21 幼女の気持ち。
夕日が辺りを染め、少しずつ光と影の境界線が生まれ始める頃。
一人の女の子が街を抜けて平原を駆けて行く。辺りには家路に向かう商人や冒険者たちの姿もちらほらと見られ、その視線は何かに取り憑かれかたように一心不乱に走って行く女の子へ向けられていた。
アビスは、そんな視線にもお構いなしに、自身の手の甲に浮かんでいた紋様の光が弱く、薄くなっていっていることに焦りを感じていた。
どういうわけかわからないが、これが消えてしまったらもうヌヴィに会えない気がして、言いようのない不安がその小さな体いっぱいに広がる。
「……ヌヴィ。……ヌヴィ」
大きく息を切らしながらも繰り返しその名を呟き、ヌヴィが居ると感じる方角へと止まることなく走って行く。
あのあと、まったく二階から降りてこないロクとリコベルに不安になり見に行ったのだが、二人とも何故か眠りこけていて、揺すっても話しかけてもまったく起きる様子がなかった。
アビスはしばらくどうしたものかと呆けたあと、自分の手の甲の紋様が弱々しく光っていることに気付いた。
ヌヴィとの使い魔契約の証。
確かにヌヴィはそう言っていた。そして、それが消えかかっているということは、ヌヴィが自分の元から離れていこうとしているのではないか、という疑念が生まれた。
嫌われてしまうにしても、ちゃんと謝って、できれば仲直りがしたい。
このまま、お別れなんて嫌だった。
アビスは、もうヌヴィに会えないかと思うと、目頭に熱いものがこみ上げてくる。
それでも、それを無理矢理に押し下げ、弱い心を振り切ると、薄暗くなった森の中を駆け抜けていく。
途中からはヌヴィが居る方角という感覚だけを頼りに獣道に入り、腕や脚を枝に引っかかれながらも、無心で走り続けた。
だが、いくら原初の魔女の血族とは言え、アビスはまだ幼いこどもである。どれだけ走ろうと一向に会えないヌヴィに、体の方が先に参ったようだった。
大きく肩で息をしながら、がくがくと震える膝を小さな手で抑えて、ゆっくりと歩き始める。もう、引き返すという選択肢はアビスには無かった。
自分でもよくわからないが、見知らぬ薄暗い森に独りでいるという恐怖は微塵もなかった。ただ、その気持ちはヌヴィに会いたいという一心であった。
そうして、息が整いヌヴィへの想いの衝動にかられ、再び走り出そうとした時だった。
「っ!」
一瞬だが、手の甲に浮かぶ紋様が強く光った気がした。アビスは、この辺かもと思い、周囲をキョロキョロと見回す。
「ヌヴィっ! ヌヴィっ!」
名前を叫び、辺りを探し回るが、ヌヴィからの返答はない。
でも、絶対近くに居るはずだ。
ちゃんと謝れば、でてきてくれるかもしれない。アビスは意を決してポケットからヌヴィのために作った、お魚形のポーチを取り出して頭上に掲げた。
「ヌヴィっ! 尻尾ふんでごめんねっ!! これっ。あびす作ったからっ、仲直ししよっ!!」
精一杯叫んだ。
それでも、ヌヴィからの返答はなく、泣き出してしまいそうになった時、その視界には黒い塊が映った。
「ヌヴィっ!!」
茂みの中に見えたそれに向かってアビスは駆け出す。
――しかし。
「……ヌヴィ?」
アビスの視界に映ったのは、返事もなく身動き一つ取らない、傷だらけのちいさな黒猫の姿だった。




