12 侍女とのデート1
「隊長、私の姉に会ってやって頂けませんか?」
ある日の訓練終了後、軍営にて副官のカディスがシェルダンに打診してきた。当番制の警戒任務がない限り、シェルダンたち軽装歩兵は日中の訓練終了後に仕事はない。警戒任務は分隊が7つあるので本来なら7日に一回だ。
世間は、『元アスロック王国の聖騎士セニアが、ゴドヴァン騎士団長に敗れた』という話題で持ち切りだ。聖剣もゴドヴァンが扱うことになったという。
(全く、意地の悪い人だ)
シェルダンも週刊のゴシップ雑誌を読んで思うのだった。
一月前にセニア本人と対談し、危ういものを感じ、幻滅したシェルダンとしては、特に驚くことでも何でもない。国を追い出されて、どこか焦るような、地に足のついていないような印象を受けたのだ。
(やはり、勝てるわけも無かったな)
そして現在、世間が落ち着かない中、冷静さを評価していた副官が、自分に対して、自らの姉に会えと言っている。
「何?」
シェルダンはたっぷりと間を取った挙げ句、訊き返してしまう。
他の隊員たちは思い思いに帰宅の準備を進めている時間帯だろう。近くには誰もおらず、自分とカディスの話を誰かに聞かれている心配もない。
「私の姉に会ってやって頂きたいのですが。日時は3日後、訓練のない隊長の労休日の正午に。ルベント中央噴水広場で待ち合わせ。その後は観劇や買い物に付き合ってやってほしいのです」
まるで訓練日程を詰めるような口調でカディスが説明する。
シェルダンは頭を抱えたくなった。
「ちょっと待ってくれ。さっきからお前は、会ってやってほしいとか。自分の姉を何だと思っているんだ?」
他にも指摘したいことはいくらでもあるが、まずシェルダンが気にしたのはカディスの言葉遣いである。
「会いたいと言っているのは姉の方ですから」
カディスが表情一つ変えずに言い放つ。妙な迫力がある。
もしかすると自分の姉に怒っているのだろうか。
「観劇の場所や演目から、買い物をすべき店まで、なぜか全て私が選ばされて。更に当日の隊長の服装は軍服は厳禁、シェルダン隊長が思いつけないようなら母上から見繕ってもらうよう進言せよと。それ以外にもいくつかの伝言を漏れなく告げろと。上司である隊長に。私でなくとも多少、思うところが出てくるかと思いますが?」
冷静な顔の表側とは裏腹にカディスが実のところ、だいぶ立腹していることがシェルダンにも伝わってきた。
「あー、姉上はご年齢は近いのかな?」
シェルダンはとりあえず話題をそらしてカディスの怒りを和らげようと試みた。
「双子なのですよ。それなのに昔から何かあると顎で使うのです。あー、確か悪い情報は一切伏せよとも言われていたのでした。つい、つい、つい失念してしまいましたが」
作戦は失敗し、カディスの怒りが増しただけであった。
ただ、そもそもなぜカディスの姉が自分などに会いたいというのか。聞いている限りどう考えてもデートの誘いである。
「で、隊長、姉に会ってやって頂けますか?」
嫌だとは言えない圧力を感じさせて、カディスが最終判断を迫ってくる。
「だが、お前の姉上ということは子爵令嬢でいらっしゃるのだろう?」
精一杯の抵抗をシェルダンは試みる。
身分が違う、ということで諦めてもらおうと思った。今回は自分が下の身分なのだから失礼には当たらないだろう。
しかし、カディスから帰ってきたのは軽蔑の眼差しである。
「隊長、今般のドレシア帝国においては、身分違いを理由に女性からの誘いを断ることは、男児として、最高にダサいこととされておりますが。相手の方をとても傷つける言葉なのです。そうされますか?」
ドレシア帝国のマナーや価値観を持ち出されると、シェルダンも弱い。
「あぁ、分かった、すまない。慎んで。ぜひこちらこそお願いします、と伝えてくれ」
シェルダンの回答を受けて、カディスがひどく安堵したような表情を浮かべた。何か引っかかる反応だったが、もうどうしようもない。
3日後の労休日、シェルダンは紺色のシャツに黒いスラックスズボンという出で立ちでルベント中央噴水広場にいた。朝から、母のマリエルと、ああでもない、こうでもないと選んだ末の服装である。
