第30話 夢の終わり 第5位
――奪い、殺し、侵し、犯し、だからこそ、尊く、だからこそ、不要。世界はありのままでいい。
バルバレス・ダッカ-ド。始まりの精霊騎士第5位。戦いの中で生きるが故に、ただのたれ死んだ男。
旅は終わった。彼らの長い旅は、村から出た男たちは最初は12人。帰ってきたのは、5人。たった5人。
帰ってこれなかった者は全員死んだ。帰ってきた彼らも、生きてはいるが、半分は死んでいた。心が死んでいた。
旅立ちの日に笑顔で、希望を語っていたアークトッシュの顔は、妻が死んだせいか、それとも世界の腐りきった部分を大量にみたせいか、彼は、もはや笑うことは無かった。
アークトッシュの息子であるアトレイオもまた、旅立つ前とは別の顔をしている。大人になったということだろうか、彼は悲壮感すら漂わせるようになっていた。
他の友人たちも、疲れ切っていた。アークトッシュが村へ帰ろうと言い出した時、彼らの長い長い旅は終わりを告げたのだ。
略奪者の抹殺、蛮族の軍勢との激突、世界を闊歩する剣士集団との決戦、精霊竜を駆る戦士たちとの邂逅、世界の終焉を告げる災厄の日、そして、神を目指した男との決戦。
全ては過去、彼らの数十年における戦いの数々は、後に伝説となる戦いの数々は、彼らをすり減らすには十分で。
結局、始まったところへと彼らは戻ってきた。始まりの村、彼らが着くと、そこはすでに荒野となっていたが、結局、報復に行く体力すら彼らにはなかった。
何もない荒野で、彼らは木を集め、布を織り、村を少しずつ復興させていく。知らぬ間に村人が増え、村はだんだん元の姿に戻っていった。
彼は、バルバレスは、その光景に何か物足りなさを感じていた。あれだけの旅をして、あれだけの戦いを潜り抜けて、得たモノは元の場所。
それは、あまりにも、あまりにも、虚しすぎる。
その村ではアークトッシュはよく村人を集めて、幸せとは何だろうと問いかけていた。幸せを得るために旅立って、息子以外の幸せの全てを失った男がそれを知りたがるのは当然のことだろう。
変えようとして、変えられてしまった男の末路。バルバレスは旅立つ前のアークトッシュが好きだった。人を引っ張り、誰しも笑顔にしてしまう彼が好きだった。だからこそ、抜け殻のようになってしまった彼を見続けることはできなかったのだろうか。
ある日、彼は旅に出た。書置きだけを残し、一人で剣だけを持って。目的地は無い。皆と歩いた道を、もう一度歩きたくなったのだ。
そして、気づく。何も変わっていないことに。
皆が必死に略奪者から救った町は、次の略奪者に襲われていて。
民を苦しめていた領主を追放し、平和を得た村々は、帰ってきた領主によってまた苦しめられていて。
仲間の亡骸を埋めて、友の剣を墓標にした場所は、剣が盗まれていたことで見つけることができず。
蛮族から自らを守らせるために、民たちに武器の扱いを教えた町では、民が武器を同じ民に向けて。
なんだこれは。無意味とはこのことではないか。バルバレスは、心の底から絶望した。
数十年の旅は数十年の間に無意味になっていた。バルバレスは、心の底から絶望した。
そして、彼は、選び取った。それは――悪の道。彼は、悪となったのだ。
町民、蛮族、剣士、戦士、全てから奪い、そして全てを殺す対象とした。それは、自らのがあれほど憎んだ悪の道に他ならず。言い訳のしようがないほどの邪悪で。
それ故に、彼は、ただのたれ死んだのだ。他愛のない蛮族に不意を突かれて。あっけなく彼は死んだ。
最低の人生、彼は何も成し遂げられず、ただただ絶望して、死んでいったのだ。
「世界を変えようとするということは、何とも、不自然。だからこそありのまま、ありのままだ。奪いたければ奪え、殺したければ殺せ、それこそが、美しさ。それこそが、在りかた」
