第17話 戦の領域 侵入
「……本当に着たぞ。出して何だが、馬鹿なのかあいつは」
「馬鹿よ。でもすごい強い」
「自信の表れか」
墓標並ぶ領域で、彼は一枚の手紙を受ける。三つ折りにされたその手紙を広げ、ジョシュアはその内容に、溜息を着く。
その紙にはただ一言、『挑戦を受ける』とだけ書かれていた。それは返事、彼が自分と決闘をしろと出した手紙に対する、返事。
「母さんの言うとおりだったな。こんなにすんなりいくとは」
「ユリウス、相手の方にはあなたの戦い経歴も伝わっているわ。それ踏まえた返事よ。これであなたは戦の領域へ赴くことができる。当然相手もこちらへ来れる。相手は戦の神、倒しなさい。躊躇しては駄目よ」
「わかってる。母さんよりもずっとやりやすいさ」
「うぬぼれちゃ駄目よ。本当に相手は強いんだから、実力で領域を二つ取った男よ」
「わかってる。それじゃ……カレナ、悪いが少しの間家に帰るのは無しだ。いいな?」
「うん、でも身体洗いたいんだけど……だめ? シリウスの着替えとかもさせたいんだけど」
「駄目だ。これが終わったら次に行く前に手は打つ。少しだけ待ってくれ」
「もうっ、結構ドロドロなんだけど。ほら早く決めてきてよ」
そしてカレナは剣を渡す。銀色の刀身に黄金の脈が走る剣を。白銀の剣を。
久しぶりに持つその剣に、ジョシュアは何とも言えない馴染む感触を覚えた。重さの感じないその剣を切っ先から鍔まで撫でるように手を添えると、腰の鞘へと剣を納めた。
代わりに彼は、持っていた両手剣を彼女の傍らに突き刺した。数多の墓標の中で、唯一生える剣。そこが彼の帰る場所。
「マリア久しぶりだな。もう身体の中に入るのは無しだぞ」
『はいはいどうせもう無理よ。あーちょっともったいなかったかも』
「全く……」
彼は自らの剣と会話する。久しぶりに万全になった感触を覚えた彼は、右手で自らの黄金に輝く眼を抑え、手を離した。
「シリウスの使徒よ。カレナとシリウスを死ぬ気で守れ。いいな?」
「はい、存在をかけて、守ります」
「頼むぞ」
ジークフレッドの従者である男は、胸に手を当て、深々と礼をした。その様子を見て、ジョシュアは振り返った。
「いくぞ。今度はお前らも着いて来て貰うぞ。悪いが守らないからな」
「はい主様」
彼が振り返った先には黒い衣装に身を包んだ女性たちが立っていた。彼の使徒、その人数は8人、先頭にはいつもの顔。
彼女たちは一様に微笑むと、彼の行く道を開いた。彼女たちが指し示す方向にあるのは、赤茶色の大地。それはジョシュアがこれから挑もうとしてる者の領域。
「ファム、あなたもユリウスについていきなさい。あなたの剣、折れてるから私のを持っていきなさい」
「あ、ああ……ありがとう母様」
「あなた、たまにはユリウスを真似なさい。考えるよりもただ何も考えずに進むことが正解な時もあるのよ」
「……行ってくる」
「はいいってらっしゃい」
「ユークリッドさん、頑張ってね」
「あ、あ、ね、義姉さん……ありがとう。あ、あと……ごめ……」
「え? 何か言った?」
「あ、うん何でもない……行ってくる」
手を振り、笑顔で見送るマリィメアとカレナの顔をユークリッドは恥ずかしさと、申し訳なさを感じて、直視することができなかった。
ユークリッドは、自分が一瞬でも殺意を覚えてしまったことに、深く、深く、申し訳なさを感じていた。
彼女はうつむいたまま、兄の背に向かって歩き出す。片手には母より受け取った曲剣。ユークリッドの剣よりも行くらか細く、いくらか長い。
ジョシュアとユークリッドは、ジョシュアの使徒が導くままに、墓標立ち並ぶ領域から赤茶色の領域へと踏み込む。
――人の心に足を踏み入れることが、どんなに、無礼なことであっても、それが必要ならば許されるべきであるな。
そこは、寂れていたジョシュアの領域よりも荒廃的で、赤茶色で、そして、血の匂いが充満する領域だった。
右を見る。荒野の中で、男たちが戦っている。
左を見る。荒野の中で、女たちが戦っている。
