終幕 外伝 オルコスの使い魔と惹かれ合う輪廻05
「ほらっ。オルコス見てよ? こんなのできるようになったよっ」
ヌヴィは、虚ろな目でどこか遠くを見据えるオルコスに、最近身につけたばかりの高速お手玉を披露する。
「……」
しかし、相変わらずオルコスに反応はなく、まるで薬漬けになった廃人のようだった。
馬鹿騎士が居てくれたら。
そんな弱音がヌヴィを支配しそうになる。
数年前、あの騎士がいた頃のオルコスは、毎日楽しそうで良く笑っていた気がする。
「あっ、オルコス。今日は芋と鶏肉を煮たやつ作ったから少し食べなよ」
ヌヴィは萎れそうになる心を奮い立たせて、馬鹿騎士に教わった煮物料理を椀によそうと、オルコスに差し出した。
「オルコス、これ好きだったもんね?」
「……一人にして」
オルコスは匙一杯分だけ口に運ぶと、ふらふらとおぼつかない足取りでベッドへ向かい、ぽてっと倒れ込んでしまった。
「う……うん。お腹空いたらいつでも言ってね?」
ヌヴィは泣き出したくなる感情を抑えて、極めて明るく振る舞って寝室の扉を閉めた。
「もう……ダメなのかな」
ヌヴィは静かな工房で独りごちる。
馬鹿騎士が出ていってから数年の時が流れ、オルコスは皆を笑顔に計画第一弾と称して、スキル魔法の世界付与を成功させた。
しかし、その結果は民に笑顔を灯すものではなく、オルコスの心を病ませる毒となった。
そんなある日、突如として部屋を出てきたオルコスは、わけのわからぬことを言って、これまで通りに食事を取るようになった。
ヌヴィはもしかしたら、またいつものオルコスに戻ってくれるかも、と淡い期待を抱いたのだが、その末路は非情なものだった。
ごめんね。
オルコスのたった一言を最後に、ヌヴィの意識は闇の底へと沈んでいく。
そうして、その無にも等しい眠りの空白は、3年もの月日に及んだ。
やがて、眠りから目覚めたヌヴィは、ホコリまみれで空っぽになった工房の姿を見て言葉を失った。
どうしようもない焦燥感が全身を駆け巡る中、ヌヴィは必死にオルコスを探した。
どうして、なんで、何のために。
ヌヴィは、何もわからないまま、オルコスとの契約印が指し示す方角へ、がむしゃらに走った。
半月をかけてたどり着いたとある国で、ヌヴィの手の甲で光る契約印が、一層強い光を示す。
もうすぐオルコスと会える。
しかし、緊張と喜びが入り混じるヌヴィが小高い丘から見たのは、、火刑台に磔にされたオルコスの姿だった。
「っ!?」
何で……。
爆発しそうな鼓動が全身を支配していく。
広場から聞こえてくる罵声も、いわれのない罪状も、その全てが黒い感情をせり上がらせる。
ヌヴィは早くオルコスを助けようと、踵を返し広場へと続く道へ駆け出したのだが。
「魔女の使いがいるぞっ!!」
背に刺さる男の怒声に振り替えると、いつか見た銀色と同じ目をした男が数人、こちらへ向かってくるのが見えた。
「貴様っ! 魔女の使い魔だな? ここから先は我らが通さんぞっ!」
髭を蓄えた銀色が剣を抜くと、背後に控える若い銀色もそれに倣った。
「……ってないよ」
ヌヴィは今にも爆発してしまいそうな体を抑えて、泣きそうな声で小さく呟いた。
「なにっ?」
「オルコスは何もやってないっ!」
それは事実だ。
疫病をばらまいたとか、川を氾濫させたとか、どこぞの心優しい領主を呪いで殺したとか、誰かの笑顔を奪うようなことは、オルコスがするわけない。
ヌヴィは、3年の空白をもってしても、その罪状はでっち上げだと言い切ることができる。
「黙れっ! 貴様の主がどれだけの人間を不幸にしたか、その身をもっておもいしれっ!」
銀色たちはヌヴィの言葉に聞く耳を持たぬようで、鬼のような形相で弓矢を放った。
「っ!?」
瞬間、足元に突き立てられた矢からは光の波動が起こり、ヌヴィの小さな体を宙へ弾いて、地に落とした。
「今だっ! 殺せっ!!」
