第21話 紅蓮の炎 後編
彼の鎧は、赤く燃え上がっていた。
炎より出でた剣は、赤く燃え上がっていた。
炎が彼を支配していた。
「ウオオオオオオオオ!」
その声は慟哭か。彼は叫んだ。その叫びと共に彼を包む炎は一層の力を持ち、燃え上がった。
腕を広げ、天を仰ぎ、彼は炎の柱となる。それを見る金色の髪を持つ剣士。
「力に飲まれたか。これでは使えない。人間如きでは限界があるというのだロンド殿……何故あなたは人を愛するのだ……」
「ウオオオオアアアアアアアアア!」
炎の柱が砕ける。彼を覆っていた炎は、鎧をまだ燃やし続けていた。
「はぁ……はぁ……ああ、わかってる……お前が、お前が……!」
炎の騎士は前を向く、その眼は金色の剣士を捕らえる。
「何? 何だ、意識があるのか? 飲まれたんじゃないのか? どういうことだ? 言葉を発せれるのか?」
「お前……お前からだぁぁぁぁぁあああ! 燃えろおおおおおお!」
炎の騎士は剣を振る。右に左に剣を振る。炎が森を焼く。
「どっちだ? 何だこれは。私はこんなもの知らないぞ。我が師は教えてくれなかったぞ」
「ううううぐうううう! はぁ……はぁ……名を……名を名乗れ! 騎士ならば名を名乗って見せろ!」
燃え上がる剣を金色の騎士に向ける。炎の騎士、グラーフ・リンドール、彼の声はもはや怒りと狂気のあまり、高く、そして掠れていた。
「そのような姿になってもまだ、騎士としての矜持があるか。よかろう。我が名はビッケルト。ロンディアナ騎士団の騎士にして、ロンド・ベルディックが部下にして弟子である。さぁ次は貴公が名乗る番だ」
「貴様らに名乗る名などあるかぁぁぁあ!」
グラーフは周囲を燃やし、炎の剣を振りまわし金色の騎士、ビッケルトに迫った。
まるで獣のように叫び声を上げながら地面を蹴り飛ばしていた。
その姿はまるで炎の化身、怒りのままに振り下ろされた剣は地面を吹き飛ばし、ビッケルトを吹き飛ばした。
「なんと! 騎士としての礼儀すらも忘れたか!」
ビッケルトは空中で一回転し、着地する。そして剣を横に突き出した。
燃え盛る炎に照らされた灯りが集まる。彼の身体は金色に光っていた。
光は鎧を成し、ビッケルトは金色の鎧を纏った。彼の剣は長く、細く、身長の数倍にも伸びた。
「はぁはぁ……ウオオオオオオオオ!」
「なんだ……やはり飲まれてるのか? いやしかしあの太刀筋、理性がないものには決して出せるものではない。どっちだ……」
グラーフの叫びは火を呼ぶ。上がる声に繋がれ、炎が舞い上がる。
「試すか」
ビッケルトは剣を構えた。剣先をグラーフに向け、姿勢を正す。
一手、ビッケルトは腰を落とした。二手、彼は剣を引いた。
三手、彼は踏み込んだ。閃光、ビッケルトの長剣は、光を放ち剣閃となった。
光は十、様々な方向から炎の騎士を切り刻む。炎を断ち、光はグラーフに襲い掛かった。
「ゴアアア……ガアアア!」
光が数十に断たれ、グラーフの鎧は刻まれた。唸り声をあげ怯む炎の騎士。
「これぞ閃光の剣。わが師より伝授された技術なり。雷光などという誤魔化しではないぞ……む!?」
「ア……この程度か……この程度で俺は……恐れたのか? 何故だ? 何故だ! そんな馬鹿なことがあるかあああああ! お前ええええええ!」
「何っ!? どういうことだ!? 貴様の鎧は……確実に……!」
グラーフの鎧は傷一つついていなかった。炎が鎧から噴き出る。
「逃がすかあああ! 燃えろおおおお!」
炎に燃え上がる腕が伸ばされる。ビッケルトはその腕に、一瞬ではあるが怯んだ。
「しまった!」
ビッケルトの剣から光が放たれる。その光を掴もうとグラーフの腕は伸ばされる。
だがその腕は届くことはなかった。空を握こみ、グラーフは唸る。
グラーフの目の前にいたビッケルトは一瞬で距離を離していた。
「はぁはぁ……ウグググ……」
「……理解できない。君の炎。そして意識。確実に飲まれている。だが、君は確実に意識を保っている。そんなことは不可能だ」
「なぁぜ逃げる……逃げるな。騎士だろう……騎士ならば逃げてはいけないだろう……なぁ!」
「君の名を知りたい。答えてはくれないか? 騎士ならば答えなければいけないだろう?」
「はぁ……はぁ……我が名はグラーフ・リンドール。騎士……騎士ィ……騎士などどうでもいい……答える必要はぁ……ぬ、ぬううう!」
「グラーフ、危険だ。忠告しよう。衰弱しきった君の身体を動かしているのはその鎧の力だ。それを纏うたびに君は、確実に人ではなくなる。君の魂はもう耐えきれないんだ」
「はぁはぁ……ああ……お前はいろいろ知っているみたいだがぁ……見くびるなぁ! そんなことに臆すると思うか!? ヌウウウアアアアア!」
