第36話 極光の夢
その道は、険しく、ただ険しく、歩くたびにその足は傷つき、血で染まる。
力を得るために、自らの妻の墓を掘り返し、その身体を刻み、溶かし、剣を打つ。
狂気に落ちる覚悟、全ては世界を救うために。
始まりの日、争いの無い世界を求めて旅立ったあの日。あまりにも眩しいあの日。
きっと、世界から争いを無くすという夢は、彼にとっては通過点でしかなかったのだろう。戦えば、戦い続ければ、それは自ずと叶い、その先へいけると彼は信じていたのだろう。
足りないものは何だったのだろうか。機会はあった。確かに、彼らの歩みは人々を救ってはきたのだ。確かに、彼らは世界を救ってはいたのだ。
足りないものは何だったのだろうか。強さ? 方法? 意志? 彼は自問自答し続ける。
足りないものは何だったのだろうか。きっと、それは――
「単純に、運が足りなかったのではないでしょうか? ふふふ……」
黒い服の少女は真っ直ぐに、その言葉を彼に放つ。残酷で、しかし的を得ているその言葉は、アークトッシュの心を砕いた。
「ふふふ、はははは! はははははは! ああ! 何て! 何て! 残念でした! 残念でしたね! ははははははははは!」
狂ったように、黒い少女は笑う。ジョシュアの使徒である彼女は笑う。
彼女の声が周囲に響く。その声に、極光の騎士は怒りを覚えた。
「ふざ、けるな……お前が、お前如きが、笑っていいものではない。笑っていいものではない!」
隻腕の騎士は光を放ちながら左手に握る極光の長剣を振り回す。黒い服の少女はただ、無抵抗に切り刻まれる。
「ふざけるな! ふざけるなぁぁぁ! 俺が! 俺たちが! 俺達だけが! 何でこんな目に合うんだ!? 死んだぞ! 死んだんだぞ! 皆死んだんだぞ! あんなに強かったのに! あんなに強かったのにぃ!」
「死んだのならば弱かったのでは? ははははは!」
「ああああああ! ふざけるなぁぁぁぁ! あの、あの暗黒の時代に! 何で俺達なんだ! もっと、もっと前に誰か、動けよ! 俺達がやらなくてもいいように、しておけよ! ああああ……」
極光の騎士はそのヘルムから溢れるほどの涙を流しながら、剣を振る。もはや八つ当たり、黒い少女を斬って、斬って、斬って。
だがそれでも、彼女は死なず、細切れになってもすぐに目の前に現れて、まさに悪夢のよう。
「帰りたい、返りたい、還りたい、あの村に、あの日に、あの時に、俺を……俺を殺してくれ……誰か、あの時の俺を、殺してくれ……」
極光の騎士は、両膝をついて、天を仰ぐ。それでも流れ出る彼の涙は、鎧を濡らし続ける。
消え去った腕から、漸く血が流れ出た。黄金の血が、輝く鎧からも血が流れ続ける。ジョシュアに貫かれた腹部の傷が開いたのだ。
彼のひざ元はあっという間に黄金の血であふれた。
「俺の、せいだ……みんな、みんな俺の、ああ……ミストリア、ミストリアぁ……俺を、もう一度、抱きしめてくれ……ミストリア……」
黄金に沈む極光の騎士の前で、歌う、黒い少女は高らかに歌う。それは誰に向けられたでもない讃美歌。美しく、ただ美しく歌う。
「レイスもう十分だ。身体は治った」
「あ、ああ……意外と心臓吹っ飛んでも治るもんなんだなぁ……ってばあちゃんがこれ見たらえらいことになってた気がするぞ。お前本当に不死身かぁ?」
「自分でも驚いた。もしかして本当に不死身なのかもな。さぁどいてろ。英雄譚の最期は、どんな時代であっても英雄の死で幕は下りる」
「わぁった……じゃあ頑張ってね」
常勝の騎士の傍らにいた精霊は、彼から離れる。その白き翼と白銀の翼で彼を撫でて。
どこからか現れた黒い少女たちは、ジョシュアを囲む。皆はそれぞれ異なる声で、歌を歌う。
「知ってたんだ。俺は知っていた。あの村で見た夢は、きっと、叶わないと、最初から、知っていた」
「何故目指した。アークトッシュ」
「だって、綺麗だったからさ。俺は、俺の言葉が綺麗だったから、それに、すがった。人は、分かり合える、争いは、なくなるって言いたかったんだ」
「何故言いたかったんだ?」
「だって、楽しかったんだ。実際に、争わずに、馬鹿みたいな会話をして、馬鹿みたいに好きな女を追いかけて、馬鹿みたいに笑い合うのが、楽しかったんだ。だから、楽しいから、楽しいことだけを、言いたかった」
「後悔しているのか?」
「ああ……している。それは旅だったこと……ではないな。俺の後悔は……世界は、あまりにも、あまりにも、汚れきっていたということを、信じられなかった俺の……人は、精霊は……欲望は……」
