第10話 白銀
――雨が降っている。
――雨音。雨音が鳴り響いている。
――夢、これは夢。深い、夢、遠い、夢。
男はこう言った。
「幸せ……とはなんだと思うかね」
平和になれば幸せだ、ただ好きな人と共にいれば幸せだ、うまいものを喰えたら幸せだ。ただ生きてるだけで幸せだ。
様々な答えが男に返された。だが男は頷くばかりでまたこう言った。
「幸せとは……なんだと思うね」
男は言った。そう、彼は答えなど求めていなかったのだ。
男は人に問いかける。だが彼は答えを求めていない。何故なら――
――さぁ始めよう。こちらへ来い。君は答えを得ている。
――深い夢、ある男の記憶
「うん……?」
ベッドから飛び出した足を動かし、ジョシュアは目を覚ました。
彼の耳には雨音が聞こえていた。雨が降っている。
「幸せ、か」
窓の前に立ったジョシュアはそこから村を見渡した。まだ薄暗い中に、鍛冶場の灯りが浮いている。
ジョシュアは村を見た。彼の頭には今まで過ごしてきたこの村での思い出が浮かんでいた。笑う鍛冶場の職人、走る子供たち、そして微笑みかけるカレナ。
彼の頭に浮かぶ人々、風景、それを思い出すたびにジョシュアは弱さを感じていた。
きっとこれらが無くなったら、自分はもう二度と立ち上がることはできなくなるだろうと彼は感じていた。
心の底から大事に思えるものを、彼は無くしたくないと思った。そしてこの感情は自分を殺すのではないかと、それが弱さであるのではないかと彼は感じていた。
動けるようになったら出ていこう、怪我が治ったら出ていこう、そう思って早三か月。騎士の仲間たちは自分を待っているだろうということは知っていたが、この居心地の良さに彼は動くことができなかった。
「……カレナ、俺は弱いな」
「さぁね。自分でそう思うんならそうなんじゃない? 逆に弱くって何が悪いのよってね」
「そうだな。俺は強くないといけないんだと、思い込んでいたのかな」
「あーもう、ややこしいこと考えてないで雨降ってるんだから早く寝なおしなさいよ。ほら添い寝してあげようか? こっちへ来なさい」
「いや……いい」
ジョシュアは窓から外をみていた。隣のベッドでカレナは布団を被り直す。
「……ん? 何だあれは」
ジョシュアの視線の先で黒い影が動いた。村の中心へ近づいてくるようだった。
「ジョシュア? もう早く寝なさいよ窓から明かりが入ってきたら寝れないってわかんないの?」
黒い影は一軒の家に群がっていく。鍛冶場の明かりに照らされて、その影の持ち主はぼんやりと姿を現した。
「あれは……神殿にいた黒い鎧じゃないか」
「黒い鎧……!? ジョシュア駄目よカーテンを閉めて!」
「カレナ知ってるのか?」
「閉めて! もうっ!」
飛び起きたカレナの手でカーテンが閉められた。寝室は真っ暗になった。
「……知ってるのか? あいつらが」
「あれは……人を攫うのよ。ルードのどこでもいるとか言われてるけど、夜になったらたまにでるの」
「何のために?」
「知らない。きっと誰も。でも目があったりとかしなきゃ大丈夫。だから皆見ないようにするの」
「そうか……」
ジョシュアの頭に中には神殿で戦ったロンドの顔が浮かんでいた。そして、ロンドが指揮をする姿を思い出していた。
「うわぁぁやめろぉぉぉ!」
「この声!? えっケイン……!?」
「あそこだカレナ!」
カーテンを乱暴に開けて外を見たジョシュアが見たのは、ケインの首を持ち引きずっていく黒い鎧の兵士だった。
「何で!? えっ何でよ!? 何でよぉ!?」
「カレナここにいろ。絶対出てくるなよ」
「ジョシュア……ジョシュア……!」
「表の斧を借りていくぞ」
ジョシュアは走り出した。玄関の扉を勢いよくあけ、扉の横に立てかかっていた片手斧を取った。
ジョシュアは走った。正面には黒い鎧の兵士。
「あんちゃん! あんちゃん助けて!」
「ケイン屈め!」
黒い鎧の兵士が振り向いた。その振り向いた勢いのままに、兵士の頭が滑り落ちた。
ジョシュアの斧が勢いに乗って首を叩き斬ったのだ。首の部分も当然金属部がある。
ジョシュアの持っていた片手斧は黒い兵士の頭と一緒にへし折れ飛んで行った。
「うひぃ! す、すげぇやあんちゃん!」
「ケイン何故外へ出た!」
「トイレにちょっとさ! こいつら最近は来てなかったからさぁ!」
「家に戻れ!」
「お、おうさ! ってあんちゃん!」
「何だと!?」
カレナの家の方へ振り返ると、すでに家に向かう道には黒い兵士たちがひしめいていた。
気が付けばジョシュアとケインは、黒い鎧に囲まれていた。逃げ場はもうなかった。
「くそ! ケイン俺から離れるな!」
「あんちゃん……」
ジョシュアは右手に持っていた折れた斧の柄を見た。鈍器としても使えそうにない状態だった。
「ケイン……痛いのは嫌か……?」
「当たり前だろあんちゃん! し、しにたくないよ!」
「ケイン、ならば死ぬのと痛いの我慢するのはどっちがいい?」
「そ、それだったら……が、我慢するよ」
「よし、歯を食いしばってろ。腕はこうだ、しっかく組んでろ。服は頭まで被れ」
