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今日も魔導士は幼女に耐える  作者: 虎山タヌキ
陽だまりの中で
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17 小さき黒猫 ~前編~

 柔らかな日差しに照らされた石畳の上を一匹の黒猫が歩いて行く。


 時折、吹き抜ける潮風が心地良く、ふと見上げれば石造りの屋根の上には、呑気気ままに昼寝をする野良猫たちの姿も多く見られた。


 ここは、王都から程遠い港町であり、漁師と商人が将来を賭けてしのぎを削る、発展途上の町だ。


 黒猫は、この町が好きだった。この町に住む人が好きだった。


 何やら良くわからない事を言いながら豪快に笑い、魚を投げてよこしてくれる髭のおじさん。柔和な微笑みを浮かべてミルクをくれるパン屋の女将さん。元気に話しかけてくれて、毛並みとは逆方向に撫でてくれるこどもたち。


 その全てが黒猫に生きているという実感と、安心という居場所を与えてくれていた。


「がっはっはっは。また来たか。魚泥棒の黒坊主っ!」


 黒猫は、いつものように船着場でちょこんと座っていると、髭のおじさんがわけのわからない事を言って、その日も大きな魚をそらよ、と投げてくれた。


「おおっと、また手が滑って魚泥棒に盗られちまった。また女房にどやされちまうなっ! がっはっはっはっ」

「おいおい、そんないかつい手がそんな簡単に滑るかよっ」


 他の漁師が突っ込むと、周囲にどっと笑いが起こる。


 それは、本当に穏やかで、いつも通りの日常だった。


 一度も泥棒などした事のない黒猫は、その大きな魚を口にくわえると、ちょこんと頭を下げるような仕草をして、とことこと足早に港を後にする。


 ちょっと前までなら、そこらの暗がりでペロッと平らげているところだが、ここ最近はそうもいかなくなっていた。


 黒猫は、ピチピチと動く魚を何度かくわえ直しながら、町の商業区を抜けて貧民窟の方へと足早に向かっていく。


 やがて、辿り着いたそこは、今は誰も住んでいない空き家となった、小さなバラック小屋だった。


 黒猫は、口から動かなくなった魚をぺっと出して、疲れた体の毛繕いをしていると、中から数匹の子猫が姿を見せた。


 この子猫たちは、親猫を失い、生きるすべを持たない弱き者たちだ。そんな彼らに食事を与え、一日のほとんどを一緒に過ごすのが、ここ最近の黒猫の日課となっていた。


 黒猫にも家族は居ない。いつから独りだったのか。親がどんな姿だったのかさえ記憶に無い。だからこそ、他の誰かと寄り添えるのは、黒猫にとっても悪くはないようだった。


 おかげで自分の食事の量は減ってしまったが、美味しそうに食べる子猫たちを見ると、不思議と我慢できた。


 そんな穏やかで優しい日々の中、それは突然に現れた。


 銀色に光る鉄を身に纏う者たちと、偉そうに町の人たちへ何かを言いつける男。


 黒猫は、鎧が擦れる金属音が苦手だったが、その時は特に気にする事も無かった。


 しかし、その者たちがこの町に来てから、状況は一変した。


 翌日、いつものように港へ足を運ぶと、そこには偉そうな男たちに監視されながら、魚を箱に詰める漁師たちの姿があった。


 黒猫は、いつものように魚を投げてくれると信じて、ちょこんと座っていたが、髭のおじさんは、こちらと目が合うとすぐに逸らしてしまった。


 まだかな? そろそろ、子猫たちがお腹を空かしてしまう。そんな事を思って、黒猫はじっと座って待っていると、偉そうな男がこちらに気付いたようだった。


「なんだ、あの汚い猫はっ? 早く追い払えっ!!」


 偉そうな男が自分を指して言うと、その隣に立っていた銀色のピカピカが、大きな音を立ててこちらへ走ってきた。


 ――っ!?


 黒猫は、咄嗟に身の危険を感じて、石垣の上へと避難した。初めて人が怖いと思った。本当に、ただただ怖かった。それでも、魚を貰えると思って待ち続けたが、結局黒猫が子猫たちへの土産を口にする事は無かった。


 バラック小屋へと戻ると、腹を空かした子猫たちが鳴きながら体をすり寄せてくる。何とかしなくては。


 黒猫は、以前に怒られて以来やらなかった、町の食堂にあるゴミ捨て場を漁る事にした。


 子猫たちの腹を満たすほどの成果は無かったが、それでも何もないよりはましだった。


 それから。そんなぎりぎりの日々が続いていき、一月が過ぎた頃、黒猫は町の裏道を歩きながら、ある異変に気が付いた。


 町に居た、他の猫たちの姿が激減していたのだ。


 何だか怖くなってきた黒猫は、相変わらず瑣末な食べ物をくわえて、子猫たちの元へと走っていく。


 そして、バラック小屋から出てきた子猫たちを見て、黒猫はそれにすぐに気付いた。


 黒猫は慌てて人一人が入れる程度の狭い入り口から小屋に入り、その身を凍らせた。


 そこには、冷たく固くなった一匹の子猫の姿があったからだ。


 黒猫は、小さなパンの欠片に身を寄せあって食べる子猫たちを見て、焦りを感じた。


 これでは足りない。全然、全く足りない。もっと。もっと、食べる物がないと、みんな冷たくなって動かなくなってしまう。


 黒猫は、何かに突き動かされるように、夜の帳が降りる町の中を走った。


 しかし、以前の活気を失い、自らも貧しくなった人々に、黒猫に餌を与える余裕は無かった。


 黒猫は、意を決して近づかないと決めていた、銀色のぴかぴかがたくさん居る場所へと向かう事にした。そこは、町の南に位置する場所で、少し前に大きな屋敷が立った辺りだった。


