第21話 黄金の月
空、空、空。
上を向くと大きな月。下を向くと白い雲。
「レイス、フラフラするな。先生が揺れてるだろう」
「む、無理言うなぁっ! いっそ翼広げない方が、楽なんじゃこれっ」
「大丈夫かお前たち。あとどれぐらいあるんだマーディ・ロナ」
「これで半分ぐらいじゃのぉ」
「ええっ!? まだ半分!?」
「レイス! 先生がおちたらどうするんだ! 石に集中しろ!」
「なんであたしがこんなことを……」
白い雲を下に、光は空へと登っていく。白い翼は風に煽られ、金色の髪は風上げられ、深紅のマントは風になびく。
ジョシュアの両腕はシエラとレイスに抱えられ、二人に吊り上げられるように空へと登っていく。
「しっかしでっかい癖に本当に魂結晶全く使えないんじゃのぉ。飛行の魂結晶はいっぱいあるんじゃが、不便なやっちゃのぉ。ワシみたいに自力で飛べんれば楽なんじゃがのー」
四枚の黄金色の翼を持つ精霊の長老マーディ・ロナはその翼を広げ、優雅に空を飛ぶ。雲を切り、四人はただただ空へと登る。
目的地は空に浮かぶ巨大な月、王が眠る大地。
「だんだん苦しくなってきたぞシエラぁ……」
「空気が薄くなってきたな。でも休めないからなレイス……長老様、何とかできませんか」
「しょーがないのぉ」
四枚の翼の一枚からマーディ・ロナは小さな石を取り出す。石は彼女の周りを飛び、四人は青い膜につつまれる。
その膜は空気を集め、空高くあってもまるで地上にいるかのようにジョシュアたち周辺の空気を濃くし、そして温めた。
「おっ、楽になった。なぁんでもできるなばあーさん」
「ワシはまだ一万ちょっとしか歳とっとらんぞ。ばあさんはやめい。どこからどうみても綺麗なお姉さんではないか。お姉さんと呼ぶがよい」
「お姉さんっていうかただのがきんちょなんだよなぁ……」
「全く、失礼なやっちゃのーまたデコに喰らいたいのかのー今喰らうと大変なことになるんじゃないかのー」
「レイス! すみません長老私の友人が失礼をっ!」
「シエラはいい子じゃのぉ。父親とは大違いじゃ。あとでこづかいやろうこづかい」
「あ、ありがとうございます」
ジョシュアは腕を抱えられながら周りで騒ぐ女たちを横目に、ただ上を見ていた。
月へ登る方法は単純に飛んでいくこと、そしてそれができるのは飛べる者のみ。
「しかし長老は凄いですね。空を飛べる魂結晶を持ってるなんて。しかも何個も。これが無ければ城に戻るためにまた数か月航海する羽目になってましたよ」
「伊達に長生きしとらんからの。いろいろな石を持っとるぞ。まぁこれ、真上にしか飛べんのがほんっとーに使いにくんじゃがな。まっすぐなやつじゃったが、飛ぶのもまっすぐにならんでよかろうあやつらめ」
長老はカラカラと笑う。長老の周りには色様々な石がぐるぐると彼女を中心に回っている。
石の一つが光ると、長老の手にはガラスのコップが現れた。中に入っていた液体をグイッと飲むと、そのコップは消えた。
「長時間飛ぶと喉が渇くのぉ」
「マーディ・ロナ、すまない一つ聞いていいか」
「何じゃ人間よ」
「何故ついてきたんだ。俺は別についてきてくれとは言ってないが」
「まっ、暇つぶしじゃ暇つぶし、何十年も何百年もボケーっとしとると疲れるもんじゃて。幸い月なら飛ぶだけでつくしの」
「そうか」
「では逆に聞くが、主は何故人の世界を救おうとする? ほっとけば他の者がやるであろう?」
「俺が救いたいと思ったからだ。他に理由はない」
「そーかそーか。まぁそれもよかろう。まーったく、人はどこまでも、刹那的じゃの。だから早死にするんじゃよ……」
彼らは飛ぶ、飛び続ける。
そして、天と地がひっくり返る。ある点を超えた時、彼らは落ちた。空へ向かって。
