第12話 神域
ロンドベリアの首都には大きな塔がある。政治を行うための大総統府。
そこには捕らわれた人々がいた。外の兵はいつの間にかすべて退き、誰もいなくなったその場所で、ルクメリアの騎士団は塔を開放した。
敵が急に退いたのだ。理由はよくわからない。だが結果として、ロンドベリアから敵はいなくなった。
「これは、退いてもらったと考えるべきかな。どう思うベルドルト」
「うん、そう思ってもいいだろう。決定打がなかったからね。警戒を密にしないといけないけど、ロンドベリアは広大だ。他の都市や村まで警戒となると人が足りないと思うんだが、どうしようか」
「ルクメリア騎士団は兵数が少ないからこういう時は辛いなぁ」
塔の下でベルドルトとグラーフの二人は語り合う。彼らは気が付いていない。塔には赤子がいないということに。
そして、ロンドリアの首都の一角で、巨大なひび割れがあった。その先は暗く、禍々しい森が広がっている。
ジョシュアたちはそのヒビ割れの下へと立っていた。彼の仲間たちと共に。
「これは……何だと思う。シリウス知らないか」
「この先は神域です。それぞれの神種が持つ領域。ここの世界の常識など通用しない空間ですよ」
「そうか……敵の軍勢は、この中に籠ったのか?」
「そうですね。いわゆる本拠地というやつです」
「……本拠地か」
騎士たちは皆無言で立ち尽くしている。空間が割れているというこの状況に、皆見ることしかできなかった。
「攻めますか?」
金髪をなびかせ、シエラはジョシュアに話しかける。ジョシュアは彼女を横目に見ると、顎に手を当て思考した。
「正直急ぎたい。カレナもあまりいい状況じゃない。マリアはうまく隠しているが、鎧化させなければもう歩けないんだ。できれば早く終わらしてあいつを帰したい。だが」
明らかに罠であると、ジョシュアは感じていた。シエラは顔を下げ、歯を食いしばった。
皆が一様に考え込む中、割れ目の先、向こうに一人の男がいた。いつの間にか現れたそれに真っ先に気が付いたのはジョシュアの後ろにいた騎士の一人、メルフィ。
一瞬のうちに剣を抜いた彼女に続いて、他の者たちもその男に気が付いた。
「お待ちください。我々はもう戦う気はありません。あなた方の強さはよくわかりました。剣を納めてください」
割れ目の先にいる男は武器を持っていなかった。彼は頭を深々と下げ、ジョシュアたちに頭をさげたまま、話し始めた。
「私は使徒の一人、神種バランドール様の使いです」
その男は一歩下がり、人を招き入れるかのように腕を広げた。
「群は全て止まっております。あなた様、そう、あなた様の中に、神域に至ろうという方はおられますか? バランドール様は今の世が気になさる様子です。どうぞ、お入りになって主の話し相手になってください。見返りに、神域へと至らせてくださいますよ」
「……何を言ってるんだ。シリウスわかるか?」
「いや、そんな……わ、罠に決まってる……! 貴様ら何を考えているんだ!」
「大丈夫です。それに一人だけ罠にかけても仕方ないと思いませんか?」
「うぬぬ……」
男は姿勢を崩さない。騎士たちは皆、彼を訝しんでいる。
ジョシュアは思った。急ぎたいと。何かがわかるのならば、罠にのるのもありではないかと。
「そうだな、カレナの身体も心配だ。急ごう。わからんならわからんなりに、動いてみよう。俺が行こう」
ジョシュアは一歩歩き出した。それをみたジークフレッド・シリウス・セブティリアンは、ジョシュアの肩を掴み彼を止める。必死の形相で。
「駄目です。せっかく拾った命です。捨てることは無い」
「……だがとどまっていても同じだろう。攫われたという子供たちも気になる」
「いや、あの、それは……しかしあなたが」
