第4話 精霊の世界
ルクメリア王国首都から離れた森の中、天を突く巨大な塔が建っている。
騎士の塔、そこはルクメリア王国の支える騎士を育成するための場所。登るための条件はただ一つ、騎士を目指すこと。
騎士になりたい子供は多い。しかし我が子を騎士にしたい親は少ない。騎士の世界は弱者が許されない世界。人は強さを求めるが、人は皆強くなれないのだ。
その騎士の塔に今、四人の男が入る。ルクメリア騎士団の騎士であるジョシュアとダンフィル、そして精霊騎士グラーフ。そしてもう一人。
「何なんですのもう……いきなり塔に連れてけって……わたくし明日までお休みでしたのに! グラーフさんどういうことですの!」
「すまないミリアンヌ嬢。騎士の塔は遠くてね。君の力で運んでほしかったんだ」
「今日はわたくし本屋へ行こうと思ってましたのに……まだ近いのが不幸中の幸いですわ……はぁ」
「君にとっては近いか。ははは」
ジョシュアたち三人の後ろからついてくるは精霊騎士第3位ミリアンヌ・フェイトナ。
彼らは塔の門を開け、案内人に連れられて地下への階段を降りていた。
「……なぁジョシュア。騎士の塔ってこんなに近かったっけよ?」
「そんなわけないだろう。歩いて数日かかるんだぞ」
「さっき闘技場だったじゃねぇか……二回戦始まったところで……闘技場にいた時と日がおんなじ位置にあるぜ。あー頭おかしくなるぜ」
「ははは、すぐ慣れるさジョシュア君、ダンフィル君。ミリアンヌ嬢の精霊の石はルクメリアでも一個しかない希少価値の高い属性だからね。えーっと……なんていう属性だったかな?」
「空。リンドール卿あんまり人に言いふらさないでくださいます? ただでさえセブティリアン卿に見つかってもうすごいこき使われてるんですから。はぁ……家に帰りたいですわ……」
「そうだそうだ空だ。空の属性。と言っても空間の方の空なんだけどね。どうなってるのかわからないけど応用したら人をこうやって遠くまで飛ばせるのさ。便利だね」
「ところでいきなり引きずられてきましたけど、わたくしこのお方たち初見でしてよ。紹介してくださらないんですの?」
「ああ彼らは……セブティリアン卿のご子息のジョシュア君と、その友人のダンフィル君だ。二人とも騎士で、昨年のルード奪還で活躍したんだ」
「よろしくお願いします」
「よろしくっす」
「そうですの……えっあなた、ユークリッドさんの御兄弟?」
「は、はぁ……そうですが」
「なるほどですわ……通りで。ふふふ」
ミリアンヌは花をあしらった派手な服を着ており、染め上げた赤毛の髪と相まって騎士と言うよりも金持ちのお嬢様のような風貌だった。
ジョシュアはミリアンヌからただよってくる香水の匂いに、少しめまいを覚えた。
地下への階段を降りた先は牢屋。案内人が無言で頭を下げると牢屋へ通じる通路の鍵を開けた。
「ありがとう、それじゃジョシュア君、ダンフィル君。彼らを見てくれ」
「これは……」
騎士の塔の地下牢、そこは素行不良の者を入れる場所。
その牢はすべて埋まっていた。子供、大人、そして老人。様々な人が牢に入っていた。彼らは心が無くなったかのように皆一様に無表情だった。
荒々しい呼吸音が牢に響き渡る。ジョシュアは檻に手をかけ、俯いている子供の顔を覗き込んだ。彼もまた虚ろな眼をしていた。
「病気ですか? 牢屋に繋いでおくような……感染症?」
「いや、ジョシュア君それは違う。彼らの様子に何か思うことはないかい?」
「いえ……」
「ダンフィル君は?」
「……去年だ。ルードの戦いでザイノトル卿から聞いたリンドール卿の様子に似てますねこれ」
「そうだ。彼らは去年の僕と同じ病にかかっている。心が薄くなってるんだ。しかもそれだけじゃない。見てくれこれを」
グラーフは腰に付けた袋から、青い石を取り出した。それは精霊の石、ジョシュアたちには濁っているため中級の石であることが見て分かった。
それをグラーフは虚ろな眼をした子供の手を取り握らせた。持たせた瞬間に石から溢れる水。あっという間に牢屋の床に水だまりができた。
グラーフは石を子供から取り上げた。水は止まる。
「まぁこの子相当精霊の石使うのがうまいんですわね。強くなりますわよこの子」
「ミリアンヌ嬢。そうだ、そう教官たちは今まで考えてきたんだ。でも……違う。いいかい皆。この病の恐ろしいところは、法力の制御ができなくなることなんだ。彼は決して精霊の石を使おうとして使ったんじゃない。ただ触れただけなんだ」
