第4話 動乱 前編
――奇跡は、起こってしまったらもう、誰も戻れない。
ジョシュアとヴィック、そしてミリアンヌはルクメリア王国の門を潜る。三人揃って。遠征をわずか一日で終わらして彼らは帰還する。
前から来るのはルクメリア騎士団の騎士たち。皆神妙な顔をして歩く。馬車と馬を引き連れ、その人数は数百名。
先頭にはルクメリア騎士団長グラーフ・リンドール。その横には精霊騎士第10位ベルドルト・ディランド。
「あれ、ジョシュア君じゃないか。ザイノトル卿も。もう戻ったのかい?」
「はい、ところでリンドール卿遠征ですか?」
「ああ、実は……そうだ、丁度良かった。ザイノトル卿にも来て貰おう。誰か馬を彼に!」
兵士の一人が立派な馬を連れ、その手綱をヴィック・ザイノトルへと手渡す。ヴィックは躊躇することなくその馬にまたがった。質問すらせずに。
「戻ってきてすぐに悪いね。そうだミリアンヌ嬢に連れて行ってもらえれば……いやこれだけの数だ。歩調が合わないか。すまない」
「いや全然いいですけどわたくし。どこへ行くのかは知りませんけど、ご武運をですわ」
「ありがとう、それじゃ、ジョシュア君、ミリアンヌ嬢。僕らは行くよ。それじゃ行こうかベルドルト」
「そうだね。戻ってきたら食事にでも行こうよジョシュア君。ではまた」
そしてグラーフたちは馬に乗り、出立していった。グラーフたちに続く兵士は1000名余り。ずらっと並んで進むルクメリア騎士団の姿はまるで戦場へ赴くかのように重々しかった。
「何があったんだ」
「さぁ? 考えても仕方ありませんわ。わたくし家に戻りますのでジョシュア卿報告をお願いしますわ」
「え? は、はぁ……」
「ではまたの機会に」
ジョシュアが別れの挨拶をしようと息を吸おうとした時には、ミリアンヌの姿は消えてなくなっていた。
自分が押し付けられた報告任務に少し面倒さを感じながら、ジョシュアは城へ向かって歩いた。
城下町はいつも通り、人は往来し、商店が立ち並ぶ道では活気にあふれた店主たちの声が響き、道の隅では主婦たちが井戸端会議に花を咲かせている。
城下町はいつも通り、皆は笑い、平和を満喫している。
だが城は、いつも通りではなかった。
兵士たちは右に左に、忙しく走り、城を守る騎士たちは皆緊張した趣で立っている。
「あ、先輩、お疲れさまです!」
「君は……誰だったか?」
「キラッグっすよ! 闘技大会一回戦で先輩に負けた!」
その長身の男は、騎士らしく髪を固め、しっかりとした面持ちだった。一年前の闘技大会で見せた子供っぽさはなりを潜め、彼はしっかりとした顔で立っていた。
「ああ……君か。懐かしいな。だいぶ変わったな」
「ええ、まぁ、俺も負けていろいろ考えることがありまして」
「そうか、よく頑張ったな。自分を変えるのは大変だったろう」
「表だけって感じっすけどね」
「それに……君は、メルフィか? 復帰できたんだな」
もう一人、キラッグの後ろに立つのは前回の闘技大会でジョシュアと戦ったメルフィ・メルシュレッド。綺麗な顔持ちで、しかしながら憂いを帯びたその姿はジョシュアに名を思い出させた。
「……帰還お疲れさまです先輩」
メルフィはジョシュアから顔を背け、目を合わさないように目を合わさないように、ジョシュアに背を向けた。
「どうした? 何かあったか?」
「あーそいつ、先輩の前で前暴れちまって、恥ずかしがってるんすよ。ありゃ失態っすからね」
「黙ってキラッグ。すみません先輩、あの時は……」
「いや、いい。あれは仕方がないさ。だがもう汚染はないだろう? 根を取り除いたからな」
「はい」
「精進してくれ二人とも、ところで、何かあったのか? 何だこのあわただしさは」
「あれ? 知らないんすか? ロンドベリアが落ちたんすよ」
「……何だと? 落ちたって、どういうことだ?」
「え? 落ちたんすよ。攻め落とされたんです。ロンドベリア共和国首都が」
「何だと? ロンドベリアだぞ? 数万の兵と山岳に囲まれた首都を持つロンドベリアだぞ? 賊などにどうこうできる規模の国ではないぞ。いつだ? いつ連絡が入った?」
「今朝です。先輩たちが遠征に出かけてすぐ。第一報が国が落とされたっていう連絡でした。難民が今ルクメリアの国境に集まってますよ。仮住居を準備してますが、数日では準備できないでしょう」
「信じられん。あのロンドベリアが……待て、そうだ、ダンフィルだ。ロードフィル卿はどうした?」
「戻ってないっす。連絡してきた兵士も血だらけで、報告にすらなってませんでしたし」
「そうか……あいつは仕事を放棄したりはしない。きっと大総統にまだついてるのだろうな」
「今リンドール卿が遠征班を組んで出立いたしました」
「ああ、それは会った。ロンドべリアは、どこに襲われたんだ? ルードは復興でまだ兵士もまともに揃ってないだろう。ロンドベリアの北は山岳だ。東は海。完全に攻め落とすにはルクメリア並みの戦力がいるぞ」
「敵はわかりません。報告すらありませんでしたし、ジョシュア先輩の言う通りまともに攻め落とせたりはしませんよ」
「……そうか、わかった。ライアノック卿はどこだ。報告があるんだ」
「上です。団長室」
「仕事をリンドール卿に押し付けられたか。わかった。ではなキラッグ。メルフィ。またいつでも胸を貸してやろう」
