46 ドレシアの魔塔〜第1階層1
魔塔を前にして、シェルダンは帯革をベルトの上から腰に巻いた。さらにベルトと帯革とを帯革留めで結着させる。
腰の左右と中央にそれぞれ1つずつ、合計3つのポーチがつく格好となった。ポーチの中身はずしりと重たい。
(あのとき以来か)
つい、シェルダンも感慨深くはなってしまうのだった。
あとはいつもどおり、黄土色の軍服にキャップ帽という出で立ちだ。ただ前腕には先日納品された、リュッグ考案の手袋を嵌めている。
「隊長、なんですか?その腰のやつは?」
ハンターが笑って尋ねてくる。力みを消すために雑談を向けてきたのだろう。
ルベントの街を出て、魔塔周辺の森に全軍で集結した。
シェルダンたち第7分隊を含む150名の軽装歩兵に、300名の重装歩兵。魔術師も50名ほど帯同する大部隊である。
「魔塔を上るに際して必要なものだ」
シェルダンは答えるに留めて、ハンター含めて他の誰にもそれ以上の追及を許さなかった。魔塔を見てから帯革を付けると決めている。儀式のようなものだった。
ペイドランと目が合う。地面に剣帯を敷いて、一本一本、短い剣を納めている。100本くらいは納められそうだ。他にも背嚢に多量の短剣を詰めてある。
(ペイドランも本気だ)
クリフォード第2皇子には今朝早く、ペイドランに使いをしてもらった。
魔塔へ上ること。次にペイドランを部下として同行させ、以後、軽装歩兵とすること。そしてシェルダンとペイドランの参加を一般には公表しないこと。最後に自分が戦死した場合には父母に200枚とカティアに100枚の金貨を支払うこと。合計3つの条件を呑むなら可能であると伝えさせた。
『呑むので参加してほしい』というのがクリフォードからの返答であったので、シェルダンは腰に帯革を巻いている。
全部隊集結し整列した。副将のシドマル伯爵が号令をかける。白髪交じりの老将だがよく通る声をしていて、所作も年齢の割に若々しい。
総大将であるクリフォード第2皇子が指揮台に上がり、聖騎士セニア、ゴドヴァンにルフィナの4人が全軍の前に立った。全軍が注目し、熱を帯びた不思議な沈黙が漂う。
クリフォードが口を開いた。
「ここにいる私、クリフォードと聖騎士セニア殿、更にゴドヴァン騎士団長に、治癒院の長であるルフィナ殿が魔塔上層の攻略に向かう。必ずや我々で魔塔の主を討ち、ドレシア唯一の魔塔を攻略してみせよう。我らがドレシア帝国を魔塔のない、完全に平和な国とし、我らが子々孫々に繁栄をもたらすのだ」
クリフォードの気迫が全軍にさらなる熱を与えた。
冷めた目で眺めているシェルダンに、おなじく冷めた目をしたペイドランがもの問いたげに視線を向ける。
自分とペイドランはあくまで秘匿で参加する手筈だ。
「では、武運を祈る!全軍、出撃だ!」
クリフォードが拳を天につきあげる。猛々しく炎を纏った拳だ。炎の魔術師が全軍を指揮しているというだけでも全体の士気はいや増しに増していく。
雄叫びをあげ、全軍で整然と隊伍を組んで入り口から魔塔へと入っていく。集団で闇に自ら身を投げるかのようだ。
シェルダンら第7分隊は先頭の軽装歩兵団50名の中に含まれる。
一旦下ってまた上る、暗い道を行く。入り口とはいえ油断はできない。出ようとする魔物と鉢合わせることもある。
闇を抜けて、第1階層の中へと至った。
柔らかい陽光のような光が降り注ぐ。
「やはり恵まれている方だな」
ポツリとシェルダンは呟いた。いきなり厳しい環境に放り込まれることも少なくない。
森と平原が四方、どこまでも広がる。牧歌的な光景だ。
「すげぇ」
ハンスが声を上げる。足を止めていて、圧倒されているようだ。ロウエンも呆然としていた。魔塔という言葉にそぐわない場所だ、とでも感じたのか。
「これが魔塔」
カディスですらキョロキョロと落ち着かない様子だ。
動じていないのはハンターとペイドランぐらいであった。リュッグに至っては腰を抜かしている。
「抜剣」
