27 外伝 オルコスの使い魔と惹かれ合う輪廻04
騎士を拾ってから、半月ほどが経過したある日の昼下がり。
オルコスの工房であり固有結界内である木こり部屋で、ヌヴィは不思議な光景を見ていた。
聖騎士である青年は床にあぐらをかき芋の皮を剥いていて、そのすぐ横では魔女であるオルコスが聖書を読みながら仰向けになっている。
この光景を見たら、魔女を崇める邪教徒も、神を崇める清教徒も、揃って唖然とすることだろう。
最近ではヌヴィも、少しずつではあるが、この騎士に気を許してきている。初めの内は警戒していたが、一度口喧嘩をした時にヌヴィの口から突いて出た、教会に家族を奪われた過去を聞いて、騎士は意外にも深々と頭を下げて謝罪したのだ。
更には二度と同じことが起こらないように尽力すると約束もしてくれた。その時の騎士の目尻には、薄っすらと滲むものがあり、ヌヴィとしても引き下がるしかなかったのだ。
だから、たまにそっと尻尾や耳を触られること意外は、騎士のことを許せるようになってきていた。
教会にもこういう人間も居るんだな、とヌヴィは考えを新たにし、聖騎士の仕事とは程遠い芋の皮剥きに夢中になっている青年の顔をじっと盗み見る。
一度、私もやる、とオルコスが芋の皮剥きを手伝ったのだが、すぐに指を切って以来、騎士はオルコスに刃物を持たせなくなった。
オルコスは自分の治癒魔法で、自分を癒すことができない。それを知ったからだ。
多分、優しいやつなのだろう。
騎士の体の傷はすっかり癒えたようで、ここのところは工房の外に出て、森や山と繋がった時は、食べれるものを狩りに行っている。
オルコスはと言えば、あれから毎日のように馬鹿騎士に質問攻めして、たまに言い争ったりしていたが、少し騎士と仲良くなった気がした。
「しかし、暇ねえ……」
オルコスは、ころんころんと左右に転がりながら、仰向けに書物を広げて行儀悪く読みながら、本日何度目かもわからない言葉をこぼす。
最近ではほとんど教会の聖典も理解したようで、騎士に質問することも少なくなってきていた。
「……」
騎士がちらりと送られるオルコスの視線に気付かない振りをして、剥き終わった芋を水に浸したその時。
「魔女ろーりんぐあたっくっ!」
――ゴっ。
オルコスはころころと左右に転がる勢いで、そのまま騎士にしょうもない攻撃を仕掛けたのだが。
「ん?」
「いたっ!?」
ダメージを受けたのは、ローリングアタックをしたオルコスの方だけで、騎士はなんともないようだった。
「……くぅ~。あんた何でそんな体硬いの? 私が当たるこの部分だけ柔らかくしといてよっ」
オルコスは涙目で言って、騎士の膝の上に頭を乗せたまま、頭がぶつかった横腹を丸く指でなぞる。
「無茶言うなよ」
騎士は自身の脚の上に頭を乗せ、まっすぐに見上げてくるオルコスと目が合って、どきりとした。ただでさえ最近では教会の敵たる魔女が薄れてきているのだ。この少女から魔女であることが消えてしまえば、ただの美少女である。
「……」
オルコスは特に気にするでもなく、騎士に膝枕をされた状態のまま、口を尖らせて自分の頭をさすり、
「……キス、してみる?」
そんな突拍子もない事を口にした。
「っ!?」
「あだっ!」
騎士は内心焦りながらすまして立ち上がると、ごつんとオルコスの頭が床に落ちた。
「しねえよ」
「痛ったいわね……あっ、あんたもしかして、女性経験ないんじゃないの?」
オルコスは、騎士の純朴な反応を見て、仰向けになったまま、にひひと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「……だったらなんだ? 俺は聖騎士だ。民を守るのが使命なんだよ」
「やっぱりそうだと思ったわ。安心して、私もないわっ!」
オルコスは得意気に言って、慎ましやかな胸を張る。
「う~ん。どうせ実験終わるまでやることないし、試してみる?」
オルコスは、首を傾げて何やら考える素振りをしたあと、よくわからない事を言った。
「あ? 何をだ?」
騎士は、またぞろしょうもない事だと思い、徐に立ち上がるオルコスを怪訝そうに見上げる。
「性行為よ」
オルコスは、そんなとんでもない事を平然と言って、徐ろにローブを脱ぎだした。
「なっ!? 馬鹿かっ?」
