第29話 夢の終わり 第6位
――くだらないと言ってのけれるお前は、くだらなくないのか?
ディリス・バンデッタ。始まりの精霊騎士第6位にして、世界唯一の武器を持たない騎士。
剣技とはまた違う、彼独特の格闘術。練りに練られたその技は、一撃喰らえば意識が飛び、ニ撃喰らえば命が飛ぶ。世界最速の拳。
彼は、戦いが好きだった。命のやり取りが好きだった。言葉にはしなかったが、彼にとって蛮族蔓延り、野獣が闊歩するその暗黒の世界は、まるで遊び場のようで。
何年も何年も、彼は戦い続けた。ありとあらゆる巨大な悪を殴り倒し、ありとあらゆる未熟な正義を打ち砕いてきた。
彼がその村にやってきたのは、単純に力試し。命をかけた力試し。その村は、強い剣士がいるということで有名になっていたから、彼はそれをあてにして村へとやってきた。
拳と剣、当たり前のように、拳などで剣に立ち向かうことなどできない。圧倒的に不利。
だが彼は負けなかった。次々と村の手練れを倒していく。何人倒しただろうか。両手を真っ赤に染めて、彼はこんなものかと落胆し、その村を立ち去ろうとした。
だが一人の男が彼の前に立つ。槍のように長い柄と、巨大な剣を穂先につけた大きな大きな武器を持ち黄金の翼を背にした男が彼の前に立った。
その巨大な武器をまるで棒切れのように振り回す男。その戦いは半日続いたが、結局彼は巨大な武器の前に膝を付いた。
この程度で極めた気になってるんじゃないと、その男は言う。あざだらけの顔で。
彼はその日から、その村で修行することにした。男の友人たちと共に、来る日も来る日も修行した。
そして、彼らは旅に出る。世界を救う旅に。
様々な敵がいた。負けたことも一度や二度ではない。死にかけたこともある。
ある日、彼は敵に捕らえられた仲間を救うために、一芝居うった。仲間を裏切ったふりをして、彼は敵地に侵入する。最初は、当然のように、それは成功すると思っていた。
仲間を救うために敵に加担した。町を焼いたこともある。人を殺したこともある。全ては仲間を救うために。
だがその行動は、芝居であったとしてもその行動は、ただの裏切り行為以外の何物でもないのだ。実際に彼に殺された者は、彼を許しはしないだろう。
結局、救うはずだった仲間は見つけた時には死んでいた。残ったものは蛮族たちと共に悪逆を繰り返したという事実のみ。
だから彼は戦わなければならなかった。もはや時計の針は戻らない。自分がしてしまったことは、裁かれなければならない。もう二度と精霊騎士と名乗ることは無い。
ついに彼は友人たちと対峙する。涙を流しながら彼を説得しようとする者もいた。ただ無言で剣を抜いた者もいた。
妻を亡くしてすぐのアークトッシュは、彼にその怒りをぶつける。抜かれる剣。構える彼。戦いで彼は命を捨てる気だったが、謝罪する気はなかった。その証拠に、友人たちと戦う時は一つの手加減もしていなかったのだ。
結果として、彼は一刀で斬り殺された。一つの謝罪も無く、一つの言い訳も無く、ただ彼は友に怒りのまま斬り殺されるのだった。
結果として、救われたのはたぶん――ディリスの方なんだろう。
「うむ、いいな。確かに未熟だが、それでも尚、意志がある。素晴らしき鍛錬だ。感服したぞ」
両の拳をガンと胸の前で打ち付け、ディリスは感心したような顔を見せる。
彼の眼に前にいるのは、槍を杖に、足を震わせる男、精霊騎士第11位、ダンフィル・ロードフィル。
ダンフィルは下を向く。重力に沿って、口から血が地面へとしたたり落ちた。
「ふ、ふざけんな……! 何だよこれ、ありえねぇ……素手なのに、槍で傷すらおわせられねぇ……冗談じゃねぇぞこれ」
震える足を、強引に止め、何とかダンフィルは立ち上がる。彼は、もはや眼も虚ろで、今にも膝から崩れてしまいそうだった。