「あなた様も、いかがですか? あなたも神域へ至れるかは主次第ですが」
ひび割れの向こうにいた、神の使徒の男は顔を少し上げ、そういった。その言葉の前に、ジークフレッドは嫌な予感を抱きながらも、何も言えなくなった。
「行くぞ。騎士たちはここで待機しててくれ。メルフィ、リンドール卿たちを呼んでこのひび割れを囲んでくれ。ここから敵が出てくるかもしれない。一人も通すなよ」
「はい先輩」
「ではこちらへ」
そして、二人はひび割れを越える。神の領域へと足を踏み出す。
一歩中へ、足が沈む、腐葉土の混じった地面。
最初に感じたのは空気。匂い、湿気、肌を濡らすような湿気。
沈む足を上げるとついてくる土。上は空、狭い空、緑から覗く狭い空。
「さぁこちらへ、私の後に、この道外れますと、群が襲い掛かってきますよ」
丁寧に、男は道を伝える。ジョシュアとジークフレッドは、彼の言うがままに進む。
ジョシュアは周りを観る。蟲、蟲が蠢いている。醜悪な蟲。道を外れることはあれに襲われることを意味するのだろうか。
「神種の領域はその者の心が現れます。心の底で思ってる理想郷。それがここに現れます」
ジークフレッドが語る。歩きながら、踏み込んだ土を跳ねながら。
「これが理想郷か。中々いい趣味をしてるなここの主は」
「バランドールは……あくまでも僕の世界の彼ですが、彼は、人を招き入れるような者ではありません。何か、何かを企んでるはずです。お気をつけて」
「ああ」
奥へ進む。奇妙な森の中を進む。
そして、そこには巨大な屋敷が現れた。森の中に、貴族が住むような屋敷が現れた。
ジョシュアたちを案内していた男は屋敷の扉をノックすると、一拍おいてから扉を開けた。
「さぁ、どうぞ。ああ、ご心配なく、靴は綺麗にしておきました」
泥だらけの道を歩いてきたジョシュアたちの靴は、気が付けば綺麗になっていた。一つのシミもなく。
不思議だなとジョシュアは思ったが、気にせず進むことにした。
ジョシュアたちが屋敷に入ると扉は一人でに閉まった。そして、周囲は真っ暗になる。屋敷の中は、何もなかった。
真っ暗な中に、唐突に中央に光が差し込んだ。日の光ような明るい光。その光の中には机と椅子があった。
「まるで夢のようだな」
ジョシュアはそうつぶやき、椅子に座った。背負っていた巨大な両手剣を降ろして、背もたれのある椅子に腰かけた。
ジークフレッドは光の傍で立つ。彼の椅子も目の前にあったが、彼は咄嗟に動けるよう立つことを選んだ。
「ようこそ私の世界へ」
ジョシュアの正面、無精ひげを生やした男が現れた。男は椅子に座り、その細く鋭い眼を光らせ、年の瀬は若いというほどの顔ではなく、壮年と断定する顔でもない。
「私の名はバランドール。嘗て、人だった者」
男は言葉を発した。深い、低い声で。
「さて、よく来てくれた。少し疲れたろう。茶を出そう」
パチンと男は指を鳴らした。するとジョシュアの目の前に暖かい木のコップに入った飲み物が現れた。
「……気が狂いそうだ。なんだここは、シリウス。声を聞かせてくれ」
「大丈夫です。気を確かに持ってください。すぐなれます」
「そう、だな」
「うむ、やはり、少し暗すぎるかな。これでどうかな?」
男は、バランドールはまた指をはじいた。現れるのは火。ろうそくの火。周囲にはろうそくが並び、真っ暗な空間はたちまち屋敷の一室へと変わった。
「……手品師に要はない。何のために人を呼んだ? いや違う。まずは子供だ。ロンドベリアの赤子はどこだ」
「赤子……うむ、そういえばいたな。わかったあやつらは帰そう。私としては、真っ向から争う気はないのだよ人とな」
「何だと、ルクメリアの国王を襲ったのは何だったんだ」
