87 幻術士の訪問
どうするか迷った末に、アスロック王国王太子エヴァンズの婚約者アイシラは、護衛のミリアを伴って、父の属する貴族一派の長マクイーン公爵の屋敷を訪れていた。
過去の栄光もあって、アスロック王国の王都アズールには大きな邸宅が未だに少なくない。
しかし、現在の情勢下で、しっかりと手入れまで行き届いていて、かつ物々しい守衛まで置いているのはマクイーン公爵ぐらいのものだ。
「エヴァンズ王太子殿下のご婚約者でアイシラ様とその護衛のミリアと申します。内密の重要な案件です。お目通りを」
自分よりはるかに長身の守衛にミリアがささやくように言う。ミリアは山猫を象ったお面で風貌を隠している。
守衛が一切の表情を浮かべず、黙ったままミリアと自分を見下ろす。もう少し詳しく用件を、ということだろう。
マクイーン公爵が直接統括する正規軍こそ腐敗と賂の温床だが、当のマクイーン公爵の周辺は実にしっかりしている。まるで、軍隊だけを腐らせるだけ腐らせることが目的であるかのように見えるほどだった。
「例のものを1冊、手に入れました、と。このように取り次いで頂ければ伝わるかと思います」
ため息をついてアイシラは言った。
大事なのは単位である。
1冊、ということで『聖騎士の教練書』のことだとマクイーン公爵にも伝わるだろう。
アンセルスとミリアが命懸けで捜してきてくれた『聖騎士の教練書』、最初の1冊だけでもよく見つけてきてくれたものだ。
聞けば予定と違ってセニアは留守だったという。それでも召使いや侍女を騙して、直接セニアの部屋を探すという機転まで利かせてくれた。
「しっかりと、あなた達の働きに報いないといけないわね」
待たされている間に、アイシラは薄く微笑んで告げる。守衛のもう一人が取次に屋敷の中へと向かった。
「アイシラ様」
ミリアが涙ぐんでいるようだ。山猫の面の奥で覗く瞳が揺れた。
間もなくスーツ姿の男が駆けてくる。
「大変、申し訳ありません。守衛のものは気が利かず」
慌てた様子で初老の執事が頭を下げる。アイシラとも見知った間柄だ。
むしろ適切な対応だったとアイシラは思っている。それだけ『聖騎士の教練書』にマクイーン公爵が執着しているのだろう。
「いえ、守衛としては当然の対応でしたわ」
アイシラだからと無条件で通してしまうほうがおかしい。自分も何かの罠かと勘繰ってしまう。
「では、公爵閣下がお待ちです。ご案内致します」
丁重な仕草で誘導する執事に従い、アイシラとミリアは屋敷へと足を踏み入れる。
対応をみる限りでは今のところ、『聖騎士の教練書』を渡す相手にマクイーン公爵を選んだのは正解である、とアイシラには思えていた。
(殿下に渡すという選択肢もあったけど。あとはセニア様に素知らぬ顔で返して恩を売るって手も。私がずっと隠し持っておくというのも考えたのよね)
アイシラは考えのいくつかを思い返していた。
結局、アンセルスとミリアの骨折りに報いることを第一としたのだ。アイシラ自身にとっては『聖騎士の教練書』などどうでも良かった。幻術に関する書物ならば欲しかったのだが。
アンセルスもミリアも自らの幻術で勝ち取った仲間だ。家族とは違った意味での愛着があった。
そもそもマクイーン公爵に言われて探し始めたのだから、本来の目的通りにするのが1番良いはずだ。
巨大な木製扉の前に着く。
「では」
扉を少しだけ開けて、執事が立ち去ってしまう。
全開にして欲しいところだったが。パチパチと何やら中から音がする。
ミリアが用心しながら扉を開けきった。
部屋の中心、執務机を挟んだ向こう側に小肥りの男が椅子に埋もれるように座っている。音の正体は火のついた暖炉であった。
小柄な男であり、背丈は10代なかばの少年かと見間違うほど。つやのある色白肌、少なくなった髪の毛は灰色だ。目がギョロリと大きく、口が横に広い異相である。
いつも体の前で右手と左手を合わせて、絶えず動かしている。頭の多い怪物などをいつもアイシラは連想してしまう。
「聖騎士の教練書とやらを」
座ったまま、挨拶もなしにマクイーン公爵が告げた。
黙ってアイシラは黒い冊子の教練書を渡す。
マクイーン公爵が座ったまま受け取り、パラパラと中身を確認した。間違いない。
立ち上がって、フン、と鼻を鳴らすと、火をくべてある暖炉に教練書を投げ捨てた。
「なっ」
色をなすミリアをアイシラは手で制した。
「なにかご不満でも?」
