第25話 審判の刻 暗黒
――生きていることにきっと意味などはない。でも、生きることには意味がある。あると信じたい。
あの日の彼らはきっと、希望にあふれていた。きっとそれは美しい希望。
「中々、良い腕であった。だが、そこまで、か?」
「ぐぐぐ……老人を……いたわらんか……」
シグルスは大剣を杖にし、立っていた。その身体には鎧の破片。鎧化によって纏った鎧の破片。
「まさか……鎧を叩き割るとは……」
「よい修練を積んだようだ。誇るがよい」
「う、ぐふあっ……」
シグルスは、その身を地に沈めた。砕けた鎧、砕けた大剣、砕けた心。彼は目の前の男に完全に負けた。
「ううむぅ……少しは楽しめたが、持久がないな。それではな。さぁて……」
敵は、暗黒の騎士ロンドは、神殿を見上げた。倒れている者にはもう興味がないと言わんばかりに、彼は剣を地面に突き立て大きく息を吐いた。
「死んだかビッケルト、ランベルト。よい生涯であったぞ」
ロンドは呟いた。顔を上げ、遠くに去りゆく何かを見ながら。
「さぁて、こうなれば仇を取らねばならないな? そうは思わないか?」
ロンドは顔を下す。目の前には三騎士。
三人の、精霊騎士。
「ライアノック卿を無傷で倒すとは……ここは素晴らしい腕ですと。褒めておきましょう」
精霊騎士第11位、ベルドルト・ディランド。
「はぁはぁ……貴様、今度は、負けない……!」
精霊騎士第10位、グラーフ・リンドール。
「悪いが、三人でいかせてもらうぞ。覚悟」
精霊騎士第2位、ユークリッド・ファム・セブティリアン。
三人の騎士は武器を片手に、ロンドの前に立つ。
「ウオオオオオオオ!」
雄叫びと共にグラーフの身体から炎が迸る。その声に呼応されるように、ベルドルトとユークリッドは鎧を出現させて纏う。
「くくく……卑怯ではないかな? 3人で1人をとはああ、卑怯だ。だが、いいぞ。許す。くくく、ハハハハハ!」
ロンドは笑う、暗き神殿の道で、彼は笑う。
「グラーフ、きつそうだが大丈夫かい?」
「はぁはぁ……ベルドルト、大丈夫だ。俺が……僕が突っ込むから……合わせてくれ。場合によっては僕ごとやってもいい」
「何を言うんだ。ユークリッドさんは大丈夫ですか?」
「大丈夫、と言いたいが、水が足りない。万全ではないな……」
「後先考えずに大技出すからですよ。これじゃこの辺一帯、一か月は雨降りませんよ」
「それは洗濯物がよく乾くな」
「ふふ……やれやれですね。ではグラーフ、任せるよ」
「ああ」
グラーフは炎の剣を握りしめた。彼の眼にはロンドに無残にやられた時の、その光景が見えていた。
今度は負けられないと、彼は思った。
「ヌアアアアア!」
炎が鎧から舞い上がる。炎はグラーフの足に集まり、彼を弾丸のように撃ちだした。
それに続きベルドルトが駆ける。彼は風を纏い、暴風のような風となり飛び出した。
「速い、よくぞそこまで魂結晶を。すばらしいぞ」
「黙れ! でぇやぁぁああ!」
グラーフの剣は炎の柱となり、ロンドへ降り注ぐ。彼の剣速はもはや人の眼には映らない程の速度であった。
ロンドは軽く、剣を上げる。その剣に炎はぶつかり、炎が舞い上がった。
「ウオオオオオオ!」
グラーフが剣を両手で持ち、押し込む。力強く、炎を迸らせながら。
剣で受けていたロンドは片手から両手に剣の持ち方を変えた。グラーフの攻撃はロンドに両手を使わせたのだ。
「よい膂力である!」
「ウオオオオオ! まだまだぁ!」
グラーフは炎をさらに噴出させ、剣を押し込んだ。ロンドの足が地面に沈む。
「覚悟ぉぉぉぉ!」
ベルドルトは風に乗り、ロンドのがら空きの胴に、槍を突き出した。
ロンドは剣をひねり、振り下ろした。それにつられるようにグラーフの剣は受け流され、地面に叩き付けられた。
地面を抉り、グラーフは勢いを殺しきれずにロンドの右後方へと倒れた。
「ウッ!?」
ロンドは眼を正面に向け、振り下ろした剣を上げ、ベルドルトの槍を反らした。