狂気じみた目をした銀色たちが剣を抜き、一斉に襲い掛かってくる。
「……ははっ。馬鹿、みたいだ」
ヌヴィは全身に走る痛みに耐えながら、とうとうこみ上げる感情を抑えるのをやめた。
人間はずるい。人間は自分勝手だ。人間は臆病だ。人間は嫌いだ。
もう、こんな奴らを笑顔にする必要などどこにもないじゃないか。
全員殺して、殺し尽くして、オルコスと、どこか人が居ない場所で静かに暮らそう。
やがて、ヌヴィの心は赤黒い感情に支配されていき、気が付いた時には、銀色たちを見下ろす巨躯の漆黒へと変貌を遂げていた。
「なっ!? 正体を現したか悪魔めっ! 神に授かりし法力をくらえっ」
そう言って、銀色の一人が放ったのは、皮肉にもオルコスが皆を笑顔にしようと世界に付与した、スキル魔法だった。
「……」
だが、巨躯の化物となったヌヴィを覆う、漆黒の刃を幾重にも重ねたような体毛が、容易にその魔法を防ぐ。
「っ!? 化け物めっ!」
銀色が恐怖の色を滲ませた顔を見せた瞬間。
――ひゅん、と風切り音が一つ。
「っ!!」
巨大な死神の鎌を思わせる漆黒の尾が、銀色たちの首を薙いだ。
真っ白だったヌヴィの前足が、銀色たちの鮮血に染まる。
「ハ。ハハハ」
ヌヴィは嗤った。
あまりにも呆気なく命を終わらした、その取るに足らない存在を嗤った。
「……悪魔」
そう零した若い銀色は、驚愕の表情を張り付けたまま漆黒の尾に心臓を貫かれ、ゆっくりと膝を折る。
ヌヴィは、その姿を無感情に見下ろし、魔獣然とした口元を邪悪に歪めた。
心が黒く染まっていく。
ヌヴィは、人間への激しい憎悪と殺意をもって、真の悪魔へと昇華した。
体中を巡る膨大な魔力は、狂ったように殺害衝動へと導く。
――楽しいとか嬉しいみたいな感情で、愉快な悪魔になったらいいな。
一瞬、脳裏にそんな言葉が浮かんでは消えた。
「こっちだっ!! 悪魔が出たぞっ!」
「広場に近寄せるなっ!」
どこから湧いて出たのか、ぞろぞろと銀色たちが剣や弓を手にヌヴィに向かって来る。
「……貴様ぁっ! 魔女の使い魔かっ!?」
駆けつけてきた銀色の一人が、首から上を失った仲間を見て歯噛みをすると、剣を向けてその敵意をぶつけてきた。
もう、手遅れだった。
終わりの見えない憎しみの連鎖が、この場に居るすべての者へと巻き付いていく。
「ハハ。ハハハハハっ。我ガ輩ハ、オルコスノ使イ魔」
ヌヴィは、圧倒的な暴力によって銀色たちを骸と化し、強大な魔力を放ちながら、オルコスが磔にされている広場へと向かっていく。
行く手を阻む銀色たちを弾き飛ばし、このままオルコスを救えると確信したその時だった。
――っ!?
山にぶつかった。
そう錯覚するほどに、その壁は強固であった。
たまらず一歩後退したヌヴィは、頭を振って、自身の足を止めた何かに目を向ける。
「よお、ヌヴィ。しばらく見ない内に随分男前になったんじゃねえか?」
「……馬鹿騎士っ!?」
そこには、片手を突き出して苦笑する、見覚えのある顔があった。
ヌヴィは、一瞬その姿を見て安心して泣き出してしまうような感情を覚えたが、すぐにそれは疑心へと変わる。
「馬鹿騎士……裏切ったの?」
ヌヴィは目を細めると、魔力を増幅させて、再び頭の中を憎悪で塗り潰しそうになる。
「落ち着け。これはオルコスからお前にだ」
騎士は言って、懐から一枚の羊皮紙を取り出して、ヌヴィに見えるよう、足元へ投げた。
「……っ!」
手紙の字は、間違いなくオルコスのものだった。
「ったく、あの馬鹿魔女はよ。どこの誰ともわからんやつとガキなんか作りやがって」
騎士は言って、まったく酷い主だな、と手紙を読むヌヴィへ冗談交じりの言葉を投げる。
「……そんなっ。で、でも。オルコス死んじゃったら悲しいよ。助けないと」
ヌヴィは、放心状態のまま言って、のそり、と巨躯の体を広場へと向ける。
「……無理だ。広場には俺より腕の立つ聖騎士がごろごろ居る」
騎士は、あっさりとオルコス救出を否定する。