騎士は、こいつは何を考えているのだ、と思う一方でオルコスの露わになった下着姿と、透き通るような肌に動揺していた。
「おいっ! ヌヴィっ!! ちょっとこの馬鹿魔女なんとかしてくれっ!」
騎士はたまらず応援を要請する。
「えっ!? 今、手が離せないから、馬鹿騎士がなんとかしてよっ!」
しかし、ヌヴィは風呂を沸かすのに手一杯のようで、そんな気を許した平和ボケな声だけが返ってくる。
「私は魔女だけど、処女のまま死ぬなんて嫌だもの。いいじゃない。別に減るもんでもないしっ」
「そういう問題じゃねえっ!」
騎士は焦って、下着も脱ごうとするオルコスの腕を掴む。
「う~ん。じゃあ、おっぱい触る? よくわかんないけど、男はおっぱい触りたいんでしょ? こんなの触って楽しいのかしら?」
オルコスは言って、自分の胸を下着の上から押し上げて小首を傾げる。
「っ!? 付き合ってられるかっ! くいもん獲りに行ってくる」
騎士はとうとう逃げるように、扉に手をかける。
「あっ! ちょっと待ってっ!! 今日は私もついてくからっ」
オルコスは、興味を外出へと移したのか、騎士の服の裾を掴んで制したあと、待っててと、何やら準備をし始めた。
「構わないが、お前戦えるのか?」
騎士は、どうにか危機を脱したと胸を撫で下ろしながら、一応聞いておく。
オルコスの固有結界は、どこと繋がるか本人もわからないと言っていた。人が居ない場所にしか繋がらないらしいが、魔獣の群生地に出ることもしばしばあるのだ。
「へ? 戦えないわよ?」
オルコスは言って、陽射し避けのつばの広い帽子を被ると、遊びに出かけるこども然とした表情で嬉しそうにくるりと回った。
「どう? 似合うでしょ?」
「ああ。馬鹿みてえだ」
騎士は、その返しに不満気に口を尖らせるオルコスをなだめながら、肩をすくめる。
「戦えないんじゃ来てもしょうがないだろ?」
足手まといはごめんだ、と同伴の提案に反対すると、オルコスはにんまりと笑みを浮かべて、当然のように言う。
「あんた聖騎士なんでしょ? 守ってよ」
「魔女を守る聖騎士なんているかよ」
結局、止めても付いてくるだろうと思った騎士は、しぶしぶオルコスを連れて、どこと繋がっているのかもわからない外へと出たのだった。
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「こんなもんで十分だろ」
騎士は、木の実やキノコがこれでもかと詰め込まれた麻袋を肩から降ろすと、あまり機嫌のよろしくないオルコスに訊いた。
「……食べたい」
「あ?」
騎士は、聞き取れないほど小さな声で何やらつぶやいたオルコスに聞き直すと、
「お肉食べたい、お肉食べたい、お肉食べたーいっ!!」
そう言って地団太を踏んだ。
「肉がないのはお前が自分で捕るっつって、失敗し続けたせいだろうが」
「……だって、逃げるんだもの」
オルコスは、野生の兎を自分で捕まえると言って、一度目はこけて、二度目は叫びながら走り出し、三度目に再びこけた。
当然、辺りでそれだけバタバタと追い回せば、野生動物は身を潜めてしまう。結果として、木の実とキノコだけという質素な収穫となってしまっていた。
「もうじき陽も暮れるし、ヌヴィも待ってる。また明日挑戦すればいいじゃねえか」
騎士は、慰めるように言ったあとで、はたと気が付く。自分が何となくこの生活に慣れて、順応して、悪くないと思ってしまっていることに。
また明日。
その自分から出た言葉に言いようのない焦りを感じた。
騎士は、隣を歩きながら、また明日やってみよ、と奮起するオルコスを見て、こいつは教会の敵であり、民を苦しめる魔女なのだ、と強く思い直す。
あと、十日くらいならば、野宿でもやっていけるだろう。これ以上、魔女の傍にいるべきではない。
騎士が、そう思って口を開いたその時だった。
「――ちゃんっ!!」
不意に、こどもの叫び声が聞こえた。
騎士とオルコスは顔を見合わせて、即座に声のした方へと駆け出す。
「お前の固有結界は他の人間が入れないんじゃなかったのか?」
「……わかんない。もしかしたら、そろそろ終わり始めてるのかも」
そんな会話をしながらたどり着いたその場所で、草陰から見えたのは、小さなこどもの兄妹が、巨大な猪の魔獣に襲われている姿だった。