「お、おおっ!? 何これ!?」
「長老! これは!?」
「落ち着けぃ、ただ月に向かって落ちてるだけじゃ。あれは集めて、隔離して、固めとるんじゃぞ。近づけば吸い込まれるわい。ほれ着地するぞ。魂結晶をうまく使うのじゃぞ」
「は、はい! レイス逆に飛べ逆に! ゆっくり落ちるんだ!」
「んなこといわれてもなぁ! あたし素人なんだぞ! こ、こう……かぁ?」
空で一回転、シエラとレイスはジョシュアの腕を軸に逆さまになる。頭を地、足を天。
長老派四枚の翼を広げ、身体を反転させる。
そしてゆっくりと、彼らは舞い降りる。
黄金の月の上に。
そこは、金色の氷で覆われた大地。ジョシュアたちが足を付けた部分はひび割れ、ひびからは黄金の光が漏れる。
月の真上には大地。そこでジョシュアは初めて知った。自分が立っていた大地が、丸いことを。
「上が下、不思議な感覚だ」
「よぉしついたのぉ月。ワシも数百年ぶりじゃ」
「よし、シエラ、レイス。月を、石を動かすんだ。世界を繋ぐんだ」
「はい先生」
「足元の石に触れて集中すればいいんだなぁ? よぉし」
「待て待て主ら、慌てるでない。これはただの集めた力の固まりじゃ。王の魂結晶はこれではない」
「何? どうやって行くんだ?」
「んー、数百年前は穴があったんじゃが……ふさがったかのぉ。あやつの男前な顔みれたんじゃがのぉ」
「……歩くか。しかし歩きにくいところだ」
ジョシュアたちは月を歩く、一歩ごとに地面にひびが入り、光が漏れる。
月は今にも、壊れそうで。
「もろくなっとるなぁ……なぁんじゃこれ」
「あっ」
月を歩いていると、シエラが上を見上げて声を上げた。その声につられてジョシュアたちは見上げる。
遠くに見える大地、そこから昇ってくる黒いもの。
真っ黒の巨大な翼、響く爆音。
それは黒く、巨大な生物。それが地面から昇ってきた。近づくにつれてその姿ははっきりとジョシュアたちの眼に映った。
巨大な竜。精霊竜。その背に黄金の鎧を着た男と数人の兵士が乗っている。その男は黄金色の髪をなびかせ、竜から降りた。
「久しぶりだなシエラ。駄目な子だ家出など。探した、ぞ」
「ち、父上」
ロンディアナ騎士団団長、ランディルト・ベルディック。シエラルト・ベルディックの父にして、ロンディアナ・ベルディックの息子。
「何をしに来たランディルト」
「やはりお前かジョシュア。お前が娘を連れ去ったか。まぁったく、娘が欲しいのならばいえばよかったものを」
「ランディルト、答えろ。何故来た」
「王を目覚めさせに来た」
「まぁだそんなこと言っとるんか。ばっかじゃのぉ。王は死んだのだぞ?」
「マーディ・ロナ……馬鹿はお前だ。王は死んでいる、それは認めよう。だが、この世界には王が必要なのだ。秩序を、秩序を取り戻すために」
「何を言っとる……まさかお主」
「そう、やっと、やっとだ。やっと見つけた。神域に至った魂を」
「……ジョシュアよ。ランディルトを斬れぃ」
「何?」
「早くせい。取り返しのつかないことになるぞ」
「……よくわからん。説明しろ」
「そうです長老様! 父上私にも説明を!」
「くくく……」
そういうとランディルトは腰から石を取り出した。真っ白の石。それは、嘗てロンドが使い、ジョシュアが手に取り、そしてランディルトへと渡った、あの石だった。
「そ、それは何の石ですか父上?」
「我が兄の石だ。光の魂結晶、世界で最高の密度を誇る魂の石」
「……ジョシュアよ、早く斬れ。あやつとんでもないことを考えておるぞ」
「何だと。おいランディルト、何をしようとしてるんだ」
「王を、蘇らせる。本人かどうかなど関係は無い、これを王の身体に入れると、王は我が兄の魂を持ち生き返る」