グラーフは両手を広げ、炎を巻き上げた。そして、彼は剣を構えた。
グラーフ・リンドールが慣れ親しんだ剣の構えを取った。
「構え……れるのか? そんなどういうことだ? 抑えきれてる? いやわからない。私はもう君をわからない」
「ビッケルトよ、かかってくるがいい。精霊騎士第10位、グラーフ・リンドールが相手をしよう」
鎧から迸る炎はそのままに、グラーフは剣を構えた。そこには先ほどのどう猛さなど微塵もなかった。
「力に飲まれる以外にあるのか? 人の魂にはあるのか? ならばもう一度……」
一手、ビッケルトは腰を落とした。二手、剣を引いた。
三手
ビッケルトの首にはグラーフの腕が伸びていた。
「何!?」
「ウオオオオオオオオ! お前のようなやつに我が剣を使うまでもないぃぃぃ!」
グラーフの手はビッケルトの金色の首を握り、絞めた。
「ぐぅおおお!? 貴様騎士の!」
「燃えろおおおおおおお!」
グラーフの手から炎が舞い上がった。その炎は手の中にいたビッケルトを燃やす。
金色の剣士は炎に包まれた。
「燃えろ……燃えろおおおお! 俺の炎よ全て燃やせ! ゼイン君の……俺の……仇をぉおおおおお!」
「ぎゅあああああ! くそっくそぉ!」
ビッケルトは燃える視界の中、剣をグラーフの腹に突き刺した。グラーフの腕は一瞬力を失った。
その瞬間にビッケルトは光になり、一瞬でグラーフから距離を離した。
距離を取ったビッケルトを覆っていた鎧は光になって消えた。彼の顔には大きな火傷、そして彼の金髪は焼け焦げ、束となって落ちた。
「こ、こんな屈辱……グラーフ・リンドール! 貴様ぁ!」
「ごほっ……はぁはぁ……ああ……」
グラーフの炎は弾けた。そして彼の炎の鎧は砕け散った。
グラーフは膝をつき、彼の腹部からはダラダラと血が流れている。
「殺してやるぞ人間……! くだらん人間! やはり人間はくだらない! 王は正しいのだ! ううぐぐ……覚えているがいい……貴様は私が殺す……」
ビッケルトは火傷を手で押さえ、怒りの表情のまま、下がっていった。
グラーフはそれを見て、遠くなる意識の中、己の怒りを感じた。
「ああ……あああああ! うああああああ! 絶対に許すものかぁああああ!」
腹部の傷の痛みは彼は感じなかった。足も満足に動かない。腕も上がらない。グラーフは叫ぶこと以外はもはや何もできない身体だった。
「僕は……ああ……」
「グラーフさん……まぁひどい怪我! グラーフさん診療所へ! 治療をしましょう!」
「……メリーアさん。ありがとう。でももういいんだ……もう、いいんだ」
「グラーフさん?」
グラーフはゆっくりと立ち上がった。その足は頼りなく、彼を立たせるので精一杯だった。
「いいんだ。僕なんかに君の美しい手を、差し伸べてはいけない。僕は汚れているんだ。仲間を見捨てたんだ」
「グラーフさん!? 駄目です傷が……!」
「はぁはぁ……いいんだ。まだ少しだけ時間が残ってる……仇を取る……許さない……許さないぃ……!」
グラーフは自分の起こした炎に焼かれ、また炎の鎧姿になった。彼は力強く立ち上がり、そしてメリーアを一瞥した。
その鎧の眼には赤い筋、彼は血の涙を流していた。
「メリーアさん。すぐにここから離れるんだ」
「グラーフさん!?」
「さようなら、優しい人よ。どうか幸せになってください。もう二度と、お会いできぬことが残念です」
燃え上がる鎧姿のグラーフは足を揃え、右手を胸に添え、頭を垂れた。その威風堂々とした姿はまさに、精霊騎士。
爆炎と共に彼は消え去った。闇夜の中へと彼は消えていった。
残されたのは燃え上がる木々と、街道を歩いていた黒い兵士たちの残骸。兵士たちが運んでいた檻は開かれていた。
「グラーフさん……あなたは……」
――翌日、焼け落ちた診療所の元へ数人の騎士たちがやってきた。
「何ですかこれは……皆さんグラーフはいましたか?」
「いんや。ジョシュアそっちはどうだよ?」
「いない。死体はあるが……これは違うな」
「……避難所に行ってみますか?」
「そうですね。すみませんミラルダさん馬を走らせて先にいっててください。私はこのご遺体を埋葬してから行きます。あとダンフィル君たちは穴を掘ってください」
「でぇまじっすか!? おいジョシュア穴だってよ穴。そのぶっとい腕で掘ってくれよ」
「お前も手伝え」
「では私は避難所へいきます。それじゃあねダンフィル君たち。頑張んなさい」
「くっそぉおいジョシュア石使って掘れねぇの!?」
「できればやってる。いいから手伝え」
彼らは燃え落ちた診療所や避難所を探したが、グラーフには会うことはなかった。
炎が道を作る。グラーフは炎に乗り、道を行く。その目的地はただの一つ、彼が逃げた、その場所。