狩りを楽しんでいるのか、魔獣はじりじりと距離を詰めて、その間合いを測っているようだった。
「……よしっ」
オルコスは、その小さな拳をぎゅっと握ると、草陰から出て行こうとする。
「待てっ。お前、戦えないんじゃなかったのか?」
騎士は、見るからに考えなしに飛び出そうとするオルコスの腕を掴む。
「戦えないわよ。でも、あの子たちよりは私の方が強いわ。それで十分でしょ?」
助ける理由なんて、それで十分と、オルコスは落ちている木の棒を拾って握りしめた。
「馬鹿か、もう少し考えてから」
「人間は、動きたい時に理由を考えるから後悔するのよっ!」
オルコスは、騎士から腕を振り払うと、魔獣とこどもたちの間に躍り出てしまった。
魔獣は、一瞬驚いたように一歩後ずさるが、すぐに弱者だと見抜いたのか、オルコスを含めた三人を捕食対象として認める。
「くそがっ」
騎士は、なるようになりやがれ、と後から飛び出して、魔獣の背後からその太い脚に短剣を突き立てた。
「っ!」
しかし、魔力なしでの一撃は、無情にもその固い毛皮で阻まれ、短剣の先が欠けてしまった。
魔獣の意識が一気に騎士へと向けられる。
「オルコスっ! ガキを逃がせっ!!」
騎士は、臨戦態勢に入った魔獣から目を離すことなく、オルコスへ叫ぶ。
「わかったっ! ほら、走ってっ!!」
オルコスは、背中にこどもたちを庇いながら言うと、あることに気付いた。
「馬鹿騎士っ! もう固有結界の効果は大分薄れてる。意識を外側の世界に向ければ、魔力を使えるはずよっ」
「どういうことだっ?」
騎士が理解できないでいると、オルコスはあろうことか拾った石を魔獣目掛けて投げつけた。
「私が注意を引いてるから、ちゃちゃっとやっちゃってっ!」
「なっ、馬鹿かっ!?」
魔獣はくるりとオルコスに向き直ると、びりびりと周囲に響くような雄たけびをあげて、地面を蹴りだした。
オルコスは、その突進をひらりと躱して、早くっ、と騎士に催促する。
瞬間、魔獣はオルコスへ向けて大きな口を開くと、紅蓮の火球を吐き出した。
「っ!?」
だが、その魔力の塊は、オルコスの頭上を抜けていく。
「馬鹿野郎がっ!!」
騎士が、すんでのところで飛び込みオルコスを庇ったからだ。
「ちょっ、なんでこっち来るのよ? 魔力は出せるんだから、ちゃちゃっと聖騎士の本気を見せなさいよ?」
「意味がわからねんだよっ! さっきから魔力は練ろうとしてるが出やしねえぞっ」
「だから、それはあんたがこの結界に馴染んじゃってるせいなんだって。意識を外側に向ければ解放されるからっ!」
「どうやってっ!?」
騎士は、再度放たれた魔獣の火球をオルコスを抱きかかえるように飛んで躱す。
「ああ、もう、これでどうっ?」
「っ!?」
一瞬、騎士の唇に柔らかな感触が伝わる。
「なっ!? お前、何やって――」
「どう? 意識、一瞬でも飛んだでしょ?」
そっと唇を離したオルコスは、薄っすらと頬を紅潮させて、騎士の肩を掴んだ。
騎士は、よくわからないまま、再度魔力を練り上げてみる。
「っ!?」
すると、先ほどまでとは打って変わって、慣れ親しんだ感覚が、騎士の全身に満ちていく。
「何だかわからんが、戻った……みたいだな」
騎士は、オルコスを草の上に置くと、魔獣と真正面に向き合い、魔力を増幅させていく。
「あっ、ちょっと待って、今武器になりそうなものを――」
オルコスが起き上がり、きょろきょろと辺りに手ごろな棒か何かないかと探していると、騎士はすぐにそれを後ろ手に制した。
「必要ない」
騎士が言った瞬間、魔獣が目を血走らせながら火球を吐き出し、同時に凄まじい速さで突進してくる。
――一撃。
騎士の膨大な魔力を纏った拳は、火球もろとも魔獣を粉砕した。
「……ふう。さすがにこれは食う気しないか」
騎士が苦笑して振り向くと、オルコスは口を半開きにしたまま唖然としていた。
オルコスは、まさか聖騎士がこれほど強いとは思っていなかったのだ。
「……あ、あんた無茶苦茶ねっ!」
「これでも、聖騎士だからな」
騎士は言って、少しは敬えよ、とオルコスの頭をぽんぽんとやった。
「で、魔力が使えるって事は、もうここから出れるんだよな?」
騎士は、結局30日かからなかったな、と胸中で零す。
