第1話 新世界の年明け
精霊の世界と人の世界は表裏一体、常に隣にあったその世界。世界が繋がることで、人も精霊も同じ場所、同じ土地に存在するようになった。
今までただの草原だった場所に精霊の町が現れ、荒野だった場所に人の町が現れた。それは、まるで最初からそこにあったかのように。
ルクメリアの国王及び世界の代表者たちはすぐに手を打った。領土や国というものが曖昧だった精霊たちに選択肢を与えた。
全ての精霊の町は都市国家として、村長や町長、ギルド長を代表とし、ルクメリア王国並びに隣国における交易の自由を与えた。
皮肉なことに、精霊たちは嘗て人に追いやられていたため、結果として、国家のど真ん中にぽつんと都市国家ができるという事態は回避されていた。そのため思いのほか簡単に、精霊たちは、人は、この状況を受け入れた。
――さぁ、もう一度夢を魅せてあげよう。俺が、幸せを教えてあげよう。
ジョシュアの帰還から数か月、ルクメリア王国は今新年祭の真っただ中にあった。
城下町を行き来する人々の中に翼を持つ者の姿が混じる。露店が立ち並ぶ道の端で、二人の男が肩を並べ立っていた。
一人は一際大きな身体に黄金の線が入った白銀の剣を携え、右目を金色に輝かせ立っていた。
一人は小柄な身体に漆黒のマント、背には11の番号を背負い二つ折りにした槍を背負い立っていた。
「なぁ、お前一回も背負ってないんじゃねぇの? 精霊騎士の紋章。精霊会議でも一人だけふっつーの格好してるしよ。何かこだわりでもあんの?」
「いや、何というかな。仰々しくてな。気が乗らないんだ」
「そうか? 俺なんかずーっと精霊騎士のマント愛用してるぜ。なぁ似合うだろジョシュア卿」
「それはやめろロードフィル卿」
二人は顔を見ずに話し合う。他愛のない世間話。道行く人は彼らがこの国最高戦力の精霊騎士であることなど気にも留めない。それはきっと平和だから。
「しかし、まさかダンフィルがディランド卿に勝ってたなんてな。帰ってきて一番驚いたよ」
「ギリギリだったけどな。しかも俺だけ鎧有りで、向こうは鎧無し。互いに鎧化してたら絶対負けてた。ルールってうまくできてるんだなぁ。感動したぜ」
「しかも父親から爵位譲ってもらって男爵か。前は騎士の塔で教官に下剤を仕込むような奴だったのに、たった二年で変わるもんだな」
「まだバレてねぇんだから誰にも言うなよ。へへへ」
「他もいろいろ変わってたな。リンドール卿が5位で騎士団長。ライアノック卿も引退して大臣職。あと、ディランド卿は一つ上がって10、お前が11か」
「ついでにリンドール卿新婚さんと来たもんだ。あれで迷いなくお前の援軍に行けるんだもんな。尊敬するぜ」
「結局来た意味あったのかってファムは憤ってたけどな。まぁかなり助かったよ。ファム達無しだったらもっと時間がかかっていただろう」
「報告書読んだけどよ。ぶっとびすぎててもう何か童話の世界だったぜあの内容。実際こうやって精霊様が歩いてるんだから誰も疑わねぇけどな」
「自分でも今思うと、不思議な体験だったよ。きっとここに来ている精霊たちも同じような気持ちなんだろうな」
ジョシュアは町に立つ看板を見た。そこには人の世界の文字で祭り会場と書かれている。そして、その文字の下には精霊の世界の文字で同じ言葉が書かれていた。
「精霊語か。ややこしいがこれって本当に文字が違うだけなんだよな。文法も名詞も、ほっとんど同じ。最初は皆大混乱だったけどよ、お前んところに住んでるガキみたいなやつが翻訳書出したらあっという間に皆覚えたんだよなこれ」
「マーディ・ロナにガキという言葉は禁句だぞ。それで前一人頭の毛を全て焼かれたからな。しかしまさかあいつ人の世界の文字も読めるとはな。長生きはするもんだな」
「へへへ、全然そうはみえねぇけどな。さぁて、そろそろ出発の準備をしに行くかな」
