第35話 彼が見た世界
夢を見せた。どんな悪にも勝る力と、どんな苦境でもくじけぬ心、彼はまさしく英雄だった。
夢を魅せた。苦しむことのない世界を、彼なら作れると皆が思った。
さぁ夢を見よう。叶うことのない夢を、無意味な夢を見よう。
さぁ夢を魅せてあげよう。期待してくれ。そうだ、平和な世は、皆が笑顔になれる世界、豊かで、幸せで、そして、楽しくて、戦い続ければきっとそれは叶うよ。
死んだって大丈夫、だって先は平和なんだから、皆が生きて、そして死んだ意味はきっとあるはず。だから、死んだって大丈夫、だから、命をかけても、それは些細な事。
ほら、また戦争だよ。人も精霊も、自分たちのために相手を殺してるよ。さぁ、止めてあげよう。そんなことよりも、もっと楽しいことが世の中にはあるんだから、教えてあげよう。
えっ? 従えない? やっぱり欲しい? だったら仕方ない。うん、仕方ない。だったら、生きててはいけないよね。
さぁ滅ぼう。滅んでしまおう。死ねば欲しがらない。皆のために、君は死ぬべきだ。
何千、何万と繰り返してきた戦いの歴史、数十年旅したところで、何十人死んだところで、結局、元通り。世界から争いは無くならない。世界から悪は無くならない。世界から涙は無くならない。
夢を見てくれ。皆が見てくれ。楽しい夢を見てくれ。見続けて、見続けて、見続けて。
一人、二人、百人、千人、救ったところでどうせ、どうせ
世 界 は 変 わ ら な い か ら
人の命は光を放ち、極光の騎士は世界を想う。暗黒の世界に一人、誰よりも争いを許すことができなかった彼が至った結論、それは、争いは無くならないということ。
争いとは欲望のぶつかり合い、欲望は心の在りかた、すなわちそれを滅するためには、心を持つ者全て殺し、何もない世界を創らなければならない。
最悪で、醜悪で、絶望的な世界がそこにはまっている。それを彼は知っている。だがそれでも尚、彼は目指す。願いの石ならば、それはきっと人智を超えて、理解できないような理想の世界になるはずと信じて、彼は目指す。
「知っているかい? 生きるってことはさ。何かを犠牲にしているってことなんだよ」
極光の騎士は輝く長い剣を手に、神々しく、ただ神々しく立っていた。アークトッシュのその声は優し気で、儚くて、消え去りそうで。
ここまで、人は神々しくなれるのだろうかと、ジョシュアは白銀の翼を広げ思う。目の前の男は間違いなく、英雄だった。
「それも、きっと、美しくて、いいんだ。俺は、騎士でもある。戦いに美しさを求める騎士でもある。だから理解はできる。俺個人はそれを理解できる。でもさ、なぁ白銀の騎士よ。君は幸せを感じるのは、戦いの時かい?」
その長き極光の剣を傍らに、彼は歩く、一歩ごとに光が溢れ、地面には光の足跡が残る。
「星に愛された騎士よ。精霊の魂、その欠片を全て肉体で受け止め、尚汚染がなく、それどころか力とする君は力の体現者と言ってもいいだろう。望めば世界の覇者となることも可能だろう」
歩く、極光の光と共に、ジョシュアと、その周りにいる騎士たちは、その姿から目が離せない。世界で最も美しい鎧姿で、彼は歩く。
「美しい妻と、無邪気な子、愛しい母親に、尊敬できる父親、強き妹に、君を慕う弟子、理解し合える友人、君を信じる仲間。なんて恵まれてるんだ。なんて幸せなんだ。できることなら、俺も君になりたいと思うほど、何て幸せなんだ」
極光の騎士は涙を流し、歩き続ける。掲げるその極光の長剣につられるように、ジョシュアは持っている巨大な白銀の大剣をそれに合わせる。
「君こそが俺が描く黄金の世界、だからこそ、俺は君に勝つ。このアークトッシュ・ベルゼ・ルクメリアが名の下に、新たな世界を築く。争いの無い世界のために。全てを変えてみせる」
