第12話 秩序を守る者
「おーし男はあっち、あたしはこっち。字読めないからってこっちくるなよ?」
「わかってる」
「部屋は上の角な。ほら鍵」
「ああ」
「そんじゃあとでなジョシュア」
「ああ、後でな」
下は石、上は空。
熱い、ただ熱い湯につかり、胡坐をかいて佇む。
大きな背中を伸ばし、彼は耐えていた。
「熱い。何だここの湯は……煮込まれてる気分だ」
ジョシュアは今、宿の中にある大浴場に来ていた。綺麗に切られた石で囲まれた浴場で、彼は汗を流していた。
壁の向こうでは彼の同行者であるレイスがきっと入ってるのだろう。ジョシュアは彼女のことを少し考えたが、頭の隅へと追いやった。
「いかんな。ついと言い訳するんじゃない。まだまだだな……」
湯を手で顔に叩き付けると、ジョシュアは顔を上げた。
「あん? 何だあいつ、翼無しだぞ」
「マジかよ。入るのやめようぜ」
風呂場入ってきた男たちの声がジョシュアに聞こえる。彼は意に返さず、湯に耐えていた。
先ほどから入ってくる男たちは全てジョシュアの背を見て消えていった。翼の有る無し大事なことなのかとジョシュアは疑問に思った。
だが、それ以上は彼は気にも止めない。考えても無駄なことを彼は知っているから。
「……飛べもしないのに翼が、大事か」
空の下で、ジョシュアは汗を流す。何のために耐えているのかわからなくなりかけたが、ジョシュアはひたすら汗を流す。
そして、また風呂場の扉が開いた。
――彼は、黄金色の髪と、赤い眼をしていた。
「おっと身体を洗わないと入っちゃダメなんだよな……ま、いいか」
男が入ってきた。ジョシュアの背を見ても何も言うことなく、ずかずかと湯に入ると、ジョシュアの方まで歩いてきた。
「やあしばらく、待たせたな?」
その男はジョシュアの顔を覗き込んで申し訳なさそうな顔をした。
そしてジョシュアの顔を見ると、一瞬で真顔になった。
「あれ、誰だ? あれおかしいな。俺が先に来てしまったのか?」
彼は湯につかると、長い髪をかき上げた。
「あー悪い。俺の仲間かと思っちまった。いやしかしすごい身体してるな」
その男は翼が無かった。彼は、翼無し。純粋なこの世界出身の翼無し。ジョシュアの身体を褒めた彼だが、彼の身体もまた鍛え上げられていた。
「おっ翼無しか。いやぁお互い苦労するねぇ」
男は笑った。その笑顔、ジョシュアは見覚えがあったが、どこで見たのか思い出せなかった。
「名前は? 俺はランディルト。ランドと呼んでくれ」
「俺は、ジョシュアだ」
「そうか、じゃあ短くして……ジョス? あーまぁそのまんまでいいか。なんか逆に言いにくい」
男はまた笑った。その顔、ジョシュアはその顔を知っている。
その顔は、彼を笑っていた。ジョシュアの記憶の中のその顔は、彼を笑っていた。最後の瞬間まで。
「ロンド……」
思わず声を出してその名を呼んだ。ロンドの顔、その笑い顔に彼はそっくりだった。
「えっ? 父上知ってるのか? そっかお前も翼無しだもんな。知ってて当然か」
「……子供なのか。あいつの」
その男は、黄金色の髪を持ち、赤い眼を持ち、そして、よく笑う。
嘗て、自分が斬った男の息子が目の前にいるのだ。ジョシュアは少し、どこか申し訳ないようなそんな気持ちになった。
だが彼は笑う。全てを笑い飛ばすかのように。
「なぁ、ジョシュア。お前、剣は振れるか?」
「少しは」
「そっかぁ……少しかぁ。脱衣所にある剣お前のだろ? あんなんぶら下げて少しってのは、ちょっと謙遜じゃないか?」
