第29話 落日は昇日の為に
――結局、成したものは無に帰したのだろうか。
王は空に、無数の黄金の騎士を携えて、眼下には黒き獣、全ては前へ、ただ前へ。
王は行きたい。ただ行きたい。あの場所に、あの場所に、あの場所に。
故に王は命ずる。全ての者へと命ずる。進めと、進めと。
「はぁっ……はぁっ……ヌル・ディン・ヴィング、悪い、連れて行ってしまうかも、しれない……」
「自分が消えかける感覚は何とも言えんな。契約の代償。だが、まだ早かろう?」
「そうだ、まだ早い。鎧も解けた、剣も戻った、血は止まらない。だが、まだ早い」
「足掻け。それが、お前らしい」
「王を斬る、まだ早い」
竜は舞う、紅き布をはためかせ、彼はその背にて前を向く。
腹部に巻かれた布からは赤き血が滴り落ち、竜の背を染める。血と共に抜けていく何かを必死に抑え、ジョシュアは前を向く。
「ヌル・ディン・ヴィング、近くまででいい、俺を、王の上から落とせ。もはや俺は跳べない」
「……うむ、分かった。悔いの無い様にせよ」
「悔いになるが、できれば、子の名を決めてやりたかった」
「そうか」
決死の覚悟というよりも諦め。ジョシュアの切り裂かれた腹部はすでに痛みは無く、内臓が露出しないのはそのものが半分無くなっているから、致命傷と呼ぶにふさわしい傷口。
黄金の光の中で、輝く王の上で、ジョシュアは剣を掲げる。日の光を反射させ、その白銀の剣は光り輝く。
最後の一刀、それを確実に振り下ろすために、彼は竜の背から落ちようと背から首の根へと歩く。
そして、躊躇なく、思考もなく、彼は足を空へと踏み出そうとした。そして彼はふと、何気なく顔を上げた。
そこには白銀の翼を持った女性、どことなく自分の妻に似た雰囲気を持ったその女性は、両手を広げ彼を制止する。幻と呼ぶにははっきりしすぎていて、ジョシュアはその姿を見て、空へと出した足を引いた。
「本当に足掻きたいのならば、やめなさい」
はっきりと声が聞こえた。彼女の声は、幻ではなく、はっきりとジョシュアの耳に届いた。
「悪いが、話す体力も勿体ないんだ」
「この状態で、王に剣など届かない。わかるでしょう?」
「……やってみないと」
「わかるでしょう? 死にたくないと思ってる心があるなら、最後まで死なないようにしなさい」
「……どうしろというんだ。ほっとけば俺は死ぬ。自分でもわかる。王の一撃は、俺の中から大事なものをいくつか吹き飛ばした」
「あなたは死なない。降りなさい、降りて、会いなさい。あなたの大切な人に、とても良く似た娘に。彼女は持ってる、あなたを生かす方法を」
「お前は誰だ?」
「私は記憶、あなたの剣の元になった記憶、彼女であって、彼女ではない。私は記憶」
「……わけがわからないが、タイミングを逃した。言うとおりにしてやるが、そのまま死んだら恨むぞ」
「たっぷり恨みなさい。慣れてるわ」
言い終わると、ジョシュアが瞬きをする間に彼女は消えた。ヌル・ディン・ヴィングは中々飛び降りないジョシュアに疑問を抱き、首を傾げた。
「どうしたジョシュアよ。時間は無いぞ」
「気が変わったヌル・ディン・ヴィング、俺を降ろしてくれ」
「何?」
「あそこで派手に暴れてるのは、マーディ・ロナだな。レイス、近くにいればいいが……あそこに降ろしてくれ」
「死ぬ前に女子に会いたいと? そんな男だったかお前は」
「違う、あいつが俺を治せる。治れば、もう一度やれる。俺は同じ奴には二度負けない」
「……ほぅ、ワシが消える前に頼むぞ」
獣たちの中心で、四枚の黄金の翼は右に左に、ひらひらと飛びまわる。その羽ばたきに追従するように、地は爆破され、水は獣を断ち、雷は獣を撃ち、そして土は獣を落とす。
精霊の長老は世界最高の魂の使い手。その小さな手をかざせば獣は砕ける。
爆風を伴って、ヌル・ディン・ヴィングは獣を踏みつぶしながら彼女の後ろに降りた。
「む? ヌル・ディン・ヴィングどうしたんじゃ? 消えかかっとるぞ」
「ワシのことはいい。それよりも」
ヌル・ディン・ヴィングが言い終わるよりも早く、ジョシュアは彼の背から落ちた。受け身を取ることもなく、その巨体は地面にぶつかり派手に土埃を上げる。
もはや立つことはできない。獣たちの中心で、彼は倒れ込みながらも強い眼光で、マーディ・ロナを見る。
「ジョシュアか!? な、なんじゃその状態!? ちょっと待て、ええと、待て、ワシの石……あーくそっ全部ランディルトにくれてやったんだったっ! せめて止血できる石、属性の組み合わせを……」
「こいつが、レイスなら治せると言ってる。本当か? いや、本当であってくれ。どこにいる」