周囲を歩く若い男女の恋人たちを見るにつけて、シェルダンはひどく不似合いなことをさせられている気がした。また、どんな女性が来るかも分からず緊張もしている。
ぼんやりと噴水広場の石畳を眺めていた。白くきれいに切り揃えられた石畳である。全体に石畳舗装されたルベントの街にあって一際美しい場所だ。
「シェルダン様?」
声をかけられて振り返ると、セニアのところにいた侍女のカティアが立っている。先日の黒いお仕着せ姿ではなく、白い襟元にレースをあしらったブラウスに、紺色のひだのついたロングスカートという私服姿だ。服の袖から覗く手足の肌は透けるように白く、切れ長の瞳が涼し気な印象を与える。
「あ、セニア様の侍女殿。ご無沙汰しております」
シェルダンは挨拶して頭を下げた。カティアには自決するところを制止してもらった恩がある。
「お待たせしてしまったかしら?」
カティアが頬に左手を当てて首を傾げる。
挨拶への返しが何かおかしい。
「あら、カディスから何も聞いていないのかしら。私、あなたの副官カディスの姉で、セニア様の侍女のカティアと申します」
改めて名乗り、カティアが優雅な仕草で頭を下げた。
当然、何も聞かされていない。呆気にとられてしまい、シェルダンはとっさにうまい返事を思いつけなかった。
「ちゃんと、釘を差して置いてよかったわ。シェルダン様なら、デートにも軍服を着て来かねないって思っていたから」
シェルダンの頭のてっぺんからつま先までを眺めてから、カティアが満足気に言う。
戸惑いを隠せない。私服姿のカティアは本当に美しく、男女問わず人目を集めてしまっている。シェルダンごとき下級の軽装歩兵が逢引して良い相手とは思えなかった。
「カティア殿。しかし、なぜ私ごときと?」
シェルダンは楽しそうな様子のカティアに恐る恐る尋ねた。
「親しくなりたかったかって?真面目な方だというのはよく分かったし。カディスから信用できる良い方だって聞いていたからよ。これだけじゃ誘う理由としては不十分かしら?」
カティアが微笑んで訊き返す。
「いや、それぐらいならばカティア殿ほどのお美しい方には掃いて捨てるほど候補がいるのでは」
不十分である。何かカティアが気の迷いを抱いているとしか思えなかった。
「お上手ね。でもそうね。私、なよなよした貴族やら何やらより、シェルダン様みたいに強くて頼れる方がいいの。聖騎士セニア様を倒してしまうくらいなんだから、隠れ優良物件だわ」
カティアが嬉しそうに笑い声をあげた。
セニアに先日勝利したのは実力ではなく、だまし討ちである。シェルダンとしては誇れる勝利ではないのだった。
「私ごときがそのような優良物件とも思えませんが」
万一、カティアのような貴族令嬢と縁を結ぼうものなら母のマリエルと父のレイダンがどのように反応することか。シェルダンの知る限り、貴族と縁を結んだビーズリー家の男児はいない。
一族初の快挙だといって狂喜乱舞し、一族を全て呼び集め祝祭を開いてしまうだろう。ビーズリー家はみな酒癖が悪い。特に言葉の遠慮がなくなる。優雅なカティアにどんなことを言い出すかもわからない。
親戚を理由に即座に離婚されかねなかった。自分自身もうだつのあがらない、軽装歩兵の分隊長に過ぎない。
(まぁ、俺なんか心配するまでもなく、今日すぐに振られて終わるか)
シェルダンは結論づけた。カティアのように美しく若い女性がいつまでも自分に執心するわけもない。せいぜい今日、失礼のないようにすればいい。
「それともシェルダン様のお眼鏡には私がかなわないのかしら。あと、身分違いを理由に誘いを拒むのはうちの国では最高にダサいことだけど」
カディスと同じことを言っている。やはり双子は双子なのだろう。
「ダサい男にはなりたくありませんね。では、謹んで。本日は宜しくお願い致します」
シェルダンは自然と笑みを浮かべてしまった。
「えぇ、喜んで、お願いしますね」
手を取り合って二人はルベント中央噴水広場を後にした。