戦の領域、それは戦いの領域。そこに存在する者たちは皆、己の力を誇示し、戦い続ける。ある時は一対一で、ある時は複数対一で、ある時は複数対複数で。
勝者は敗者を蹂躙する。勝者は敗者からすべてを奪う。敗者は勝者に、服従を強いられる。
嘗てより何度も繰り返されてきた人の歴史、争いの歴史、その縮図がそこにはあった。
ジョシュアたちは一団となって、その領域を進む。彼らを意識する者は誰一人いない。何故なら彼らは、来訪者であって、敵ではないから。
そして誰も彼らを案内などしない。周囲にいる者たちはただ、戦うことが存在する意義だから、この領域の主は、その主から産れた使徒は、ただただ戦うために存在している。
「騒がしいところだな……落ち着かない」
ユークリッドは思わずつぶやいた。その独り言も、剣戟の音にかき消された。
領域は、その者の心を表す。終わりなき戦いが、主の心を映し出している。
ある意味、全てが終わった後の、墓標しかないジョシュアとは反対の、そんな領域。その領域には、巨大な巨大な闘技場が建っている。
全ての道は、全ての人は、そこに通じている。
彼らもまた、その闘技場へと至る。
ジョシュアと、彼の使徒である黒い装束の女たち、そして彼の妹であるユークリッド。連なるように、彼らは闘技場へと入った。
石造りの壁、石造りの床、石造りの階段。それら全ては、赤い血で染まっていた。歩く彼らの靴の裏に、血がべっとりと付着する。
闘技場への門。それは彼らが近づくと、独りでに開き、その扉の隙間からは明るい光が差し込んだ。
その領域は、ここが中心。世界の中心に、彼はいる。
その身体は、巨体と呼ばれるジョシュアよりも二回りは大きく、全身に纏った鎧は、へこみ、血で錆つき、そして彼の顔は、傷だらけで。
青年というよりも初老に近い顔だが、決して老いているわけではない。深く刻まれた皺が、男の鮮烈な人生を物語る。
「よく来た。今生の騎士よ。我がこの領域の長、ラム・ハイベルドである。貴君が果たし状、確かに受け取った」
その男は、巨大だった。ジョシュアを覆い隠すようなその身体は、背から伸びる巨大な深紅のマントに包まれて、さらに巨大さを増していた。
得てして二人、共に深紅のマントを覆う者同士、彼らはお互いの眼から顔を反らすことは無い。
「ラム・ハイベルド……ロンドベリアの建国の長? 王となれる器ながら王とならず、あの蛮族の国をまとめ上げたあの伝説の……?」
ジョシュアの後ろにいたユークリッドは、その男の名を知っていた。彼女が読んだ数々の書物の中に、その名はあったのだ。
ラム・ハイベルド、その男は嘗て、ロンドベリアがロンドベリアと呼ばれる前の、蛮族たちが治める集落の群だった時代に一人、その蛮族たちの領土をある時は説得し、ある時は破壊し、ある時は征服し、次々と傘下に納め、そしてそれをまとめ上げた男。ロンドベリア初代大総統。
それが彼らの目の前にいた。大きな男は、大きな口を開き、こぼれるように、笑った。
「ふははは! おお、さすがに我が名、轟いていたか! ふははは! そう、その建国の雄、ラム・ハイベルドよ!」
男は自分の名が知られていたことに関して、嬉しさを覚えたのか。それはそれは大きな声で笑った。
ひとしきり笑うと、ラム・ハイベルドと名乗ったその男は、顔を伏せる。強引に気持ちを切り替えるかのように。
「ふぅ……それで、我の名を知らずして、のこのこと現れたお前は誰だ。名を名乗れ男よ」
顔を伏せながら、目でジョシュアに突き刺すように見るラムの前に、ジョシュアは少しだけ威圧感を覚えながらも、強い意志で見返した。
「俺の名はジョシュア・ユリウス・セブティリアン。決闘に応じてくれてありがたく思う」
「応、我は挑まれれば断らん。してセブティリアンとな? まさかお前、あの魔女の子か。マリィメアの」
「そうだ。それがどうした」
ジョシュアは、自分の母親が魔女と呼ばれたことに、少しだけ怒りを感じた。彼の声には怒りの感情が乗っていた。その声を受けて、男は顔を上げると、バツが悪そうに苦笑した。