「それは私ではない。他の者だ。私はあくまでも、進攻の手伝いを……っと争うつもりもないのにそれはおかしいか」
バランドールはその無精ひげを擦りながら、微笑んだ。微笑みと共に火は動き、ジョシュアの顔がろうそくに照らされる。
嘘をついているのか、遊んでいるのか、ジョシュアには目の前の男は理解できなかった。
「……もう右往左往するのはまっぴらだ。教えろ、何をしたいんだお前たちは」
「うむ……お前は、知っておるか? 神種と言うモノを」
「名前ぐらいしか知らん」
「であろうな。知っておれば聞くはずがない。何をしたいのかなど。神とは人ならざる者、それは」
「お前と哲学をするつもりなどない。何故人を呼んだ?」
「ふふふ、時間が限られてる人らしい男だ。私は、探している。あの男に、刃向かえる者を」
「誰だその男は」
「神種を殺す者。神域に至った者、神種以外で願いを叶えんとする者、嘗て、人の世を統べた者」
「……馬鹿な。バランドールお前は」
バランドールの言葉に、隣に立っていたジークフレッドは反応する。その顔は信じられないこと聞いたというような顔。
「知ってるのかシリウス」
「はい、でも彼は……この時代にはまだそこまで……」
「あの者はすでに5の神を殺し、神域を侵食している。神の領域の半分近くが奴のモノ。残っているのは四つ、蟲、兵、孤独、そして戦の領域。いや、五つか。最近生まれた領域は今は何もないが一つと数えていいだろう。我々は協力し、あやつを殺そうと今動いておるが……」
「馬鹿な。そんな馬鹿な、神種は領域、願いの結晶を得るために、互いに争っているはずだ。協力だと……」
「お前は神種について詳しいようだが、争っていたのは過去の話だ。もはやあやつを止めねば願いを叶えることなどできん。あやつが半分の領域を取っているのだからな」
「馬鹿な、ならば何故最近生まれた神種を捕らえようとしたんだ。あんな、強引な手段を取ってまで」
「そのような手段を取る者は一人知っておるが、あやつは未だに楽しみを捨てていない。人の戦力を削ぐと言ってはいたが、まさかあやつまだ願いをあきらめてはいなかったか」
ジークフレッドは困惑する。彼が知っていることと、眼の前の男の言葉に差があることが、彼を困惑させていた。
ジークフレッドは疑問を解決させずにはいられない。疑問を次々とぶつける。
「ではロンドべリアの子供を捕らえたのは?」
「子を捕らえてかの国を裏から操作しようと言い出した者がいる。その者は我が領域に子を置いていったが……そうか、神種を探していたのか」
「僕らの本拠地を襲ったのは?」
「戦場において砦は重要な拠点。落とすことで無力化もしやすい。ただの戦略よ」
「……お、お前は、神種の子を探す気などないと?」
「そうだ。子などほっておけばよい。私は願いなどないからな」
「そんな馬鹿な」
「私は群が欲しかった。私の手足になる群が。それは嘗て、世界を征服しようとした私の夢。だがそれは力で叶う願い。所詮、心の底からの願いではなかった。故に私には願いを持つことができない」
「……な、ならっ」
「シリウス、もういい」
「はい」
ジークフレッドは息を吸い、一息つく。その様子を見て、ジョシュアはバランドールに向き合った。
「それで、何の用だ」
「私と一つ、遊びをしないか? 私に勝てれば、我が領域をくれてやってもいいぞ」
「遊びだと、時間は無いぞ」
「簡単にできる遊びだ。なぁに、数万年退屈してた私は遊びたいのだ」
「……どんな遊びだ?」
「我が問いに答えるだけだ。見事に答えきったら、お前の勝ちだ」
「答えられなかったら?」
「お前は帰ってもらう。そして次のやつに問いかける」
「……わかった。とっとと言え」
「ふふふ……」