「こいつ? お主の剣が? 何言って……なっこれはラングルージュの娘!? なんとお主持っとったのか!? 気づかなかった……っていうか気にもしてなかったのぉ……あーそうか白銀、友人、そういうことか……」
「急いでくれ。もう一歩も動けない。意識が飛んだら、きっと戻れない」
「そんな怪我しとるのにはっきり喋れるとは……お主獣なみじゃの生命力。どれ飛ぶぞ、ヌル・ディン・ヴィング一歩も進ませるなよ獣たちを」
「うむ」
マーディ・ロナはジョシュアを抱える。目の前が揺れ、そして一瞬の内に景色は移動する。
「便利じゃろう空の魂結晶。やらんぞ? む、いかんな冗談すら聞けぬか」
マーディ・ロナは岩陰にジョシュアを引きずり込む、赤い血が線となって、黄金の光の中で一際目立っていた。
「せ、先生!? どうしたんですか!?」
「ジョシュアお前ぇ……」
「傷を見るぞ。シエラとレイスは手伝え。レイス、お主の母の、再生の石貸すのだ。ワシが治す」
「あ、うん、これ……」
「シエラ、剣で布を切れ」
「はい」
ジョシュアの腹部を覆っていた布は、シエラの剣で一度二度、引っかけるように破られる。やぶれた先から溢れる赤い水、血の色。
「こ、この赤いの、血ですか? 人の血」
「色以外は同じもんじゃ、身体の構造も同じじゃ。いつも通りやればいい。布を剥がせシエラ」
「は、はい……うっこれは」
シエラが見たのは赤い血、ぱっくりとわれる腹部、そして腹部の空洞。
「……思った以上じゃ、どうやって動いてたんじゃこれで。臓物が無い。この傷、王の武器か? シエラは傷口を抑えとけ、レイスはワシを手伝え、丁寧にせねばならん。レイス、レイス?」
レイスは立ち尽くす。ジョシュアの傷口を見て、誰もが思う絶望的な傷口、普通ならば即死しているような傷口。
「これ、お前殺したくは無かろう? ならばはっきり見ろ、前を見ろ。まだこやつは生きとる。だがもうすぐ死ぬ。ならばどうする?」
「手伝う、手伝う。ごめん……何をすれば?」
「だが再生の属性は元には戻せぬ。うーむ……せめて形だけでも……辛いの、どうにも……息をするだけの人形になってしまう可能性が高い……治癒の石は、もうないんじゃよなぁ……」
「治癒の属性って、あたしは治癒じゃなかったっけ? つかえない?」
「お前は若すぎる。石が体外に露出すらしとらん。それでは密度が足りなさすぎる。例え命懸けで取り出したとしても、使う前に欠片となるであろう」
「駄目? ぐぅぅ……」
「よしやるぞ。とにかく傷を埋める。レイスまずは……」
『まずは、彼と契約しなさい。ただ治すだけでは駄目、元通りにしないと』
「……何か言うたかレイス?」
「え? いや、えっ?」
唐突に聞こえた女の声、レイスとマーディ・ロナにだけ届いたその声。それは白銀の剣から漏れる、主人を失いたくないと願う声。
マーディ・ロナは少し考え、そして手をジョシュアの傷口から離した。真っ赤に染まったその手を、彼女はレイスの方へと伸ばす。
「……契約するか? こやつと」
「えっ? それしたら、どうなるの?」
「お前の全てと、こやつの全てが繋がる。お前の治癒の魂結晶はこやつの魂に触れ、力を得る。逆にこやつはお前の魂に触れ、こやつができもしなかったかのような力を発揮するであろう」
「いいこと尽くめじゃないか! どうやってやるの?」
「だが失敗したら、死ぬぞ。今この場で」
「はっ?」
「……レイス、私は、契約は勧めない」
「シエラ? どういうこと?」
「契約は本来、巨大な魂を持つ精霊竜とその主人がやるものだ。小さな魂結晶しか作れない者だと互いに汚染されて死ぬ。耐えきれないんだ互いの魂に」
「さすがにシエラは知っとるか。そうじゃ、ワシ並みに力があればなんとかなるが、シエラやお主だときっとジョシュアの魂に押し負けて死ぬ」
「それじゃ……」
「ワシの見立てじゃと、レイスの才能は素晴らしいものがある、成功する可能性はあるが、どうかの」
「やめるんだレイス。私は、友人に死ねとは言えない」
「……でも成功したら?」
「この傷など簡単に治る。それどころか自然治癒力も高まるであろう。きっと、よっぽどのことではないと死ななくなるぞこやつ」
「じゃあ、いいじゃん。やろう。どうせほっといたら死ぬんだし。どうせ、死んだら、つまんないってあたし。生きてる意味ないって」
「……であろうなぁ。では方法だが」
「待てレイス! いいか? 精霊の契約っていうのは、今では危険すぎてされなくなったが、本来男女の魂の契約は、数千年連れ添った者たちが、やっとできる最高の婚姻の証。それぐらい困難なことなんだ! 16にしかなってないお前ができるわけないだろう!? 長老様も何をやらせようというんですか!」
「シエラ、言いたいことはわかる。だがの」