「何故、何故今をみれなかった。今は、暗黒の時代は終わっている。それは間違いなく、あなたたちの働きの結果だろう? ルクメリアも、精霊の世界も、それは、あなたたちの……ここは、少なくとも、幸せがある世界なんだ」
「無くなっていない……無くなっていない……争いは無くなっていない……だから、ああ、いや、そうか。そうだな。確かに、争いは減ったかな……」
「無くすことはできない。だが減らしてみせた。今を生きる者たちが、今までの者たちが、それで、どうして、あなたたちの歩みが無駄になったと言えるんだ? 世界を憂う騎士は今存在している。産んだのは間違いなくあなた達だ」
「……ああ、そうだな。でも、な、知ってるかい? そこに、俺のあの日は、もうないんだよ。だから、俺はもう今を生きれない」
歌は広がる。空は光り輝く砂となって、領域は光り輝く砂となって、彼らと、歌う少女たちの上に降り注ぐ。
「この、俺の、アークトッシュ・ベルゼ・ルクメリアの、物語の本を閉じてくれないか。もう、俺は、自分では閉じれないんだ」
「哀れな英雄よ。世界で一番世界を憂い、そして一番戦い続けた英雄よ。この讃美歌は、あなたのために、我が剣は、あなたのために、さぁ待たせた。あなたを送ろう。友の居る場所へ」
常勝の騎士は、讃美歌を背に、六枚の翼を広げる。
死して三度、起きて三度。たとえ、幾度倒れようとも、常勝の騎士は立ち上がる。ただ、己が剣で敵を討つために。
身を白銀の鎧で包み、その鎧は七色の輝きを放ち、世界を照らす。もはや光は、狭い領域に収まることは無く。
光の砂となって砕ける領域の先で、七色の輝きは世界を照らす。星の中心、大樹は彼らを迎え入れる。
神の領域が全て消えたことで世界に現れた大樹の島は、彼らを受け入れ、その葉を輝かせる。中心には七色の石。願いの石、星の魂結晶。
常勝の騎士は、翼を八枚に、翼は背より離れ、円を描いて騎士の背後を舞う。それは魂の回路、輪廻の輪。
翼は十二枚。常勝の騎士はその七色の鎧と、翼を輝かせ、願いの石と共に降臨する。
輝きは世界を包み、奇跡を魅せる。
少女たちの讃美歌を受け、降臨するその騎士が魅せる夢は『極光の夢』
世界が見た『極光の夢』
それは、儚き戦士の夢。
それは、叶うことのない人々の夢。
それは、叶うはずのなかった彼の夢。
騎士が握る白銀の剣は、七色の輝きを放つ巨大な剣となり、常勝の騎士の手へと収まる。
「ああ、暖かい、これが、君の光か。それに綺麗な歌だ。ああ、俺への讃美歌にはもったいない……」
もはや剣を振う力もなく、アークトッシュは纏う極光の鎧を溶かしながら、浮かぶ常勝の騎士を見ていた。
常勝の騎士は、彼を送るために、輝く七色の剣を振りかぶった。そして、ゆっくり、ゆっくりとその剣を前へと降ろす。
膨大な光全てが人と、精霊の生。これまで生きて、そして死んでいった魂の光。
アークトッシュはその光に包まれる。光の濁流は、一瞬で彼を飲み込み、身は魂へと還る。
消え去る瞬間、アークトッシュは見た。手を広げる妻の姿を。微笑みかける仲間たちの姿を。
それは夢、それは幻、違う、それは――
「おかえりなさい」
ミストリアの声に彼は涙する。聞きたいと思っていたその声に、アークトッシュは顔を歪め、泣いた。止まらない涙の中で、彼が見たのは自分を包む妻の姿。
暖かさと、柔らかさ。失った幸福。
その光の中に彼は消えていった。1000年もの間戦い続けていた英雄は、今、仲間たちの下へと還ったのだ。
残るのは七色に輝く常勝の騎士のみ、彼の背には、願いの石が輝いていた。
「こんな終わり方しか俺にはくれてやれなかったが、でも、まぁ、いいだろう? どんな終わりでも、幸せならそれで、いいだろう? なぁアークトッシュ」
迷うことなく、ジョシュアはその七色の剣で願いの石を砕く。
枯れる大樹。後悔は無い。ジョシュアの欲しかったものはもう手に入ってるのだから、このようなものが褒美だとしたら、それは何とも拍子抜けだ。
全ての神は消え、領域は人の世を残すのみとなる。極光の夢は、ただ優しく英雄に夢を魅せる。
あの日に帰りたかった。あの日に返りたかった。あの日に還りたかった。
彼は光の中で、妻に会っていた。仲間に会っていた。息子に会っていた。
笑って交わす言葉は、彼が本当に欲しかったもの。魂の座にて、彼は笑う。心の底から、忘れてしまったと思っていた笑顔を、彼は取り戻す。
長い長い旅路の果てに、彼の夢は叶う。欲しかったものは皆の幸せではない。彼自身の幸せ。
アークトッシュは救われる。その笑い声は、魂の座にて永遠に。暗黒の時代を終わらせた英雄は高らかに、そこで笑っていた。ただただ、笑っていた。




