第19話 白銀の翼
闘技場は、戦いを行う場所。広く、狭く。一対一、あるいは一対複数、あるいは複数対複数。様々な戦いがそこでは繰り広げられる。
当然のことながら、戦の神として名を馳せた男の心の中にある闘技場もまた、戦いを行う場所である。
その男は、嘗てロンドベリアを争いによって建国したラム・ハイベルドは、蛮族の王の子として生まれた。
彼は幼少の頃から戦いの中にいた。彼の一族はロンドベリアと呼ばれることになる土地において、最強の一族。彼らは戦い、奪い、蹂躙し、凌辱し、ありとあらゆる戦いの矜持を味わっていた。
ある日を向かえるまでは。
まさに蛮族であった彼らはついに罰せられた。南方がルクメリア王国の騎士団の手によって、あまりにも悪だった彼らは、彼らの一族は、彼を残して全て殺された。
共に戦うならば、共に享楽に浸りたいのならば、共に死することもまた覚悟せねばならない。
その男は、楽しんだ。一人になってからもそれしか知らなかったから、力で奪い、力で生きて、力で笑った。世界は楽しい。何とも楽しい。
だから彼は王とならなかった。ついてきたければくればいい。だが自分の隣で死んでくれるな。この世は、楽しいことしかないのだから。生きているだけでそれでいい。仲間が死ぬと、楽しくないから。
だから彼は仲間を捨てた。共に遊んでいる間は許す、だが心に刻まれてしまったらならば、自分が楽しむために捨てざるを得なかった。
誰よりも仲間を愛し、誰よりも失うことを恐れ、そして誰よりも刹那的な男。それがラム・ハイベルド。
「ウオオオオオオ!」
彼の使徒たちが雄叫びをあげる。様々な武器を握り、様々な姿をして。ラム・ハイベルドの使徒は嘗ての、友たちの姿なのだ。彼が捨ててきた友たちなのだ。
だからこそ、強い。彼の記憶の中にある、最強の仲間たち。それが彼の使徒の形をして生きている。
彼らが襲い掛かる相手は白銀の剣を持つ騎士。そして騎士の家族と、その使徒。
中央には騎士の妹であるユークリッド、彼女は両腕を組み冷ややかな目をしている。彼女の周りには円を描くように陣形を取った騎士の使徒たち。使徒である彼女たちは、皆同じように巨大な両手剣を地面に突き立て、立っていた。
「この女ども、戦う気はないな。全く……兄さんの使徒は何か合わないな……」
ユークリッドが呟く。ユークリッドの周りにいる彼女たちは、一つも殺気を放つこともなくただ剣を地面に突き刺していた。微笑みながら。
彼女たちは歪。ユークリッドの眼からは、歪にしかみえない。彼女たちの行動は一貫している。
主の家族を、守り、主の勝利を信じ続ける。彼女たちは一貫している。
一貫して、どこか歪んでいる。
「手を出す必要もない、か」
彼女たちに近づく者たちは、端から水の剣で貫かれていく。水の石を使うユークリッドの得意技。それが出せる範囲に入る瞬間に、敵は倒れていく。
「そうか、私が全部やるからか。全くもう……使徒なのだろう。怠けるんじゃないぞ」
そして、ラム・ハイベルドは、襲い掛かる仲間たちと共に、巨大な剣を掲げ走っていた。相手はそう、白銀の剣を持つ若き騎士。
「ふははは! いつまで立ち尽くしている! それとも諦めたか!?」
駆ける彼の傍には、鋼の鎧を着た者たちが付いていた。ラム・ハイベルドを守るようにいつの間にか現れた両脇を囲む男たちは、主を守るように走っていた。
迫りくる屈強な男たちを横目に、騎士は、白銀の剣を胸の前で構える。
「幾多の魂の欠片を束ね、生きるは人の身で」
騎士の剣から黄金の光が漏れる。その輝きは周囲を包む。
「刃は銀、光は金」
騎士は眼を瞑る。体内にある黄金の輝きに対して、集中する。魂の周りに浮かぶ、幾多の魂の欠片に対し、問いかける。
「魂は白銀、力は黄金」
騎士の言葉に呼応するように、白銀の剣は形を変える。長く、長く、槍のように長く。
「王は玉座に座り、騎士は戦場へ行く」
騎士はその長くなった剣を突き立てる。それは天高く、空に向かって天高く。
「ここは戦場、遥かなる未来への道。さぁ――」
高く高く、掲げられた白銀の槍からは、黄金の光を放ち、そして旗を成す。
巨大な黄金の旗。
「――括目しろ。これが、力だ」
そして、騎士の姿は、銀色の鎧に包まれた。旗は強くはためく。風もないのに強く。
白銀の鎧の一部は黄金に輝き、背には巨大な白銀の翼。
どんな鎧よりも美しい鎧が、そこには合った。