「っ! 馬鹿騎士はオルコスが死んじゃっても、それでいいのっ?」
ヌヴィは、淡々と冷静に喋る騎士に苛立ちを覚えて、声を荒げたのだが。
「いいわけねえだろっ!」
「っ!?」
騎士は叫ぶように言うと、一度悔しそうに下唇を噛んで、苦々しく口を開いた。
「俺だって、本当はお前とあいつの三人で、そう思って……」
俯いた騎士の言葉尻は、小さく風にさらわれる。
「頼む。俺も見たいんだよ。世界中の人間が笑って生きれる世界ってやつを」
「で、でも――」
ヌヴィがオルコスを諦めきれずに居ると。
「悪魔だっ、悪魔がいるぞっ!!」
新手の銀色たちが、鎧の擦れる音を響かせながら、こちらへ向かってくるのが視えた。
「ちっ。もう時間がねえ。ここは俺が食い止める。お前は手紙に書いてある場所に行って、オルコスの子を守れ」
騎士は言って、その拳でこつんとヌヴィの脚を小突くと、ヌヴィの巨体を庇うように、仁王立ちで向かってくる銀色と対峙する。
「き、貴様っ!! やはり、裏切ったのかっ! 神の冒涜者めがっ」
新手の銀色たちを指揮する男は、騎士を認めると腰に帯びた剣を抜いた。
「神は……」
騎士は言って、もう引き返す理由はないわな、と拳を強く握りなおす。
「神はっ! 等しく民を救いなどしないっ!! 我らの正義は……間違っているっ!!」
騎士が言って片手を突き出すと、銀色たちの行く手を阻むように、魔力の壁が出現した。
「ダメだ。あいつは魔女に操られている。もろともで構わん。殺せっ」
「バカ騎士……」
「早く行けっ!!」
「でも、こんなにたくさんじゃ馬鹿騎士がっ」
騎士は、不安そうにするヌヴィを肩越しに見て、ふっと小さく微笑んで、
「エトだ」
と、出会ってから初めて、それを告げた。
「え?」
ヌヴィはよくわからず、ただ聞き返す。
「馬鹿騎士じゃねえっつってんだ。俺はエト。エト・バックスフィード。ヌヴィ、惹かれ合う輪廻で、また会おうぜ。俺は案外信じてんだよ。あのクソ魔女が言ってたこと」
エトは、額に汗を滲ませながら言って、自嘲するかのように苦笑した。
エト・バックスフィード。
ヌヴィは、その名を心に強く刻むと、泣きながらその場から駆け出したのだった。
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その後は、次がいつかもわからない馬鹿騎士との再会を夢見て、オルコスの血筋を育て続けた。
だが、一向に叶わないオルコスの夢と、その悲しい末路にヌヴィの心も次第に蝕まれていく。
それは、紛れもなく魔女の呪いであった。
やがて、オルコスと馬鹿騎士に託された願いも薄れていき、ヌヴィが長い眠りへとついている頃。
とある山の洞穴で、一人の魔導士と一人の小さな魔女は、必然的な出会いを果たす。
『いつかさ、また次があるなら、今度はあんたが私を拾ってよね』
気が遠くなるような年月を経て、惹かれ合う輪廻が、再び二人を交わらせた。
それから間もなくして目を覚ましたヌヴィは、自身の心に従って、最後に一目オルコスを見ようと旅を始める。
そうして、たどり着いた街で再開した狼耳の付いたオルコスは、笑顔に溢れていて、ヌヴィの荒んだ心を優しく包んだ。
護衛と思しき青年からは、何故かどこか懐かしい感じがして、直感的に信頼できると思った。
その理由も、すぐにヌヴィの中で明らかになる。
「ロク見て! にゃんこが喋ってるっ。わがはいだって! あははははっ」
アビスと名の付いた、今度のオルコスは、ちゃんと笑えている。
もう、オルコスに初代の夢を託すのはやめよう。自身の幸せだけを見つめて生きてくれれば、それでいい。
「にゃんこだぁっ!」
楽しそうにしているオルコスを見て、ヌヴィは嬉しくて泣いてしまいそうな感情を抑えると、居住まいを正して口を開いた。
「吾輩は猫ではない。名はヌヴィ。代々オルコスに仕える由緒正しき悪魔なるぞっ」