「またロンドベリアか? 大総統の護衛など他の騎士に回せばいいんじゃないか?」
「あーまぁそうなんだけどな……あーうーん、いや駄目だ。大総統には気に入られとかねぇと」
「何かあるのか大総統に」
「誰にも言うなよ。下手したら俺、騎士どころか爵位すら消されかねねぇんだから」
「……何だダンフィル。何をした」
「俺、大総統の娘に、子供産ませちまったんだ」
ダンフィルは自分の鼻を掻くと、照れくさそうに顔を伏せた。ジョシュアは今日初めて、ダンフィルの顔を真正面からみる。その光る右目で。
「…………今からでも遅くない。精霊騎士を返上しろ」
「いや、待て、だからそうなるから黙ってたんだよ」
「お前何やってるんだ。同盟国の、しかもトップだぞ。あそこは共和制だから血筋とかは二の次かもしれないが、だからと言ってやっていいことと駄目なことぐらい」
「違う、最初は知らなかったんだって。俺、ロンドベリアによく行ってたからよ。でもほらルード平定してから平和だろあそこ。よく酒場行ってたのよ暇だから。んであいつによく会ってさ。で、まぁ、俺も若いっていうか童貞だったからさ。ぐいぐいいっちまったわけ。で、一発で当たっちまって……」
「結婚はしないのか」
「したいけどさ。あいつ、ロンドベリア政府の人間なんだよ。だからルクメリアに嫁ぐにしても任期があるし。かといって俺貴族で長男だから婿にもいけねぇ。だから何年かは無理だなぁ」
「そうか、子はいくつだ」
「まだ産れたて。お前んところの子供と2か月差ぐらいかな。女の子なんだけどさ」
「……そりゃ会いたいだろうな」
「ああ、ぶっちゃけあいつに似て美人なんだよ。あいつ、彼女はミラルダさんと同い年だけど包容力っていうの? すっげぇんだよ。もうすっげぇんだよ」
「全くお前と言うやつは」
「へへへ、それじゃ俺行くからよ。お前も頑張れよ」
「頑張ることもないがな。争いもぐんと減ったしな」
「皆いろいろ忙しいんだろうな。それじゃな」
「ああ」
ダンフィルは黒いマントをまき直し、軽く手を上げると人混みへと消えていった。
ジョシュアは見る。その人込みの中を。そして感じる。ある者の近づいてくるのを。彼は眼を滑らし、そして集中した。近づいてくるのは大きな荷物を両手に抱えた者。白い翼を銀色の翼をはためかせ、使用人の服を着た彼女。
「……持って。これ」
「レイスお前、俺に向かって来たのは荷物を持たせるためか。わざわざ遠くから俺を感知してまで」
「いいだろなぁ。半分でいいからさぁ。家までさぁ」
「メリアにバレたら怒られるぞ。主人に荷物を持たせる使用人がいるかとな」
「メリアさん固いんだよなぁ。もういい歳なんだからふわっとしてればいいんだよふわっと」
「お前はふわっとしすぎだ。仕方ない持ってやる」
レイスから荷物を奪うジョシュア。レイスの両手いっぱいに抱えられていた荷物を、彼は片手で持ち上げた。
「おーさすが、これであたしも腰を伸ばせるぞぉ。じゃあうちまでなうちまで」
「丁度帰るところだ。じゃあ行くか」
彼らは並び、歩き出した。ジョシュアの身体に自然と道行く人は彼らを避ける。
大きな道を過ぎ、貴族街へと通じる道へと彼らは歩いていった。
「使用人の服もすっかり板についたじゃないかレイス」
「まぁー居候の身だしなぁ。あたしは前の服が好きなんだけど、カレナさんが怒るんだよ。何が駄目なんだろう」
「……何でもお前のせいでカレナはちょっとした人気者になったらしい」
「はぁ? どういうことだよぉ?」
「お前と間違えられてえらい目にあったらしい。いや逆か、お前がカレナだと間違えられて……まぁファムが手を回した。もう心配はないだろうが、気をつけろ。お前とカレナが思ってる以上にお前たちは似ている」
「あー? わっかんないなぁ」