それだけ言うとジョシュアはケインの身体を持ち上げた。
眼をつぶるケイン。ジョシュアは槍を投げる前のように腕に力を込めた。
「ぬおおおおあっ!」
左足を前に、一歩一気に踏み込んだ。力を肩に、ひじに、伝わらせ
ケインを全力で投げた。カレナの家に一直線に飛んでいく。
割れる窓、そして何かが壊れる音。
「いてぇぇぇ! あんちゃんすっげぇいてぇよ! あんちゃんのベッド壊れちゃったよ!」
「それだけ喋れれば大丈夫だ! ケイン姉さんを連れて裏から逃げろ! 遠くへ逃げろ!」
「あんちゃんは!?」
「俺は大丈夫だ!」
ジョシュアは叫んだ。目の前には大量の黒い兵士、そして手持ちの武器は木の棒のみ。
大丈夫なわけはなかった。彼は内心思ったこれは一人で乗り切れる数ではないと。
普通ならば逃げるのが一番有効である。だが、彼は逃げればここの村人がまた襲われる、全滅は無理でも撤退させなければならないと思い、頭を吹き飛ばした兵士の剣を拾い、そして構えた。
「何だこの剣は……ボロボロだ。だが無いよりはましだ。いくぞ!」
ジョシュアは力強く地面を蹴り飛ばし飛び込んだ。蹴り飛ばされた地面はヒビが入っている。
囲むだけで止まっていた黒い兵士がそれを合図に一斉に動き出した。雪崩のように黒い兵士たちがなだれ込んでくる。
雨が強くなった。
先頭、兵士の剣を弾き、兵士の喉を突き刺す。一体倒した。
二体目、左手を添え木ごと兵士の右腕に叩き込み、兵士の首を斬る。添え木が砕ける。二体倒した。
三体目、兵士の剣がジョシュアの腹をかすめる。黒い兵士の喉に右手を掛け全力で振り回す。
四体目、振り回された黒い兵士になぎ倒される。
五体目、振り回し投げられた黒い鎧をぶつけられ、吹き飛ぶ。
六体目、ジョシュアが繰り出した剣は黒い兵士の胸に当たり、折れた。敵の剣がジョシュアの肩に突き刺さる。
七体目、苦悶の表情のジョシュア、それを仕留めんと喉めがけて突きを繰り出した。かろうじて躱したジョシュアは拳で黒い兵士を殴りつけた。
八体目――
ジョシュアは迫りくる敵兵士を掴み、投げ、武器を奪い、戦った。懸命に戦った。
一刻一刻、ジョシュアの身体はこの村に来た時と同じような状態に近づいていった。武器を、鎧を、ジョシュアはもうすでに思考をしていなかった。彼はただただ目の前の敵を倒すがために体を動かした。
だが、奪った敵の剣はすぐに折れ、黒い鎧は精霊の石の鎧化でできたもの。敵の急所を突かない限り倒せないこの状況。雨で体力が奪われる。
ジョシュアは暴れたが、だんだんと意識が遠くなるのを感じた。
――答えは出たか。
ジョシュアは夢を見ていた。そんなものは今は、不要、だが彼は夢を見ていた。
――君の答えだ。聞かせてくれないか。
ジョシュアの意識は今にも途切れそうになっていた。朦朧とするその頭。
――幸せとは何だと思うね?
「しあわせ……」
――答えを、聞かせてくれないか。
「俺の……しあわせはぁ……ここに……ある……帰る場所……カレナ……もう誰にも……誰にも! 渡さない! 俺は渡さない! 俺のものだ! 手放したりするものか!」
――君は答えを得た。ほら、手を伸ばせ。取り損なうな。
頭の中の声に従って、ジョシュアは手を伸ばした。彼の手に何かが飛んできた。
ぐっと握るその右手の中に、暗闇の中で雨を払う銀色の光があった。
それは、あまりにも美しい光を放っていた。
『白銀の剣』
その輝く刀身と柄の中心に光る黄金の石。ジョシュアは見た。剣が飛んできた先を。
「ジョシュア! せっかく治したのに何してんの! うちの村のとっておきあげるからとっとと倒しちゃいなさい!」
「あんちゃん頑張れ! 頑張れ!」
ジョシュアは剣を振った。黒い兵士の鎧に刃がすり抜けるように通った。斜めに切り離される鎧。
普通の剣ではない。刀身は白銀に輝いている。鏡のように周りの景色を映し出している。
――魂結晶を使ってみろ。もう大丈夫だろう?
「応!」
ジョシュアは白銀の剣を地面に突き立てた。はじかれるように地面の一部が砕け、浮かび上がる。
土が、石がジョシュアの身体に集まる。巨体に石のコーティング、まるで石の魔人、ゴーレムのような姿になった。
身体に付いた石がさらに砕け落ちる。そして、鎧姿のジョシュアが現れた。
フルフェイスの白銀のメット、刺々しい白銀の鎧。そして赤いマント。
ジョシュア・ユリウス・セブティリアン、生まれて初めて完全なる鎧化を果たした瞬間であった。
白銀の剣が鎧化に呼応し、巨体な剣となった。
「鎧化……こんなに、こんなに……簡単なことだったのか」
白銀の剣を右手で無造作に振る。五体の敵が下半身だけになった。
黒い兵士の剣はすべて鎧に触れた瞬間に砕けた。
「斬る……すべて!」
圧倒的だった。ジョシュアの巨大な白銀の剣は一振りごとに黒い鎧を引き裂いていった。彼が剣を八回振ると、村の広場には何もなくなった。
白銀の鎧が砕け、粒子状になって地面に落ちる。
「黒い鎧……ロンド……」
ジョシュアはそれだけ呟くと膝から崩れ落ちた。彼は意識が切れる瞬間に声を聴いた。
――さぁ君はどこへ行く?私はただ君を待っているぞ。