「もはや言うことは無い。その悲しい生涯を、ここで終わりにしてやる。我が剣は、貴殿を救うために。誓う、我が剣の下に、ジョシュア・ユリウス・セブティリアン。初代ルクメリア国王である貴殿を救ってみせる」
合わさる白銀の大剣と、極光の長剣、空高く掲げられたその剣は、何も言わずただ輝いていた。
離れる。二つの剣を二人、腰を入れ、二人は同じ動きで剣を真横に払う。
大きな音がした。金属のぶつかる音ではなく、甲高い独特の音。衝撃は輝きを産み、一瞬で周囲は光に包まれた。
その光は様々な色に変わり、極光のようになびき、二人とその領域を照らす。
離れ、そして振られる白銀の大剣に対し、アークトッシュは剣を盾に前に踏み込んだ。流れるように打ち込まれる極光の長剣をジョシュアは身を引くことで躱す。
アークトッシュの後ろをとり、ジョシュアは一気に大剣を振り下ろす。一瞬でそれは極光の長剣に防がれる。
互いの剣は超重量ながら、二人はそれを感じさせない動きを見せた。高速で絡み合うように動く二人の間に、他の者は剣を眼で追うことすらできず。
打ち、撃ち、斬りあう。その数四合、互いに剣を打ちあい、ジョシュアは翼を広げ、空を舞った。
真上から剣を振り下ろす。アークトッシュはそれを受け止めるが、慣れてない真上からの攻撃のせいだろうか、少し身体のバランスを崩した。
その場で少し浮き、さらにジョシュアは真上から剣を振り下ろす。風を斬り、極光の剣に向かってそれは叩き込まれる。
極光の騎士は膝を付く、赤きマントは一瞬捲れ上がって、両手で長剣を抑えるアークトッシュはその輝くヘルムの中で、眉間にしわを寄せた。
三度舞い上がり、ジョシュアは剣を振り下ろす。同じ軌道、それを受け止めんと極光の騎士は同じようにその長剣を構える。
白銀の翼は自由に空を舞うために。勢いは死ぬことなく、ただ空で軌道が曲がった。振り下ろされていた剣は真横から迫る。遅れてくる羽ばたきの音で、その速さを理解することができる。
当たれば死ぬであろう勢いの白銀の大剣は極光の騎士を分断せんと真横から襲い掛かる。
しかし、それは当たることは無かった。気が付けば、ジョシュアの剣は極光の長剣に受け止められていた。膝をつきながら受けても尚、アークトッシュのその身体は動くことなく。
アークトッシュの剣は剛剣ではない。その長剣をまるで風のように舞わせ、相手を撫でるようになます切りにする剣。
唐突に右の白銀の翼は分断された。受けるついでに斬りおとされたのか、バランスを崩し、ジョシュアは地面に這う。
地面を叩き、ジョシュアは身を整える。目の前にはアークトッシュの剣、一切の隙を見逃さず、彼はジョシュアを斬ろうと迫っていた。
ジョシュアはそれを辛うじて受け止める。足の踏ん張りが一切効かずに、ジョシュアは横へと飛ばされた。
込められる力、鎧越しに、アークトッシュの足の筋肉が膨張する。弾かれるようにアークトッシュは吹っ飛ぶジョシュアを追った。目の前に迫るアークトッシュの姿に、ジョシュアは戦慄する。
互いに平行に飛びながら、剣を振り合う。空中で数合、剣を打ちあうと勢いに負けてジョシュアは地面に叩き付けられた。横の勢いと、縦の勢い、その白銀の鎧を汚しながら、ジョシュアは地面を滑る。
ジョシュアの身体によって敷かれた地面の線は土が捲れ、そして白銀の欠片が所々舞っていた。勢いのままに、ジョシュアは地面を剣の柄で叩き、その身を起こす。
まだ追ってくる。アークトッシュは止まらない。目の前に現れた極光の騎士は、白銀の騎士を仕留めんとその剣を振る。
ジョシュアは体制が整わない。彼は、大剣の腹でその剣を受け止めるしかできなかった。
遅れて横に飛んでくる白銀の翼の欠片がアークトッシュの背を打つ。
「ぐ、ぬっ……」
違和感、ジョシュアは胸元に何かを感じた。彼は眼線を下げる。
