第18話 門の儀式
「点呼! 報告!」
「騎士団13名! 兵師団192名! 計205名です!」
「全軍西向け! ロンドベリア兵と共に進軍せよ! 目標地はルード神国港町ニルド!」
ロンドベリア近郊の丘の上、ルクメリアとロンドベリア共和国の旗を翻し、一万の兵たちの進む足音が響き渡る。
その兵たちの先頭にはルクメリア騎士団団長シグルス・ライアノック。髭を風に揺らし、悠々と馬にて進む。彼の後ろにはユークリッドとベルドルト、その後ろにジョシュアたち騎士の者たちが続く。
彼らは真っ直ぐに先を進み歩く、目的はルード国の救済である。かの国は今、未曽有の危機に瀕していた。
――数時間前
ロンドベリア郊外に設置されたルクメリアの屯所にて、治療を受ける老人がいた。彼はルード神国の最高指導者、精霊神教法王ハルバート・ルード13世。
彼の身体は無数の打撲と骨折、内臓への損傷を負っており、ほぼ死に体であった。
「法王はどうなんだ!? おい貴様どうなんだ!?」
「神官長ちょっと! 治療してくれてるのみえてるでしょうが! 静かにしてくださいよ!」
「お前の方が声でかいだろう!」
「お静かに!」
「は、はい……お、おおぅ痛そう……」
法王の傍には神官が二人、法王の傷口を治療する兵の動きに合わせて不安そうな表情を次々に変える。
「……申し訳ございませんが、これ以上は」
「な、なんだと!? 貴様ルードの法王だからと手を抜いてるんじゃないだろうな!」
「申し訳ない。ルクメリアの本国であれば延命ぐらいはできたでしょうが……」
「う、ぐぐ……法王! 仕方ない! こうなったら私が法王に!」
「神官長何言ってるんですか! 本気で殴りますよ!」
「い、言ってみただけだからそんな本気で怒るんじゃないよ部下よ……」
法王の息が上がる。医療班の兵は天幕の入り口を開け、人を呼んだ。
ベルドルトとユークリッドが天幕に入る。法王の姿を見て、ベルドルトは表情を曇らせた。
「……駄目でしたか?」
「はいディランド卿……すみません」
「うむ……ユークリッドさん。どうしましょうか」
「起きないのなら仕方ないだろう。あそこの神官に聞くしかないな」
ユークリッドは歩き出した。法王の傍にいる二人の神官の傍に着く。
そして彼女は神官の肩に手をかけようと腕を伸ばした。
「お、おお? やったぞ部下よ! 私が手を握ったら法王が目覚めたぞ!」
「おお! 法王様!」
「何? おいどけ貴様ら! ディランド卿!」
「すぐ行きます!」
神官たちを押しのけ、ユークリッドとベルドルトは法王の傍に着いた。
法王の眼が薄く開く。そして動く。見渡す。
一つ深い息を吐いた後、法王はゆっくりと口を開いた。
「ここはどこだ……貴君らは?」
「私はルクメリア王国精霊騎士第11位、ベルドルト・ディランドと申します。こちらは精霊騎士第2位のユークリッドさんです。ルード法王様、お会いできて嬉しく思います」
「精霊騎士……そうか。貴公らが……思った以上に若いな。いくつだ?」
「私は27です。彼女は……女性に歳を聞くのは失礼ですね」
「構わんよ。私は17だ」
「ああ……ラズグレイズ殿は素晴らしい教育を施しておるらしいな。若い子は国の力だ……ゴホッ」
「法王申し訳ございません。手を尽くしましたがもうあなたは長くありません」
「はっきり言う……配慮する暇すらないということか、ぐ、ぐうっ」
法王の口から赤い血が流れ落ちた。胸は激しく上下し、息をすることすらできなくなりかけていた。
「法王、何がありましたか? 教えてください。あなたは愚者ではありません。我が国の国王陛下もあなたを心配しておりました」
「うむ……ラズグレイズ殿……ああ、懐かしいな……共に学んだあの時は……」
「おい法王、時間がないと言ってるだろう。早く話せ」
「おい小娘! 法王様になんという口の利き方を!」
「そうだそうだ! 小娘は口を慎め!」
「お前たちは黙っていろ」
「そうだそうだ! 神官長黙ってろ!」
「な、なんだと! 年上に向ってって部下お前何なんだ!?」
法王はゆっくりと眼を閉じる。彼は息を整え、口を開き、一言、一言ずつ言葉を紡いていった。
「先代の法王は精霊様を……呼ぼうとしたのだ。残っている、文献、千年前の戦いの記録。紐解き、一つの儀式をみつけた。今より十年……いや九年前か。それは……」
今より九年前。
先代の法王は精霊への信仰心だけは歴代で随一の存在だった。彼は精霊に関する文献を読み解き、精霊が実際に存在していたことを発見した。
彼は歓喜した。そして思った。精霊に会いたい。精霊に導かれたい。精霊に幸せにしてもらいたい。
半ば狂気ともいえる彼の信仰心は、一つの儀式を見つけ出した。
門の儀式、精霊は今は別の世界におり、そこにいくには門をくぐらなければならない。精霊の世界への入り口、それが門。
まずはその儀式を神殿で行った。儀式の方法は至って簡単、精霊の紋章を刻んだ陣に、人を乗せ、精霊の石を砕き撒く。そして陣の中にいる人間の血を流させる。
その儀式の結果、陣の中の人間が消えた。ただ消えた。
当時その儀式を見ていた先代の法王はそれを、精霊の国にいけたのだと思い、喜んだ。
――そして、消えた人間が戻ることは二度となかった。
先代の法王は儀式を繰り返した。ある時は子供、ある時は兵士、ある時は複数人。
繰り返すたびに人は消えた。