右足を踏み込み、ディリスは拳を構える。その拳は淡く光り、指の一本一本に沿って光が走る。
「さて……いいかな? 次はニ撃目だぞ」
地面を砕き、ディリスは踏み込んだ。足を浮かせ、下す。一歩だけ、彼は踏み込んだ。
その一歩で彼の身体はダンフィルの目の前に移動する。一瞬で間合いに入られたダンフィルは全く動けなかった。ダンフィルの胸に拳がゆっくりと添えられる。
「はぁっ!」
踏み込み、ひねり、突き出し、一瞬で行われたその動作の前に、ダンフィルは真後ろに吹っ飛んだ。
遅れて風が吹く。その風は地面をまくりあげ、周囲にあった墓標と石像を押し倒す。
数枚の墓標を貫いて、ダンフィルは地面に倒れ込んだ。
「ぐ、ごぼっ!」
横を向いた時に、ダンフィルの口から赤い血が大量に流れ出る。あまりにも血を吐いたため、一瞬ダンフィルは息ができなかった。
ごほごほと咳き込みながら彼は血を吐き続ける。
「即死ではないか。丈夫な肉体だ。だが、胃が破れたなこれは」
また、胸の前でディリスは両拳を打ち付ける。そして、とどめを刺そうとゆっくりとダンフィルの下へと歩く。
「うむ、精霊騎士か。名乗った時は少し期待したんだが……何ともはや、倒した騎士たちとそこまで差があるようには思えんかったぞ。確かに才能は感じるがな」
「が、ごほはっ……」
ディリスは拳を握りしめ、腰を落とした。拳の下にはダンフィルの顔。それを潰さんと、彼は力を手に込める。
「……なんてな!」
「む!?」
唐突に伸びる手は、ディリスの首を掴んだ。そして針のようなものをディリスに突き刺す。そして押しのけ、ダンフィルは彼から距離を取った。
「よっしゃ! 何てことはねぇぜ! さすが上級の精霊の石だってな!」
そう言って自分の胸を叩くダンフィル。いつの間にか彼は緑色の鎧を胸部分だけ着ていた。
「っと、ヒビが……おーこえぇ。でもおっさんよ。さすがに拳で鎧は砕けねぇみたいだな?」
「む、むむ……何をした? 腕がしびれる」
「へへへ、わりぃな。俺他のやつみてぇに強くねぇんだわ。だから、痺れ薬を使わせてもらったぜ」
「なんだと、それは……む、むぅ。拳がしっかりと握れん」
「卑怯とか言うなよな! へっ」
口から赤い水を盛大に吹き出してダンフィルは槍を構える。口に含んでいたのは赤く色を付けた水。いざという時のために飲み込んでおいたもの。
槍をぐるぐると回し、躊躇することなくダンフィルは緑の鎧を着る。深紅のマントを纏い、風を纏い、鎧化を果たしす。
強い風が吹いた。ディリスはその風に、自らの黒髪を巻き上げられる。
「正直小細工だと俺でも思うぜ。だがな、俺のダチや仲間のためだ。負けてられねぇ。俺は、小者だが、小者らしく、でけぇやつをぶっ倒してやるぜ。小者の醍醐味だろそれが」
「む、むむ……これは、いやしかし、見事。ワシも何を悟っていたのか。勝つための手段など鍛錬以外にいくらでもあると、知っておったろうに」
「さぁて、いくぜ。偉大なる先輩さんよ。わりぃが、俺は速いぜ。ついてこれるかぁ?」
「速さか……よかろう! では付き合ってやろう! この痺れ、取れた時がお前の死ぬ時よ!」
二人は眼を見合う。ガンとディリスは拳を打ち付ける。
一歩、二歩、じりじりとすり足で彼らは距離を詰める。
そして、二人は消えた。風のように。
それは目視することができないほどの速さ。圧倒的な速さ。
二人は閃となって、自らの武器をぶつけ合った。拳と槍、ガンガンと音だけが周囲に広がる。
槍を突き出す、一瞬でそれを抑え込まれて、裏拳がダンフィルの顎に飛んでくる。首を少しひねり、それを躱し、また槍を突き出す。
次は足、巻き込むように足で槍を取られ、そのまま脇腹を蹴られる。風で押し出されるようにダンフィルは飛び、その足を躱す。