胸元の鎧に真一文字の傷が走っていた。そこから流れる赤い水を、自分の血であると理解するのに時間はかからなかった。
それはありとあらゆるモノを防いできたこの鎧が、いともたやすく突破された瞬間だった。
極光の騎士は腰を落とす。その構えは、どこかでみたことがあるようで。ふと、ジョシュアの脳裏にロンディアナの姿が浮かんだ。
アークトッシュは身を引く、大げさなほどに、弓のように身体を張らせたアークトッシュは、ただ力を込めて立つ。
それは、アークトッシュが友人たちと学び、そして得た、奇跡の技術。
閃光の剣。剣筋は光となり、その速さもまさしく光、それは例え硬きモノに阻まれようとも、衝撃だけでその中身を断つ剣。
ジョシュアは思った。これを喰らえばきっと、例え鎧に身を包まれていると言えども細切れになると。
咄嗟にジョシュアは大剣を回した。大剣は形を変え、そして長き柄となり、旗となる。黄金の王の魂を吸い、境界の力を得たこの旗の波動に、精霊の力は無意味となる。
ジークフレッドは踏み込んだ。そして放たれる閃光の剣。無数の光の線となり、それはジョシュアに襲い掛かる。
ジョシュアは旗の柄でそれを迎え撃つ。光の線を受け止めるかのように繰り出されたその旗は、すさまじい速度で振り回され、光を一つ残らず受け止めた。
そしてジョシュアは突き立てる。その旗を。突き立てた瞬間に膨大な精霊の力が溢れる。並みの精霊ならば、それに触れただけで一瞬で獣になり、そして消滅してしまうほどの光。災厄を引き起こすほどの光。
その光の前に、精霊と人の混血であるアークトッシュは、ただただ前へと踏み出した。光を浴びながら、彼は閃光の剣を繰り出す。
ジョシュアの放った黄金の光は、アークトッシュの右腕を吹き飛ばした。だが、それでも閃光の剣は止まらない。
それはそうだと、ジョシュアは思った。この程度で怯む男ならば、ここまで歩いてはこれないと。彼は改めて、アークトッシュの意志の強さを思い知った。
旗を握る左腕が飛ぶ、左足が飛ぶ、辛うじて、アークトッシュの身体の一部を吹き飛ばしたことで隙が生まれたのか、ジョシュアは思いきり後ろへと跳ぶことで、胴の分断を免れていた。
さらに踏み込む、アークトッシュ、旗から放たれる光は、ジョシュアが離れたことで止まり、旗は白銀の剣へと戻っていた。
ジョシュアの鎧が解ける。左足、左腕が白銀の剣の下へと落ちる。遅れて噴水のように、ジョシュアの腕と足があった場所から血が流れ出る。
受け身も取れず、ジョシュアは地面に落ちる。彼を守るべき鎧はなく、そして彼を救うべき剣もない。
極光の騎士は、左手一本で剣を握り、ジョシュアに襲い掛かった。
もはや、何もできない、ジョシュアは負けたと思った。アークトッシュは勝ったと思った。
輝く極光の光は、領域を照らし、世界を照らし、そして、夢の先へと彼を届ける。
迷うこともなく、アークトッシュは剣を突き出す。その先にはジョシュアの左胸、心の臓、貫けば如何な人とは言え、即死は免れない。
故に、彼はそこを狙った。そしてそれは、命中する。
左胸に突き立てられる極光の剣、大きく眼を見開いて、ジョシュアはそれを見る。アークトッシュの顔には涙があふれていた。これで終わったと、彼は思ったのだ。
引き抜く剣を追いかけるように、鮮血が舞う。ジョシュアは、その流れ出る血を見ていた。
周囲でそれを見ていた騎士たちがざわめく、走り出す者もいた。
「かっ……た……」
呟いた、達成感と呼ぶにもはばかられるほどの達成感。アークトッシュはただ、涙を流してその言葉を噛みしめる。
夢が叶う。これで、最高の一日、悪夢の日は終わり、幸せが訪れる。
隻腕の極光の騎士は足元に倒れる一人の男を踏みつけて、ただ泣いていた。
「は、はははは……ああ……終わった。終わったのか。ああ、ありがとう、本当にありがとう。俺が、勝ったんだ……心臓を壊した。治癒の契約をしていようが、何していようが、もう無理だ。勝った……これで、これで、これで」