「まぁ……な」
「ハハハ、まぁ翼無しだもんなぁ。剣ぐらいはつかえねぇと、すぐ死んじまう」
金色の男は、手を広げると、湯船に身体を浮かせた。そして空に向かって、笑った。
「まっ騎士団なんて荒くれ者の集まり作ってるやつが言うなってな。はははは」
ジョシュアは感じた。彼は、いいやつだと。初めて会ったその男は、まるで数年連れ添った友のように、ジョシュアに向かって笑顔を向けていた。
ジョシュアは気を緩め、彼の笑いを受け止める。
「翼がそんなに大事なのか? 周りのやつは」
「っていうよりも翼がないことが大事なんだろうな。ほら知ってるだろジョシュアよ? 俺みたいな翼無しは、人の血が入ってるんだ。精霊たちにとって忌むべき人のな」
「……戦争があったんだったか」
「すごい昔にな。父上も参戦したとかいってたけど、父上すぐ嘘つくからな。信じらんないよな」
人と精霊の戦争。ジョシュアも精霊竜ヌル・ディン・ヴィングからちらっと聞いただけだったのでよくは知らない。だが何かあったのは確実なようだ。
「俺たちはなぁんもしてないのに恨まれるってのもな。気分いいもんじゃないよなぁ」
「そうだな」
熱い湯に顎までつかり、彼らは肩を並べて空をみた。湯気は空に昇り、白さは透明になる。
「なぁ、俺は翼無しのための騎士団を持っているんだ。ロンディアナ騎士団。知ってるか?」
「……いや、知らない」
「そっか、俺達は迫害される翼無したちを保護したりしてるんだ。くだらねぇ領主を倒したりもしている。解放した村はそりゃ沢山だ」
「それは立派だな」
「だろ? 今回もこの近くのなんだ……村人攫う馬鹿領主をぶっ倒しに行こうとしてたんだが、着いてみたら何か全部終わってたんだよ」
ランドは、湯から顔を出すとジョシュアの顔を覗き込んだ。ジョシュアはその眼を真っ直ぐに見返した。
「……お前だろ? やったの」
「さぁ、知らないな」
「青い翼の村長が言ってたぞ。紅い布纏った剣士が助けてくれたってな。脱衣所においてある紅いマント、それに白銀の剣。情報通りだ。しらばっくれるなよ」
「だったら何だ。仕事の邪魔をした俺をどうにかしたいのか?」
「ああ、まぁ、ここで会ったのは偶然だがな半分は。いきなりであれだが、お前……俺たちの仲間にならないか?」
「何?」
「俺たちは数十人であの領主を攻め落とすつもりだったんだ。それを一人でやったんだろう? そんなやつが仲間になったら、心強い。なっ? 悪くはしない。仲間にならないか?」
ランドは笑った。真っ直ぐジョシュアをみて笑った。きっと彼は、一つも嘘をついていない。
ジョシュアにそう確信させる何かが、ランドにはあった。
「断る。俺は行くところがある」
「そうかぁ……残念だなぁ」
「悪いな」
「これじゃ王までは遠いな」
ランドは立ち上がった。静かに、ゆっくりと、そして背を伸ばすと彼は歩いて湯船からでた。
そして、浴場から出る扉の前で彼は口を開く。
「同じ翼無しだ。せめて楽に殺してやる、ぞ」
「何?」
湯船が、砕ける。ジョシュアの真下の地面が捲れる。ジョシュアは咄嗟に飛び退くと、その割れた地面を見た。
そこには黒装束に身を包んだ、誰かがいた。
「……何のつもりだランド」
「悪いな。たまたま俺と会っちまったが運の尽きだ。領主殺害は、罪だ」
「お前も領主を殺しに来たんじゃないのか」
「違う、俺は裁きに来たんだ。この世界には統一された法が無い。だからロンディアナ騎士団が正義を執行する。そうだ、俺たちが裁かれなければならない。正義は我らが法にある」