「何だって? マーディ・ロナ、本当か?」
長老は、マーディ・ロナは拳を握りしめ、黄金の翼を震わせる。その小さな身体を震えさせ、彼女は声をあげる。
「馬鹿者! お主は何故そう、昔からそう、何故焦る! よいか! 王の身体を入れ物に、他者の魂で蘇らせるなど! そんなことでお主の悲願がかなうと思っとるのか!」
「いや、叶う! もう500年以上だぞ! バカどもは殺しても殺してもウジ虫のように湧き出てくる! 何度悪を殺せばいい! いい加減! 支配せねばならん!」
「何故そうなる! お主がやればいいじゃろうが! お主が、王に!」
「できるならやってる! 俺は、もう殺し過ぎた! 皆俺についてくるわけがないだろう! それに俺は……!」
「お主は……何と浅いんじゃ……!」
「王は、王は俺達を支配してくれる! 導いてくれる! 平和はあと少しだ! シエラ! マーディ・ロナを殺せ! ジョシュアも殺せ! 邪魔者は全て殺せ!」
「ち、父上……聞けません!」
「おのれ俺に逆らうかぁ……!」
ランディルトは歯を食いしばりながら剣を抜く、その剣の刀身は真っ黒で、ロンディアナの剣を思い起こさせた。
「ち、父上……な、何を、何をしたいんですか? 私にはもう、あなたがわかりませんっ!」
「ぬぅ……! お前たち、王の身体を探せ、ヌル・ディ・バラン、お前は空から探せ」
「はっ」
「はいランディルト様」
巨大な精霊竜は羽ばたき、空へと舞い上がる。ランディルトの部下たちは周囲へと走っていく。
ランディルトは剣を構え、ジョシュアたちの前に立つ。
「シエラ、レイス、下がっていろ。何がしたいのかはわからんが、ろくでもないことが起こることは何となくわかる。それに個人的に俺はあいつが嫌いだ。ここで倒させてもらう」
「先生! しかし!」
「シエラ下がろう。ジョシュアに任せとけばだいじょーぶだって」
「う、そ、そう……だなレイス……」
「マーディ・ロナ、あとで説明しろ。一人で知った風なこと言うな。いいな?」
「……わかっとる」
ジョシュアは白銀の剣を抜く、その剣は黄金の月に照らされて、黄金色の光を反射させる。
ジョシュアは構える。深紅のマントをなびかせながら。
「悪いが、ここで倒させてもらうぞランディルト」
「大きく出たな。お前がいくら強いとは言っても、俺ほどではない」
「そうかな」
ジョシュアは剣を高く掲げる。ランディルトもそれに合わせるように、剣を掲げる。
「……行くぞ」
「来いジョシュア」
一瞬、瞬きほどの一瞬。
その間に三回、剣同士がぶつかり合う音が響き渡った。
衝撃の後に音が響く、そしてもう一度、斬り返して三回。音が鳴り響く。
力を込め、白銀は上から、漆黒は下から、剣は中心でぶつかり合う。その衝撃にランディルトは怯み、ジョシュアは踏みとどまる。
「うおっ! ちっビストロの時に気付いていたが……やはり、やはり強い。俺の閃光の剣がことごとく受け止められる」
「その程度かランディルト、ロンドはもっと強かったぞ」
「わかってるよ。ちっ……仕方ない」
ランディルトは剣を胸の前に構える。すると、腰にしまってあった白い石が光を放った。
一瞬、まさに一瞬でランディルトの姿は、真っ白な鎧に包まれた。深紅のマントが鎧から伸びる。
「……姿はあの時のロンドと同じだな。さて」
光、漆黒の剣から放たれる光、ランディルトが剣を胸から降ろすと同時に剣は光を放った。
ジョシュアは不意を突かれた。そのまま攻めてくると思っていたジョシュアは、その光を受け眼を細めた。光はジョシュアの、シエラの、レイスの、眼をくらませた。
「馬鹿者が! 眼を離すな! ランディルトはまともに戦う気などは無いぞ!」