「ところでシエラはどうした。買い物は二人で行ってもらったはずだぞ」
「シエラはユークリッドさんと子供用の服とか買いに行ってるよ。今日は露店が多いから、ちょっと変わった服とか買えるらしい。あいつセンスいいからさ服選びの」
「そうか。すっかり仲良くなったなファムと。似た者同士ということか」
「かもなー。ところで、ジョシュアは仕事しないのか? お前の友達やユークリッドさんほとんど家にいないじゃん。でもお前ずーっと家いるじゃん。もしかして仕事回してもらってないのかぁ?」
「人聞きの悪いことをいうな。俺は長期休暇中だ。よくわからないんだが、国王が気をきかせてくれてるらしい。一年近く旅してたからな」
「そっか。まぁあんだけやったもんな。休むときは休まないとなぁ」
「まぁ、明日は精霊会議なんだがな。そういえばダンフィル会議欠席か。まぁ強制ではないからなあれは……」
「今更だけどさぁ。人って何で精霊をとんでもなくすごいやつみたいに信仰してるんだろうなぁ。全然変わんないのに」
「力自体はすごいからな。千年の間に何があったのかはよくわからないが、すがるのに丁度よかったんだろうなたぶんな」
「そんなもんかなぁ」
そして二人は家に着く。大きなジョシュアの屋敷に着く。
ジョシュアは荷物を玄関先に置くと、二階へ上がった。その後ろで案の定ゼブティリオン家使用人のメリアの怒声が飛んでいた。
「ふ、あいつも図太いな」
ジョシュアは二階の角の部屋へと急いだ。そこは自分の息子の為の部屋。
扉を開けると、子供用のベッドの傍で二人の女性が子供をあやしていた。一人はジョシュアの妻であるカレナ・セブティリアン。そしてもう一人。精霊神教の聖母であり、ジョシュアとユークリッドの母親のマリィメア。
「母さん。また来てたのか」
「なぁに? 来ちゃ駄目だったユリウス?」
「いやむしろ助かるが、巡業は大丈夫なのか?」
「精霊様が目の前にでてきちゃった今、精霊様へお祈りをーってするのもなんかおかしいでしょ。実際教会へ来る人もガンガン減ってるし。巡業も全然呼ばれなくなっちゃったわよ」
「当たり前と言えば当たり前か」
「私はちょっと複雑ねぇ。実際レイスさんとかマーディ・ロナさんとか見てるけど。思いっきり普通の人だもんねぇ。ユリウスとカレナさんの婚姻の誓いをした精霊様も、実際ふっつーの人だもんねぇ」
「深く考えたら虚しくなるからやめとくんだ母さん」
「そうね。カレナさん。かわりましょう、私がしたげるわ」
「あ、はいすみませんお義母様。さすがに慣れてますよね。お義母様がするとシリウスすぐ眠るんだもの」
「二人も育ててきましたから。ふふふ」
カレナはマリィメアに丁寧に子供を預けると、ジョシュアの傍へと立った。
そして、彼女はジョシュアの前で微笑むと、手を出した。
「何だ?」
「祭りのお土産は?」
「しまった、レイスの荷物に突っ込んだままか……下にある。持ってこようか?」
「あ、大丈夫大丈夫。じゃあご飯の準備しないといけないし、降りましょうか。お義母様シリウスお任せしても大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。行ってらっしゃい」
「ありがとうございます。それじゃ行こうか。今日はメリアさんと一緒に料理すごい凝ったんだから」
「ああ、レイスも手伝ったのか?」
「いえ、レイスさんは料理全然できないから手伝わしてないのよ」
「そうか、それなら安心だ」
二人は笑いながら食卓へと歩いた。何かが割れる音が一階から聞こえたが、二人は聞かないことにした。
世界が繋がったとしても、変わらない。結局は変わらない。幸せな家族は幸せなままで、不幸な者は不幸なまま。
世界のどこかで、ある男はその光景を見ていた。遠くで、近くで、見ていた。