バランドールはコップを手にし、暖かい飲み物をすすると、楽し気な顔を向けてジョシュアに向かい問いかける。その問いは一言ずつ、ゆっくりと、丁寧に発せられた。
「誰もが幸福を得る世界、どういう世界を思い描く?」
「思い描けない。そんなものは無い」
「……ほぅ? 何故だ。家族、恋人、友人、そして他人、全てが全てを理解しあい、笑い合えばそれは、幸福ではないのか?」
「幸福なのはそこだけだ。他はどうだ。他の場所では、一人たりとも寂しさを感じていない者はいないのか。極端だが、例えば殺し合いに幸福を感じる者がもし殺したとして、殺された者はどうだ。人が、精霊が、個人としている限り、それは脆い。全てはどこかに選択が生まれる。切り捨てる選択だ」
「一理あるが、現実的過ぎはしないか?」
「俺に聞くことじゃない。俺は騎士として幾多の敵を斬った男だ。聞くならば、もっと……別のやつに聞け。俺はもう人の幸福を奪った男だ」
「うむ……」
「望む答えではないようだな。それじゃ帰らせてもらおうか。お前が俺達の敵でないというならば、もう二度とあの蟲をよこすな。次は俺が、全力で叩き斬る」
「うむ……うむ……」
「さぁ、早くしろ。それとも今斬り合うか? 俺は構わんぞ。実のところ、最近振り回され過ぎてな。少し鬱憤がたまっていたところだ」
「よかろう」
その言葉に、ジョシュアは立てかけていた両手剣を取る。刀身を覆っているカバーを外そうと、剣の紐に手を掛けた。
「待て、早とちりするな」
バランドールは手を突き出す。止まれというその行為は、ジョシュアの手を止めた。
「あの男は全て捨ててそれを目指そうとしている。お前とは違う。故に、お前にくれてやろう。あの男に対抗する力を」
「何?」
「お前に託す。さぁ神種を全て説き伏せ、叩き伏せ、斬り伏せ、そして全ての領域を取りあいつに対抗せよ。願いはあやつにくれてはならん。あやつの願いは全てを滅ぼす願いであるぞ」
「何、どういうことだ」
「馬鹿なバランドール……」
「群、蟲の王国、美しい世界であった。実のところ私はもう長くはないのだ。戦いなどもう、できん。あやつとの戦いが、私の命を奪った。さぁ貰ってくれ我が領域」
「待て、さっきから誰のことを言ってるんだ。俺は誰を敵にすればいい」
「神種の間では、神を殺す悪の王、魔王と呼ばれる男だ。アークトッシュ・ベルゼ・ルクメリア。始まりにして終焉を告げる者。気をつけろ。あやつは我が群全てを相手取っても尚余裕がある」
「アークトッシュ……だと」
「……そうです初代ルクメリア王です。父さん。」
「では参ろう。我が領域を出す」
バランドールはそう言うと、自らの胸を貫いた。血は一滴も流れず、それはまるで最初から取り外せるかのように、至極簡単に取り出された。
心臓、緑色の心臓。淡く光るそれは、宝石のようだった。
「さぁ、私の領域だ。触れるがいい」
ジョシュアは迷いなく、その心臓に触れた。緑色の心臓は、銀色に変わり、それは砕け淡い光となって周囲に降り注いだ。
地面が変わる、色が変わる、周囲が変わる。流れるように移り変わるその領域は、森は消え、蟲は消え、屋敷は消え、代わりに広がっていくのは荒野、何もない荒野が広がっていった。
「すぐにお前の心が映し出される。くくく……ではあとは頼むぞ。名も知らぬ人よ。ようこそ神域へ」
心臓を失ったバランドールは、緑色の光となって消え去った。
領域、神の領域、ジョシュアが受け継いだその領域は、ある一つの形を作る。それを見ていたジークフレッドが言葉を漏らすその形は――
「墓標……? 父さんの領域は、墓標? 何でこんなに、華やかな、英雄たる父さんが何で?」
十字に木を重ねた墓標が立ち並ぶ荒野。
気が付けば見渡す限りの墓標が立ち並んでいた。