鋭い声音でシェルダンは指示を飛ばす。ハンターとペイドラン以外の隊員が一呼吸、遅れた。シェルダン自身はすでに抜き放っている。
気を抜いていて良いわけがない。ここは魔塔であり、自分たちは部隊の1番外側にいるのだから。
襲いかかってきたウルフを切り倒す。
「おらっ」
ハンターも1頭片付けている。
更にもう1頭。跳躍しているが、空中で絶命して地に落ちた。眉間と首に短い剣が2本、刺さっている。
飛刀だ。ペイドランの放ったものだろう。
「明るくとも気を抜くな。ここは魔塔だ。いくらでも横から魔物が湧いてくるものと思え」
シェルダンは低い声でカディス他3名を叱りつける。
ちなみにリュッグに至っては怯えて頭を抱えこんで縮こまっていた。軽く尻を蹴り飛ばしてやる。
「失礼しました」
すぐに冷静さを取り戻したカディスが蝙蝠型の魔物を斬り倒した。
遠くではサーペントが鎌首をもたげているのが見える。
立ち並ぶ木々よりも大きい魔物だが、攻撃魔法を浴びせられ、炎に包まれて絶命していた。他にもあちらこちらから剣戟の音が聞こえてくる。
シェルダンら第7分隊の付近でも戦闘が続く。
ただ、時折、重装歩兵や魔術師の部隊が調練も兼ねて駆除に入っているためか、魔物の数が割合に少なく、強敵もサーペントくらいのものだ。
一通り戦い、隊の皆の動きから硬さが取れたところで、頃合いだ、とシェルダンは判断した。
「カディス」
休憩のため、軍の隊形の内側へと移動した後、シェルダンは自らの副官に話しかけた。
「はい」
剣についた血を布で拭いつつ、カディスが近付いてきた。他の隊員たちも武具の手入れや水分補給など思い思いの方法で体を休めている。
ペイドランに至っては草地の上で大の字だ。あの体勢からネズミの魔物にも即応していたのだから大したものである。
「俺はペイドランを連れて、クリフォード皇子とともに魔塔の上層へ行く。ギリギリまで機密を守れと言われていた。5人で苦労をかけることになる。急にすまん」
シェルダンは申し訳無さを押し殺して淡々と伝えた。
本当は直前まで自分が決めなかったせいである。
カディスの端正な、姉そっくりの顔が驚きで強張った。
「しかし、隊長」
シェルダン不在の間、分隊の指揮権を執ることとなるのはカディスである。落ち着きを取り戻せば十分な実力と判断力を兼ね備えていた。
「一介の軽装歩兵の身では危険です。なんで急にそんな無茶な軍令を。姉がいきなり未亡人になってしまう」
既にカディスが十分に落ち着いていることをシェルダンは理解した。
「カティア殿と約束したから死ぬつもりはない。そしてまだ結婚はしていない」
シェルダンは硬い声で言い切ってやった。
「あ、まだ、と仰るのですね。良かったです」
カディスの更なる冗談も無視である。遠回しに『心置きなく戦ってこい』と言っているのだと解釈した。
「ペイドラン」
同行する部下を呼びつける。
音もなくペイドランが飛び起きて、側に寄ってきた。無駄に高度な身のこなしだ。
「隊長、それにクリフォード皇子殿下達は既にかなり奥まで進んでいるのでは?2人で追いつくのがそもそも危険ではないですか?」
カディスが今度はまっとうな心配をしてきた。
「これぐらいの魔塔なら容易い。むしろお前達の方こそ人数も減るんだから、十分に気をつけてくれ。みんな、死にたくない理由があるんだからな」
真面目な顔でシェルダンは告げた。自分が帰隊したときに全滅しました、あるいは、誰かが戦死していました、では余りに辛い。そういうつもりで発した言葉だったが、なぜだかペイドランがはっきりと顔を歪め、涙をこらえるような表情をする。
「分かりました。義弟として、そのつもりで無事に隊長たちの帰還を待ちます」
あくまで自分の調子を崩さないカディスに頼もしさを覚えつつ、シェルダンは苦笑させられてしまう。
一方で同行する予定のペイドランの表情は硬い。
「だから、気が早いっていうんだ。まったく」
シェルダンは畳んだ天幕と更に兵糧や水、香木などの必需品を背負って、ペイドランとともに隊を離れるのだった。