「勝ったとお思いですか?」
アークトッシュは目の前に突然現れた黒い服の少女に、驚愕した。彼女は自分の足元にいる、絶命した男の使徒。存在するはずがないモノ。
「なぜ、いる……?」
「ふふふ……はははは、ああ、滑稽です! 滑稽です! 笑ってさしあげましょう! ははははは!」
笑う、その少女は、ただただ大きな声で笑っていた。不気味な笑顔を浮かべながら。
「さぁ、賞賛してさしあげましょう! おめでとうござます! おめでとうございます! はははは!」
いつになく、悦に浸って、彼女は笑っていた。その顔に、アークトッシュは何かを感じたのだろうか、もう一度ジョシュアの身体に剣を突き立てた。
「生きては……何故、何故お前が、お前が笑っていられる?」
「ははははは! あなたは、知っているのですか? いや、知っているのでしょう。ふふふ……」
「……そんな、ばかな、違う。たとえ話、たとえ話だ。これは……はっ!?」
アークトッシュは飛びのいた。それを斬らんと、彼のいた位置を薙ぎ払う剣。
純白の鎧に身を包み、アークトッシュに迫る男は、ルクメリア王国が誇る精霊騎士第一位、アイレウス・ゼン・ルクメリア。
「もはや偽物の精霊騎士如きが立ち入るな……邪魔をするな!」
アークトッシュは叫んだ。左手一本で剣を振い、アイレウスの胸を斬り裂く。小さな唸り声を上げて、アイレイスは吹っ飛び、そして倒れた。
「……はっ」
離れたことで気が付いた。踏みつけていたジョシュアの肉体、血の海に沈んでいたその肉体。その血の色は赤い。
「ま、さか、まさか! この男! 肉体は精霊の力に完全に飲み込まれているはずだ! それなのに……血が、赤い、まさか、神種なのか? いや、心臓は……」
ジョシュアがゆっくりと腕を地面つけ身体を起こした。心臓に大穴を開けて、血を流して、それでも尚、彼は起き上がった。
「主様は、普通の人間です。母親が神種であろうとも、主様の肉体は人間なのです。ある一点を除いて」
いつの間にか、黒い服の少女たちが現れた。数十人。それはジョシュアを、彼らを円を描くように包む。
「主様の心は、精霊の力を吸ったせいで形を得ることになりました。それはすなわち、敵に負けないということ」
自らの胸を触る。あるものが無い。ジョシュアは自分の肉体が死んでいることに、今気づいたのだ。
「そう、アークトッシュ様、あなたは最初から負けていたのです。主様を殺すことなどできないのです。ですから、主様から領域を取ることなど、できないのです。何故なら、あなたは主様にとって、敵なのですから」
ジョシュアは片腕で這い、そして動く。伸びる手の先は、自らの分断された足と、腕。それを拾い、ジョシュアはある名を呼ぶ。
空間が裂け、現れるのは白い翼と白銀の翼を持つ女性。セイレ・レナ・レイス。彼女はジョシュアの姿を見て、青ざめた顔をして、大慌てで治療の光を放って治し始めた。
「属性で言うならば、勝利の属性でしょうか。いい言い回しが思いつきませんが、主様の身体には、その属性があります。ふふふ、境界、渇望、そして、勝利、神域に至った精霊の力は、星の意志を超えますね。ふふふ、はははは!」
「ただの、概念、概念じゃないか。それは……」
「ふふふ、はははは! そうです、敵以外の攻撃でしたらあっけなく死にますよ。例えば妹様があなたと同じように思い、同じように行動して、同じように主様を殺したとしたら、そのまま主様は死んでいました! さぁ、たっぷりと、絶望してください。夢の終わりは、もうすぐです」
何事もなかったかのように、ジョシュアは立ち上がった。胸の傷も、手足も、完全に治っている。
アークトッシュは、極光の騎士は、ただ一言、それをみて叫んだ。
「ふざけるなぁぁぁぁぁ」