右手に幅広の剣。左手に盾。基本に忠実な、歩兵としての装備をした筋骨隆々の男が石像立ち並ぶ領域に立つ。虚ろな眼で、全てを失った眼で。
短く刈りあげた頭、傷だらけの身体。疲れ切った顔で、彼は叫ぶ。
「ありのままだ! 世界は変わらない! 変えたいと思ってもいけない! わかれ! わかってくれ! 騎士など無意味なのだ!」
大きな声で叫ぶ。彼の声は、領域に虚しく響くだけだったが、それを真正面で受け止める騎士がいた。
ヴィック・ザイノトル。精霊騎士第8位。いつもと違う、完全に戦う装備で彼はそこに立つ。
腰に剣、両腕に小さな弓、背に火砲、そして首に下げる精霊の石。
そしてもう一人、細い剣を持つ男、精霊騎士第9位、ハイド・ベルクード。
「ザイノトル卿、たぶんだけど、あれ強いよね」
「はい」
「今の精霊騎士の5位から上ってもはや騎士とか人とか言ってはいけない強さになるけど、昔もそうだったのかな。まぁ相手の順位とか知らないけど……でも残ってる人数から5番以内は確率高いだろ?」
「はい」
「リンドール卿は何とかなるか? いやでも……なぁ」
「ベルクード卿」
「なんだい?」
「同時に参りましょう。さもなくば、殺されかねません」
「そうだねぇ。出し惜しみなしで行こうか。身体、もつかな……いやもたせる!」
二人は剣を構える。ヴィックはそれを天高く掲げ、ハイドはそれを身体の前で構える。
ヴィックは光りに包まれ、ハイドは水に包まれる。
それらが弾けると共に、彼らは鎧姿となった。白い鎧のヴィックと、深い青のハイド。背には深紅のマント。
彼らは鎧化を果たした。全力で目の前の敵を倒すために、それをバルバレスはただ見ていた。
「ふ、フハハハ! 何とも足掻く! 足掻く! 力とは何だ? 魂結晶? 精霊の鎧? それで何が救える? 何が倒せる?」
鎧も着ずにバルバレスは腰を落とした。盾を前に着きだし、剣を引き、構える。その姿は一つの隙も無く、攻めようがないと、対峙する二人に印象付ける。
「さぁ、来るがいいさ。私を殺して見せろ。あの名もなき男たちのように、私をただ虫けらのように殺してみせろ」
その威圧感は、精霊騎士の称号を持つ二人にとっても、ビリビリと感じるものだった。それを押し込むように、ヴィックとハイドは進みだした。
ヴィックの腕に装備された弓から矢が放たれる。そこまで威力の無い矢。当然のようにバルバレスはそれを盾で防ぐ。
「……ベルクード卿」
「わかった。付き合うよ」
「無理させます」
「いいさ」
ヴィックの鎧は光り輝く。その輝きのままに、彼は飛ぶ。圧倒的速さで。
ハイドは水と共に、身体を霞にして、消え去った。
「所詮はそうだ。変えれるモノなど、ほとんどないのだ。全てを変えるのは時であり、人ではないのだ、今の世もそうだ」
バルバレスは盾を構えながら、少し左に動く。盾は光を遮り、そして遅れて金属のぶつかる音が鳴り響いた。
「だが、全てを滅ぼすのもまた、人だ。災厄? 人が精霊を生み出さなければ、そんなものは起こらなかっただろう?」
霞の中から振り下ろされた剣は、ハルバレスの剣によって受け止められた。
「悪とは何だ。正義とは。考えれば考えるほど、それは矛盾を産む」
バルバレスは剣を振り下ろした。その剣は、空中で止まる。現れたのは青い鎧を着たハイド。彼は、腕を振るわせて、それを必死に止めていた。
「だから、考える必要はない! その時その時変わるというならば、変わればいいさ! 立場が変わるというならば、変わればいいさ! 世界を変えるのは人でも時間でもない! 自分自身だ! 自分の眼が全てだ! さぁどうした!? 滅ぼされたくなければ、変えてみせろ!」
