第30話 誰が為に君は泣く
ルクメリア王国首都、その大通り、人々は並び、騎士団に対して喝采を送る。
ルクメリア騎士団団長シグルス・ライアノックを先頭に、騎士団の騎士や兵士たちが続く。その数は出立した時と比べると半数ほどになっていた。
ルクメリア騎士団にとって、死は過去すべての騎士、兵士たちが待つ英霊の世界への出発である。故に、騎士団の仲間が死んだとしても喪に復すことはない。
盛大に、人々は騎士団を迎える。中には家族が死んだ者もいる。涙を隠し切れない者もいる。
全ての想いを包み、彼らは歩く。場内の広場に向かって。彼らは勝利の宴を開くのだ。
数日前、精霊騎士第5位シグルス・ライアノックを挟み、ロンドベリア共和国大総統とルード神国法王との間で恒久的な平和条約が締結された。ロンドベリアとルードの戦争は終結し、今一つの戦争が無くなったのだ。
もちろん、全ての戦争が無くなったわけではない。相変わらず小競り合いを続ける国家はあるし、海賊や山賊もいる。だが一時とは言え、大きな戦争が無くなったことに、ルクメリアの人々は歓喜の声を上げるのだった。
そして、騎士団が集まる場内の大広場の傍にある聖堂で。二人の男女が手を取り聖女の下に立っていた。
「騎士として夫に問う。汝、この者を愛しつづけることを精霊に誓うか?」
「はい」
「その伴侶としての妻に問う。汝、この者を愛し続けることを精霊に誓うか?」
「は、はいい!」
聖堂には真っ白な騎士装束を着たジョシュアと真っ白なドレスを着たカレナ。二人の他にはジョシュアの館の使用人であるメリアと、カレナの弟のケイン。そしてカレナの村から出席した人たちがいた。
「ジョシュア様立派になられて……ううう」
「姉さんすごい服着てるなぁ……」
「まさかうちの村のカレナちゃんが他国のやつに取られちまうなんて……でもまぁ相手はあの英雄だ。いいか。がはは!」
聖堂から一歩出ると、そこは騎士団の帰還パレードが行われている。ジョシュアはそれを抜けだし、聖堂にて結婚式を挙げるのだった。
「宣告は受け取った。私、マリィメア・ファリーナ・セブティリアンが精霊様の元へ伝える。おめでとうユリウス、カレナさん」
「ありがとう母さん」
「ジョシュアのお母様見た目若すぎぃ……何なのセブティリアンって……」
長い黒髪と赤い眼を持つ、ジョシュアとユークリッドの母であるマリィメアはルクメリア王国の国教である精霊教の聖母と呼ばれる女性である。彼女の見た目は二十代のそれであるが、実際はそれなりの年齢である。
「ふふふ、若さの秘訣はおいしいごはんと、睡眠よ。さぁ、えーっと……もう巡業ばかりで慣れてないんだけど、次は指輪の交換ね。コホン、では汝ら、誓いの指輪を互いの指に交わせ。」
ジョシュアはカレナの手を取り白銀の指輪を彼女の左の薬指にはめた。カレナも同様に、緊張して震える手で、ジョシュアに指輪をはめた。
白銀の指輪はカレナの故郷である錬鉄の森で作られたものである。その精巧な作品は、暗がりにあっても光り輝く。
「では、誓いの口づけを」
ジョシュアはカレナのベールを上げ、向き合う。
「……待って、ジョシュア待って。今すごいこと気づいたから待って」
聖堂の人々の視線が集まる中、カレナは小さく声を出した。その声はジョシュアにしか届かない程の小さな声だった。
「何だ?」
「あたし、口づけってしたことない。どうしようやり方わからないんだけど」
「何? いや、まて、そういえば俺もだ。口づけってどうするんだ? 演劇とかで何度か見たことがある……だろ? どうやってやるんだ?」
「知らないわよ。ちょっと待ってやばい、何かもういろいろわからなくなってきた。キスってどうするの? あれ? やっばい皆見てる……よく考えたらジョシュアのお母様に見せつけるようなもんじゃない。何か恥ずかしくなってきたんですけどぉ」
「カレナ落ち着け。いいか? とりあえず……口をつければいいんだ。いくぞカレナ」
「ま、待って!」
「ユリウス、歯だけは気をつけなさい。当てたらすごいことになるわよ」
「母さん……ありがとう……! よしいくぞっ」
「わ、わかったわ。あたしも……覚悟します!」
「その口づけちょっと待った!」
ジョシュアがカレナの肩を持ち、覆いかぶさろうとした時、聖堂に男の声が響き渡った。
ジョシュアとカレナは同時に声の方向を見た。
「危ない危ない。俺の居ないところで息子が結婚してしまうとこだった。ファリーナも人が悪いな。俺を呼べっていうんだ」
「と、父さん?」
「応父さんだぜぃと。いやぁべっぴんな嫁さんだ。こりゃもう夜は寝れなくなるな? わははは!」
