第24話 崩壊する世界
今はここだけ、次はそこだけ、いずれすべて。
――人は精霊に、精霊から神に、神に至れない者は獣に。
世界に傷がついた。空に地面に目の前に、ヒビが入る。
ヒビに触れても身体に影響はない。ヒビに手を入れ、指を左右に振る。黄金色の四枚の翼は広がり、精霊の長老マーディ・ロナは眉間にしわを寄せる。
遠くまではそのヒビは走ってはいない。黄金の城を中心に、ヒビはゆっくりと世界に広がっていく。
城の正面に立つ者たちはそれをただ見ていた。
「何が起こってる?」
「わからぬ……こんなことワシが生まれてから一万年で初めてじゃ」
黄金の城からは黄金の風が吹き荒れる。あふれ出る光はゆっくりと世界を壊しながら進む。
「あの光に触れるなよ。ジョシュア以外は一瞬で獣になるぞ」
「そりゃこええな。シエラ、悪い肩を貸してくれ。血まみれになっちまうが、まぁ帰ったら新しい服買ってやるからな」
「はい、でも服はいりません。洗えば使えますから」
「そうか、ちょっとは強くなったな」
全身から血を流すランディルトはシエラの肩を借りて立ち上がる。
ジョシュアは物入れから傷薬と包帯を出し、自分の傷を治療する。黄金の城から漏れる光を見ながら、彼は城の前に立つ。
「さて、どうするマーディ・ロナ、ヌル・ディン・ヴィングが空から遠くを見てくれてるが、どうやらこのヒビ割れはこの辺りだけらしい」
「声を飛ばせるか、さすがは竜の長だの。さーーてぇ、どーするっかのぉ。正直ワシ全然わからんが、わからんなりに何とかせんとな。長老じゃし」
「ばあちゃんだしなぁ」
「……お主ワシの弟子になれ。いろいろ仕組んだる」
「はぁ? いやだけど?」
「有無は言わさんわ。まぁ、とりあえずこれを止めてからじゃの。推測するに、やはり原因は王の魂結晶であろうな。世界に影響するほどの力、他に考えられん……む?」
そして、彼はでてきた。荘厳なその姿、ただの一人なれど、その背にはありとあらゆるものが乗っている。
彼はでてきた。その姿は初めて見る者の眼にも、彼が王であるということがわかるほどのカリスマ性。立っているだけでひれ伏したくなるようなカリスマ性。
黄金の翼を持ち、朱色の眼をした美しい顔の王は、涼し気な顔をジョシュアたちに向けた。そして王は口を開く。
「進め」
一言、たった一言、それだけを発し王は手を掲げた。
城は兵士で守られる。精霊の王を守るのは、王の兵士。
王の後ろから門から飛び出すかのように、何人かの兵士がでてきた。全ての兵は剣を胸の前に構え、並ぶ。
それらの眼は虚ろで、ただ開いているだけの眼で。
兵たちは全員同じ動きで、胸の鎧を外し、そして剣の刀身を握り、自らの流れる黄金の血を胸に押し当てる。
兵たちは鋼に覆われる。それぞれ同じ動きで、別の姿で、彼らを覆う鋼は精霊の形を捨て、異形の者へと姿を変える。
一人は竜、一人は上半身が肥大化した野獣、一人は四本足の獣、一人は狼のような頭をした獣人、一人は――
王を守る兵士たちは、王を守る獣へと姿を変えた。
そして、その鎧の獣たちは、自らの鎧を少しずつ砕き始めた。
鋼の獣の鎧はひび割れ、欠片となって落ちる。鎧の下から覗くのは、獣の肉体。
そう、獣の肉体。毛が生えた獣人、うろこの揃った竜。
王の前に数体の獣が現れる。それは肩を並べ、そして王を守る。
「進め」
王は声を発する。その声に従い、獣たちは歩を合わせ前へ出る。
「進め」
獣たちは前へ出る。
「進め」
世界のヒビはさらに大きくなる。黄金の光があふれる。
「……まずい、皆走れ、走るのじゃ。走れ!」
普段は飄々としている精霊の長老たるマーディ・ロナが初めて叫んだ。そのことが、ジョシュアたちに事態の深刻さを伝える。
「お、おい! お前っ」
「黙ってろ。行くぞ」
ジョシュアはシエラからランディルトを奪い取ると肩に担ぎ上げ、走る。それを追うようにレイスとシエラも走る。