四枚の翼を持つ精霊の長老の声に、ジョシュアは光に逆らい眼を見開く。
霞む視界に、飛び上がる白い鎧が映る。
その白い鎧は黒い竜に攫われ、空へと消えていった。
「ランディルト!? どこへ行くんだ!」
「やるかよ! お前と本気でやるかよ! 決着は後だ今は王! 千載一遇のチャンスなのだ俺にとっては!」
精霊竜は空高く舞い、月の裏側へと消えていった。
「逃げた……? おいマーディ・ロナ。何なんだ、何をしたいんだあいつは」
「うむ、どこから話すか、そうじゃのぉ。まずは……」
マーディ・ロナが説明をしようとしたその時、地面が揺れた。月が揺れた。
「何だ? 何故揺れる? 俺のせいか?」
「いんや、裏か穴はぁ……失敗したのぉ。月もまわっとるんじゃったなぁ」
「何だこれは? 揺れが、うっ」
地面が割れる、黄金の光が立ち上る。
「長老様!? これは!?」
「お、おい月、割れるんじゃねぇ? ちょっと待ってやばいんじゃないのこれっ!」
「レイス落ち着け、マーディ・ロナ何だ?」
「レイス、シエラ、ジョシュアを抱えて飛べ。はぁ……愚か者だのぉ。つくづく。飛びながら説明するわい」
「わかった。シエラ、レイス、悪いが……」
ジョシュアが言い終わる前に、月から金色の光は放たれた。
「何だ!? ま、まずい! 身体が浮く! 空に…落ちる!」
「先生!?」
「ジョシュアつかまって!」
「レイス! 駄目だ間に合わない! お前たち石を使え! 落ちるぞ!」
ジョシュアたちの身体は空へと落ちる。上下が逆転していたその状況は正され、上へと落ちる。そう、上が下、元に戻って空から地面へと彼らは落ちる。
「ジョシュア!」
「先生!」
「くそっ! こんなわけのわからないところで呼ぶことになるとは! ヌル・ディン・ヴィング来い!」
レイスとシエラは飛行の魂結晶を使い空へと飛び、ジョシュアは落ちながら友の名を叫ぶ。
落ちるジョシュアの先に、光り輝く翼が現れる。その光は形を作り、巨大な竜となる。
精霊竜の長、ヌル・ディン・ヴィング。巨大な翼を広げ精霊の世界に舞い降りる。
ジョシュアをその背で受け止めると、ヌル・ディン・ヴィングは声を上げた。
「ヌオオオオ! 何だここは!? とんでもないところに呼んでくれたな!」
「ヌル・ディン・ヴィング! 挨拶は後だ! 上に浮いてるレイスとシエラ、あとマーディ・ロナを拾ってくれ!」
「なんと、マーディ・ロナ、生きておったかまだ」
「急げ!」
「うむ、しっかり掴まるがいい!」
精霊竜は羽ばたく、すさまじい速度で空を飛び、一瞬の内に女たちを三人回収し、月から離れたところへと飛び上がった。
「何これ!? ジョシュアこんなの飼ってたの!?」
「精霊竜っ!? 先生精霊竜まで持ってたんですか!?」
「舌を噛むぞ。黙ってろ。ヌル・ディン・ヴィング俺たちは鎧を着ていない。加減しろよ」
「わかっとるわ」
ヌル・ディン・ヴィングは空を弧を描くように飛び、月から離れていく。
月はゆっくりと、黄金の光を放ちながら砕け、落ちていった。ジョシュアたちは見た。月の中心で光る何かがゆっくりと落ちていくのを。
「月、月が壊れたのか? 何が起こったのだ」
「やぁー久しぶりじゃのヌル・ディン・ヴィング。千年ぶりかの?」
「マーディ・ロナ、何が起こったのだ説明せよ」
「まぁ……おりながら説明しよう。とりあえず月が落ちる場所に降りてくれんか」
ヌル・ディン・ヴィングは空をゆっくりと降りていった。月は砕け、周囲には黄金の光があふれていく。
王が創り上げた月は今、完全に姿を失った。地面に引かれ月は落ちる。
ジョシュアたちは今、何が起こったのかも分からないまま、眼の前の光景をただただ見ているのだった。