「何!?」
そして、ロンドは剣から片手を離し、ベルドルトのフルフェイスの兜に裏拳を叩き込んだ。ベルドルトは吹っ飛ぶ。その衝撃で彼は一瞬気を失いそうになった。
ロンドはグラーフを踏みつける。グラーフの背骨からいやな音がなった。
「ウゴァ! く、くそっ!」
グラーフを踏みつけながら、ロンドは手を伸ばした。彼の指の間には剣。青い剣が挟まっていた。
「水で剣を創り飛ばすか。うむ、いい技である。器用だな。だがもう少し密度を上げた方がよいぞ。もしくは、数を飛ばす。であれば我に傷を負わせれたであろうに」
一歩離れたところにいたユークリッドは、一瞬で2人が倒されるのをみた。一本しか剣を飛ばせなかったことをユークリッドは後悔した。
一本しか投げれなかった剣。湿度が、空気中の水が足りない。ユークリッドは先刻の技で、ここら一体の水を使い切っていた。
「オオオオオ! 燃えろぉぉぉぉ!」
「おっと」
グラーフが燃え上がる。ロンドの足を掴もうと彼の手は伸ばされた。だが、彼の手は空を掴んでいた。
ひらりとロンドは飛びのく、禍々しい剣を片手に。
「はぁはぁ……くそ! 俺を踏んだなぁぁぁぁ!」
「その炎、貴公、汚染されているな? それもかなりの……くく、それでも尚、自我を持ち続けるとは、相当な手練れであるようだな。ああ、素晴らしいと我は思うぞ」
ロンドは、笑った。その笑いはまさに強者の笑み。
青い鎧を纏った騎士がその笑みを寸断しようと後ろから斬りかかる。普段は強者として真正面から粉砕してきていたユークリッドの、不意打ちだった。
その剣は速く。ロンドの首目掛けて振り下ろされる。独特の湾曲した刀剣は、ロンドの首に触れようとしていた。
永い一瞬、ユークリッドは首を落とした、と感じた。彼女の手には、首を落とした感触が伝わろうとしていた。
だがその感触は、来ることはなかった。
「なっ!? なん……いない!?」
冷静沈着に戦いを進めるユークリッド、彼女は今、眼の前から忽然と姿を消したロンドに、その光景に、驚愕し、声を上げた。
17年間無敗の彼女が今、初めて敵を見失った。
ユークリッドは感じた。わき腹に飛び込んで来た衝撃を。
彼女は吹っ飛んだ。わき腹を軸に、くの字になりながら。すさまじい勢いで吹っ飛び、シグルスが作った壁に突っ込んだ。
「あ、あ……ぐ」
ユークリッドの鎧は水に還り、消え去った。衝撃を受けた部分を抑え、ユークリッドはうずくまった。
「鎧はさすがに、十分硬い。だがもう肋骨が粉々であろう?」
「か……かぐ……ああ……」
ユークリッドは、生まれて初めて感じる衝撃に、痛みに、全く動けなくなった。実際、この時の彼女の右肋骨は折れ、折れた骨は肺に食い込んでいた。
「肉体の耐久がないな。強敵と戦ったことはないのか? それでは……な。不意打ちは見事であったが、剣技に甘さがあるな。くく。それで第2位か」
「あ、う……」
ユークリッドは、胃袋から逆流してくるものを飲み込み、息を切らしながら、蹲っていた。その眼はロンドを見据えているものの、どこか虚ろだった。
「う……馬鹿な。ユークリッドさんが……無理もありません。ロンドベリア戦線から戦いっぱなしだったんです。疲れはピーク……しかも空気中の水もほとんど使い切った。鎧の強度もギリギリだったはず……」
ベルドルトは、ユークリッドが一撃で戦闘不能にされたことを、どうにか理由を探そうとした。ユークリッドは精霊騎士第1位を除けば騎士最強。彼女が一撃で負けるというならば、他に勝てる者などいなくなる。
「う、う……ぐぐぐ……この程度で……倒れっ……ああっ!」
ユークリッドは立ち上がろうとした。だが、その足は意識に反し、膝を折った。
「ふぅ……どうした? まだ我は血の一滴も出してはいないぞ? これならば……我武者羅に刃を突き立てたあの男の方がよほど気概があったわ。精霊騎士、落ちたものよ」