その男は無精髭を生やし、豪快に笑っていた。男の名はゼッシュレイド・セブティリアン。精霊騎士が第12位にしてジョシュアとユークリッドの父親である。
「あ、お父様は歳ちゃんと取ってるんだ。ちょっと安心」
「こらゼッシュ、空気読みなさい」
「いやぁーすまんなファリーナ。遅れちまった。ミリアンヌのやつがさぁルードに連れて行ってくれたんだけどさ。だぁれもいなくてな。聞いたら全部終わってるっていうじゃないか。参っちゃうぜ。帰ったら息子は結婚式だっていうしさ。ファムのやつは乳がまたでかくなってるしさ。父は乳が心配だってか? なんかもう置いてかれたって感じ」
「はいはい、くだらないこと言ってないで座りなさいゼッシュ」
「残念ながら座れねぇな。だって……」
ゼッシュレイドは振り向き、聖堂の扉を勢いよく明けた。叩き付けられる扉。広がる歓声。
そこには、数千人の人々が聖堂を囲んで歓声を上げていた。
「ルードを救った英雄を一目見たいとルード神国とロンドベリアの人々が集まってしまいましたとさ。こりゃ、盛大にやるしかねぇだろ?」
「はぁはぁはぁ……ひ、ひどいですわセブティリアン卿……わたくしをこんな目に……何度往復させられたことか……ああ家に帰りたい……」
「おうご苦労さんミリアンヌ嬢。あとで美味いもんとでっけぇ金塊届けてやるからな。わははは! さぁユリウス! あとその嫁さんよ! 出てこい!」
ジョシュアとカレナは、ただ眼を見開いていた。あまりの人の数。聖堂の入り口から見えるだけでもそれは巨大なルクメリア城内の大広場を埋め尽くしているのがわかる。
ルクメリア城内の大広場は騎士団が全員集まってもまだ十分にスペースがある。騎士団の総数は現在2000近く。つまり少なくとも2000人は人がいるのだ。
「じょ、ジョシュアどうするの? どうするの?」
「行くしかないだろう。父さんは……強引だなぁ」
「おう、父さんは強引だぞ。わははは! おめでとうユリウス!」
ジョシュアは、左手を差し伸べた。カレナはその手を取った。
二人は手をつなぎ、聖堂から一歩外へ出る。彼らはそこで、大量の声を叩き付けられた。
「おおおお! でけぇ! すげぇ身体だ!」
「おめでとう!」
「綺麗な嫁さんだなぁ!」
「ちょっと身体大きすぎだけどかっこいいわ! おめでとう!」
「ウオオオオオ!」
祝福の声、叫び声、感嘆の声、笑い声。様々な声が混じり、ジョシュアたちに届いた。
ジョシュアはそれに驚いたが、次第に、嬉しさを感じていった。
カレナも同様だった。故郷から離れた地に嫁ぐ彼女は、少なからず不安があった。だが今のこの光景が、彼女から不安を消し去った。聞こえてくる祝福の声に、彼女は生まれて初めて、幸せということを感じていた。
「カレナ? どうした?」
数千人の声が響き渡るその場で、カレナは涙を流した。
「あ、あれ? 何で涙が……ごめん止まらない。何で?」
カレナは泣いた。幼くして両親を亡くし、小さな弟と二人、生きてきた彼女にとってこの光景は、この祝福は、初めての経験で、初めての、幸福感だった。
「ごめん……嬉しい。今、初めて……すごく嬉しい……」
「カレナ、謝る必要はない。嬉しかったら、笑えばいい。泣けばいい」
「うん、うん……皆さん! ありがとう! 結婚しますあたしは! この人を愛してます! 強くて! 優しくて! 大好きです!」
カレナは泣きながら叫んだ。彼女の声は、周囲の人の声を一層、大きくした。
「さぁキスよ! キスなさい! 男らしくガツンと来なさいよ!」
「……そうだな。ではいくぞっ! 覚悟!」
押し付けるように、抑え込むように。
ジョシュアとカレナはキスをした。それは、口づけというよりも、口を口で抑え込むような形であったが。彼らは熱いキスをした。
それを見ていたルードとロンドベリアの人々は、いつの間にか声を出すのをやめ、手を叩き、喝采を送っていた。空気が震えるほどの喝采。
「へったくそな口づけだなぁ。ファリーナどう思うよ?」
「まぁこれからいくらでも練習できるわよ」
「だぁな」
いつの間にかその喝采は、ルクメリアの人々も加わり、パレードをしていた騎士団の面々も加わり、国中に広がっていった。
ジョシュアとカレナの結婚式は宴会へと姿を変え、夜遅くまで続いていった。
二人は祝福される。二人は前を向く。今ここだけは、戦いのない世界。
幸せはここにある。彼らの幸せはここにある。
白銀の剣は二人を祝福するかのように、ジョシュアの腰で光り輝いていた。
一章 白銀の剣 完




