41 幻術士2
「セニア様に尋ねてみるのはどうかしら?」
思案の末にアイシラは尋ねた。レナートが持っていたのであれば、現在はその娘のセニアが使っているという可能性が高い。
かつて物資の半額を支払われており、アンセルスにはセニアへの伝手があり、遺恨もなかったはずだ。
アンセルスとしては、現在アイシラに協力しており、そのアイシラが追い落とした格好のセニアに直接尋ねるという方法を思いつけなかったのだろう。
「成程。思いつきませんでした。お恥ずかしい。特に私に対して、セニア殿は用心しないでしょう。話向き次第では口を滑らせるかもしれません。いや、はやっ!すぐにそこを当たるべきでしたな」
アンセルスが日焼けした自らの禿頭をペチンと叩く。
奇怪な行動にミリアが顔をしかめている。
「では、早速ドレシアへと行って参ります。では」
一礼をしてアンセルスが退出した。
「私も顔を隠すものを準備してきます」
ミリアも直立してから小走りで立ち去っていく。
取り残されて独りアイシラは物思いに耽る。
アイシラの幻術は相手と長く濃い関係を築ければ築けるほど、相手の感じる現実味が増す。厳密には目があったときに、視覚を通じて魔力を注ぎ込んでいく。時間をかければ脳にまで至り、相手の感覚を深く操ることが出来る。
エヴァンズとは肉体関係まで結んでおり、アンセルスやミリアを斬った感触や血の匂いまで、エヴァンズ本人は感じたはずだ。
「愚かな人」
アイシラは呟く。
現在、エヴァンズはドレシア帝国との戦に向けて準備を進めている。「聖騎士セニアと聖剣を返還せよ」との要求を当然に拒まれたことに激怒したからだ。あまりに国力が違いすぎるというのは、アイシラにすら分かった。
(この国は今、かなり厳しいものね)
エヴァンズが言うには、ドレシア帝国側も魔塔攻略に取り掛かり、軍備が薄くなるのだそうだ。ただ、アイシラには自軍が弱いことが、相手の弱くなることで帳消しになるとは到底思えないのだが。
「戦争、私も経験してみたいわ」
ポツリと呟く。
アイシラの幻術は自身の経験したことのほうが、当然、経験していないことよりも精度が高い。だからこそ幻術のためにいろいろなことを経験してみたいという願望が昔から強かった。
幼い頃に、父をお金の幻で騙したときの罪悪感と喜んでくれたことへの嬉しさのないまぜになった感情。あれをまた、味わってみたい。
歴史上、幻術士など滅多にあらわれなかったらしい。何をどこまでやれるのかは全て手探りであり、だから楽しかった。他の火や風などの攻撃系の魔術は一切使えないが、一向にかまわない。別に誰かを攻撃したいわけではないからだ。
アイシラにとっては幻術を磨くのが生き甲斐であった。結果、あらゆる物事を幻術と結びつけて考えるようになったのだ。
「セニア様のお好きな魔塔も見てみたい」
もはやうっとりとしてアイシラは独りごちる。
エヴァンズとの事務的な激務も良かった。あの激務も自分は他人に経験させることが出来る。
男女の営みも、セニアを追い落とすためにエヴァンズと経験しておいた。そうでもしないと、ああも生々しい幻は見せられない。
「本当に自分の見たいものしか見ない人」
アイシラは半ば呆れながらエヴァンズを評価する。
ただ、今のところ、エヴァンズ以上に深く、アイシラの幻術に嵌まっている人間はいないのだった。アイシラとしては、エヴァンズが破滅する分には別に良いのだが、死なれると困る。
幻術を見せ、魔力を注ぐ機会が幾らでもあり、近くにいれば通常では得られない経験も見聞きできる、実に都合のいい相手だ。
(それにしても、私などのどこが良いのかしら。変な人)
エヴァンズは、絶世の美少女だったセニアを追い払ってまで、地味な容姿の自分と婚約してきた。そして今も毎夜、抱きに来る。セニアのことが余程嫌いだったらしい。自分自身の容姿については幻術を使ってなどいなかった。興味が湧かないからだ。
(なにせ、すぐにボロが出るに決まってるもの)
通常、アイシラの幻術は初見の相手の場合、視覚を多少誤魔化す程度のことしか出来ない。
例えば、最初に茶色の服で会ってから、幻術で緑色の服を見せてしまうと『何だ、これは』と幻術に気づかれる。つまり、記憶にまでは影響しない。
しかし、エヴァンズに同じことをしても『最初から緑色の服を着ていた』と勝手に思い込んでくれるのだ。魔力を注ぎすぎたのか若干、記憶能力をすら歪められているらしい。ただ、政務に関することなどは元々優秀だからか、つつがなくこなしている。
アイシラ自身もこのまま幻術をかけ続け、エヴァンズがどうなるかはさっぱり分からない。
だから面白いのだ。分かるまで、結果が出るまでは一緒にいようと思う。
「ふふふ、次はどんな幻をお見せしようかしら?」
苦しいもの、嬉しいもの、幸せなもの。
生活に支障のあるものから無いものまで。
(現実を見せる、というのも面白いかしら)
そのまま現実を複写して、極力、時差のないよう即時的に見せるのである。
自分にとっても技術を磨く、良い訓練になるのだが。ここまで来ると自分でも、エヴァンズに見せているのが幻なのか現実なのか分からなくなってくる。
「アイシラッ」
大声でエヴァンズが自分を呼んでいる。
丁度、ミリアを処断し、遺体の後片付けの幻覚までが終了したのだろう。慣れた相手にはそんなことも出来るのだ。
足音がどんどんと近付いてくる。幻術がらみの悪巧みやマクイーン公爵との秘密のやり取りもあるので、適当に口実をつけて、エヴァンズの部屋からも執務室からも離れた位置にしてもらってある。
続けてノックの音が元気よく響く。
「どうぞ」
アイシラは微笑んで告げた。
エヴァンズが部屋に入ってくる。美しい金髪に整った顔立ちの優男だ。惹かれたことはないが、とにかく見た目は美しい。
その見目麗しい男性が何も無いところで、布をめくりあげるような動作をした。エヴァンズの中では、アイシラの部屋はカーテンで二重に仕切られていることになっているからだ。意味のある幻術ではない。ただ、やってみただけだ。
存在しないカーテンをめくるエヴァンズを見て、アイシラは心の底から嬉しくなるのであった。
短いものの、一応、幻術士については書き上げになります。次はまたドレシア帝国に戻ります。




