第12話 帰還の日
錬鉄の森を出て13日。ジョシュアは夜遅くにルクメリアの王都へ着いた。
道中で購入した馬を家の馬小屋に繋ぐ。家の扉を開く。埃一つないホール、赤い絨毯に階段。彼の家がここにあった。
階段の傍の椅子に、使用人の一人が座っていた。
「やあメリア。今日も夜遅くまで苦労をかけるな。今帰ったぞ」
「ジョシュア様!? 行方不明になったとご友人より説明をいただいておりましたが今までどこに!?」
「まぁいろいろ……悪いがまだ食事を取っていないんだ。余り物でいいから何か食べるものを用意してくれないか」
「余りものなんてそんな! ジョシュア様のご帰還です。使用人を全て起こして豪勢に参りましょう。すぐに準備いたします!」
「ああ、悪いな」
使用人のメリアはここで一番長く勤めている使用人である。彼女はジョシュアがまだ子供だった頃からここにいる。
父も母もほとんど家にいなかったせいか、彼女は母親のような存在になった。椅子から飛び出し、忙しく調理場へ向かう彼女の姿をみてジョシュアは暖かさを感じた。
「ああそうですジョシュア様。ユークリッド様帰ってますよ」
「ファムが? そうか久しぶりだな。どこにいる? 自分の部屋か?」
「書斎の方に、お食事が出来るまでにお会いしてくればどうでしょう」
「ああそうしよう」
ジョシュアは階段を上り書斎へ向かった。彼は再会に胸が躍っていた。
ユークリッドというのは彼の妹であり、彼女のフルネームはユークリッド・ファム・セブティリアンという。彼の家族は自分の家族をミドルネームで呼ぶのだ。
ジョシュアはどこか面倒くさがりな面があったので、外で名乗る際はミドルネームを省略したりする。そのため、家族との呼び名と名乗った呼び名が違うため、何度か2度手間で名乗り直したことがよくあった。
ジョシュアは書斎の扉を開けた。
「ぶほっ、誰だびっくりしたな! 入るならノックしろと言ってるだろう!」
「俺だファム。久しぶり……だな?」
書斎の椅子に腰かけて茶を飲んでいた金髪の女、長身で、赤い眼をして、豊満な身体を持つ女。
ジョシュアは彼女が年下の妹である認識するのに、一瞬ためらった。
「ファムなのか? 何だ、こんなんだったか?」
「何だ失礼なやつめ。誰だ貴様は……ん? 兄さんか? 兄さんなのか?」
「あ、いや戻ったといえば戻ったのだが……ファムお前髪染めたのか?」
ジョシュアの記憶による妹は黒髪だった。数年前に会った時も黒髪だった。だが今の彼女は金髪なのだ。
「これは……まぁ成長期だったからな。色も変わるだろう」
「そういうものなのか? 髪の色が変わるなんて聞いたことがないが……ああ白髪とかあるか。そうかあるか」
「兄さんもそうだ。何だその身体は。もっと小さくて可愛らしかっただろ? なんだその身体は」
「成長期だったからな。喰って鍛えれば大きくもなるさ」
「そういうものか? うーん……まぁいいか」
彼らは兄妹だった。どこまでも兄妹だった。父や母は厳格な子供に育てたつもりだったが、逆に真っ直ぐになりすぎた面があった。
ユークリッドは立ち上がり、兄の周りを周りながら自分の兄を観察した。
「ほぅ……兄さんも少しはやるようになったかな? 傷が増えたな。あと何だその剣ちょっと見せてくれ兄さん。ほらみせろ」
「待てファム、引っ張るなわかったから、今外して見せてやる」
ジョシュアは剣を腰から外した。柄を持ち鞘ごと彼女に突き出す。
「綺麗な剣だなぁ。石は……精霊の石かこれ? そうとうな業物じゃないか。ふふん」
「お前剣が好きなのか? 昔は花とか好きだった気がするんだが」
「花も好きさ。でもいい剣は見てて飽きないからな。よし」
ユークリッドは白銀の剣を受け取ろうとした。彼女に剣を渡すためジョシュアは力を抜いた。
「おおっ!?」
受け渡されようとした剣は勢いよく書斎の床に落ちた。響き渡る音。本が崩れた。
「む、むん! 重たっ! えっ何だこれ! うぎぎぎぎ」
ユークリッドはしゃがみ込み剣を両手と腰を使って必死で引き揚げようとした。動かない、全く動かない。
ジョシュアは思った。何やってるんだこいつはと。女性の身体に成長した妹が、股を広げて顔を赤くして剣を引き上げている姿に、少し哀れさと懐かしさを感じた。
そういえばこいつはこんなやつだったと。彼は思い出した。
「うーん! うーん! あああああ! はぁはぁはぁ……ふ、ふぅん! ちょっと、ちょーっと重かったが、まぁそうだ、家で剣を持つとかは貴族のやることではないな。うん。重労働はやはり男がやるもんだろうな。男がやるもんだろうなっ」
ユークリッドは剣を引き上げる行為をやめ、自信満々の顔をして手を振った。額には汗が浮かんでいる。
「そんなに重いか? 俺に渡してくれたやつはこれを投げたんだぞ。むしろほとんど重さを感じないんだがな」
ジョシュアが腰を曲げひょいと剣を持ち上げた。彼はこの剣に対して全く重さを感じないのだ。