「王は蘇ったのか!? おいマーディ・ロナ!」
ジョシュアの肩の上でランディルトが叫ぶ、四枚の翼を羽ばたかせ低空を飛んでいたマーディ・ロナはとびながら腕を組む。
「うーーむ、違う、とワシは思う」
「思うってどういうことだ! はっきりしてくれ!」
「声はあやつのものじゃ。だが、なんじゃろうな。あやつではない。この感じ、昔どこかで味わったことがあるが……」
「あの兵士たちはなんだ! 獣化どころか、獣そのものになったぞ!」
「あれは血の呪い、本来自分の血と一時的に契約することで鎧を獣のように変化させる獣化だが、より深い契約を交わすとあそこまでいくのだ。ああ、もう精霊の姿には戻れなくなるから真似するではないぞ」
「んだと……そんなことが俺達の身体に……」
「ついでに、あの溢れる光、あれは精霊の力の固まりじゃ。あれに触れるとお主らの心臓にへばりついてる魂結晶が反応してああいう風に獣になるぞ」
「そうか……じゃあ俺とシエラは手が出せないな」
「ワシとレイスもじゃの。だが誰かが大事になる前にここで王の胸から石を取り出さねばならん。おいジョシュアよ」
「わかってる。王の胸に光る石、ただえぐり出せばいいのか?」
「王の魂結晶が成したことであるならばそれで影響が広がるのは止まる。だが破壊はするな。破壊すれば世界も繋がり、体内の精霊の力も一気に解放される。この大陸中の精霊が獣になるぞ」
「それは怖いな。お前たちはどこか避難しててくれ。さすがに知り合いがあんな風になって欲しくはないからな」
「うむ、シエラよ。あの岩陰でランディルトを治療する。ジョシュアに斬られた傷は見た目以上に深い。レイスも手伝うのだ」
「あたしはあんまりそういうのわかんないぞ?」
「私が教えてやる。では父上」
「ああ、実は、倒れそうだったんだ。おいジョシュア、俺の分残す必要ないからな」
「わかってる。さぁ行け」
ジョシュアを残し、他の者は下がる。王と獣たちは一歩も動かず、ただ立っている。
それだけで伝わる重圧。王の重圧。
「俺も無傷じゃないんだが……仕方ない」
ジョシュアは白銀の剣を地面に突き立て、王を見る。剣は地面を銀色に変え、銀は鎧へと姿を変える。
白銀の騎士は剣を大剣と変え、堂々と王の前に立つ。
王へ反抗する者は全て排除される。それが支配者を守る者の宿命。
「獣か。獣肉……カレナが好きだったが、さすがに喰えないなこれは」
地面から白銀の大剣を引き抜き、両手で構える。王への敵意を感じた獣たちは、一様に牙を剥き、唸る。
白銀の鎧はヒビわれた光を浴びながら、走り出した。王はその姿を見て一瞬表情を変えた。驚いたような、感心したような表情。
「十体、全力で斬る。覚悟できるのかはわからないが、覚悟しろ」
ある線を越えた時、獣たちは駆けだした。竜が、獣人が、四本足の獣が、襲い掛かる。
ジョシュアに真っ先に飛び掛かってきたのは、両腕が肥大化した獣、避けることなく、受けることなく、真正面から腕ごと獣の上半身を飛ばす。
一瞬で真っ二つになる仲間をみた獣たちは歩調を合わせる。ジョシュアは飛び上がり、その集まった獣の集団へと斬りかかる。
中央にいた竜、ジョシュアの二倍はあろうかというその巨体は、三度斬られ四つの塊に分断された。
四本足の獣は足を全て断たれた後に、頭を落とされた。
圧倒、銀色の鎧は金色の返り血を浴び、獣たちを次々と斬り捨てていく。獣の牙は鎧に通らず、獣の爪は鎧に通らず、まさに圧倒。
大剣が一振りされるたびに、獣たちは身体の一部を飛ばし、金色の血を放つ。
気が付けば十体余りの獣たちは全て血の海に沈んだ。
金色の血を踏みしめ、白銀の騎士は立つ。王の前に立つ。
「……烏合どころか、意識すら感じない。これじゃ兵には向いていないぞ王よ。さぁその石を取り出させてもらうぞ」