「う、うごけ……私の足……そんな……一撃だぞ……息が、す、吸えないっ……すいにくい……!」
「いかんユークリッドさんがやられる! グラーフ! あれをやるぞ!」
「わかった……グウッ!」
「グラーフ!?」
「大丈夫、大丈夫だ。いくぞぉォオオオ……オオオ!」
グラーフとベルドルトは、炎と風を纏い、飛び上がった。炎と風はそれぞれの真下に集まり、ある形を作る。
形は四本足の馬。炎が噴き出す馬と風を纏った馬。二人はそれぞれの馬の背に飛び降り、武器を構える。いななきが響き渡る。
鎧化を応用し、馬を出す。これは彼ら二人で編み出した技である。真似できるのはそうはいない。
二頭の馬は駆けだした。その速さはまさに疾風、まさに暴風。
「ぬ、うっ!」
ロンドはその馬の突進に、身をかわした。初めてロンドが身をかわした。ここまでの戦いすべての攻撃を受け、捌いてきたその男が、初めて身をかわした。
馬は四本の足を止め、地面をすべるように方向転換する。ベルドルトの馬は飛び上がり、ロンドを踏みつぶそうと襲い掛かった。
ロンドは躱す、ロンドのいた位置、地面がへこみ、盛り上がる。
「せりゃりゃりゃああああ!」
槍の連続突き、ベルドルトの槍捌きはもう人の眼には映らない程の速さであった。馬上からの連続突きをロンドは受け続ける。金属がぶつかり合う音が響き渡る。
「面白い! 馬上の不利を、馬自体を武器とすることで補うか! 中々に器用! そして面白い! そうだ、そうでなければな!」
ベルドルトの馬の前足が上がる。馬は前足で蹴りを繰り出す。そして連続突き。
ロンドは、少しづつであるが捌ききれなくなりつつあった。
「くく……ようやく暖まってきた、な」
「ならば燃やしてくれる! うおおおお!」
グラーフが空から炎の塊となって落ちてきた。炎の塊の中には炎の馬。容赦のない炎の踏みつけはロンドを襲った。
ロンドは寸前で踏みつけをかわしたが、ベルドルトは逃げ場るのを許さなかった。踏みつけを交わしたロンドを容赦なく彼は槍で払った。
この時初めて、そう初めて、漆黒の騎士ロンドは、膝を落とし、両手で剣構え、防御の体制を取った。力強い槍の一撃が彼の禍々しい剣に激突する。
風圧で周囲の土埃は吹きとんだ。
「グラーフゥ!」
「ずぅああああああ!」
槍を受け止めたロンドの後ろ、がら空きの後ろから襲い来る炎の刃。グラーフ・リンドールの剣は、今まさにルード神国の人々を怯えさせ、仲間のゼインを消し去った男、ロンドの首を斬り落とそうとしていた。
刹那、ロンドの眼は光る。左手で異常な形状の剣の刀身を握り、右手で柄を引いた。現れるのはそう、黒い刃。
禍々しい形状の剣は、鞘に入ったままの剣だった。グラーフはその剣が自分の剣を砕き、馬の首を落とし、自分の胸に吸い込まれていくのを、見た。まるで時間の流れが遅くなったように錯覚するほど、ゆっくりとなった時間の中で、その光景を見た。
グラーフは馬上から落とされる。胸の鎧は切り裂かれ、自分の血で正面が真っ赤になる姿をみながら。彼は思った。
剣を抜いてなかったのか。そこまで自分たちは侮られていたのか、と。
「グラーフ!? な、なんだっ……うごっ!」
ベルドルトが馬上から叩き落された。ロンドはグラーフを斬り、そのままの勢いでベルドルトを鞘で叩き落した。この一撃はベルドルトの意識を遠くへと飛ばし、彼の鎧と馬は風となって消え去った。
「が、はっ……」
気を失うベルドルト、必死で立とうともがくユークリッド、そして炎を舞い上がらせながら蹲るグラーフ。
精霊騎士、三騎士、今全てが地に倒れた。
「よもや剣を抜かされるとはな。見事である」
ロンドは抜いた漆黒の剣を目の前に持っていき、刃をまじまじとみた。それは久しぶりにみる自分の武器を確認する行為だった。
「う、ぐぐ……まだだ……! ぬぅぅうううう!」
