60 ドレシアの魔塔〜第5階層3
「あぁっ、ゴドヴァンさんっ!」
またしてもルフィナが悲痛な声を上げる。今までにもゴドヴァンが負傷するたび、何度も聞いてきた声だが、今回は特に悲痛だ。
(まずいな)
シェルダンも申し訳なく思った。
ルフィナの絶叫も無理はない。大剣で受けようとして、力負けしたゴドヴァンが爪で切り裂かれて血しぶきをあげている。そして倒れた。
「くそっ」
必死で飛刀を投げ続け、援護していたペイドランも、短剣を全て使い切ってしまったようだ。やむを得ず、決して得意ではない、支給されていた片刃剣を抜く。
「近づき過ぎるなよ」
すかさずシェルダンは念を押す。この部下は接近戦が得意ではないのだ。
「分かった、シェルダンの言う賭けに出よう」
クリフォードが言い、魔力を練り上げ始めた。中空に赤い円陣が浮かぶ。ただし、今までのものより遥かに大きい。ほとばしる魔力が熱気を発して肌を打つ。
「ああっ、ゴドヴァンさん!ゴドヴァンさんっ」
ルフィナが半狂乱で前衛のゴドヴァンに駆け寄ろうとする。セニアが必死で押さえつけていた。ペイドランも主であるルフィナのほうが心配なのか、ケルベロスに立ち向かうことなく退がってきた。
ゴドヴァンにいま、駆け寄るのは危険だ。ケルベロスのほうから近づいてきている状況である。
「では、手筈通りに」
シェルダンも駆け出しながら、上着をたくし上げて鎖を解いた。更に腰につけたポーチの中身と結着させる。
射程に捉えた。
ケルベロスの頭を1つ、不意討ち気味に叩き砕く。
再生する間を与えず、もう1つの頭に同じ得物を叩きつけて潰す。
「あの武器は?」
後方ではセニアが呆然として呟いている。
(何を呆けているのか、まったく)
鎖の両端に魔石を混ぜ込んだ鉄球を括り付けた武器。
流星鎚という。鉄球は人の頭ほどもあり、遠心力とシェルダンの身体強化を乗せた一撃は鎖分銅の比ではない。ただし、ケルベロスの頭も大きく、額に直撃させねばならないのだが。
「すごい」
セニアが鎖の風を切る音に圧倒されたかのようにこぼす。
最古の魔塔でも使った代物だ。先のラクーンマジシャンとの対決で久しぶりに使用した。変則的な動きに、さしものラクーンマジシャンも障壁が間に合わず、ひしゃげたのである。
(やはり俺はこれだ)
少しずつケルベロスを圧倒して、後ずらせ、元の位置にまで戻した。
倒れていたゴドヴァンの身体が視界の隅でピクリと動く。胸もかすかに上下している。
「ペイドランッ、ゴドヴァン様をルフィナ様の元へ!まだ息がある」
喜びつつも怒鳴り、シェルダンは目まぐるしく流星鎚を最前線で叩きつける。また一歩、奥の方へとケルベロスを押し戻した。
小柄なペイドランが力を振り絞ってゴドヴァンの巨体を運んでいく。
ひどく焦って這うように、ルフィナがゴドヴァンの身体に縋り付き、ひときわ強い回復の光を放つ。みるみる傷が塞がっていく。愛情の賜だろうか。ゴドヴァンも一命を取り止めるだろう。
ただ、いよいよこれでルフィナの魔力も尽きて、本当に後がなくなった。
(怪我をするつもりもない)
シェルダンは2つの鉄球を自在に操ってケルベロスの頭を潰していく。鉄球は3つ持ち歩いており、うち2つを着けていた。3つあるのは属性が違うからだ。炎、雷、氷、奇しくもケルベロスと同じ属性3つを使い分けていた。
(この3つなら、大概のものに対応できるからな)
合理性を突き詰めれば同じ結論に辿りつくことの一例だ。
更にシェルダンのように魔力持ちが魔力を乗せることでさらに威力が増す。
ただし、消耗も激しくなるのだが。
「真理の炎を解し」
クリフォードが高らかに詠唱を始める。あとはシェルダンには訳の分からない言葉だった。
いよいよ周りの空気が揺らめくような熱気が生じる。
眼の前のケルベロスに集中しなくてはならない。気を抜くと殺されるのは自分の方だ。
身体強化も長くはもたない。が、守りに回ろうものなら逆転されてしまうから、攻め続けるしかないのだった。
流星鎚の鉄球が何度もケルベロスの頭を叩き、砕く。
どれだけの時間が過ぎたのか。シェルダンにとっては長くとも実際はそうでもないのだろう。
「シェルダンッ!退がってくれ!」
クリフォードが叫ぶ。待ちに待った言葉だった。
術式が完成したようだ。背後から悍ましいほどの力を感じる。
ちょうど眼の前のケルベロスは、左右の首を潰して真ん中だけ残っている状態だ。
シェルダンは答えず、氷の鉄球を叩きつけ、真ん中の首を潰した。自分がいなくなっては、誰がケルベロスを引き付けておくというのか。
「私もろともで構いません。とっとと撃ってください」
シェルダンはケルベロスに対峙したまま、クリフォードに告げる。話している間にせっかく潰した真ん中が復活してしまう。
「しかし」
クリフォードがためらう。
「クリフォード殿下っ、ダメです!」
セニアも何やら言っている。
このまま、ケルベロスが大人しく逃してくれるとでも思うのだろうか。あるいは魔術の直撃を待ってくれるとでも。
シェルダンは3つの頭のうち左右の2つをたちどころに額を打って潰す。残った真ん中には、鎖を巻き付けて締め上げる。
愚図愚図していると、爪で切り裂かれて殺されてしまう。
「いいから撃てっ、俺を無駄死にさせるつもりですかっ」
シェルダンは、苦し紛れに繰り出される爪を避けながら怒鳴る。
負けは許されない戦いだ。
クリフォードにもよく分かっている。第4階層を攻略した際、自ら言っていたのだから。それに、ほとばしる魔力を長くは抑えていられないはずだ。
「くそっ、くそっ、止まらない。獄炎の剣っ!」
クリフォードの頭上に出現していた赤い円陣から、極大化された炎の剣が生じる。
ケルベロスを呑みこみ、全てを灼き尽くすかのよう。いかにケルベロスとて、焼失は避けられないだろう。
あとは、ケルベロスの露出した核を、セニアが閃光矢で射抜けば終わる。
(あぁ、カティア殿に会いたいな)
迫りくる炎の剣をケルベロスの頭の下から見つめて、シェルダンは思うのだった。