「死なせるか! 先生や、私は騎士だ。死ぬときは、死ぬ! だがレイスは、レイスは騎士じゃないんだ! あんなに辛いことがあって、それで、自分もってあんまりじゃないか! なぁレイス、やめるんだ。私は、お前には幸せになって貰いたい。心の底からそう思う」
「シエラ、ありがとう、でも、決めたから。それに婚姻って、最高じゃん。ますますやる気になっちゃった」
「馬鹿お前……契約した者は、互いに命も繋がるんだぞ。自分が死ねば相手も死ぬ。生涯に一度の、命懸けの……!」
「シエラ、決めたから、ありがとう」
「くそっ。なんで、そんなにお前……」
「それで、どうするの?」
「そうじゃな。うむ、互いに魂結晶が体外にでとらんし、血の交換でやるか。古典的だが確実じゃ。レイス、お主の手を少し切ってジョシュアの手に、いや、もう傷口に手を突っ込め、面倒じゃ」
「え、えぐいなぁ……わかった。シエラ、剣を貸して」
「……勝手にしろ」
レイスは言われたとおりに、シエラの剣の刃を手のひらで握り、金色の血を流す。そして震わせながら、彼女はジョシュアの傷口にその手を添える。
手が当てられ、待つ。ゆっくりと、互いの血が少しずつ、体内にはいるように。
唐突に、突然に、レイスはめまいを覚えた。それは意識を飛ばすかのように。
「レイス!? 長老様やはり!?」
「いや、違う、これは」
レイスは見た。ジョシュアの中にいる二つの何かを、一つは精霊竜ヌル・ディン・ヴィング、そしてもう一つ。
それは銀色の翼を持つ、美しい女性。彼女は手を広げ、レイスを守る。ジョシュアの力に押し潰れさない様に、逆に押しつぶしてしまわないように。
レイスの白い翼は、片翼の色が変わる。それは銀色に、ジョシュアの魂の色に引っ張られるように銀色に。
そして唐突に、レイスの意識は表に引き戻された。
「っはぁっ!? あ、え? 終わった? えっ? あたしの翼、色変わってる。片方だけ」
「……すんなりいったの。思った以上に。よしレイス、ジョシュアを治……って治っとる。なんじゃお前、本当に天才か?」
「レイス、大丈夫か? 痛くないか?」
「大丈夫、全然、なんか、変わった気がしない」
「そうか……失敗したのか?」
シエラが複雑な顔をしていると、ジョシュアは眼をカッと開き、そして飛び起きた。血で真っ赤に染まった服の下には綺麗な肌色の肉体が覗く。
ジョシュアは驚きながら、口を開いた。
「失敗はしていない……まさか、こんなに完全に治るとは。しかもこの感じ、溢れるようだ力が。レイス大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫。って普通あたしがお前に言う言葉じゃん。だいじょうぶー?って」
「そうだな。俺は大丈夫だ。これだけあれば、次は勝てる」
「……なぁジョシュア、ちょっとだけ、さ。互いに考えてること、わかるよね?」
「……そうだな」
「あたしもちょっとだけ、わかるよ。ジョシュア、いたんだな、お嫁さん」
「ああ」
「そっか、当たり前、っていったら、当たり前か」
「……お前がいなければ、きっと俺はこの旅、ここまではこれなかった。俺は感謝している。わかるだろう?」
「わかるよ。わかる」
「カレナが俺の太陽だとしたら、お前は俺の月だ。お前が照らしてくれたから、俺の夜は明るかった」
「あたしも、楽しかった。この旅」
「今、偽物の月を叩き壊してやる。お前のために、お前の生きている世界は、俺が救ってやる」
「うん、一生ものの傷、あげたんだから、それぐらいしてよね」
「それぐらいと来たか。いいだろう」
ジョシュアは白銀の剣を地面に突き立てる、地面は一瞬でジョシュアを覆い、そして白銀の鎧に姿を変える。
「俺はお前のためならば、すべてをそれぐらいで片づけてやる」
「それ、私たちも手伝おう」
そして白銀の騎士の背に現れる、三人の騎士。ジョシュアは振り向き、騎士の名を呼ぶ。
「……やっときたのかファム。一回死にかけてから来るとはな」
「兄さんごめん、ミリアンヌが道全然知らないから……」
「知るわけないでしょうわたくしが……はぁ」
「リンドール卿も、来てくれたんですか」
「うん、まぁね。女性2人と両手に花で旅ができると思ったら、いきなりわけのわからない獣に襲われてさ。何が起こってるんだい?」
「説明は、後にしましょう。とにかくあそこで暴れてる金色の騎士と獣は敵です。できる限りこの辺りで排除してください。町まではいかさないように」
「わかった。ユークリッドさんも、ミリアンヌ嬢もいいね?」
「ああ」
「よろしくてよ」
騎士たちは集う。王の軍勢の前に、決戦は、黄金の光の中で。彼らは今、力を振るう。
顔も知らぬ、名も知らぬ、その者たちのために戦えるからこそ、騎士。四人の騎士は今、王へと挑む。世界を救うために。