「えっどういうことっすか?」
「つまり、ダンフィル君は精霊の石を使う時はどうやって使ってる?」
「どうやってって……ぐっとこう集中してですね……あーあとはなんとなく?」
「そう、それが正しい。法力は体力のようなものだ。体力は身体を動かすのに必要だけど、体力を使うと意識して使ってるわけじゃない」
「は、はぁ?」
「この病気はね。精霊の石が異常に反応するんだ。そして当然法力が切れる。その時の身体の疲れは普通じゃない。考える力もなくなるぐらいに」
「メルフィもこの病気に?」
「うんそうだね。そしてこの病気、最近爆発的に広がっている。騎士の塔では牢屋に入るまで大暴れした者もいるそうだ。子供たちにも被害が出ている。騎士団の方で調査は進めているんだが……如何せんよくわからない病気でね……ほっとくわけにはいかないが……」
グラーフは牢屋を見回し、眉間にしわをよせ考え込んだ。ダンフィルは床にしゃがみ込み、ジョシュアは壁に寄りかかった。ミリアンヌは飽きたのか椅子に座って寝始めた。
皆が一様に考え込んでいると、塔から牢へ続く扉が開かれた。
そこから現れるのは金髪を伸ばし、赤い眼をした男。その男はゆっくりと牢屋の並ぶ部屋へと入り、そして口を開いた。
「やあリンドール卿、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「はっアイレウス殿下。これは失礼を」
グラーフは踵を合わせ、胸に手をあて敬礼をした。ミリアンヌだけは面倒そうに一息つくと、椅子から立ち上がり敬礼をした。
ジョシュアとダンフィルも合わせて敬礼をする。
「いや、礼はいい。私を王族として扱う必要はない。同じ騎士団の仲間だからな」
「はっ」
グラーフは敬礼を解く、皆も続いて敬礼を解いた。
ジョシュアたちの目の前にいる男はアイレウス・ゼン・ルクメリア。精霊騎士第1位にしてルクメリア王国国王の弟。見た目は壮年の男だが、実際の年齢は国王と一つしか違わない。
最強の騎士であるアイレウスは薄く微笑んだ。
「さて……では大会を抜けだして来てくれた貴君たちに、私が調べたことを伝えるとするか」
「申し訳ございません殿下。あなたほどの方にこのような情報収集をさせることは……私が大会を辞退してでも動くべきでした」
「いや、私は大会出場禁止だからな。丁度暇してたところだ。リンドール卿は大会を相当楽しみにしてたであろう? であれば邪魔はできんさ」
「ははは、お恥ずかしい」
「それじゃあ……どこまで君たちは知ってるかな? この者たちが病気だということは?」
「リンドール卿に説明を受けました」
「右に同じっす」
「うむ……」
ジョシュアとダンフィルは姿勢を崩し、アイレウスの顔を真っ直ぐ見た。彼は一息つくと、一言ずつ話し始めた。
「……まずはこの病、世界中で増えている。他国ではこの病、狂人病と呼んでいる。私が調べただけでも数百人は確実にこの病にかかっているな」
「狂人? どっちかというと……落ち込み病みたいな感じじゃないっすか?」
「ダンフィル君、よいかここにいる者は精霊の石……法力を使い果たしたものたちだ。だからこんな風になっている。この病にかかっている者でこんな風に意識が薄くなる前は、どんな様子だったかな?」
「……ああ納得。すみません話の腰折ってしまって」
「いや、いい。それでは続きだが……」
――狂人病。
アイレウスはその病について話し始めた。この病にかかった者は段々と発言が支離滅裂になっていく。
そして、ある一定以上の状態になると人としての言葉を話さなくなる。うめき声、叫び声、何ともいえない声を上げ、暴れまわる。その暴れる力は数十年鍛錬を積んだ騎士にも匹敵し、一般市民では対処できない。
そして、その病は一年前、丁度ルード奪還戦が終わった頃から増え始めたのだ。
「……そして、この病、我が国に伝わる文献に記述があったのだ。約1000年前の記録だ。そこにはこう書かれている。精霊の力は人を狂わす、と。意味は分かるか?」
「いや……ジョシュア。すまねぇ俺ついていけねぇ」
「俺に振るな。俺もわからん」
「精霊の石を使いすぎるとかかる病なのだこれは。すなわち、この病にかかった者から精霊の石を取り上げ、しばらくは精霊の力から離れさせる必要がある」
「なるほど……では早速世界中にこの対処法を」