王は虚ろな眼をジョシュアに向ける。ジョシュアはその白銀の腕を王の胸に伸ばす。
『触れたら死ぬわ。やめなさい』
「何? 誰だ?」
銀の鎧に伸びる白い手、白銀の翼。一瞬みえたその腕と翼は、ジョシュアが振り返った時には何もなかった。
顔を王に向けた時、王は微笑んでいた。
「……何だ。何か、おかしい。本当に石を取れば終わるのか? これは、そんな単純なことなのか?」
「白銀の騎士よ。我が友よ」
王の声は全てを導く。王はジョシュアに向けて、初めて言葉を発した。その声は懐かしく遠く、王の声は心に響く。
「王? 喋れるのか?」
「すまない我が友よ。我が命に代えても、救えなかった」
「何を言ってるんだ? 王、頼む教えてくれ。これはなんだ?」
「もはや我が意志は耐えきれぬ、混ざりすぎた。頼みがある我が友よ」
「何だ?」
「旗を、旗を立ててくれ。私の旗ではない、お前の旗を。私は、お前に引かれなければ、最後まではいけんのだ。お前と共に歩いたあの時が、私の……」
「王? 誰かと間違えてるのか?」
「確かに頼んだぞ。さぁ退け、退くのだ。もう、城が、力が、抑えきれん」
王は手を突き出した。その手は暖かく、広く、全てを抱擁するかのようで。
そして、ジョシュアの身体は飛ばされる。一瞬で空間を飛ぶように。目の前にいた王の姿は、一瞬で消えジョシュアの目の前には草原が広がった。
「何だいきなり景色が!? ここはっ!?」
「おおっびっくりしたっ!? お主どこからきたんじゃ!?」
「マーディ・ロナ……? なんだここは、飛ばされたのか? わけがわからんことばかりだ」
ジョシュアは白銀の大剣を下げた。白銀の鎧は砂となり、ジョシュアの鎧は解ける。
ジョシュアの目の前には傷の治療をするシエラとレイス、そして四枚の翼を持つマーディ・ロナ。
「何があった?」
「俺もわからん。だが、王の意識は少しはあるようだった。俺を友と」
「んん?」
「……もう一度行くか。大分離れたが、城に……何だ城が、何だあれは?」
「城がどうかしたかの? ってなんじゃあれ」
彼らは見た。黄金の城が浮上するのを。そしてそこから溢れるヒビ割れと黄金の光。
溢れる黒、黒い塊。
「何だ? 何だあれは」
「わからん……わからん!」
黒い塊の一つ一つは、獣、黄金の世界にあって、それを塗りつぶす黒い獣たち。
ヒビは広がる、光も広がる。
「おいマーディ・ロナ! 何だあれは!」
「わからんつーとろうが! いや! いや……まさか……まさか、この光景っ……」
「……まるで滝だ。黒い獣の滝」
「さ、災厄、災厄が起こったのか? そうだ、何故かはわからんが、これはそうじゃ。災厄が起こったんじゃ。そうか……王が核になったのか、まさか千年足らずであふれるとは……」
「知ってるのかマーディ・ロナ」
「うむ……詳しくは、終わってから話そう。とにかくこれは昔あった光景じゃ。前は世界最高の戦士12人で防いだ。今回は怪我人のランディルトを入れても3人、シエラを入れても4人。きつすぎる……!」
「何をすればいい?」
「獣の海をかき分けて、核を壊せ」
「王の石を壊すのか?」
「うむ、やれるか?」
「やるしかないんだろう」
「やれ、やるのだ。後先は考えるな。後始末はワシが何とかしてやる」
「わかった。ヌル・ディン・ヴィング!」
そして、精霊の竜は舞い降りる。ジョシュアは鎧を纏い、竜の背に乗る。
「獣はある程度でよいぞ! 王の石を壊せればそれで奴らは消える!」
「わかったマーディ・ロナ。ヌル・ディン・ヴィング、行くぞ。今度は全開でもかまわない」
「わかっとるわ。だが、ある程度、で本当に良いのか?」
「当然、全て斬る。町にまで行かれたら厄介だ」
「であろうな。ではまいるぞ!」
精霊竜は空を舞う、竜は黒き滝へと向かう。
ひび割れは広がり、世界は今黄金の光に包まれようとしていた。