「……そうね。魔力を纏ったまま境界をくぐれば出れるでしょうね」
騎士はオルコスの言葉に頷くと、送っていく、とだけ言って先を歩き出した。
~帰り道~
「ねえ……あんた、聖騎士なんて辞めて、私の護衛になってよ」
オルコスは、少し前を歩く騎士のシャツを掴む。
「……なあ、オルコス。別れる前に一つ聞いておきたい。お前の目的はなんだ? 魔女として何がしたいんだ?」
騎士は、オルコスの望みに答えないまま立ち止まって振り返ると、一つ質問をした。
「え? ふふ~ん。聞いて驚かないでよ。私はね、世界中の人をみ~んな笑顔にしたいのっ。飢えも争いもなくしちゃってね、みんながまったく生きるって最高だぜ、きゃっほいって、笑って死ねるような世界に作り変えるの」
「……」
騎士は、オルコスの答えに間の抜けた表情で、唖然とする。
「……ふっ」
そして、堪えきれず、小さく吹き出してしまった。
「なっ、なによっ! 見てなさいよ、ぜったい吠え面こかしてやるんだからっ」
オルコスは、そりゃあ今はこんなだけど、とぷんすかと怒る。
「いや、すまない。だが、お前の目的は一歩達成に近づいたな」
「どういうこと?」
「少なくとも俺は笑えた」
騎士は言って、にかっと心からの笑みを見せる。
「むぅ~、いいわよ、いいわよ。私にはヌヴィが居るしっ」
オルコスは、せっかく教えてあげたのに、と拗ねるような素振りを見せる。
「あー、何か色々と馬鹿らしくなっちまった」
騎士は一度天を仰ぐと、何かに踏ん切りを付けるかのように再び歩き出した。
「何が?」
オルコスは、うん? と小首を傾げて、その後をついていく。
「お前を見ていると、聖騎士の勤めというものが、酷く嘘くさくて幼稚なものに思える。俺も魔女の呪いにかかったってことか?」
騎士は言って、自嘲気味に苦笑する。
「知らないわよ。私、自分以外の魔女なんて会ったことないもの」
オルコスは、まだ拗ねているのか、言ったあとで、フン、と顔を背けた。
「そうなのか? 教会では魔女の集いがあると教わってきたが」
「魔女は姿を隠す能力に優れてるって知ってるでしょ? 魔女だって、どれが魔女かなんてわからないわよ」
騎士は、そういうもんかね、と考えながら、目前に迫るオルコスの工房を見て、胸につかえがあるのを感じていた。
「もう、ここで平気」
オルコスは俯いて、騎士の背中に声をかける。
「……そうか」
騎士は、感情を隠した声色で言って振り向くと、少しだけ真面目な表情で、世話になった、と頭を下げた。
「ねえ、本当に、私の護衛やってくれないの?」
オルコスは、最後の機会とばかりに、再度問う。
「俺も色々としがらみがあってな。全部けりがついて、また会うことがあれば、その時考えてやるよ」
騎士は、その懇願するようなオルコスの表情を見て、少しばかりの譲歩を見せた。
「じゃあ、せめて名前教えてよ」
「そうだな……いや、また会えたら、そのときにな」
騎士は、少し考えるような素振りをして、何度も聞かれた名前を、最後もやはり教えなかった。
「ケチっ。どうせ、あんたと私はまたどこかで会うんだから、名前くらいいいじゃない」
「あ? 何言ってんだ?」
騎士は、何の話だ? と、首を傾げる。
「短い間だったけど、私とあんたは繋がりを持ったでしょ? そういう関係になるとね、必ずまたどっかで会うようにできてんのよ」
「なんだそりゃ?」
「これは、私の研究結果の一つでね、惹かれ合う輪廻って言うのよ」
オルコスは言って、凄いでしょ? と、慎ましやかな胸を張った。
「つまり、私とあんたの出会いも、決して偶然じゃないってこと」
騎士はオルコスの言葉を聞いて、何だか気恥ずかしいような、よくわからない感情に、眉根を釣り上げた。
「ねえ、今回はもう二度と会わないかも知れないけど、いつかさ、また次があるなら、今度はあんたが私を拾ってよね」
オルコスは、完全な別れを悟って、にぱっと笑うと、その細い指先を騎士へと向ける。
「誰が魔女なんて拾うかよ。……じゃ、またな」
騎士は、その言葉に少しだけ微笑むと、踵を返し、振り返ることなく森の中へと消えていった。
オルコスは、その背中をただ見送る。
そうして、騎士と魔女と使い魔の共同生活は、幕を閉じたのだった。