ロンドの足元に倒れていたグラーフが立ち上がる。胸の鎧は無残にも切り裂かれ、真っ赤な血でいつも以上に鎧は赤く染まっている。鎧から出る炎も、その血の流れに遮られ、勢いが弱くなっている。
「見事、もはや立てる身体ではあるまい? だが……惜しいかな」
「ぬぅぅぅ……う……あ……っ」
「時間切れである。よくぞここまで耐えた。見事、見事である。もはや貴公に掛ける賞賛の言葉がみつからんぞ」
「ゼイン君……すまない……」
グラーフは、それだけを呟くと、倒れた。鎧は砕け散り、やせ細った身体があらわになる。
怒りだけで何とか維持されてきた彼の身体と魂は今、完全に燃え尽きた。その眼はもはや何も見てなかった。かろうじて息をするだけの男に戻ってしまったのだ。
「その身体、強靭な精神力であったな。さぁて……これで終わりか? では一人ずつとどめをさしていくが、それでいいのか? これ以上……むっ」
ロンドの背に伝わる痛み、彼は振り向き、自分の背を確認した。青い刃が刺さっている。
そしてゆっくりと刃の飛んで来たであろう方向を見た。
「うぬぼれるな……まだまだいけるぞ……!」
ユークリッドがわき腹を片手で抑えつつ、立っていた。彼女の放った刃は、ロンドの背中に刺さり、ロンドから血を流させた。
その血の色は金色、そして赤、混じった二色の色。
「はぁはぁはぁ……肋骨が折れるとこんなにきついとは……だが流させてやったぞ血。どうだ……悔しいか?」
ロンドは刺さった剣を抜くと、ユークリッドの元へと歩き出した。その足はゆっくりと、だがしっかりと。
「貴様から殺してやろう。覚悟はよいか?」
「はぁはぁ……すこし、待ってくれないか?」
「うん……? 命乞いをするようにはみえないが娘よ。何を待てと」
「もう一発あるんだ。ちょっと痛いのが」
「ほぅ? どこにある?」
「あ、し、も、と」
ユークリッドがそういうと、足元から短剣を握った腕が伸びた。それはロンドの足に突き刺さり、ロンドは一瞬苦悶の表情をした。
「ぐっ!? 地面とは小癪な! でてくるがいい!」
ロンドが飛び出ている腕を握り、引き上げると大きな身体をした男が地面からでてきた。
シグルス・ライアノック。彼の土と石まみれになった顔は、笑みを浮かべていた。
「貴様……気が付いておったか」
「ふっ……私は騎士団団長、殺されるまでは死なんよ」
「ふん。よき覚悟だ」
「うごっ!」
シグルスは投げ捨てられる。ユークリッドの足元に倒れたシグルスは息をするのもやっとといった様子であった。
「背中と、足。まさか我に傷をつけるとは。前言を撤回しよう……今生の精霊騎士よ。見事である」
ロンドはトドメをさそうと、また歩き出した。彼の歩みの前に、ユークリッドもシグルスも全く動けなかった。
彼女たちは覚悟したのだ。勝てないということを覚悟したのだ。
ロンドは剣を振りかぶる。片手で天高く掲げられた黒い剣の刃は、ユークリッドの真上に位置している。
振り下ろす、感慨もなく、ただ作業のように。
剣は遮られる。一陣の光に止められて。ユークリッドの頭に振り下ろされた剣は、とんで来た光によって弾かれた。その光の色は、白銀。
白銀の剣。
「主役は遅れて登場だぜ。っと」
ユークリッドの耳に、彼女にとって聞き覚えのある声が届いた。
声の持ち主は兄の友人、ダンフィル。
そして彼女の眼に映るのは、彼女が最も信頼し、親愛している、兄。
ジョシュア・ユリウス・セブティリアン。
「ユリウス兄さん……」
「ファム、交代だ。あとは俺達に任せろ」
「兄さん……っ……」
ユークリッドは、涙を流した。何故か彼女自身もわからない。だが涙が流れた。
そして、ロンドは白銀の剣を見て笑う。心の底から、笑う。
「マリア! ああ君もきていたのか! なんて! なんて素晴らしい! ああすばらしい! 君をまさか使える者がいるなんて! ああマリア! ああ美しい!」
ロンドは笑う。心の底から、数百年の時を経て、彼は本気で笑う。
――生きててよかったと。彼は笑う。




