷を負ったとのことで、痛むようだ。
「セニアさん、回復光を。駄目なら私がやるから安心してね」
ルフィナが力づけるような笑顔で言う。
大きく息を吸って、セニアは全身に法力を纏った。オーラを使っているときのように薄く、光を放つ手を老人の頭に当てる。
手から溢れる光が老人の全身を覆う。その光を、セニアは意識して負傷部位に集中させようとした。傷口が見る間に塞がっていく。
「ありゃ、治った?」
エドガー老人が目をパチリと開けて、キョトンとしている。
「痛みも抑えられるのかしら。すごいわね」
ルフィナも目を丸くしている。
エドガー老人の目が自分に向けられる。
「女神様だっ」
縋りついて抱きつこうとしてくるのを、セニアはさっとかわした。
「まったく、このエドガーさんは抜けてて、ちょくちょく怪我をされるのよ、もう、ゴドヴァンさんっ」
仕方ないわね、という顔でルフィナがパンっと手を鳴らす。ゴドヴァンを呼んだ。
「で、そのたびに治癒師に抱きつこうとする助平なのよ」
エドガー老人が入ってきたゴドヴァンにつまみ出されていった。どうやら初めてのことではないらしく、ゴドヴァンも苦笑いだ。
「素晴らしい回復光だったわ、セニアさん」
何事もなかったかのようにルフィナが告げた。
先日のクリフォードとのやり取りを思い出して、セニアは複雑な気持ちを抱く。
「まだ、どんどん来させるから、よろしくね」
ルフィナが立ち上がった。
「ちょっと、事務の子たちに言って、負傷者はセニアさんのところへ優先的に送るようにさせるわ」
セニアの気を知ってか知らずかルフィナが言って、一旦治療室を後にする。
(感謝してもらえた。誰かの役に立てるなら良しと思わなくては、いけないわよね)
セニアはそう思うことにして、次なるけが人を待つのであった。