どんな旗よりも神々しい旗が、そこには合った。
ラム・ハイベルドの領域は今、黄金に包まれた。光り輝く空。黄金の世界がそこに現れた。
「お、おおっ!? 何じゃ派手な……だがこれはこれで、美しものだな! さぁ相手に不足は無いぞ! ふはははは!」
駆けていたラム・ハイベルドは、きょろきょろと周りを見てその異常な光景に、思わず足を止め、声を上げた。彼の使徒たちは止まることなく、その白銀の翼を持つ騎士に向かっていく。恐怖を感じることなく。
騎士は、旗を少しだけ地面から浮かすと、もう一度強く地面に向かって突き立てた。
その衝撃は黄金の光を放ち、地面を揺らし、空気を揺らし。
ラム・ハイベルドの使徒を一気に砕いた。押しつぶすかのように。一滴の血も出さずに彼らをその姿をとどめないほどに吹き飛ばした。
「む!? 相変わらずルクメリアはわけのわからんことをしよる」
さすがに豪胆。ラム・ハイベルドは声を上げど、下がることはなかった。
白銀の騎士は旗を地面から抜き、グルンと回す。旗は黄金脈打つ白銀の大剣となり、騎士の手に収まった。
白銀の翼が広がる。騎士の身体が浮く。
「飛ぶか!? 弓だ! 弓を持て! 雨のように降り注がせよ! ふははは! 鳥狩りだ!」
弓兵が並ぶ、そして数えきれないほどの弓が並ぶ。連射を考えない古代の巨大な弓が並ぶ。その弓は一斉に引き絞られる。弓兵の長が手を上げると同時に、矢は一斉に白銀の騎士の方向へと向く。
白銀の翼は、大きく大きく広げられると、上から下へと一気に羽ばたいた。
弓兵たちはみた。矢など比べ物にならない程速く飛ぶ白銀の騎士を。
それは吹き荒ぶ暴風のように。空を断ち、上から下へと叩き付けられる。大剣を片手に。
弓兵たちは四散した。ある者は衝撃で空へと舞い、ある者は地面へと叩き付けられた。
「何とも! まるで幻獣よ! 筒だ! 筒を持て! 火薬は無粋だが、最期は勝てばいいのだ! ふははは!」
伸びるのは銃身、大小様々、大砲もある。火薬に火を入れる兵たちの目は、飛び回る騎士を見ていた。
騎士は地面に立ち、ゆっくりと彼らをみる。その巨大な白銀の翼を広げながら。
「急げ急げ! どうやら連続で飛べないみたいだぞ!」
その火砲は、一斉に騎士に向かって放たれた。ドンドンと音が連続して鳴り響く。
一発一発、普通ならば身体が爆ぜ飛ぶ威力。
それを全て、白銀の鎧は受け止める。その剣は、その鎧は、その翼は、火花を上げて火砲が命中してることを伝える。
「おおっ、無茶苦茶な……」
白銀の騎士はゆっくりと、まるで何事もなかったかのように、前へと進みだした。火砲に曝されても一つの傷もなく、その輝きは一切の衰えもなく。
ゆっくりと、彼は歩いた。火に囲まれながら。大剣を振りかざし、そして進む。
火砲を放っていた者たちは、表情を変えた。使徒には生命や魂は無いが、記憶に沿った感情はあるのだ。彼らが抱いた感情は、驚き。
騎士は歩く、歩き続ける。自然と火砲は止まり、使徒たちは眼を見開いて彼を見る。
白銀の大剣は容赦なく使徒たちを裂く。一刀で、大剣とは思えないほどの速度で振られ、彼らは吹き飛ぶ。
白銀の騎士はその銀色のヘルム越しに見る。建国の雄、ラム・ハイベルドの顔を。
「むむぅ……よし、火薬も利かんとなればあれしかないか。でもなぁ……まぁよかろう! ならば切り札をみせよう!」
ラム・ハイベルドは白銀の騎士に近づいた。真っ直ぐに、その巨体を揺らして。
彼は胸に手を当てる。そして笑う。
白銀の騎士の目の前に立った時、彼は大きく息を吐きだした。
「さぁて、馬鹿みたいに強い騎士よ! どうやらこのままやっても我が使徒が四散するだけらしい! ということでだなぁ。我のとっておきをみせてやろう!」
ラム・ハイベルドは、腕を広げた。笑いながら、自分の胸を差し出すように。
「うぅむ! ここまでできるとは思わなかったが! まぁ、こういうこともあろうな! さぁ我が心臓欲しければ貫くがいい! ふはははは!」
白銀の騎士は、剣を一瞬繰り出そうと両手で握ったが、すぐに手を離し剣を下した。
「どうした? 我を塵のように払うことはできるであろう! さぁこれで終わりだぞ? うん?」
彼は尚も白銀の騎士に近づいた。もはや目と鼻の先に、挑発的な笑みを浮かべた男は白銀のヘルムを小突く。
「ふふふ……はははは! うむ! そうさなお前は! 分かってる! 分かってるなぁ!」