「いや、特に悪気はないのだ。許せ。ただあの女が子供をなぁと思うてな。あの自分が一番不幸であると自慢してたような暗い女が、子を作るとは……いやはや時代は変わるものだなぁ」
「……母を知ってるのか?」
「応、そりゃ同じ神種だ。我はどちらかと言うと若い方でな神種では。故に性欲が強い。あの女はいつか蹂躙し組み伏してやろうと思っていたのだ。性格はちと暗いが、身体は抜群だ。あの乳はたまらぬ」
「さすがは蛮族の長か。野蛮だな」
「馬鹿者! 野蛮さこそが、活力よ! 生きる力よ! 野蛮でなくてどうする! 戦わなくてどうする! 戦いをやめた男に、平穏だけを得た人に、待ってるものなどただの腐りゆく心だけよ! そうであろうルクメリアが騎士よ!」
「ロンドベリア建国当時は、ルードに幾度も攻めこんだと聞いている。これが答えか」
「応よ。あの時は幾度となくルクメリアに防がれたが、楽しい日々であった。願わくば征服したかったがな」
そういうとラムは遠い眼をした。ルクメリア王国は世界の戦争を防ぐ国、そしてその戦力は世界最高。その隣国でありながら、構わず侵略と略奪を繰り返したその男は、間違いなく豪胆だった。
ラムは歩き、そしてジョシュアの肩に左手を置く。ニコリと笑いながら。
「若いな。いくつだ」
「22、いや、今年で23になる」
「それは若い。我がその頃はここまでは鍛えれてなかったぞ。お前、結婚はしているか?」
「している」
「妻の歳はいくつだ」
「今年で20だ。何の話だ」
「それまた若いな。さぞや日々が楽しかろう。子はいるか?」
「いる。まて、何の話だ」
「ならば20いく前の妻に子を産ませたか。うむ、昨今は婚姻は遅くなる傾向であると話は聞いていたが、中々どうして、胆の座った男がいたものよ」
「……ラム・ハイベルド。何のつもりだ?」
「ふははは、いや、何、お前のことが気になってな。マリィメアの入れ知恵であろう果たし状は。領域は人は踏み入ることはできないが、一つの執着、相手に届けるという意志があれば、手紙は届く。すなわち」
ドンと、ジョシュアの肩に、彼の右手が置かれた。両肩を抱かれ、一回り大きな男に力を込めて肩を握られるジョシュアは、眼の前に広がる巨大な男のその眼を真っ直ぐに見る。ラムの強い眼光に、ジョシュアの強い眼光がぶつかる。
「お前は、我と戦うことを一つも恐れていない。それどころか、強い意志で我と戦おうとしている。見事、見事である。国を築いた我が、神域へ至り暇を持て余していた我が、まさかこんな真っ直ぐに挑まれるとは……ふははは! 沸く! 血が沸く! これこそが戦の醍醐味よ! 灯をつけよ! 声を上げろ!」
周囲が、そのラムの声に、号令に、一気に沸き上がる。誰一人いないと思っていた闘技場の観客席はいつの間にか屈強な者たちで埋め尽くされ、薄暗さが残っていた周囲には灯がともされ、闘技場は一気に明るさと熱を得た。
ラムはジョシュアから離れる。そして両手を広げ、観客席から降り注ぐ喝采の声を一身に受ける。
「さぁ続きは剣で語ろう! 存分に! ジョシュア・ユリウス・セブティリアンよ! 我が前によくぞ立った! さぁお前が欲しい心臓は、ここにあるぞ! 奪ってみせよ!」
その巨大な男は、声を荒げ、どこから取り出したのか、巨大な剣を掲げた。ジョシュアはそれに応え、白銀の剣を抜き、剣を掲げた。
ユークリッドとジョシュアの使徒たちは、その場から離れる。これは誰が何と言おうと、決闘なのだ。手出しはできないのだ。
「騎士らしい決闘の儀など我は知らん! 故に! ただ心のまま、剣をかわすのだ!」
「応えよう。俺が挑み、お前が受け、そしてお前はさらに挑んでくるのなら、それに俺は応えよう」
ジョシュアの白銀の剣、ラム・ハイベルドの巨大な剣。その二つが彼らの頭上で軽く合わせられると、彼らは距離を取ることなく真っ直ぐに、互いに剣を振り下ろすのだった。




