第16話 赤子の使徒
――残り三つ。
彼の領域にこそ、何もないのかもしれない。墓標は連なり、休む場所すらない。
「お二人は血縁者ですので、無条件に侵入が許されます。いらっしゃいませ主様の領域へ」
マリィメアの領域は受け渡した瞬間に全て塗り替えられ、そこはもうすでにジョシュアの領域となっていた。茶色の土を踏みしめると、その土は足跡が残る。彼の妹であるユークリッドはこの世界にどこか虚しさを感じていた。
子を抱くジョシュアがしゃがみ込む、子は泣くことなく、静かに寝ていた。
「こいつは中々に大物になる気がするな……」
彼の前には母であるマリィメアに抱き起される妻のカレナがいた。カレナはその虚ろな眼で、周りをゆっくりと見回すと、また眼をつぶって呟きだした。
「ごめんなさいごめんなさい、死んだらこんなところに行くなんて知らなかったんです。もっと花畑みたいなところでお願いします。神様精霊様お願いしますぅ……」
「カレナ、おい、大丈夫だまだ死んでない」
カレナは非日常的過ぎるこの風景を受け入れることができないようだった。眼を強く瞑ってぶつぶつと何かを呟く彼女に、それを抱きあげていたマリィメアはおかしさを覚えて微笑んだ。
「まだ精霊様に願う人がいたなんてね……カレナさん? しっかり」
「……あれ、お義母様? あれ、何でこんなところにあたしいるの? えっ?」
「カレナ大丈夫か。起きれるか?」
「ちょっと待って……よいしょ」
カレナは背を起こすと、膝を曲げて地面に座り込む。彼女の背に手を当てていたマリィメアは少しの間彼女を支え、そして立ち上がった。
「カレナ、シリウスだ。抱けるか?」
「シリウス? ああ、シリウス……」
ジョシュアはカレナに抱いていた子を渡す。ゆっくりと、丁寧に、子を起こさないように。彼女はそれを受け取ると、ふわりと抱きしめた。
「久しぶり、元気だった?」
カレナは胸の中で眠る我が子のシリウスに向かって笑顔を向ける。ジョシュアもその姿に安心を覚えた。
ジョシュアは立ち上がる。そしてマリィメアに顔を向けた。
「母さん、何でカレナの魂をとったんだ? そんなことをしなくてもよかったんじゃないのか?」
「ちょっと、人聞きの悪い。私はそんなことしてないわ」
「でも実際に……」
「取ったっていうか……いつの間にかシリウスが持ってたのよ。シリウスが欲しがったのかしら。魂を分けるとかさすがの私でも無理よ。よっぽどの力が無いと」
「……本当か?」
「もう私はあなたに嘘つきません」
「そうか……」
ジョシュアは土に直接腰かけるカレナを見て、少し、不便だと思った。だが彼は領域に何かを創る方法は知らない。
彼は聞くことにした。誰もいない方向をみて、彼は自らの使徒を呼ぶ。
「おい、誰かいないか。来てくれ」
「はい主様」
何もない空間から現れる黒い衣装に身を包んだ。女性、その後ろにまた女性、一瞬で十人近くの女性がジョシュアの目の前に現れた。
「何でしょう主様」
「一人でいい一人で」
「あら、そうですか? では私以外は帰らせます。ふふふ」
先頭にいた使徒の一人が微笑みながら頭を下げると、後ろにいたの女性たちは白い光の粒子になって消えていく。近くにいたユークリッドはその消えた粒子を握ろうと手を出したが、それは何も掴むことはなかった。
「えっ、えっ? 何今の? ねぇちょっとジョシュア何この女の人」
カレナは眼を点にして、消え去る彼女たちを見ていた。余りにも非現実的で、もはや疑問が疑問を呼ぶ状態の彼女は、うろたえることしかできなった。
「あらあら奥様の足元が土だらけではありませんか。主様、敷物をお出ししましょうか?」
「ああ、そのことだが、どうせなら休める小屋のようなものが欲しい。どうやって出すんだ?」
「小屋? 無理ですね。だって主様、小屋が欲しいと心の底から思ってないですもの」
「何だと、欲しいと思ってるんだぞ」
「だって思ってないですもの。小屋なんてなくても何とかなる、そう思ってるでしょう? あればいいな、程度でしょう?」
「確かにそうだが……わかった、それじゃ敷物だ。俺はカレナに汚れて欲しくないと思ってる」
「はい、ではすぐに」
そして彼女は赤い布を取り出す。丈夫で固い布。それはジョシュアが領域へ至る際に背に背負っていて、いつの間にか無くなっていた紅のマント。
主人のマントを地面に敷く彼女は、微笑んでいた。
「さぁどうぞ奥様こちらへ、冷えますよ」
「あ、はいありがとうございます?」
カレナは腰を上げ、赤い敷物の上に腰かけた。抱かれている子は彼女が動いても起きることは無い。安心しきっているのだろうか。ジョシュアはそれを微笑ましく思った。
「主様、他に……ありませんね。では次の領域に参りましょう。といっても繋がりがある領域はもうありませんが、ここからが長いですよ」
「ああ、だがまずはその前に、一つ解決しておこう」
「はい、そうですね」
彼の使徒は微笑みながら、前を向いた。ジョシュアもそれに続いて、前を向いた。
「それで、お前は誰なんだ。一応まだ呼んでやろう、シリウス、お前は誰だ」
彼らの視線は、皆と離れて立っていた男が立っていた。赤い布を背負った彼は、その言葉に、下を向いて苦笑した。
「ですよね。気づきますよね」
