第10話 紅布の剣士 後編
黄色い平原に、不似合いな石造りの屋敷が一つ。
その中では今夜、宴が催される。主賓は当然、この辺り一帯を統治する領主。
「今日は何人おるかな?」
「はい、本日は五名にてございます」
「ほほぅ、それは迷ってしまうなぁ。いっそ全員いってしまうか?」
「今夜は精のつくものを食べねばなりませんね」
領主は今、劇場にいた。大きな舞台、そして灯る明かり、明かりはまるで一つ一つが太陽のように、光り輝いていた。
領主の屋敷にある劇場は、領主一人を楽しませるためだけに存在する劇場である。そこで繰り広げられる劇は、領主にとっては最高の、連れてこられたものにとっては最低の劇であった。
女は並べられ、品定めされる。
男はそこではただの見世物、殺し合いをさせられる、あるいは死に至る拷問をさせられる。最低の、最悪の舞台。
故にその舞台の床は、血と涙のシミで汚れていた。
「領主様、最後の部隊が戻ったようです。私は出迎えに参りますので……今夜はお楽しみください」
「うむ、ああ、言い忘れとったが、先月来た女たちはもう飽いた。あとはお前たちで好きにしろ」
「はい、ありがとうございます」
領主の翼は黒い。見た目は若さを保っているが、その顔は醜悪に歪み、腹は出て、醜い容姿をしている。
広い劇場に一人、酒を飲み、座っている。その顔は今夜の乱れた夜を思い出し、ニヤニヤと笑っていた。
ここに運ばれた者たちにとっては最悪の夜。だが――
「何だこいつ! 強いぞ!」
「囲め! 囲め!」
――今夜は、最高の夜。
外は静かに、ただ静かに。
夜は暗く、空は雲一つなく、星は満天に。
白い翼は夜に映える。劇場は今、光に包まれる。
――今夜は最高の夜
劇場の幕は今、ゆっくりと上がった。領主が手を叩く音が広い劇場に響き渡る。
中央には白い翼を持ち、煌びやかなドレスに身を包んだ女性が祈りをささげていた。
「この世はとても、とても美しい。ああ、世界は何て広いんでしょう」
女性は白い翼を広げ、祈りを解き、両手を広げて見上げる。
「私は籠の中の姫、広い世界を夢見る姫、ああ、自由をください。私は鳥のように、空へ羽ばたきたい」
白い翼を羽ばたくように上下に動かす。その翼の動きは滑らかで、領主は見入った。
「でも羽ばたけない! 私は捕らわれの身! ここでの羽ばたきも、全て牢に阻まれてしまう!」
女性は翼を畳む。そして大きく、右へ、左へ、動く。
「ああ、この世はどうして、どうしてこんなにも、残酷なのでしょう。私は今、魔の王に捧げられようとしています。助けてください誰か!」
白い翼を持つ女性は、透き通るような声でうたう。その声はこの世のものとは思えないほど美しく、一瞬で領主の心を掴んだ。
領主は、椅子から身を乗り出し、その女の姿を見ようとした。
「ああ、どうして、どうこんなことをするんですか? あなたの、言葉を聞かせてください。どうして女性を攫うんですか?」
白い翼の女は、領主に向かってセリフを吐いた。そう、この言葉は領主に向かって言っているのだ。
面白い趣向だと、領主は思った。そしてひどく醜い声で、答えた。
「我が領の女は全て私のモノだからだ!」
領主は、劇を無視し、ただ自分の言葉で答えた。
「ああそんなこと、誰がお許しになるでしょうか。そんなこと!」
「私の領土だ! 私が許す!」
「どうして!」
「お前に理解してもらう必要はない。今夜はお前だな……こんないい娘がまだ残っておったとは」
領主は劇を忘れ、立ち上がり舞台の傍まで歩いた。ドレスから覗く足を、胸元を、領主は舐めるように見る。
「あなたは、覚えていますか?」
「ん? 何をだ」
「私と同じ白い翼を持った女性を、覚えていますか? 十年ほど前です」
「んん? 白いのは珍しい……おお、おったな。おったおった。知っておるぞ。あれはいい女だったな」
「あの人は帰ってきてません。今は、どうしてるんですか?」
「子を孕んだから殺した」
白い翼の女性は、眼を見開き、止まった。
「ころし、た?」
「私には子などいらん。女子ならば楽しめるかもしれんがなぁ。精霊は老いでは死なんから子供いても邪魔なだけよ。堕胎は嫌だといったからなぁ。まぁ飽きてたしな」
「子供……ママの子供……あたしの……弟……?」
「ああん? そうだ劇はどうした? 踊って見せろ。泣き顔などいらんぞ笑え」
「あたしの家族が……知らないところでもう一人……殺されっ……」
白い翼の女性は、レイスは、震えていた。死んだことは想像していた彼女であったが、さらなる事実に今、彼女は震えた。
「どうして、お前はそんなこと、できるのよぉ……!」