静かな声でアイシラはマクイーン公爵に尋ねた。偽物だったのか。内心では冷や汗をかいている。顔には出せない。マクイーン公爵は、人の心の揺らぎを実にうまく利用するのだ。
「いや、これが目的だった」
火箸で念入りに、教練書を灰にしながらマクイーン公爵が答えた。
「わし、自らの手で灰にしてやるつもりだった」
覗き込んでいたマクイーン公爵が、暖炉から顔を上げた。
「よくやった」
至極、真面目な顔で、ミリアと自分をねぎらってくれた。
あまり嬉しくはない。ミリアも何も言わなかった。
「私が燃やした幻術を見せただけかも、とは思われませんか?」
あえてアイシラは尋ねてみた。
「こういうものに、興味がある女ではないだろう。お前は」
椅子に戻り、薄く笑って、マクイーン公爵が言う。
「幻術にしか興味がなく、愛着もわずかに肉親にあるだけだ」
実に正確に、アイシラという人間をマクイーン公爵も把握しているのであった。
「そのとおりですが、閣下を騙せるのか、は興味がありますわ」
アイシラも笑みを返した。
「エヴァンズという玩具にまだ飽きてはいないだろう?」
そのとおりである。まだ、余計なことをするわけにもいかないのであった。
「いくつか、聞きたい。まず、どこにあった?」
マクイーン公爵が鋭い口調で尋ねる。別の生き物のように蠢く指が気持ち悪い。
「聖騎士セニアの書斎です」
アイシラに代わり、ミリアが答えた。硬い声である。
「どうやって見つけた?」
ギョルン、とマクイーン公爵の目がミリアを捉えた。
「あ、当たりをつけたのです。そして侵入して直接探しました」
たじろいで一歩退がりつつ、ミリアが答えた。
「フン、優秀だな」
マクイーン公爵が鼻を鳴らして褒める。
褒められても、まったく嬉しくないであろうミリアを思い、アイシラは苦笑した。
「しかし、そのやり方では、他の冊子は見つからなかったのだろう?」
不気味な見た目と裏腹に、マクイーン公爵の頭の回転はかなり速い。
「え、はい、申し訳ありません」
ミリアが頭を下げる。
「何冊あるかご存知なのですか?」
アイシラは口を挟んだ。
「知らん。だが、私の知っている技がなかった。あれは入門編とでも言うべきものだろう」
忌々しげに灰を見て、マクイーン公爵が言う。
「だが、本当によくやった。一冊目の入門編がなければ、続きを読んでも理解は出来んわけだからな」
すぐにまた、満足げな顔を見せる。見たいものでもない。
数年来の付き合いだが、これほど感情を見せてくるマクイーン公爵は、アイシラにも初めてだ。
「聖騎士セニアは、一冊目の内容を既に修得しているのでは?」
アイシラはマクイーン公爵に質問をぶつけてみた。無防備に晒していたのはもう必要がなくなったからではないか。
ミリアが耐えかねて首を横に振る。話を切り上げたくてしょうがないようだ。
「つまり、セニアが死ねば、もう誰も聖騎士にはなれない、ということだ」
上機嫌な調子を崩さずにマクイーン公爵が言う。
「分かっただろう。どれだけ大きい功績を自分たちが成したのか。何か見返りは求めないのか?」
ようやく、アイシラのほしい話題をマクイーン公爵が発してくれた。
「戸籍を」
何も答えないミリアに代わり、アイシラは言った。
マクイーン公爵が面白がる顔をする。
「アイシラ様?」
ミリアが怪訝そうな声を発する。面のせいで表情はよく見えない。
「アンセルスとミリアは皇太子エヴァンズの中では死んだことになっています。2人に、いざというときのため、新しい偽の戸籍を作ってあげていただけますか?」
アイシラにしてみれば、直接、苦労をした2人が受けるべき当然の権利だ。
「アイシラ様っ」
感極まった声でミリアが言う。
「いいだろう。それくらい、私には簡単なことだ」
鷹揚にマクイーン公爵が頷いた。
(そうでしょうね、もっとふっかけても良かったかしら)
アイシラは、首を傾げて笑みを浮かべるのであった。
いつもお世話になります。日々、閲覧頂いたり、応援、感想頂けたりすること、本当に有り難くて、かけがえのないことと思っています。
今回はアイシラ嬢の話を描かせて頂きました。マクイーン公爵を描きたかった私の意図が透けて見えていたかもしれませんが(汗)当作品きっての怪人物だと勝手に思っております。実はかなり気に入っているのですが、世間には需要なさそうで(笑)いかがだったでしょうか。
そして、今後とも宜しくお願い致します。