先代の法王は歓喜した。そしてついに、彼は自分が精霊の国に行くべく、儀式を行った。
その儀式は現法王の手によって行われた。彼は先代の法王に対し深い尊敬の念を抱いており、彼のいうことにはすべて従った。
儀式が行われた。当然、同じ結果になるはずだった。陣の中にいる先代の法王が姿を消し、そして終わる。そういう結果になるはずだった。
しかし、その時は違った。その時は。
儀式が行われた後、陣の中には人がいた。先代の法王ではない。人がいた。
その者の名はロンド・ベルディック。黄金色の髪をした、壮年の男だった。
ロンドはその場で声を上げた。帰ってきた、と。
そしてロンドはこの儀式が人を精霊の国に送る儀式ではなく、精霊の国から人を呼び寄せる儀式であることを伝えた。そう、消えた人間たちは成功したのではない。失敗していたのだ。
消えた人間はもう二度と戻らない。彼はそういった。法王は震えあがった。彼の頭の中では一体何度儀式を行ったのか、一体何人消したのか、一体何人殺したのか。その自問が繰り返された。
ロンドが手を掲げると黒い兵士たちが現れた。そしてロンドは言った。
素材を集め儀式を続けよ、と。
彼は仲間が待っていると言った。そしてその日から、ルードでは夜には黒い兵士が現れ、人知れず人を攫い、ロンドに従う神官を使って何度も儀式を行わさせた。
何人も何人も消える。何度も行われる儀式。
もはや狂気、ただの狂気。精霊の国、救世主、精霊、神。理由は理由になっていない。もはや狂気。
その狂気の儀式は神殿を夜の神殿と昼の神殿とに分けた。そしてもう一つの儀式の場としていた監獄砦をこの世から消し去った。何故かはやってる本人すらわからない。
数か月前、その儀式は二人目の男を呼び寄せた。ロンドと同じ金色の髪を持つ男を呼び寄せた。
その狂気の日々から法王は―—逃げ出した。
ロンドベリアは儀式素材である人を求めるロンドの意向で攻められている。そこに隠れるということはきっと誰も気づかないだろう。
だがすぐに捕まった。法王は、その情報を外に漏らさないために、ロンドべリアの聖堂に監禁された。そして、繰り返される狂気。
ロンドべリア聖堂の地下でも狂気の儀式は行われた。その結果誰もでてこなかったが……また何人も殺してしまった。
彼は後悔した。彼は後悔した。そして彼はたまたまロンドベリア聖堂へ派遣された神官長の一人を頼り、逃げ出したのだ。
「その結果……私はここで寝ている……」
「……何という。それは……私には何も言えません」
「法王よ。一つ聞かせてくれないか。お前は何人殺した?」
「ユークリッドさん! 法王のお気持ちを!」
「ディランド卿、少し黙っててくれないか? 法王よ聞かせろ」
「私は……100までは数えた。名前も覚えた。だが……すまぬそれ以上は……すまぬ」
「そうか、人をそこまで殺したか。ならば償いは死しかないだろうな」
「すまぬ……」
「ということでだ法王よ。お前はここで死ぬ。もはや誰も何もできん。確実に死ぬ。ならば……」
ユークリッドは法王の腕を取り、胸の前で組ませた。そしてその手と胸の間に腰から取り出した一輪の花を添えた。
「死ぬ瞬間まで殺した人間のことを思い出せ。そして死ね。それがお前の償いだ。そしてそれで終わりだ。この花は死後の道しるべとなってくれるだろう。死んで、償い、そして、歩け。母が言っていた。死んだ人には、罪はないと」
「う、ぐふっ! その顔……その言葉……マリィメア……様……神官長、神官長……」
「はいここに!」
「貴公が次の法王である……我が国を平和に、平和にしてくれ……頼んだぞ神官長……いやルード14世……」
「法王……!? 法王……!」
ロンドベリア共和国、ルクメリア王国騎士団屯所、天幕の中、精霊神教法王ハルバート・ルード13世はそう言い残すと息を引き取った。
彼は若かりし頃ルクメリアに留学していた。そして学生のころ、彼はひょんなことからルクメリア国王ラズグレイズ・ルクメリアと友になった。
最初は街での買い物だった。ハルバートはお忍びで街にきていたラズグレイズと口論をした。
自分が選んだ果物がよりうまい、些細なことだった。彼らは言い合い、購入したものを交換し、どちらもうまいということを確認し、そして友となった。
ハルバートの若かりし頃の思い出は、すべてがラズグレイズと遊んだ思い出だった。二人で町の女に声をかけたこともあった。
そして、彼は親友よりも早く、この世を去った。ハルバート・ルード13世、享年61歳。
ユークリッドとベルドルトは天幕より出た。そこには談笑してるジョシュアとダンフィル、そしてミラルダがいた。
「ファム、何かわかったか?」
「ああ、兄さん。少し暴れたくなったよ。ディランド卿、本国へ派兵の連絡を」
「そっちはもうだいぶ前にやってます。ライアノック卿は足が速い、すぐに来るでしょう。ロンドベリアの兵もお借りしましょうか」
「そっちは私が言っておこう。兄さん。すまない疲れてるだろうが、このままルードへ攻め込む。あの国を法王の手に戻さなければな」
「そうか、わかった。ダンフィルいくぞ戦支度だ。まずは腹一杯喰うぞ」
「応よ」
ジョシュアたちがそこから立ち去る。残ったユークリッドはロンドベリアの大総統の元へ急ぐ。
全軍が揃うのは数時間後。ルード奪還作戦はこれより始まった。