「あーん? 何だ知らんのか? 領主は絶対だ。欲しい物は全て手に入る。力と金で。私だけではないぞ? 皆多かれ少なかれ、好き勝手しておる。お前も領主になったらば、きっと男を侍らせ好きにふるまうだろう」
「お前には、お前だけは、報いを、報いを……」
「なんだつまらんな。劇も終わりか。まぁよいかお前は美しいしな。泣き言や恨み言は寝屋でしろ」
「報いを! 報いを与えてください! この者に!」
レイスは、翼を広げ、両手を広げ、舞台の中心で叫んだ。
舞台の奥、役者が隠れる場所から、大きなブーツが出る。
ゆっくりとそれは姿を現す。巨大な身体、深紅のマント、白銀の剣。
「こいつだけは! 許さない! 絶対に!」
鋭い眼光、ジョシュア・ユリウス・ゼブティリアン。舞台の上に、今、現れた。
段差を降りる。ジョシュアの表情は、ただ怒りで染まっていた。
「な、何だ貴様は! 今日は男はいらんぞ! 外の者はどうした!?」
「全て、斬った」
「何?」
レイスはジョシュアの傍に立ち、彼を翼で包む。
「名も知らぬ領主よ。この女はお前にはやれない。そしてお前はこれから二度と女を抱くことはない」
「な、なんだと……!? 誰か! 誰か来ぬか! 賊だ!」
領主の叫び声は、虚しく響き渡るだけだった。誰も来ない。そう誰も来ない。
もう、誰もいないのだから。
劇場の外ではレイスの弟であるライオと、ライオの恋人であるナデアが、金色の血だまりの中助け出した奴隷や女性たちを連れだしていた。
そう、この屋敷にいた800人の部隊は全員倒されたのだ。ジョシュアの手によって。
「何故誰も来ない!?」
「レイス、ここまでは俺の戦いだった。俺が気に入らないから、全て斬った」
「あぁ……」
「ここからはお前の戦いだ。さぁ……どうする?」
「あたしは、本当は領主なんて、どうでもいいと思ってたのかもしれない。パパもママも、死んだのは昔だし、でも会って、顔をみて、声を聞いて、あたしは……」
レイスは、領主を見た。戸惑い、怒り、そして右往左往する領主を。
「終わらせてくれ。こいつに報いを。パパとママの、仇を」
ジョシュア無言でうなずき、レイスから離れると剣を舞台に突き刺した。涙と血がにじむ舞台が砕け、石が、土が、浮かび上がりジョシュアの身体に張り付く。
石が落ちる、漏れる光。
「ジョシュア? なにをしてるんだ?」
石がはがれる。一つ、二つ。
剥がれた場所から見えるは白銀。白銀の鎧。
ジョシュアの身体は今、この世界に立って初めて、白銀の鎧に包まれた。
そして巨大化する白銀の剣。剣を抜き、ジョシュアは立つ。
白銀の騎士は舞台から降りる。後ずさりして逃げる領主を、ゆっくりと追い込む。
白銀の姿をみたレイスは、驚きのあまり固まっていた。
「な、なななな今、鎧をどこからだした!?」
ジョシュアは無言で歩く。そう、彼はもう、ただの剣。レイスの想いに応えるただの剣。
深紅のマントを纏った白銀の騎士は、白銀の大剣を片手に、領主を追い詰める。
「貴様ぁ! 私を殺してもどうせすぐに私の代わりができるだけだぞ! 領民は! 領主に従え!」
白銀の騎士は白銀の大剣を片手で払った。その一振りで領主の脚は吹き飛んだ。
「ほぉっ!?」
領主は痛みを感じなかっただろう。全くの抵抗もなく領主の脚を切り裂いた。
「お、おお……ふ、ふざけるなぁ! 私が何をしたんだ!? 女を……抱いて捨てただけだろうが! 何故だ! 何故……こんな目に!」
ジョシュアは、まだ自分のしたことがわかっていない男に対し、少し憐れみを感じた。
「私は違う……! 私は素晴らしい領主……私はぁぁぁ……助けろ領民たち……私を助けろ……」
白銀の大剣をジョシュアは両手で持ち、大上段に構えた。
レイスはその姿を、瞬き一つせず見ていた。
「そうだ、思い出したパパ、ママ。白銀の騎士の最後の言葉は……」
白銀の騎士は力を込める。
「お前を助ける領民などいないぃ……!」
「まてぇぇぇぇ!」
振り下ろされた白銀の大剣は、領主の身体を真っ二つにした。白銀の騎士は黄金の血を浴び、そしてレイスは涙を流した。
小さな村で起きた悲劇、十年以上にわたる地獄。
今、深紅のマントを纏う騎士によって、それは終わりを告げる。
鎧化を解き、ジョシュアは元の姿に戻る。そして深紅のマントを払い、口を開いた。
「レイス、お前はこれで自由だ。好きなことをして、好きなやつと共に生きるといい。俺にできるのはここまでだ」
「……ジョシュア、ありがとう」
「ふ、あとな。男っぽい言葉遣い、無理にしなくてもいいんだぞ」
「なっおま、気づいて……!?」
ジョシュアはレイスに向かって微笑んだ。屋敷の外では救出された人たちが集まって待っていた。
彼らは今、自由を得た。夜が更ける。星は輝く。世界はどこであっても、残酷で、また美しいのだ。