「強いとは、こういうことか、ラム・ハイベルド」
「そうだ! 我は強い!」
「母が言っていた通りか」
「ふははは!」
ジョシュアは鎧を解いた。黄金の粒子となって、鎧はかき消える。現れたジョシュアの右目は、より一層黄金に輝いていた。
「折れないか。震えるほどの力の差をみせたつもりだったがな」
「応、正直勝てる気がせんわ。だがの。屈服させようとするならば、もっと相手を知らんとな」
「領域をくれるつもりはないか」
「ない、ここは我が仲間たちがいる理想郷だ。お前にとっては騒がしい場所かもしれんがな」
「……奪うしかないのか?」
「であろうな。してどうする? 剣で突けば我の領域を手にすることができるぞ。うん?」
ラムはしてやったりという顔で、笑った。ジョシュアはその顔をみて、どうにも複雑な気持ちになった。
斬れば終わる。だが、それでは何か、負けたような気がする。ジョシュアはそう思った。
ジョシュアは、剣を鞘に納めた。周囲の黄金の光は消え去り、そこには最初にここへ来た時のような光景が映し出されていた。
「おお? 納めるか剣を。どうする? 諦めるか願いを」
「……そうだな。わかったお前に倣おう。蛮族の長よ。一つ、取引をしよう」
「ふむ? 何だ?」
ジョシュアは胸に手を入れ、紫色の石を取り出す。それは淡く光っていた。
「領域をくれれば、これをやろう」
「む? なぁんだそれは?」
「本物の精霊の長老が持っていたものだ。今のところ、ルクメリア騎士団ですら誰も持っていない精霊の石。切断の属性の石だ」
「な、なに? これを、どう使うんだ?」
「握って、意志を込める。一つ試してみよう」
足元に転がっていた大きめの石に対し、ジョシュアは手に持った精霊の石をを向けた。何の抵抗もなくそれは真っ二つに切断される。
「お、おお!? 剣も使わずに真っ二つに!」
「どうだ、使うにはコツがいるが、確かに本物の宝物だぞ。ああ、人には向けるなよ。一人でも傷つけたら没収だぞ」
「む、むむ……うむむ……」
「もう一つあるぞ。これは、俺が記念にとっておいたもので力はないが。確かに本物だ」
腰の物入れから出てくるのは小さな石の破片。黄金の光を放っているその石は、ジョシュアの手で輝いていた。
「そ、それはなんだ?」
「精霊の王の、体内にあった精霊の石だ。魂結晶とも言う。境界の属性を持っていたものだが、これはそのような力はもうない。全て吸い取……まぁそれはいいか」
「お、おお? 何と、伝説級の宝物ではないか……いいのか?」
「領域だ。領域をよこせ。ならばくれてやる。使徒は消えるだろうが、住むところはロンドべリアの郊外にでも作ってやる。ああ、略奪はやめろ。珍しい物なら見つけたらお前にくれてやるから」
「な、我から略奪を奪うだと……鬼畜か貴様!」
「散々奪っといて何を言う。さぁどうする? 蛮族の雄よ」
「う、むぅ……うぅぅぅむ……」
「どうする? いらないのなら、俺は帰るが」
「おっと待て! わかった! わかった! そうだどうせ我が仲間など我が作り出した虚像! いうなればただの自慰! そんな虚像よりも本物よ!」
「では早くしろ。今だから言うが、お前の領域、少し匂いがするぞ」
「汗臭いか? やはりな。ふははは!」
ラム・ハイベルドは、自分の胸に手を当てると、ぐっと力を込めて胸から黄色い心臓の結晶を取り出す。血の一滴も出さずに、それは外へと出される。
「まぁ実のところ、今の世には闘技場もあるし、我も少し外へ出たいと思うておったのだ。大体なんじゃお前は、お前みたいなやつがいるならば我はもう何もできんだろうが。全く昔の何とかできた頃のルクメリアが懐かしいわ」
「引きこもるのはこれで終わりだ。ラム・ハイベルド。今の世界には精霊もたくさんいる。新しい世界を見に行くのもいいだろう? 第二の人生だ。平和な冒険者にでもなってろ」
「そうさな! ではとっとと受け取れ。我に後悔させるな!」
「ああ」
ジョシュアはラム・ハイベルドに持っていた二つの石を渡し、代わりに神種の心臓を受け取った。
闘技場は消える。ラム・ハイベルドの使徒は消える。血の匂いが消える。
気が付けばそこは、墓標立ち並ぶ領域へと変わっていた。ラム・ハイベルドは笑いながらその領域から追い出され、消えていく。
あと二つ、ジョシュアは息を吐き、そしてゆっくりと残りの領域を数えるのだった。




