第13話 墓標の領域
「では主様。神域は初めてということで、私の方からご説明をさせていただきます」
気が付けば、墓標立ち並ぶ中で、ジョシュアは椅子に腰かけていた。正面には微笑みを絶やさない女性。丁寧にお辞儀をしたあと、彼女は笑顔で片手を広げる。
ジョシュアの視線を誘うように、黒い衣装に身を包んだ彼女は周囲を撫でる。
「ご覧のように、ここは主様の魂の在りかたが現れた世界です。名づけるならば、そう、墓標の領域、ですかね。失礼ですが寂しい世界ですね。ふふふ」
彼女は口を手で隠しながら微笑んでいる。ジョシュアは眼で彼女を追うが、自分の身体が全く動かないことに気が付いた。
「この領域は主様の存在でできています。魂が今ゆっくりと、この領域に至ろうとしています。しばらくは指一本動かせません」
ジョシュアは心の中で、お前は誰だと、問いかけた。当然のように口は動かない。
「私は主様の使徒、ああ、名前はありませんよ。誰だと言われても、私は神域の案内人であり、主様が生みだした主様だけのモノです。身体が動かせるころには、様々な私があなたの前に現れます。一応個体として別になるように望まれてますので、全ての人格や容姿は異なりますが。蟲とは違いますよ。ふふふ」
連れの、シリウスはどこへ行ったと彼は心の中で尋ねた。
「あの方は許可されておりませんので、領域からは出ていただきました。入ったところから出ておられるはずです。ああ、無事ですよ。主様はすぐに人のご心配をなさる。ふふふ、はははは」
その女性は、クルクルとその場で回り、高らかに笑った。能天気な女だと、ジョシュアは思った。彼女はくるっと回り、首を傾けてジョシュアの顔に接近する。彼女の吐息が彼の顔に届く。
「その能天気さを主様は欲しがってるのですよ。少し照れましたか? ふふふ、私は主様のモノ、望むのならばどんなことでも、当然夜伽も。いつでもおっしゃってくださいね」
からかうな、とジョシュアは心の中で呟いた。
「はい、仰せのままに。私は主様の使徒。主様の心を知るモノ。主様の知らない主様を知るモノ。ふふふ、はははは」
彼女は笑う。そのはじけるような笑顔と、微笑みはジョシュアを暖かな気持ちにした。彼の表情は未だ動かせないが、きっと彼は心の中で微笑んでいた。
「さぁ、説明の続きです。主様はめでたく領域を得ました。おめでとうございます。これで主様も、願いを叶える権利を得ました」
願いを叶えるとは、具体的にどういうことだと彼は問いかける。
「願いを叶えるとは、願いを叶えることです。神の領域を全て征服した者には、一つだけ願いを叶えることができる石が与えられます。それはこの星の、原初から今へ至る魂の欠片です。と言っても全然わかりませんよね。私もわかりません。ふふふ」
なんでも?
「はい、何でも。死者ですら生き返せます。前回の勝利者は精霊種を生み出したようですが、何でそんなことをしたのかは誰も知りません」
精霊を生み出すほどの力など、想像できないと彼は思った。
「事実です。嘗ての世界は人しかいませんでした。ふふふ、案外、気まぐれだったのかもしれませんね。主様なら、何を願いますか?」
今のところ俺には願いなどない。と彼は思った。
「その通りです。知ってて聞きました。ふふふ、でもご安心ください。願いの石は心の底からの願望を叶えます。触れればきっと主様が求めることが起こります。逆にこうしようかなとか言う浅い願いは通りません。ふふふ、意地悪ですね」
今まで願いを叶えた者は何人いる?
「一人だけです。最初に生まれた神種の人だけです。生まれた瞬間に領域征服完了ですものね。ずるいです」
神種とは何だ?
「神の心臓を持つ者」
神の領域とは何だ?
「神種の心の内」
領域を奪い合わないで、共存すればいいんじゃないか?