「うぐぐなんて軽そうに……久々に悔しい……勝ったと思うなよ兄さん……」
「相変わらず負けず嫌いな奴め」
「ふん! でも騎士の塔を出たのは私が7年も早かったぞ!」
「そうだな。驚いたよ」
「教官を一撃でのしてやったからな! あそこにいる教官連中で私にやられていないやつはいないんじゃないか? はーはっは」
「あ、ああそうかもな」
姿が成長し、髪の色も変わってしまったが確実にこいつは自分の妹だとジョシュアは思った。
ユークリッドは昔から、負けず嫌いでどこか完璧主義なところがあった。そのせいか彼女は強かった。誰にも負けない程剣が強かった。
騎士の塔の卒業条件はただの一つ、鎧化なしに鎧化状態の教官を倒せること。これだけだった。簡単なようでこれは十年の修行を経てもほとんどの者は成し遂げられない試験内容だった。
それを彼女は3年でやったのだ。本当はもっと早かったが、さすがに年齢が若すぎるとそれ以上早くに卒業することはできなかった。
「はぁ……兄さん。久しぶりに会えて嬉しいよ。ありがとう昔を思い出したみたいだ。でかくなっても兄さんは兄さんだな」
「ああ、お前も変わってないようで何よりだ」
「兄さん知ってるか? 兄さんたちは今騎士団の中では行方不明扱いになってるんだ」
「そうか、まぁああいう形になってしまってはな。仕方ないだろう。ああそうだ、リンドール卿はどうした? あとリンドール卿の部隊は戻っていたか?」
「グラーフか。あいつはまだ戻っていない。リンドール隊は兄さんの友達とかいうやつと、あと女……えっとミラルダだったか? そいつは戻っているが、ゼインとかいうグラーフの右腕は戻っていない」
「そうか。ならば夜が明けたら早くダンフィルたちに会いにいかないとな」
「そうしてくれ。丁度いい、明日は国王陛下と精霊騎士との会議がある。私についてきてくれ。ルードの内情も知りたい」
「お前についていくのか? 精霊騎士に知り合い……ああ、父さんか」
「父様は明日戻っては来るが、別に父様が口利きする必要もなく兄さんも会議に出れるさ」
「どういうことだ? さすがに国王陛下の御前、俺たちみたいな平の騎士が出ていい場ではないだろう?」
「うん? あれ知らないのか兄さん?」
「何がだ」
「私は精霊騎士だ。精霊騎士第2位だ」
「……何?」
「私は精霊騎士第2位だと言っている。ほら、精霊騎士の証だ。ほら」
ユークリッドは自分の首元に光るエンブレムを見せつけた。翼に剣が交錯するマーク。精霊騎士グラーフ・リンドールのマントについていたものと同じマークだった。
「な、なんだと!? お前が精霊騎士!? しかも第2位ってことは上から2番目ということだから……リンドール卿や父さんよりも上なのか!?」
ジョシュアは驚いた。彼は久々に、驚いた。本気で驚いた。
彼の顔は驚愕の表情で固まった。
「ふふん。知らなかったようだな兄さん。そうだ私は精霊騎士だ。ちなみに毎年の闘技大会でここ3年は全部私が優勝している。リンドール卿も私がひねったことがあったなァ」
「なんてことだ……まだ16のお前が……」
「17だぞ17。ちゃんと計算しろ兄さん」
「うむ……そうか遅れたがおめでとうファム」
「ふふん。まぁ自慢だが兄さんの二倍は強い自信があるぞ。何だ驚いたようだな兄さん」
「ちぃ……そうだファム聞け。兄さんがいいことを教えてやるぞ」
目の前の妹も同じように驚かせてやりたいと、彼は思った。もう彼の思考は子供のころに戻っていた。ジョシュアもユークリッドも、基本的に負けず嫌いなのだ。
「何だ? 悪いが私は相当なことではないと驚かないぞ」
「兄さんな。婚約したんだ。今度嫁を連れてきてやる」
「ほぅ……うほぅ!?」
ユークリッドの整った顔は眼を見開いて固まった。驚きの表情をしているのは誰が見ても明らかだった。
「すぐにお前もおばさんになるな。期待して待ってろ」
「ま、待て! 兄さんまだ20とかだろう!? 早すぎないかそれは! そりゃ昔の貴族は早かったけどさ!」
「お前も13で騎士の塔を出ただろう? おあいこだ」
「それとこれとは違うだろう! 何なんだこいつは! どんだけ手が早いんだ! うぎぎぎ……」
歯を食いしばるユークリッド。彼女は男勝りな面があり、正直なところ恋愛ごとには疎かった。
「はぁやれやれ……とにかく兄さん明日は早いからな。早く寝るといい」
「ああ、食事を取ったらそのまま寝かせてもらうよ。ファムはもう食べたのか?」
「ああ食べた。本を読んで寝るから、何かあったらまた書斎に来てくれ兄さん」
「ああ、それじゃな。しかしファムお前」
「何だ兄さん」
「綺麗になったな。髪の色以外は母さんみたいだ」
「そうだろう兄さん。ふふん」
自慢げなユークリッド。彼はその姿をみて、褒めたときいつもこんな顔をしていたなと、思い出した。
その夜の食事は豪勢だった。ジョシュアは久々に実家の食事を堪能した後、カレナの作った料理の味を少し思い出した。
そしてルクメリアでの夜は更けていった。