 何故か、この周辺だけは美味しそうな匂いが漂っていて、黒猫は期待に胸を膨らませた。


 そして、黒猫の視界に入ったのは、屋台で食事をする偉そうな男のテーブルに並ぶ魚の料理だった。


 ぐっと脚に力を入れて覚悟を決める。


 黒猫は、闇に溶けるその体をうまく利用し、物陰から一気にその料理に飛び付いた。


「うひゃぁっ!?」


 偉そうな男は、そんな情けない声を上げた後で、走り去る黒猫の後ろ姿を認めると、顔を真赤にして周囲にいた銀色のピカピカに命令した。


「悪魔だっ!! まだ悪魔の使いがいるぞっ! 早くあれを殺せっ!!」


 それから町は騒然となった。たかが一匹の黒猫を探すために、多くの銀色の鎧が町中を駆けずり回っていた。


 黒猫は、生来夜に馴染むその姿のおかげで、何とか逃げ切れそうだった。あと少し、あと少しで、この魚をあの子猫たちに。


 そんなことが脳裏によぎった瞬間、黒猫の横腹に衝撃が走った。


 ――っ!?


 それは、待ち伏せていた銀色の強烈な蹴りだった。


「居たぞっ! こっちだっ!」


 その大声にぞろぞろと次から次へと銀色が集まってきた。


 黒猫は、恐怖と痛みから威嚇する声を上げると、何故か銀色たちは少し怯えるような素振りを見せる。


「悪魔だっ! 呪いを受けるなよっ!!」

「なんて凶悪な姿だっ! 神のご加護をっ!」


 日々の食事のほとんどを子猫たちに分け与え、やせ細った黒猫の姿は、まるで本物の悪魔のように成り果てていたのだ。


 無論、黒猫に戦う意思も術もない。ただ、視界に映るのは口から落としてしまった、大きな魚のみ。


 黒猫は銀色の足元に転がった魚目掛けて、最後の力を振り絞るかのように、唸り声を上げながら飛びついた。


 瞬間、全身を襲ったのは角材による殴打の衝撃だった。


 薄れる意識の中に、謝罪の言葉が小さく響く。


 そして、黒猫の視界に映ったのは、恐怖と罪悪感に縛られたような目をした、優しかった町の人たちの変わり果てた姿だった。


 その後、身動き一つ取れないほどに傷めつけられた黒猫は、盗人への罰として苦しんで死ぬようにと両手両足を切断され、町の外にある野原へと投げ捨てられた。


 血が流れていき、感覚の無くなっていく体。残酷で無慈悲な人間たちへの恐怖。それらを差し置いても黒猫の脳裏に浮かぶのは、未だに自分からの餌を待っているだろう子猫たちの姿だった。


 自分が居なくなって彼らは生きていくことができるだろうか。あの銀色に見つからないように、生きてくれるだろうか。


 情けない。


 この期に及んで、黒猫の中にあるのは、人間たちへの恨みつらみよりも、自分の家族にお腹いっぱいご飯を食べさる事のできなかった不甲斐無さだった。


 やがて、その意識も薄れ、命の灯火が消えようかというその時。その女は唐突に、突然に、湧いて出たかのように目の前に現れた。


「あー、これは死んじゃうなぁ。これ、死ぬわよね? いや、絶対死ぬわ。あんた今死にますって顔してるもの」


 美しい人間の女だった。


 月明かりに照らされ星屑のように輝く銀髪に、透き通るような白い肌。それはこどものようでも、妙齢の女性のようでもあった。


「ねえ? まだ聞こえるでしょ? あんたさ、どうせ死ぬなら私の使い魔にならない? そうすれば死なないで済むわよ? ね、悪い話じゃないでしょ?」


 女は黒猫の悲惨な姿を見ても、一切の同情も憐みもなく、矢継ぎ早にわけのわからぬ事を言った。


「生きたいって願いなさい。ただそれだけでいいからっ」


 黒猫は、女の言っている意味も言葉もわからなかったが、ただ生への執着はあった。生きて、あの子猫たちへお腹いっぱいご飯を……。


 そう願った瞬間、閉じかける視界に眩い光が走った。


「はい。交渉成立ねっ。私はオルコス。いずれ偉大なる魔女になる超凄い存在よっ!  にゃっはっはっはっ」


 そんな事を言って、オルコスというらしいその女は、腰に手を当てて高笑いをした。


「……って、あれ? 失敗しちゃったかな。ぷふっ。いや、これは、これで……ぷっ。いや、ないかな……」


 オルコスの吹き出すような笑いと、独り言を遠くに感じながら、黒猫の意識はそこで途絶えた。


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