「ありがとうございまっす先輩」
「……ありがとうございます先輩」
二人は深々と頭を下げた。ジョシュアは彼らのその姿に、少しむず痒さを感じていた。それは彼が人に敬の念を抱かれるのに慣れてないから。
ジョシュアは城の階段を上り、ルクメリア騎士団団長室がある一角へと速足で向かう。ドアの前に立ち、急いでドアをノックする。
「む? 誰かな?」
「失礼します」
部屋の中から聞こえてくる声を待たず、ジョシュアはドアを開け放つ。勢い余って叩き付けられる扉に、中にいたシグルス・ライアノックは驚きの顔を見せた。
「どうした?」
「すみません、力がすぎました」
「君は相変わらず大きいな。報告かな? 生憎リンドール卿がいなくてな」
「はい、新しい島のことですが……報告書にして後にした方がよさそうですね」
「そうだな。聞いたか?」
「はい」
「貴公には詳しく話したいところだが、生憎、ロンドベリアが進攻されて落とされたということ以外は情報がないのだ。あまりにも早すぎて斥候すら出せなかった」
「……では、私がロンドベリアに向かいましょう。飛んで向かえば一日かからず着きます」
「そうだな。それも手か……いや、今更斥候を出してもしかたあるまい。貴公には援軍を連れて行ってもらおう」
「援軍ですか? 出立した騎士団は何名ぐらいですか」
「1000と騎士10名。ルード進攻時並みの戦力を整えた。だが、ロンドベリアが一日で落とされる相手だ。楽にはいくまい。いざという時の為に攻城兵器もだしておきたい」
「わかりました、では早速準備して参ります。引退した身に頼むのは申し訳ございませんが、ライアノック卿兵たちの準備を」
「うむ、わかった。貴公は家に戻り準備をするか?」
「はい、数人戦力になる者たちもいます。連れていきます」
「そうか、では頼む。急ぎ戻り準備してくれ」
「はい」
ジョシュアはシグルスに一礼すると、走り出した。城の窓を飛び越え、中庭へと飛び出す。
中庭から門へ、最短距離で城を出る。彼は、ロンドベリアで何が起こったのかを知りたくて必死だった。
商店が並ぶ道を抜け、中央通りを抜け、貴族街を抜け、ジョシュアは自分の家へと走った。
玄関の前で大きく息を吐くと、ジョシュアは屋敷の扉を開いた。
「シエラ! どこだ! 出発するぞ!」
ジョシュアの声は屋敷に響く。だが誰からも返事は無い。
「いないのか? 何だ、仕方ない着替えて戻るか……シエラの力も欲しかったんだがな」
ジョシュアは自分の部屋へ向かおうとした時、どうせならと自分の子の顔を見ようと子供部屋へと立ち寄った。
急いでるとは言えそれぐらいの時間はあるだろうと。
子供部屋のドアノブに、手を掛ける。中から声が聞こえる。
ここにいたのかとジョシュアは思い、扉を開ける。そして彼の目に飛び込んできたものは――
「もっとあたためんか! 血が出すぎて体温が下がっとるぞ!」
「やぁってるよ!」
「血をもっと作れレイス!」
粉々になった子供用のベッドと、窓、そして真っ赤な床、真っ赤な水たまり。
真っ赤な、身体。
「か、カレナ、か?」
倒れる真っ赤に染まったカレナの身体に、白く銀色の翼が覆いかぶさっていた。
「せ、先生っ! 戻ったんですか!」
「馬鹿お前、おっそいんだよぉ!」
「レイスはよ血を止めんか! 死ぬぞ!」
「し、死ぬ? カレナが? だ、駄目だ!」
ジョシュアは駆け寄った。倒れているカレナに向かって。彼女の顔を見る。血の気は失せ、浅い息をするカレナの姿に、ジョシュアは何かが切れたような、失っていくような感覚に襲われた。
「……な、何があった? マーディ・ロナ?」
「お前の妻は、カレナは斬られた。剣での」
「誰に? 誰にだ? どこへ行った?」
「……落ち着いて聞くのだ」
「落ち着けるか! 誰だ!」
「ユークリッドと……マリィメア。間違いない」
「ふざけるな! するわけないだろう!? ファムと母さんだと!?」
「……ならば自分でみてくるがいい。窓から飛び出ていった。お主の子を抱えてな」
「シリウス……そうだシリウス! くそっなんだ、なんだくそっ……くそ! カレナ、シリウスっ……何だっていうんだ! レイス! カレナを治せ! これを使っていい!」
ジョシュアはレイスに向かって鞘に収まった剣を投げた。それは白銀の剣。白銀の剣に黄金の脈が走る剣。
「マリア何とかしろ! 俺の命を使ってもいい!」
『はいはい無茶振りね』
「レイスこいつの力でお前の力が活性化する。俺の身体のように。カレナを頼むぞ。俺はこいつがいないと、駄目なんだ」
「……わかった。任せて」
「シエラ剣を貸せ!」
「はい!」
ジョシュアはシエラが投げた曲刀を受け取ると、窓から飛び出た。二階とは言え彼には関係ない。地面に着地すると、ジョシュアは高らかに叫んだ。
「ヌル・ディン・ヴィング!」
竜は羽ばたき、ジョシュアを攫う。ルクメリアの町の上、空高くに精霊竜は翼を広げた。
「……どこだ。シリウス。絶対に見つける。絶対に!」
ジョシュアの黄金の右目は、強い光を放つ。人の数倍の視力を持って、彼は自分の子を探した。小粒のような、小さな人たちを全て判断していく彼の眼は、すでに人のそれとは別物であった。