「うむ……だが、世界中の者が精霊の石を使ってるかどうかと問われると、怪しいな。それで、私はもう一つ原因があるのではないかと思う。それで……ジョシュア君、君に頼みがある」
「はい」
「精霊竜に合わせてくれないか? 彼の意見を聞きたい」
「ヌル・ディン・ヴィングに? わかりました、では外に行きましょう。呼びます」
「頼む」
ジョシュアたちはミリアンヌを起こし、騎士の塔の外へ出た。塔の前に広がる草原に彼らは揃った。
そしてジョシュアが天に向かって叫ぶ。
「ヌル・ディン・ヴィィィィング!」
声が周囲に響き渡る。そして、轟音とともに竜が飛んでくる。
爆風のような風を起こし、ジョシュアの前に精霊竜は降り立つ。
「ヌウウ……ジョシュアよ。今から食事をとるところだったんだぞ。急に呼ぶとは何事だ。お前の嫁が食事を用意して待ってくれてるのだぞ?」
「ああ、悪いことしたな。悪いがこの人が聞きたいことがあるらしいんだ」
「ほぅ……お前がワシに。む? お前……どこかで……確か……」
「気のせいだろう。精霊竜よ。貴公に聞きたいことがある。病のことだ。貴公には汚染と言った方がわかりやすいか?」
「魂の汚染か。精霊種の力が人を狂わすという。ワシも仕組みは知らんぞ」
「いや、仕組みはいいんだ。すまない、率直に聞くんだが……その汚染、今世界中で広がっている。原因がわからんか?」
「ヌ? そんなはずはなかろう。王が世界を分けてしまったのだからな。再び繋がりでもしない限り……ん? いやまて、今まで気にしてなかったが、何だこの空気は、これではまるで……」
「……やはりか」
「薄い、だが確実に、この空気は精霊界の空気。どこからだ……ワシではここまで薄いと感じきれんぞ」
「ありがとう精霊竜よ。これではっきりした」
「ジョシュアよ。これは事だぞ」
「な、なにがだ? 俺のわかるように話してくれ。二人だけで納得してるんじゃない」
「王国の観測機も示していたのだ。1000年ぶりに反応したが故障ではなかったな……ジョシュア君、そしてダンフィル君、リンドール卿たちもここだけの話だ」
「はい、お聞かせください殿下」
アイレウスは、ジョシュアたちの方へ向き、神妙な顔をして話した。
「精霊の世界が繋がりかけている。今この世界に」
「……そ、それでつながったらどうなるのです? お教えください殿下」
「精霊の石など比べ物にならない程の精霊の力が、人を襲う。人は皆狂うであろう」
「なんと……現実味のない……」
グラーフ始め、その話を聞いたジョシュアとダンフィルはいまいちピンとこなかった。ダンフィルはたまらず口を開く。
「はぁ? ど、どういうことだよジョシュアよぉ」
「お前は俺に聞きすぎだ……ヌル・ディン・ヴィングどういうことだ?」
「ジョシュアよ。よいか1000年前まで人と精霊は共に暮らしていたのだ。だが人にとって精霊は害になった。何故かは……まぁいろいろあったのだが、それで人は精霊を滅ぼさんと戦いを始めてしまったのだ。その戦いは精霊王が世界を分けるまで続いたのだ。ワシの仲間も多くが戦争に駆り出され、死んでいった」
「そんな話初耳だぞ。歴史書にもそんな戦いは……」
「ワシは人の歴史書なんぞ知らん。だが事実だ。そして、今精霊の世界が再び繋がろうとしている。世界を分けたことで、濃縮されるが如く千年蓄えられた精霊の力。一度浴びれば人として狂うだけではすまんぞ」
「きっと一年前のロンドたちの行動がこれを引き起こしたのだろう。測定器が動き出したのも一年前からだからな」
ジョシュアはそれを聞き、ロンドの最後の言葉を思い出していた。課題を残したという言葉を。
「対策は? どうすればいいヌル・ディン・ヴィング?」
「もう一度世界を分けるしかあるまい。その方法は今は失われたもの、知るのはただ一人、精霊界にいる長老のみ」
「ということは?」
「誰か精霊界に乗り込むしかあるまいな」
「でも精霊界は人を狂わせるんだろう? 誰が行ける?」
「この世界において、行ける者は一人しかおるまい」
「誰だ?」
「お前だ。ジョシュアよ。ワシが繋がってる限りお前だけは汚染されん。ワシが受けるからな」
「……何?」
皆の眼がジョシュアに向いた。ジョシュアはその視線を感じた。
精霊の世界が繋がろうとしているこの世界で、人は少しづつ異変をきたしていた。彼らを救う方法は今は一つ、ジョシュアを見る仲間たちはその方法に対し、思考を巡らすのだった。