上を取られた。見上げると振り下ろされるのは踵。当たればヘルムごと脳天を叩き割られる。槍でその踵を受け止める。
ダンフィルの繰り出した技はことごとく止められ、ディリスの攻撃は辛うじてダンフィルの身体に届かない。高速で動く二人は、ほぼ互角だった。
高速で撃ちあう中で、ダンフィルは思い出す。父に無理やりに入れられた騎士の塔のことを。
最初から最後まで、そこは辛かった。修行の日々は辛いことの連続で、逃げ出そうとしたのも一度や二度ではない。
だが彼は、逃げ出さなかった。如何に自分が弱い人間か彼はよく知っていたが、それでも彼は逃げ出さなかった。
「むっ!? おしかったな!」
「ちっくしょ!」
逃げることは簡単。だが逃げれば戻れない。二度とここには戻れない。戻れなければ、あいつに勝てない。
「はぁはぁ……くそっまずい、鎧、俺の法力がもたねぇっ……」
「どうした? 遅くなってきたぞ?」
「気のせいだ馬鹿野郎!」
勝てないと、何が悪いんだ? いや、でも勝ちたい。だって、最初はあいつが、ジョシュアの方が俺よりも弱かったから。
ダンフィルは戦いながらあの時の気持ちを思い出した。この気持ちがあったからこそ、自分はここまでこれたのだと、ダンフィルは思い出した。
風が吹く。
高速で飛ぶ彼の身体に、風がまとわりつく。槍の一振りは風をまとい、風は刃となる。
風が吹く。ディリスは何かが変わったことを感じ、両拳を打ち鳴らし火花を散らせた。ディリスの姿は、一瞬の後に鎧姿へと変わった。
風が吹く。ディリスは炎をまとい、その拳を突き出す。痺れ薬はもうすでに切れていて、その拳は圧倒的速さでダンフィルに襲い掛かる。
風が吹く。ダンフィルはその拳を避けることができない。
風が吹く。拳がダンフィルに届く。
風が吹く。言葉を思い出す。
――ダンフィルはうまいな石を使うのが。俺もお前ぐらいの才能があればな。どうすればいいんだ?
こうすればいい。
風はダンフィルを包み、鉄壁の防御となる。ディリスの炎を纏った拳はその風に弾かれる。
風は質量を持ち、圧力を持ち、そして鉄よりも固くなる。
疾風、風を斬り、槍は空へ掲げられ、そして風をまとったダンフィルの鎧は形を変える。より鋭く、より硬い鎧へと形を変える。
「む……う、なんだと身体が!?」
そして風は、完全にディリスの身体を固定した。ありとあらゆる方向へ引っ張られるディリスは、空中の有る一点で全く動けなくなった。
ダンフィルは着地する。そして槍を逆手で右に持ち、左手は開いて空で固定されているディリスの方向へと伸ばされる。
大きく弓を引くかのように、彼は右手の槍を引き絞る。巨大な穂先を持つ槍はさらに形を変え、その大きさを三倍以上に巨大化させた。
引き絞る、超巨大な槍を持って。風がダンフィルの身体を支える。
「ディランド卿直伝だぜ……!」
一歩、左足を前に、ステップする。
二歩、さらにステップする。
そして、三。
ダンフィルは三歩目のステップと同時に槍を放った。爆音とともに、それは空で固定されているディリスの下へ真っ直ぐと飛んで。
「ぐ、ぐぐぐ、まさか、ここまで魂結晶を!? う、ごけん! う、ウオオオオオ!?」
そしてそれは、大きな大きな穴をディリスの身体に開けた。頭以外全て吹き飛ばすほどの、巨大な巨大な穴。
風を纏った槍は全てを貫いて、空高く空高く飛んでいった。まるでそれは、空に走る流星のように。
「み、ごと」
ディリスの頭は地面に落ち、そう一言言うと転がりながら消えていった。ダンフィルはそれを見届けて、自らの鎧を解く。
「いろんな騎士がいるんだなぁ。だがま、簡単にはやらせねぇよ。ってなっ」
そしてダンフィルは走り出した。次の敵の下へ、彼の眼は、ただ真っ直ぐに次を見ていた。
――所詮裏切り者の死などに、尊厳などは不要。故に、アークの夢は、叶うことは……