「独りよがりの正義の下に築かれる秩序など、悲劇しか生まないぞ」
「王は裁けん。だからこそ、俺達が裁く。俺たちはこの世界の秩序を守りし者。悲劇でもなんでもいい。この世界には秩序が必要だ。だから罪は……我らが手で裁かれなければならない」
ジョシュアの眼に前にいる黒い者は、モノを言わずジョシュアに剣を向けた。対するジョシュアは何も着ていない。辛うじて布だけは腰に巻いてるが。
黒い者の構えはその者の強さを伝える。ジョシュアは眼の前のやつが相当の実力者であることを察した。
「こんな格好でやるのは初めてだ」
ジョシュアは湯船の中で拳を構えた。徒手空拳の組技は彼は得意だったが、それでも限度がある。剣をもった相手にほぼ全裸で拳を交えるのは自殺行為だった。
目の前の黒い装束を着た剣士は、じりじりと湯で濡れる床を踏み締めながらジョシュアに近づいてくる。
水が弾ける。黒い影は弾ける水よりも速く、踏み込んだ。
その剣はジョシュアの首を刈らんとすさまじい速さで振られた。ジョシュアに襲い掛かる。
そして、その剣は、ジョシュアの目の前で止まった。
「はっ!?」
「ほほぅ!」
眼を見開き感歎の声を上げるランド。思わず声を漏らす黒い剣士。
黒い剣士の剣を持つ右手は、ジョシュアの左手に握られていた。ジョシュアは右手を構え、ギリギリと右腕と背筋に力を込めると、拳を強く、突き出した。
その拳は吸い込まれるように黒い剣士の顔にめり込み、そしてそのモノを吹き飛ばした。
「悪いが自警団ごっこは他所でやってくれ。俺を巻き込むな」
「はっはっは! 全裸のやつにやられたかシエラ!」
ランドは、また笑っていた。今度は腹を抱え、心の底から笑っていた。
「ぐ、ぐっ……」
黒い剣士はずぶぬれになった覆面を掴み、脱ぎ捨てた。そして現れるのは長い金色の髪を持つ、女剣士。彼女の鼻からは金色の血が流れていた。
「くそっ! よくも私の顔を!」
「よせシエラ。手加減されたのに気づいていないのか?」
「うっ……くっ……」
金色の女剣士は、湯で濡れた地面を手で叩いた。ぱしゃっと水が弾ける。
ジョシュアは、その剣士がどこか自分の妹に似ていると思った。
「……風呂が台無しだ。俺は出るぞ」
そういうとジョシュアは湯船だったモノから出て、浴場の入口へと向かった。
ランドとすれ違う。その一瞬、ランドは話した。
「すまんな、決まりなんだ。例外を認めていたら俺たちは目的から外れてしまう」
「いつでもこい。俺は逃げも隠れもしない」
「ハハハ、いいね。気に入った。今度一緒に飲もう。騎士団の仕事無い時にさ」
「……わけのわからんやつだ」
ジョシュアは浴場から出た。ロンディアナ騎士団、秩序を求める集団。彼らは彼らの法で動き、秩序を創る。
ジョシュアはロンディアナ騎士団には特に興味がなかったが、ランドには興味を持った。またどこかで会うだろうと彼は確信していた。
「父上っ……何故行かせるんですか! あいつは領主を殺したんですよ! あんなに簡単に精霊を殺せる奴をのさばらせておくなんて!」
「シエラ、お前はもうちょっと柔らかくなった方がいい。そんなんだから胸も小さいんだぞ」
「今関係ありませんよ! 私は……あいつを追いますからね」
「ああ、仕事熱心だなァ俺の娘は……まぁ、明日にしろ明日に。今日は休みに来たんだからな」
夜は更ける。ジョシュアはレイスと合流し、宿の部屋に二人並んで寝た。
まだまだ旅は始まったばかり、彼らはベッドの中で、夢の世界へといざなわれるのであった。