「素敵ですね。ふふふ」
彼女は手を口に当て、笑う。少しの間、笑い続けた後彼女は真面目な顔を見せる。
「皆願いを求めています。神種は皆。何故かって? だって生きてるから。あれが欲しい、ああしたい、こうしてればよかった、こうなって欲しい、これが欲しい、あいつが欲しい、ああなって欲しい」
彼女は墓標に手を当てて、自虐的に笑う。
「何でこうならない? どうして自分の思い通りにならない? どうして後悔する? どうして楽しくない? どうして終わらない? どうして始まらない? どうして振り向いてくれない?」
彼女が並べる言葉は願望の形。
「どうして母さんは愛してくれない?」
ジョシュアの心に何かが突き刺さった。彼女の言葉は、いつの間にか彼を突きさすように。
「一つでも思ったことがあれば、それは願いになります。ふふふ、はははは。ああ、何て、何て、他愛なくて、些細なことで、純粋なんでしょう」
彼女は微笑んだ。ジョシュアの顔を見ながら。その顔に、ジョシュアは眼を背けることはできなかった。
「少し興味を持たれたようですね。では、これから領域を攻め入る時の、ルールをご説明しましょう。大きく三つの決まりごとがあります」
いつの間にか彼女の言葉に、彼女の仕草に、ジョシュアは集中していた。なぜこんなにこいつは、自分の眼を奪うのだろうか。と彼は思った。
「ふふふ、では三つの一つ目、神の領域はそれを持つ主の許可なければ、入ることはできません」
……攻めれないじゃないか、ジョシュアの心は呟いた。
「はい、そして二つ目、神の領域は神種の心臓です。領域を得るには心臓を壊して自分の領域で塗り替えてください。主様の心臓は神種ではないので、壊されたとしても大丈夫ですけどね。主様は殺された場合にのみ、領域の譲渡が行われます。卑怯ですねぇ」
心臓を失ったら結局死ぬだろう。
「はいその通り、あ、今の笑うところですよ? ふふふ。では三つ目、一つ目の決まり事には例外があります。その例外とは、領域を持つ者が最後の二人になること。最後の二人になった瞬間に、領域の行き来は自由になります」
最後は決戦になるのか? いやそれでは、そこまではどうやって互いに攻め入る?
「数万年も戦い続けて未だ決着がついていない理由がそこにあります。そう、領域に籠ったら、最後の二人になるまで攻め入れなくなるんですよね。もちろん! 例外があります。それは、繋がり、繋がりがあること、血の繋がり、心の繋がり、あと執着心とか。ふふふ」
それじゃ決まり事四つにならないか?
「おっと、またまた笑うところですよここ。ふふふ、はははは」
「変な奴だなお前は」
「あら、声が出せましたね。ふふふ、腕は動きますか?」
「……大丈夫だ。動く」
「はい、では改めましておめでとうございます。ようこそ神域へ」
「ああ……ところでさっきの話だが、繋がっていれば、いけるんだな?」
「はい、無条件で」
「そうか……なら最初に行く領域は決まったな」
「はい、承知しております。奥様の魂、取り戻さないといけませんしね」
「……はっ?」
「ふふふ、半分盗られてますよ奥様の魂、私が知ってるんですから、主様も知ってるはずでしょう? それとも、気づかないフリ、してました?」
「…………そうだな」
「ふふふ、はははは、ははははは!」
彼女は笑う、高らかに笑う。墓標の中で、黒い服を着て笑う彼女。
ジョシュアは気づいた。この衣装、この姿、これはそう
「修道女……母さんの服……?」
気が付けば、黒い服を着た女性が周囲に立っていた。様々な体格の、様々な髪型の、様々な顔の、女性が立っていた。
「私たちは主様の使徒、望めばどこにでも現れ、誰とでも戦います。私たちは主様を決して否定しない。決して裏切らない。決して、寂しがらせない。さぁ、参りましょう。願いを叶えに参りましょう。領域を取りに参りましょう」
周囲の女性たちは、微笑みんだ。様々な顔の女性たちが笑顔で彼に対してお辞儀をする。一斉に頭を下げるその姿は、城の使用人たちが並び頭を下げる姿に似ていた
その光景に、異様な光景に、ジョシュアは何故か、奇妙さよりも暖かさを感じていた。