彼は溜息をつく。自らが未来のジョシュアの子であると名乗った彼は、自虐的に笑いながら、顔を上げた。その顔には悪びれる様子もなく、ただ何かが終わってしまったというような顔であった。
「この領域は俺の血縁者ならば無条件で入れる。お前は許可を得る前に、確かにこの領域から追い出された。だからこそお前は俺の子ではない」
「その通り、あなたが領域を得るのは予想外でした。僕のミスです」
「だがお前の剣は確かにファムの剣だ。お前は誰だ?」
「僕の知るユークリッド様は、あなたはあまり頭がよくないと言ってました。どうだか、やはり救国の英雄。その眼を騙すことなど、できないんですね」
「さぁ答えろ。場合によっては、一戦交えてもいいぞ」
「やめときましょう。せっかく助けたのに、それでは本末転倒ですよ」
「では答えろ」
「はぁ……もう少し、楽しみたかったのですが」
彼は赤布を地面に降ろす。カランと音を立て、その布はめくれ上がり、錆びた剣が見えた。
「最初に言っておきますが、これは確かに本物です。錆びたのは、死んだから。持ち主が全て死んだから、そう、ジョシュア様も、ジークフレッド様も、カレナ様も死んだからです」
「未来から来たというのは本当なのか」
「ある意味は」
「では名乗れ、お前は誰だ」
「名はありません。私は、ジークフレッド・シリウス・セブティリアンの使徒です。未来の、そして現在の」
「そうか……いや、使徒も領域の許可がいるのか?」
「主が侵入後ならば問題なく入れますが、この領域に我が主、ジークフレッド様が侵入したのは今回が初めてです」
「なるほど。それで、まだ見えないな。お前は結局のところ、何なんだ」
「はい、私はジークフレッド様の記憶を受け継ぐ使徒。今より25年、全ての記憶を受け継ぐ使徒。この姿も、技も、全ては主様と同じもの」
彼はそういうと、歩き出した。腰の曲刀を抜き、それを近くにいたユークリッドに渡す。その剣を受け取った彼女は、確かにそれが自分の剣だということに気が付いた。
「そうです。この剣は、あなたのモノです。未来から渡されたものは、この愛用していた剣と、錆びた白銀の剣、赤布、25年分の記憶。私はそれを、小さな小さなジークフレッド様の領域の中で受け取りました。そしてこの姿を得ました」
「どうやって、未来から剣を送ったんだ」
「願いの力です。25年後、領域は征服されます。勝利者の名は、アークトッシュ。そう、ジークフレド様は、負けるのです。そして願いを得ることなく、消えていきます」
彼は真っ直ぐにジョシュアの眼を見ながら、上着を肌蹴させた、そこには前に見た時にはなかった大きな傷跡があった。その傷の位置は心臓の上、背中まで大きく貫かれたその傷は、ジワリと赤い血を流していた。
「前は隠していましたが、この傷が致命傷のあとです。彼は死にます。25年後に、絶望の中で」
「……なんてことを。待て、ならば願いを叶えたのは、アークトッシュなのか?」
「願いを叶えたのは、主様です。あの方は死に絶えて尚、現れた願いの石に触れました。それは奇跡。石が現れた場所が、主様の死体の上だったのです」
「願いの内容は」
「やり直したい。それが願い」
「……そうか」
「願いの石は時を超え、主様の記憶と、主様が大切にしてきたものをこの世界へと送りました。主様は、ユークリッド様より聞かされたあなたの強さ、そして武勇。飽きもせず毎日毎日聞かされたことで、ジークフレッド様は強いあこがれを抱きました」
ユークリッドは何故か恥ずかし気に眼を伏せる。その姿にマリィメアは少しだけ、笑った。
「それで思ったのです。あなたが生きていれば、きっとこうはならなかったと。アークトッシュの前に対峙できた人数は僅か三人。主様と、母親代わりとなったユークリッド様、そして、未来の主様の恋仲の方です。目の前で愛する人たちが成すすべなく死んでいく中で、主様は絶望しました。心の底から」
「なんてことを。アークトッシュ……」
「……ですので、この世界に来たあの方の最後の記憶は、発狂しきっています。私はあの方の記憶を得て、人格を得て、さらに心まで得ていますが、あの発狂した時の心だけは、再現できません」
「…………わかった。だが今はだいぶその状況とは変わっているはずだろ」
「はい、ですがアークトッシュを倒さねば、結局のところ同じ結末になります。お手伝いください。そして、助けてください。私は主様の記憶です。心も主様と同じ、ですので、あなた様とユークリッド様、カレナ様に対する愛しさは、本物です。それだけは隠し切れませんでした」
「ああ、やはり、まずはアークトッシュなのか」
「はい、彼は強い、そして彼の使徒も。あなた様なら知っているでしょう。ジークフレッド、精霊の王を」
「ああ」
「彼がいます。ロンディアナもいます。アークトッシュの使徒は、彼の始まりの友たち、つまり、原初の精霊騎士11人」
「……またあれの相手か。骨が折れる」
「実のところ、成すすべなく僕はやられました。でも父さんなら勝てるでしょう? お願いします。僕を、救ってください。報いてください僕の死に」
そしてジークフレッドの使徒は、頭をさげた。ジョシュアはそれを受け頷いた。
彼の主であるジークフレッドは母の胸の中で、されど眠るのだった。