ハイドの力は、バルバレスの力の前になすすべなく押し込まれていく。歯を食いしばり、彼は耐える。
光が走った。ガンガンと、それはハルバレスの盾に打ち付けられる。それを意にも返さず、彼はハイドを押し込んでいった。
「や、ぐ、おおお……!?」
耐えきれず、ハイドの声が漏れる。そのさわやかな顔はもはや歪みに歪み、今にも押しつぶされようとしていた。
「あぐおおお……ライアノック卿、さすがに無理だぁ……!」
「フハハハ! はっ?」
そしてバルバレスの盾は、音も無く崩れ去った。粉々に砕けて、破片となって、まるで最初からそうであったかのようにバラバラに崩れる。
「……ほぅ」
バルバレスは、一瞬のうちに赤い鎧を身に纏った。それは禍々しくて、まるで野獣のような姿。
ハイドを蹴り飛ばし、彼は、その場から飛びのく。光が彼がいた場所に走る。
「ロンドだけかと思ったが、そうか、光か。重ねて壊すか。難しい技術だが、できるものだな」
バルバレスが見た先には、光から鎧姿、そして生身へと転がりながら姿を変えていくヴィックがいた。数回転がり、ついには止まり、彼はその場で動かなくなる。
「はぁはぁはぁ……この技は、身体の負担が……ベルクード卿!」
「盾を壊してくれてありがとう。あとはなんとか……できないだろうなぁ。ごほっ」
ゆっくりと迫るバルバレス。ハイドは咳き込みつつも、剣を構えそれに対峙した。
戦えば負けは確実という状況で、彼は必死に考える。一人で倒すすべを、生き残る術を。
振り下ろされる幅広の剣。バルバレスの一撃は、当たれば鎧化したと言えどもそれを容易く砕くだろう。
それはハイドを斬り裂いたかにみえたが、斬ったのは霞。ゆらりと消えるそのハイドの像に、バルバレスは眉一つ動かすことなく立っていた。
「やはり水の属性は面倒だ。だが、小細工よ。それでは死期を多少延ばすだけだぞ? いいのか?」
「……ああーくそ。すまない、僕にはこれしか倒す術が思いつかなかった。本当にすまない」
「何をいう? お前は……む?」
バルバレスは、膝をついた。全く膝をつくようなダメージは無かったが、それでも彼は膝をついた。
ぷるぷると彼は震える。自分でも何が起こってるのかはっきりわかってないのだろうか、バルバレスは震えていた。
「こ、この感覚……まさか、まさか、まさか」
「はぁはぁ……ごほごほっ、すまない、霧状にして、撒かせてもらった。毒だ。致死量はかなりの量だが、それでも、嗅げば体の自由を奪うやつだ」
「何だと……馬鹿な、私は、毒、毒はまずい……ごはっ!」
彼は血を吐いた。盛大に、赤く、黄金色の血は地面にぶちまけられる。それをみて、ハイドは違和感を感じていた。
「こ、ここまで効果はないはずだけど……もしかして……君、耐性がないのかい?」
「く、くそっ、まさか、アガレストの毒っ……!? よりによってかっ……!?」
「ああ……そうか、君」
「ば、ばかな、またもや毒殺だと……!? う、うごおおお! 何故だ! 何故、私は、こんな! アーク! お前は何故私を私のままで! あ、ごお……」
大きく、彼は身体を跳ねさせた。そして、彼はそのまま動かなくなった。
「アガレストの民か……どんな強くても、弱点ってのは、あるもんだね……奇跡的だけど。まぁ、ラッキーってやつかな」
結局のところ、バルバレスは悪だった。だから彼は裁かれる。奇跡と言う名の必然に。
例えその歩みが無駄だったとしても、無駄だと判断するのは、自分。無駄じゃないと信じれなかった男の末路は毒殺だった。今も、昔も。それは、裁き。ある毒にだけ敏感に反応する特異体質として生まれたことが、彼の運命を決定づけていたのだ。
――変えたいなら、最初っから変えろ。さもなくば、変えることなどできやしないのだ。




